漫談・文明開化
明治初年の日本は、圃をあげて若き日の情熱とロマンチシズムに狂気した悲しくもまたなつかしい時代であ
った。長い鋳園の夢からさめて急に十九世紀の新世界に放たれた日本人は、自分の賓在を疑ふほどにも、荒唐
無稽の急攣した世界を見た。彼等は昨日のチヨンマゲから一躍して十九世紀の文明人に成らうとした。そして
2∫ク 随筆
嘔吐を忍びつつ牛乳を飲み、苦行偲の忍耐をして椅子に坐つた。明治初年のすべての牡合はその錦檜に描かれ
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
てる杢の如く、眞に浪漫的で幻想に充ち、のすたるぢやの悲しき情熱に充たされたせ界であつた。以下自分の
貧しい記録の中から、二三の珍らしい故事を書いて見よう。
ハ、2イ0
西洋行燈 ラムプの評語には、今日「洋燈」といふ字があるけれども、単に字詳だけで合議には使用されな
い。明治の初年には西洋あんどんといふ詳語が行はれた。歎阿滴の芝居などにも、よくこの言葉が出てくる。
「西洋行燈に灯をつけなょ」など。
照降傘 洋傘の中には、黒布で張つた雨天用のアンプレラと、日除けに使ふ晴天用のパラソルとがあるけれ
ども、明治初年の人々は、雨天用の黒傘を晴天用に乗用して、便利にも照降傘といふ名をあたへた。和服に編
あげの靴をはき、山高帽子を被つた人物等が、日本晴れの青天に洋傘をさし、銀座煉瓦館の街道を歩いて居る
のが、明治初年の所謂「文明開化之圃」であつた。
ソルダ屋敷 今日の兵営のことを昔はソルダ屋敷と呼んだ。ソルダは悌蘭西語の兵卒で、英語のソルジャー
である。洋服に餓砲をかつぎ、嘲机や太鼓の兢令で調練した洋式の軍隊は、昔時の人から物珍らしく、非常に
異囲趣味のものに眺められた。例の野毛山の唄
(野毛の山からノーエ、野毛のサイサイ、山から異人屋敷を見れば、銭砲かついでノーエ、銭砲かついで
オツピキヒヤラカテツテツタ。)
の唄は、常時横濱の居留地で、外因の軍隊が練兵してゐる使を唄つたのだが、日本に始めて兵営が出来た時も、
■凋潤珊増パノ、
「
それと同じやうなエキゾチシズムを感じさせた.すべてに於て、日本では軍隊が欧碓主義の先導であり、文明
開化の先駆であつた。(それ故に国粋主義の神風連は、軍人を目して国賊とし、見首り次第に斬り殺した。)こ
の急進主義の軍人等が、明治の欧化政治をつくつたのは嘗然だが、後には反動から忠君愛国の国粋汲となり、
今日では軍人イコール嘗弊頑固の象徴となつてしまつた。
伶ついでに註解するが、洋式軍隊の組織を理解しなかつた昔の人は、下士卒を以て日本の「足軽」と考へ、
士官を以て日本の「侍大賭」と考へた。そこでソルダ屋敷といふ言語には、足軽屋敷といふほどの類似の語感
が含まれてゐる。
ポリス 明治初年は巡査のことをポリスと言つた。ポリスはもちろん英語の直輸入であるけれども、これに
日本語の官字をして「捕吏」と書いた。常時の捕吏即ちポリスなるものは、股引のやうなズボンに扁平な帽子
を被り、六尺棒を持つて市中を巡遊した。.それを子供たちが嘲弄して、背後から石をぶつけて逃げ出しながら、
ポリス! ポリス! と連呼してからかつた。(巡査といふものは、いつでも奇饅に喜劇的で、滑稽の愛婿味
があるものだ。)そこで捕吏の稀呼を止め、後には遜卒と代へたけれども、さらにまた改構して今日の巡査に
なつた。
文明開化 明治初年の合言葉は質に文明開化の四字であつた。文明開化といふ言葉は、一方で未開野攣とい
ふ言語に封し、相封的の意味を持つて居た。常時の人々は自ら日本を未開野轡の代表とし、西洋を文明開化の
典型とした。そこで理想は、我々の未開野攣の日本をして、一日も早く西洋の文明開化に近づけることであつ
た。そこで常時の・小唄を一つ
そと ヲソ プ
外に電信内には洋燈、開化の御代ぢやないかいな。
〃∫ 随筆
これが音節だつたら、次のやうに改作されるところだらう。
● ●
外に飛行機内にはラヂオ、文化の御代ぢやないかいな。
即ち常時の「文明開化」は、首筋の言葉で「文化」に攣り、中の二字が節約された。(つまりそれだけ、世
の中が忙がしくなつてきたわけだ。)今日の所謂文化が、明治の文明開化の持ち越しであることは、銀座のモ
ダンガールやモダンボーイが、鹿鳴館時代の欧化主義者を今日の衣装に着かへただけの時代思想的無内容のハ
イカラにすぎないことを考へればすぐ解る。近頃諸方に文化村といふのがあるが、文化村と言ふからには、も
ちろん瓦斯や水道の設備があり、排水滑毒等の衛生設備が完全してゐる田園住宅かと思つて居たら、水道は疎
か瓦斯さへもなく、文明的なるどんな設備もしてないに驚いた。それで尚且つ、文化住宅とか文化村とか言つ
てるのは、一饅どうしたわけかと考へたら、建築の見かけだけが、窓の切つた洋風家屋であるからだ。(その
くせ内には畳が敷いてある。)文北住宅こそは悲しき極みだ。
二
だが明治の文明開化は、今日のやうに愚劣でなく、もつと情熱的なるロマンチシズムの夢を持つてゐた。も
つと極端なる昔時の小唄を二つ。 ノ〉
牛関野轡は米食つて、刺身に漬物、徳利酒。おや蕾弊だネ。
文明開化はパン喰ぺて、牛乳にオムレツ、ベルモツト。おや進歩だネ。
2イ2
米の飯を食つて日本酒を飲むのが、「半開野攣」だと言ふに至つては欧化主義も極端に徹度しで居る。だが
僕等は、今日でもさうした思想を笑ふことができないのだ。早い謡が我々の文壇でも、今日人膚や芭蕪をロに
し、西鶴や近松のことを言へば、人々から「奮弊だネ」と言つて笑はれる。反封にマルクスの唯物論や、コク
トーや表現汲やのことを言へば、皆に「新しい」と言はれ、「進歩だネ」と喝宋される。げに文明開化はパン
喰べて、牛乳にオムレツ、ベルモットの謂である。
日本属同論 明治の三大奇論は、ラムプ亡国論と、人種改良論と、日本属国論の三つである。この中で人種
改良論と日本属国論とは昔時の欧化心酔時代を極端に代表してゐる。
常時自ら牛関野攣と卑下してゐた日本人は、同時に自分等を「劣等人種」と呼び、西洋人のT優等人種」に
封照して居た。そこで或る論者は、いかにして我々の劣等人種を、欧米人等の優等人種に向上さすべきかを考
へ、結局外国人との雑婚から、人種を改良するより外ないと論じた。この過激の議論は、さすがに常時に於て
も反駁を招き、日本人を地上から絶滅させる亡国思想だと罵られたが、之れに反する答群がまた大に徹底して
ゐる。日く、日本人のやうな劣等人種が、劣等人種として地球に生存して居たところで何になる。我々が優等
人種と化するために亡びるなら、むしろ亡びる方が有意義ぢやないかと。
この人種改良論と改行して、園語改良論といふのが行はれた。論者はいふ、日本が文明になるためには、先
つ以て我々の未開野攣な国語を廃し、英語を使用するやうにせねばならぬ。1それには小学校での教課及び合議
を、一切英語でする一方に、法律によつて日本語の使用を禁じ、また英文を以て強制的に書記させれば、数年
ならずして日本の国語を一愛し得ると。
此等の論よりさらに一層徽度して、一層情熱的なのは日本属国論であつた。日く、日本が今日のやうな状態
では、永久に牛関野攣を脱し得ず、生活の意義と華南とを保澄し得ない。如かず西洋の属国となり、囲をあげ
2イj 随筆
て欧米文明国民の統治に委し、彼等と同じ文明の事涌を受けるが好いと。
今日、例へば日本語で西洋風の長詩を作らうとし、日本語の非音韻性に苦しんでゐる僕等の如き詩壇人も、
または日本の自然色や日本の裸婦やを、油檜の檜具で描かうとして矛盾に悩んでる洋室家たちも、或は短かい
脚に洋服を着ようとして苦しんでゐるモダンガール等も、すぺてあらゆる現代日本の祀骨相は、その矛盾に妥
協折衷しない限り、結局して此等の国語改良論や人種改良論にまで、徹底して論結せねばウソである。そして
さらに、もつと情熱的に考へれば、結局「日本属国論」にまで態展して行く。今日のマルクス的牡合主義者は、、
ソビエツト露西亜を支持するために、日本を露囲の農園化することを望んでゐるが、明治初年のロマンチスト
等と同じく、或る別の意味での文明開化主義者の一族であり、若き日の悲しき情熱を感じさせる。
ともあれ明治初年の人々は、今日我々が折衷的に妥協して居り、矛盾をゴマカシてゐるところを、最後まで
徹底的に考へ、勇ましくも大腸に論決して居た。論旨の賛香は別としても、彼等の純粋な情熱と、生眞面目で
正直な態度に封し、僕等の時代の生ぬるい「文化主義者」は、遠く明治の「文明開化主義者」に恥ぢるのであ
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