田舎に帰りて


 僕は都合をはなれ、再度また田舎の生活に辟つて来た。荒蓼とした上州の杢の上に、毎日赤城山を見て暮し
て居る。辟りたくもない田舎であるが、事情が止むを得なくしたのである。→志を得ずして郷に辟り、菊を植
ゑて南山を見る。」といふ、古い支那の詩人の詩が、僕の暗澹とした心の隅で、どこかの物さびた月琴に似た、
静かな音色を奏でてゐる。鬱憤の底に沈む悲調は、支那の古い詩に於てほど切なく感じられるものはないのだ0
 田舎の生活の寂しさは、ただ冥想にのみ通してゐる。杢気は重たく沈滞し、歩調の遅い人物等が、街路を眠
たげに歩いてゐる。さうした自然の中に住んで、だれでもすぺての人々は、冥想凰な性格につくられてくる0
〃夕 随筆

(僕自身にしても、多少の響人風の性格が残つてるのは子供の時から久しい問、田舎に育つた馬である。)都合
の生活は反封であり、すぺてが活動的に展開して居り、冥想とは嫁がなく、感覚から感覚へと、瞬時の刺激を
追求させる。都合に住んでるすぺての人は、必然に感覚主義者になるであらう。
 僕は気質の上から言へば、本来都合的の人間である。あらゆる気質上の趣味に於て、僕は田舎を好まない。
僕は都合の穂讃者であ(編注‖以下、十五字分列讃不能。)意地の悪い皮肉を好む。僕のすべての気質に反して、
運命は僕を田舎に育て幼少から中年に至る迄、生涯のすぺてを田舎に住むぺく、惨酷に強ひられて居た。そし
てこの逆退から、僕の中にある二つの矛盾が封立された。一方に於て環境が、僕を田舎風の哲人に育てあげ、
性格の抜きがたい本質にまで観念的な冥想主義を植ゑつけた。しかもその性格に反しっつ、気質の一貫した本
性からは、絶えず刺激と攣化を求める、都合的の感覚主義者が根を張つてる。僕の性格的風貌から、それがあ
の矛盾した「田舎風の土臭い近代主義者」を、しばしば友人等に諷されるのである。
 かつて野口米次郎氏を訪ねた時、氏が西洋に居た時の生活と日本に居る時の生活との差を、ただ一言にして
言ひ表された。日く、西洋では一風の金を使つて、丁度一園だけの快楽が買ひ得られる。日本では十囲の金を
使つて、漸く一圃だけの満足も得られない、西洋と日本の生活差は、ただその一事に義されると。
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東京に住んでる痔、僕はいつも野口氏の言葉を思つた。あらゆる場合に於て、十固の金が一固にしか使へな
いほど、文明的設備の不完全で、都合文化の未餞連な日本を考へ、不満の鬱憤に耐へなかつた。僕はいつも西
洋のことを考へ、欧洲の文明的都合にあこがれて居た。ところが最近、東京から田舎に移つて衆て、再度また
その同じろ払針÷毒に深く考へて衆た0なぜなら田舎の生活では、都合で一周で買へる快楽が、質に十囲つ
無ければ買へないのだ。例へば酒を飲むにしても、東京では一寸した僅かの金で、充分に享楽し得るものが、
田舎ではその十倍の費用を要し、資質的には十分の一の収穫もない。
 文明は、その程度が低くなるにしたがつて、需用への供給が不足してくる。人が欲するところのものは、都
合に行くほど充斉して居り、設備が整ひ、且軽便で安償に得られる。僕は東京に住んでる時、すぺての日本的
な文明に反感し、より餞達した西洋の文明とその大都市とに憧憬したが、今また田舎に辟つてからは、さしも
に軽蔑した未開都市の東京が、巴里や伯林と同じやうに懸しく美しいものに思はれるのである。
 僕は田舎に蹄つてから、文壇といふ存在と、自分が益ヒ緑の遠くなつて行くのを感じた。文壇といふ存在は、
かつて我が国の昔に於ては、一つの権威ある文化的批判だつた。しかし既に今日では、何の権威でもなく批判
でもなく、畢穎るジャーナリストの職業倶楽部で、流行世態の井戸端合議をする所にすぎないのだ。すべての
職業的なる文聾者等は、パンの求職ロを求めるためにも、彼等の倶楽部に出勤して、カフェやレビューや無駄
話に、時を費して居なければならないだらう。しかもまたさうすることが、文壇人の文壇人たる所以なのだ。
とにかくにも彼等はそれによつて生計し、文士として認められてる。
 しかしながら世間は、もはやさうした文士共を軽蔑して居る。すぺての資質的なる文学は、それの新しく興
る前に、すべての「文士」.共を一掃し、彼等を獣殺してしまふだらう。今や新興の讃書人は文壇的なる如何な
る文革も讃んで居ない。彼等の新しい大衆は、始めから文壇とは濁立し、そんなものを軽蔑し切つて居るので
ある。(それ故にまた反感も持つて居ない。)彼等は別の世界に立ち、別の新しい意識からして、文畢を考へて
居るのである。
 それらの新しい大衆は、今どこに群圃してゐるだらうか? 彼等は個々の存在であり、どこにも圃結して居
ヱタ∫ 随筆

るのでなく、議事階級の至るところに、普遍に散らばつて居るのである。それは目に見えて指定できる、一の
集圃的の勢力ではない。しかしながら書物は、彼等によつてのみ選定される。そして文学の要求は、彼等から
需用されてくるであらう。日々に新しく、√その新興勢力は目醒めてくる。人々はもはや、すべての文壇小説を
軽蔑し、文壇的なる問題やジャーナリズムから、全く無関心になるであらう。そして従来とは全くちがつた、
別の新しい文撃と文壇が興つてくる。その時に至つて、今日ある如き文壇と文寧とは、自然に人から顧みられ
ず、あへて反感されるでもなく、それのくだらなさと無償値とから、どこかの片隅に捨てられるのである。
2∫2
彗姐
2∫∫ 随筆
 今や既に、文壇といふ言語そのものが時代遅れだ。文壇は凋落してゐる。■近く我々の所謂「文壇」は無くな
るだらう。そして文学に於ける批判の権威は、さうした職業的楽屋でないところの、一般の聴明な「讃書界」
に移つてくる。然り! 近い未来に於ては、文壇といふ語の代りに、讃書界といふ廣い言語が、新しい権威を
有してくる。そして伶文学は、それらの文壇的文士でない、別の新しい讃書人によつて書かれるだらう。
 九月兢の「新潮」で中野重治君が書いた感想は面白かつた。今の日本の文壇で、文筆的生活をするためには、
中野君の所謂「仁丹的文章」を書くより外、需用される造がないのである。あらゆるすべての文壇人は、皆そ
                         ● ● ● ●
の需用と供給の秘訣を知つてる。人生の最もくだらぬ無駄話を、如何にせば最も面白く意味有りげに書き得る
かがすぺての文壇的文学の秘訣であり、文士共の修業に於ける、最大の苦心に属するのである。彼等はすべて
それを言つてる、文学の修業に於けるそれが最上の技術であると。
 もちろん確に、それは困難な技術である。なぜなら人々は、それで以て飯が食へ、文士として生計すること
が出来るのだから。彼等はその鮎で苦心してゐる。だが目醒めつつある階級は、もはや文竣に背を向けイ」ゐる。
多くの教養ある讃壱人は、過去の文畢雑誌  これほど青年を害悪し、賓の文畢から遠くさせる者はない。
  によつて教養された、投書家的文筆青年の一群とは、まるでちがつた世界に住んで考へ、文畢をちがつた
眼で鑑賞してゐる。その投書家的青年の一群は、彼等のすぐ近い所に、目前にゐる得意客である故に、すぺて
の雑誌編輯者や、文畢的新聞のジャーナリストに重現される。したがつて文壇の編輯人等は、彼等のためにの
み執筆された、文壇的文章(中野君の所謂仁丹的文章)を悦ぶのである。
かかる文学青年の一群は、始めから文学雑誌で教養され、文壇的なる文学臭気で、先入見的b腐敗されてる。
言はば彼等は、文壇の周囲に附着してゐる「垢」である。その一群の運命は、文壇と共に亡びるだらう。新し
く興る文寧は、彼等の「慈しき讃書階級」と濁立し、別の正しい出態鮎から、拳術の復活を呼び出すだらう。

 私の郷里は前橋であるから、自然子供の時から、伊香保へは度々行つて居る。で「伊香保はどんな所です」
といふやうな質問を皆から受けるが、どうもかうした質問に封してはつきりした答をすることはむづかしい。
                             ヽ ヽ ヽ ヽ
併し簡畢に言へば、常識的の批判からみて好い温泉である。ここに常識的といつたのは、自然や設備の上で中
庸といふ好みを意味して居る。だから特別の新らしい趣味で、赤城や軽井浮のやうな高原的風望を好いといふ
人や、反封に少し古い趣味で堕原のやうなアカデミックの景色 山あり、谷あり、瀧あり、紅葉ありといつ
たやうな景色1−を悦ぶやうな人や、その他特別の意味での情趣をたづねるやうな人には、伊香保はあまり好
                                                          ヽ ヽ ヽ ヽ
かれない温泉である。併しその特別の奇がないだけ、それだけ感じの落付いたおつとりした所でもある。平凡
と言つた所で、決していやな感じがする平凡ではない。言はば中産階級の温良な良家の娘をみるやうに、どこ
か親しみのある線の柔らかい自然である。特別に好いといふでもないが、さうかと言つても悪い気もしない。
若い新趣味の人には食ひ足らず、古い老人には漢詩的風情がなさすぎる所から、一般に伊香保の愛顧者は温健
な婦人に多い。私が伊香保を常識的だと言つたのは、先づかういつた意味である。
                                                 さん◆りん
 併し、女性的とはいへ、山の温泉であるから、樹木が多く、雲や霧がふだんに立ちこめて、山轡といふ感じ
は充分にある。篤や駒鳥はいつも鳴いてゐるし、樹陰の深い緑は所々にあるし、それだけで山間の別天地をな
した鮮新な温泉町としてゐる。前に言つたやうな特別の注文さへなければ、だれも閑雅な好い感じをもつこと
ができる温泉で転機瀾那訂叫備の粘からいつても、決して人を不快にするやうな者ぢやない・勿論、箱嬢あたりと
                                                            ち ぎLソ  ニ
くらべれば、全憶に田舎めいてゐるが、併しそれも、悪い意味での田舎くさい感じはあたへない。千明とか木
′、れ
暮とかいふ一流の旗館なら、相嘗にゆつたりした寝起をすることができる。
 私は可成所々 所々といつても東京附近だが−の温泉を歩いたが、未だこれといふやうな温泉には一つ
も行きあたらない。どこも皆面白くない。就中、信州の波とか湯田中といふやうな百姓めいた温泉、言はば
「田舎者の湯治場」といつた感じのする所は何より嫌ひだ。さうした所は、畢に温泉町そのものの気分が田舎
めいて陰気くさいばかりでなく、周囲の自然そのものからして、妙に百姓じみて感じが重苦し心。私は鮮緑と
いふやうな明るい感じがすきだから、百姓風のぢみくさい気分は陰気でいやだ。尤も野州の邪頻のやうに、温
泉場としては、代表的な「田舎者の湯治場」でありながら、自然としては極めて明快な高原的眺望をもつた所
もある。次でだから言ふが、那頻野の自然は資際好い。軽井浮に似て、も少し感じが粗野であるが、それが如
何にも虞女地といふ新鮮な響をあたへる。どこからどこまで「青春」とか「著さ」とかいふ叙情的の印象がみ
なぎつてゐる。一寸附近の林の中へ這入つても、雨のやうな緑と、気品の高い青杢の影とを感ずる。げにそこ
には若き日本の若い人の情緒がある。高貴にして教養ある趣味がある。しかもこの新日本的の那須野と封照し
て、那須温泉そのものの薄暗い感じを思ふのは不快である。何故といつて、あの温泉は、田舎の石姓が湯の隅
で念俳を稗へたり、不潔な女をひやかしたりするやうな、全然田舎風の杢舞をもつた搭場であつて、周囲の鮮
新な自然と全く不調和であるからである。
 併し、田舎風の温泉でなくとも、堕原のやうな所はまた嫌ひである。ああした種類の風景は、もはや時代遅
れの趣味に属するもので、近代の若い人には感興がない。どこか商量くさい、古い趣味の美文めいたあの遽の
                      ふくわ と    ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
景色は、今日ではむしろ俗である。それにあすこの摘渡戸のやうながらんどうの温泉、普通の辟路の南側に家
2j∫ 随筆

が汲んだやうな温泉は、どこか挨くさい菊がするのと、かいかいのない不安な菊がするので、とても落付いた
気分になれない0温泉はやはり山の峡谷のやうな所に、そこだけで一廓をなしてゐなければいけない。その他
まだ嫌ひな温泉の種類をあげればたくさんある。伊豆の伊東のやうな、海岸の温泉も嫌ひのものの一つである。
すぺて海岸の温泉には、温泉らしい情趣がすくない○普通の田舎町らしい1漁師町らしい1気分と、温泉
町らしい特異の気分とが不調和に混同して、妙に落付きの悪い安償の印象をあたへる。それに場所も平地であ
るから、雲霧とか山轡とかいふ温泉特有の情趣がなく、すぺて感じが乾焼して居る。尤も伊東は特別にくだら
ぬ温泉であるが、他の熱海でも別府・でも、温泉らしくない鮎では、伊東と大同小異であらう。
 さてこのやうに考へてくると、皆嫌ひな温泉ばかりで、好きだと言ふのは一つもない。自分の好きな注文を
言へば、第一、感じが明るく、言はば「静かな華やかさ」を持つてゐなければいけない。つまりそれは、田舎
                                                                 ヽ ヽ ヽ ヽ
の湯治場にみる「賑やかな陰気さ」の反封である○人間でも建築でも、田舎凰の煤ぼけた者ががやがや混み合
つて居るのでなくして、都合風の明るい感じの者で、小ぢんまりとして居る所が好い。一膿、温泉などといふ
ものは、周囲が極めて閑寂であるから、之れと反映するために、生活の気分を華やかにする必要がある。すく
なくとも気を滅入らせない程度の明るさがなくてはならぬ0衣装にすれば色彩の鮮明な、自とか、育とか、水
色どかいつたやうなものが好く、建築にすれば、感じの薄暗い田舎風の家より、明るい西洋建築や、軽快な都
合風の家屋が好い○温泉彗避暑地の興味に於ける大部分は、一種のロマンチックな夢幻的情趣−ト山轡の奥
深く美しい生活の夢を捉へるといふやうな、言はば山間都市に封する蜃気楼的な幻想 にある。順つてそれ
が周囲に封して特異な気分を反映するほど、さうした場所の印象と魅惑を深くする。(言ふ迄もなく、それは
 ● ● ● ● ● ●
調和ある反映である0緑陰に自のベンチを配合するといつた反映である。不調和な都合風は、却つて折角の自
 然葵を俗惑にする。)
 それ故、私の好みから言へば、先づ関東附近で「好き」と言ひ得る温泉は、何といつても箱根だけである○
日光や軽井澤も悪くないが、それは温泉でないから別として、温泉では箱根を第一位にあげたい○人工的方面
ゃ、温泉場としての気分の好いことは勿論だが、自然の展望から言つても、箱根の感じは別である0全饅に明
るくて、新緑といふやうなフレッシュの気分が高い。箱根の気分は、蕾日本のそれでなくして、矢張新日本の
それである、老人の好みでなくして青年の好みである0さて、箱根に次いで、どこが好きかと言はれると、も
はや返事に困るが、嫌ひでないといふ側からなら、先づ第一に伊香保をあげたい0前に言つた通り、伊香保は
                   、 、            ヽ ヽ
中庸的の温泉であるから、自分の趣味で好きといふには不適官だが、嫌ひといふやうな所は全くないO「ああ
好い」といふ風な強い印象はないが、何度行つてもその度毎に親しみのあるやうな、此較的飽きない温泉であ
る。秋草を日本趣味といふ意味での、おとなしい閑雅さから、伊香保を日本趣味といふのは邁評である0明る
いといふでもなく、暗いといふでもなく、言はばその明暗の中間が伊香保の気分であらう0
伊香保の特色は、だれも感ずる如く、その石段あがりの市街にある○賓際伊香保の町は、全部石垣で出来て
居ると言つても好い。その石段の南側には、土産物の寄木細工を要る店や、かういふ町に通常な小綺麗の小間
物屋や、舶来煙草を鰊つた店や、中庭に廻廊のある二屠三屠の温泉旗館が、軒と軒とを重ね合せて、ごてごて
と不規則に址んで居る。そしてその石段道の一方からは、攣ろず温泉くさい湯気が腺々と立ち登つて、如何に
も温泉場らしい特異ノの感じがする。それに山の霧が多いので、いつも水蒸気七町の軒燈が紅色にかすんで、一
層山間都市の華やかな感じを深める。また伊香保の町は、仝鰹に細い横丁や路地の多い、抜道だらけの町であ
る。人の家の中庭を突つきつて街路へ出たり、狭い石垣の↑を通つて横丁へ出たり、勝手口のやうな裏道を迂
廻したり、小さな坂を登つたり降りたりする所が多い○伊太利のナポリ遽へ行くと、市街の家政が不均奔で、
登つたり降りたり、中庭を突つ切つたり、路地から路地へ曲つたりする迷路のやうな市街が多いといふことを
2∫古
ヱタア 随筆

開いてゐるせいか、伊香保の町の裏通りを歩くと、何となく南欧の田舎町といふ感じがする。
今の伊香保の第二印象は、電車の停車場附近であるが、あの遽の気分も悪くない。第一、ああした山の中に、
電車の停車場といふやうな者があると、その遽の客気を奇饅に明るくする0それは丁度、深い密林の中で自重
の洋館を見る時のやうな感じである0そこに一種の鮮新な喜悦1心の硯野が速く延びて行くやうな喜悦1
がある0適度の文明的人工物は、自然をして軽快ならしめ、森や林や山轡に、微かな香水の匂ひをあたへる。
緑蔭に於ける自のベンチ、野景に於ける女のパラソル等も、またこの意味でのょい人工的反映である。新緑の
中を走る電車、それは伊香保の追憶の中で、最も情緒の高いものであらう。併し伊香保の設計者は、折角のか
うした情趣を充分に生かして居ない○あの遽は、伊香保にとつて何より大切な第一印象であるから、も少しフ
                                               ● ● ● ●
レツシユな色調をもたせることが必要である0全饅に伊香保の人は、自然の美を人工によつて開磯することを
知らない。さういふ所はょほど田舎じみて居る。
 伊香保のいちばんいい季節は、晩春四五月から、初夏の六七月へかけた時期である。眞夏の伊香保は、自然
としても初夏のそれに劣るが、何しろ悪いことは、文字の通りの意味で難問混雑を極めることである。夏伊香
保へ待つた人は、たいてい宿屋のことから気分を著し、順つて伊香保全髄を悪く見てしまふ。夏の伊香保は自
分たちの行く所ぢやない○温泉場の気分は「静かな華やかさ」にあつて「賑やかな騒々しさ」にないのだから。
とはいへ秋の伊香保もまた感心しない0自然は相常に美しいが、何分近在の百姓が大勢詰めかけるので、伊香
保そのものの客気が、まるで田舎の温泉壊に攣つてしまふ0その頃の伊香保は、何となく感じが黒ずんで陽快
な所がない。
 だから伊香保は、どうしても春でなければいけない0尤も春といつても、山の春は遅いから、伊香保で春と
 いへば五月か六月であらう0その頃の伊香保はほんとに好い〇一饅、伊香保に限らず、温泉町の春の夜は別で
2∫β
ぁる。裏町の鶉を流れる湯の匂ひや、腫ろにかすむ紅色の軒燈や、枕に近い湯瀧の音やが、何とも言へね者ら
しい感じを超させる。浴室の椅子障子を通して新緑の山を見てゐると、どこかで篤が鳴いて居る0さうした
「静かな華やかさ」を味ふには、伊香保へ春くるに限る○この頃伊香保へきて感じを意くするやうなことは決
してない。
 伊香保の搭客にとつて、日課的の散歩道となつてゐるのは、崖に沿うて湯元へ通ふ十敷町の道であるが、そ
の途中に橋があつて、そこから榛名へ登ることができる。この橋のあるあたりの小高い崖の上に、湯元ホテル
とかいふ木造のホテル粂レストラントがある。別に何の奇もない平凡な木造建築であつて、ホテルと言つても
ごく簡便な物であるが、それがどことなく西洋の野菜料理店といつた感じがする。それに好い加減古びてゐる
のと場所柄とで、何となく物寂びた雅致を帯びて、静かな廃屋といつたやうな情趣がある○朝夕の散歩のかへ
り造に、このホテルの静かな食堂へ入つて、大層冥想的な紅茶を飲むのは、温泉場の物権しい生活にふさはし
いことである。
 榛名へはかつて一度登つたことがある。湖畔革のあたり、眞青な湖水の上に、白鳥のやうな白いボートが浮
んで居たのを夢のやうにおぼ>見てゐる。併し山として、榛名は特色のない山である。赤城のやうな洋室的の山
でもなければ、妙義のやうな文士董風の山でもない。矢張伊香保そのものの感じと同じく中庸的である0その
外、伊香保の附近には一寸した瀧とか小山とかがあつて、夫婦づれの搭客などがょく散歩するが、快邁な散歩
に適した所は極めてすくない。軽井澤附近には、如何にも軽快な、そしてどこか冥想的な、如何にも散歩らし
い気分のする道がすくなくない 尤もあの逢では、その目的のために、わざわざ並木を植ゑた遊歩地のやう
なものができてゐる 伊香保には、ほんとの散歩道といふものはない。ただむやみに歩くだけの造ならある
が、散歩といふ感じを特に持つやうな所は附近にない。(勿論、少し人工的園蜃を加へれば、容易にさうした
2∫ク 随筆

聞いてゐるせいか、伊香保の町の裏通りを歩くと、何となく南欧の田舎町といふ感じがする。
 今の伊香保の第一印象は、電車の停車場附近であるが、あの遽の気分も悪くない。第一、ああした山の中に、
電車の停車場といふやうな者があると、その遽の客気を奇鰹に明るくする。それは丁度、深い密林の中で自重
の洋館を見る時のやうな感じである。そこに一種の鮮新な喜悦1心の視野が遠く延びて行くやうな喜悦1
がある。適度の文明的人工物は、自然をして軽快ならしめ、森や林や山轡に、微かな香水の匂ひをあ止へる。
緑蔭に於ける白のベンチ、野景に於ける女のパラソル等も、またこの意味でのょい人工的反映である。新緑の
中を走る電車、それは伊香保の追憶の中で、最も情緒の高い、ものであらう。併し伊香保の設計者は、折角のか
うした情趣を充分に生かして居ない。あの遽は、伊香保にとつて何より大切な第一印象であるから、も少しフ
                                                 ● ● ● ●
レツシユな色調をもたせることが必要である。仝饅に伊香保の人は、自然の美を人工によつて開磯することを
知らない。さういふ所はょほど田舎じみて居る。
                                                          /‥/
 伊香保のいちばんいい季節は、晩春四五月から、初夏の六七月へかけた時期である。眞夏の伊香保は、自然
としても初夏のそれに劣るが、何しろ惑いことは、文字の通りの意味で難問混雑を極めることである。夏伊香
保へ行つた人は、たいてい宿屋のことから気分を著し、順つて伊香保全饅を悪く見てしまふ。虜の伊香保は自
分たちの行く所ぢやない。温泉場の気分は「静かな華やかさ」にあつて「賑やかな騒々しさ」にないのだから。
とはいへ秋の伊香保もまた感心しない。自然は相常に美しいが、何分近在の百姓が大勢詰めかけるので、伊香
保そのものの客気が、まるで田舎の温泉場に攣つてしまふ。その頃の伊香保は、何となく感じが熟ずんで陽快
な所がない。
 だから伊香保は、どうしても春でなければいけない。尤も春といつても、山の春は遅いから、伊香保で春と
 いへば五月か♪ハ月であらう。その頃の伊香保はほんとに好い。一憶、伊香保に限らず、.温泉町の春の夜は▲別で
00

町吾
周州や′ゝ
Z潮周瀾
澗欄湖Y瀧

、笥瑚畑瀾匂一。リバ3。u∵Jノ1
   ぁる.毒町の薄を流れる湯の匂ひや、騰ろにかすむ紅色の軒燈や、枕に近い湯瀧の音やが、何とも言へね葬ら
Z確璃ハ泊頂濁欄潤.苛確バ」溜‥∬周−‥嘗“舶頑彗“勺ト‖小召す.パ‡ 1」ご.
  ′しい感じ′を起させる.洛室の椅子障子を通して新緑の山を見てゐるをハ一ど£かで焦が鳴・吋て居るゎ■亨つした
  「静かな華やかさ」を味ふには、伊香保へ春くるに限る。この頃伊香保へきて感じを悪くするやうなことは決
   してない。
   伊香保の洛客にとつて、日課的の散歩道となつてゐるのは、崖に準フて湯元へ通ふ十敷町の道であるが、そ
  の途中に橋があつて、そこから榛名へ登ることができる。この橋のあるあたりの小高い度外上に、湯元ホテル
  とかいふ木造のホテル余レストラントがある。別に何の奇もない平凡な木造建築であつて、ホテルと言つても
 ごく簡便な物であるが、それがどことなく西洋の野菜料理店といつた感じがする。それに好い加減古びて為る
  のと場所柄とで、何となく物寂びた雅致を帯びて、静かな廃屋といつたやうな情趣がある。朝夕の散歩のかへ
           ●
  り造に、このホテルの静かな食堂へ入つて、大屠冥想的な紅茶を飲むのは、温泉場の物権しい生活にふさはし
   いことである。
  榛名へはかつて一度登つたことがある。湖畔亨のあたり、眞青な湖水の上に、白鳥のやうな白いボー†が浮
  んで居たのを夢のやうにおぼえてゐる。併し山として、榛名は特色のない山である。赤城のやうな洋室的の山
  でもなければ、妙義のやうな文士童風の山でもない。矢張伊香保そのものの感じと同じく中庸的である○その
 外、伊香保の附近には一寸した瀧とか小山とかがあつて、夫婦づれの浴客考どがょく散歩するが、快適な散歩
  に適した所は極めてすくない。軽井澤附近には、.如何にも軽快な、そしてどこか冥想的な、如何にも散歩らし
  い気分のする道がすくなくない 尤もあの遽では、その目的のために、わざわざ也木を植ゑた遊歩地のやう
  なものができてゐる −伊香保には、ほんとの散歩道といふものはない。ただむやみに歩くだけの道ならある
  が、散歩といふ感じを特に持つやうな所は附近にない。(勿論、少し人工的園蜃を加へれば、容易にさうした
2∫ク 随筆





       \


情趣を持たすことができる0谷に沿つた林の中などは、道さへつければ可成の遊歩地ぢきるし、附近の山道
なども、ちょつとした手入れと設備でどうにでもなるから0)之れを全鰹から言へば、温泉としての伊香保は、
すぺてに於て箱根に劣るが、他の鍵原等にくらぺれば、よほど優つてゐるやうである。関東地方の温泉では、
先づ「好い温泉」といふ部類に属するものであらう0特に私の知つてゐるだけの範囲で言へば、その上位に属
して居る。
 この温泉の客気を代表する搭客は、主として都合の中産階級の人であるが、とりわけさうした人たちの若い
夫人や娘たす−と言つても、大磯や鎌倉で見るやうな近代的な‥中凹みで睦毛の長い表情をし蒜たちでは
ない○矢張、不如蹄の女主人公を思はせるやうな、少しく蕾式な温順さをもつた、どこか病身らしい細顔の女
      ほととぎす
たち−である0前に伊香保の愛顧者は女性に多いと言つたが、つまりそ芸性とはかういつたやうな、中庸
的の天人や娘たちである○不思議に伊香保といふ所は、何から何まで女性的であり中庸的である。

 最近、私の友人で伊香保へ衆た人には、前田夕暮君と室生犀星君がある○谷崎潤一郎君と始めて逢つたのも
此所であつた○この人たちの伊香保に封する批評は概して可もなく不可もなしといふ所であらう。
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 子持山若かへる手の紅葉まで我はねもとおもふ汝は何ぞと思ふ 常葉集
2∂0
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人見京が梯仙しくなつて
 御丁寧な御手紙、及び雑誌ありがたく拝見致しました。御厚情は深く感謝致して居ります。上京の際一度お
目にかかりたく存じて居ります。
 新緑の頃になつてきたので急に東京が椿しくなつて来ました。五月は東京に限ります、あなた方の生活を羨
ましく思ひます。新緑の若葉の蔭で冷し変の酒をのむのは都合生活の中で最も上品な趣味です。そこには音楽
があれば一層よい気分になれます。併しあなたの音楽は五月の郊外できく光のメロヂイでなくて、陰鬱な夜の
メランコリイですね。日本音楽の趣味はどうも室内のものですね。それはまた別の叙情詩です。
 さて小生の印象については、御指定の人たち以外に、日夏秋之介君にお頼み下さることを希望します0同君
とは鎌倉で三ケ月服ぜ一所にくらしましたから可成色々な印象をもつてゐることと思ひます。日夏君の住所は
大森山王二七七九です。
 室生に就いては、御約束の日までに書きます。いろいろ御好意にあづか畑恐縮します。
2古∫ 健筆
∴箋d川も題瀾潤憫
      ▼

 ̄n「
!(東京印象記の中)1
洩草
田舎に居るとき、私は彗丁といふ所をずつと面白い所に想像してゐた0壌草は日本のモンマルエだといふ
ことを、しばしば多くの人からきいた○新聞紙をよむと、不良少年と犯罪との巣窟であり、都合生活の暗黒面
たる性慾の下水道のやうに書かれてゐる。
然るに賓際の浅草へ衆て、事のあまりに準想と異なるに驚いてしまつた0第一、盛り場の特色たるぺき経費
婦と酵ひどれとが、洩草には殆んど見えない0或はどこかの隅の方に、少し位は居るのかも知れないが、場所
としての客気には、何の交渉もないほどである0仲見世や六直の通りを、大ぜいぞろぞろと歩いてゐる人たち
ほ、意く生眞面目な蕨をして支那の占星学者のやうに、室模棟ばかりを気にしてゐる。さうでないのは、たい
てい東京見物の田舎者であり、それが在郷の縁日みたいに、浅草中の客気を日向臭くしてしまつてゐる。最も
普通に見かけるのは、夫婦で子供をつれた連中である0(どこの圃の盛り場へトもし浸革が盛り場ならば
1「健全な家虜」が出かけるだらう○)これでモンマルトルとは、人を馬鹿にしてゐる。巴里のモンマルト
ルとは1ご存じの通りだが1紳士が人目をしのび、秘密に攣装してくる所だ。それがどうして洩草と似て
 ゐるのか? 私にはわからない。
 尤もシンサイ以前の浸草は、今日のやうなものでなく、ずつと「漫草らしい漫革」だつたといふ人がある。

−払
2∂2
 シンサイ以後、津章婦が居なくなつた為に、ずつと浅草の影が薄くなつたといふので洩る」しかし津費好のこ
とはおいても、第}あの見世物はどうしたといふのだらう。元来、盛り湯といふものは、文明生活の真狩であ
り、融合制度の映陥から、性の自然的要求が充たされない人々や、過激な労働に疲れて、官能の強烈な刺激を
欲する下屠民や、その他の種々なる原因によつて、欲求の充たされない人生の不満家1それは政令組織が複
雑になり、文明が進むにしたがつて多くなつてくる。1が、その鬱憤を散ずるために、肇衝といふやうなも
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のでなく、飲食や肉慾や、その他の鑑賞を要しない貴慮的娯楽を求めんとして、蛾のやうに集つてくる所であ
る。それ故に盛り場は、言はば文明生活における鬱憤のハケロであり、それの危険なる爆饅を防ぐために、政
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府が栓をぬいてくれる下水道である。そこだけは、紳士が避けて通り、政府の趣味が目をつぶサてゐる0のみ\
ならず、故意に響燈を暗」して、多少のことには、公の歎許をあたへてゐるのである。
 所で、人の言ふ如く、もし浅草が異に盛り場であるならば、一方で何が要求され、一方から何が提供される
かは、始からわかりきつたことではないか。何よりもまづ「安償な快楽」である。(金のある人は、始心ら盛
り場などへ来やしない。)それから毒々しい色彩、強烈な刺激、喧喋、酒場、音楽、二浬靡の舞踏、野卑な身振
り、グロテスタな生人形、気味の悪い惨酷の見世物等、その他の俗悪で官能的で、要するに人の神経を強く刺
激し、蕗骨に質感を挑撥する顆のものである。所が浅草中のどこを見ても、そんな風な気分、杢菊、演奉物は
一つもない。或はずつと昔はあつたかも知れないが、今の東京の、文明園の浅草には茸在しない0今の浅草に
ぁるものは、イヤに奉術ぶり、上品ぶり、教育ぶり、そしてへんに生ぬるく、刺激の弱々しいものばかりだ0
杢来そのものからが、てんで盛り湯の気分ぢやない。特に私が驚いたのは、あの活動馬眞Tそれが浅草の全
膿を占領してゐる・1である。
 題
ゝ題−
     ヽ
                     一
浅草の活動馬眞! 毒々しいペンキの看板檜1
といふことが、特に調子の高い言葉で、よく噂されでゐる
2∂∫ 随筆

のを開い妄は、その所謂「撃の活動」羞ものが、市中の常設館とはちがふ所の、さうした盛り場にふさ
瀬しい、特殊のエロチックなものであることを想像してゐた0しかるに来てみればふのことはない、普通の
荒の裏ぢやないか0・なるほど看板だけは、多少強烈の濱もある0しかし中へ這入つてみれば、どれ塞
刺激の娩楽ばか是、何等の色驚農もない、陰気で革黒の影檜が動いてゐる。看板にあんな強い色を使つ
て、賓忙は眞黒の影檜を見せる所が、せめては攣らしい詐欺なのだらうか↑特に意外なことは、その景
                                                    ヽ ヽ ヽ ヽ
の大部分苧妙貰靂ぶつた、タソ眞面目な、人生の何長ちを考へ■させさう潅、悪くどつしりしたもので
はないかパ
撃に蜃循−・何といふ唐攣木の封照だらう0私の田舎で想像してゐた聾は1そして表に田舎者の想
像してゐる肇は1バアで強烈芙酒でも飲み、浬靡なカフェでジャヅバンドを誓、それから牛裸饅の娘
曲雪見物して、暗闇でコケツトに手を握られるやうな賛であつたのに、これはまた何たる意外の毒だら
う0まさか我々は、洩革へ来てモーゼの十誠や、トルストイの人生観や、さうした眉の張る奉術を観賞しょう
とは像期しなかつた○魚眞そのものがさうであるのに、客の態度がまたさうである。滴次やブラボーは勿論の
こと、竺つするではなく、いやに行儀よくしんかんとしてゐる所は、↑度能楽拝観か自由劇場へでや行つた
                          ヽ ヽ ヽ ヽ
やうで、そぞろに森厳崇高の感にうたれる0すくなくとも漫草は、酒を飲んで行く所ぢやない。
 ここに最も愉快で、且つ異横に感じたのは去の男女席の直別である○私たち完の田舎では、どこの常設
館へ行つても、こんな座席の別が一ないので、それが何より畠について異様に感じられる。特に同伴席に室つ▲■
ては、皮肉でもあるん、七ツこさに胸を悪くさせる○ここに於てか撃は、いヱょ女寧枚の講堂を聯想n
せる0況んや「禁煙」ときては、まるで話にもなりはしない0署の民衆的な娯楽場では1活動小屋に限ら
ず」どこ言こんな禁札そ見た七とがない0もし漫草が、眞に民衆的の娯楽場であや、下卑民や勢働者の壇
2βイ
努を撃す、.夜の自由な歓欒郷でををならは、何といふ漫義道で窮屈な禁制だらう.たかが盛り瘍の娯楽虜と、
紳士淑女を観客にする大劇場の演劇とを、混同して取締る奴がどこに居るか?
 要するに洩革は、眞面目な活動馬眞を、眞面目くさつて見に行く所、ただそれだけの所にすぎない。その外
では、普通の賑やかな公園と少しむ攣つた所がなく、盛り場でむなく、歓楽郷でもな(、民衆的の娯楽場でも
なく、また文明都市の下水道でもありはしない。思へば「洩草」といふ概念が、ずゐぷん久しい問、我々の田
舎者を欺いてゐたものだ。あの1「洩辛気分」なんといふ術語は、費に無いものむ有るといふ、都合人の洒落く
さい警にすぎない。執事及びその風聞に関する、吾人のいつさ十の先入見は誤侍であつた。あの公園中を隈
なくさがして、わづかに浅草らしい気分のものは、飲食物の混み合つてゐる二三の通路と、それから澤正の殺
人劇ぐらゐなものである。∧大阪の千旦剛には、もつとずつとエロチックの見世物がある。日米人の拳闘試合
だとか、蛇使ひの芝居だとか。山田憲のトランク事件を仕込んだ劇だとか。東京大シンサイの気味の惑い生人
形だとか。挑撥的の八木節漁たとか。)その他のどこにも、洩草らしい洩革はありはしない。香、田舎者の想
      ● ● ● ● ● .
像する如き、虚博された浅草がないのである。まことに浅草は「夢」であつた。その昔、或は賓際にあつたか
も知れない所の、過去の東京の盛り場として、今も伶人々の記憶に残る、俸説的の古き先入見の夢であつた。
2∂∫ 随筆

2古∂