雅号を換へよ


 名は性を現はすといふことがある。たいていの作家は、その姓名と作風とがょく一致してゐて、どこか必然
不離の関係があるや>つ忙思はれる。しかしこれは心理上の聯想作用によるのであつて、別に不思議でも何でも
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ない。どんなでたらめの名前でも、長くそれに親しんでゐる中には、聯想の結合からして、名と貰との間に必
然の関係があるやうに思はれてくる。故に物の名前といふものは、賃貸の攣化によつてその情感性を異にして
くるものである。たとへば「平民」といふ言葉が、昔は無智で購劣な人物を観念し、平民的といふ言葉からし
て、一種の軽蔑的の情感を帯びたものであつたが、今では反封にそれが自由市民の名著ある争稀のやうに思は
れ、平民的といふ言葉が、それ自らデモクラシイの新精神を情感するほどである。
 かく物の名前といふものは、資質の攣化によつてその情操性を異にしてくる。文学者の名前もこれと同様で
ぁり、作家の年齢や境遇による時々の作風の攣化によつて、その姓名の特殊な情操性を異にしてくる。たとへ
ば非常に濃艶な色つぽい小説を書く人があつて、名前が「若木風葉」であ橋場らば、この名前は作風の傾向を
象徴し、讃者に何となく濃艶な感じを輿へる。しかるに同じ作家が老年になり、非常に桔淡の小説を書くなら
ば、その同じ名前が今度は如何にも老人らしい感じをあたへ、作風とよく調和するやうに思はれてくるだらう0
しかしこの場合に於て、若い時の風葉氏(仮名)を知つてる讃者は、老年に於ける同じ名前から、以前と正反
封の感じを受けることが困難だらう。この場合に於ては、名前と賃貸との間に、何となく不調和の矛盾があり、
Jタノ 随筆

どうしても両者が聯想上に結合しないやうに思はれる。この矛盾の感じは可成厭やなものであり、バランスの
取れない建築物などを見るやうに、一種の苛だたしさをもつ不愉快のものである。
 所で我々の本名は、親ゆづりの戸籍であつて生涯攣へることができないけれども、蜃術上の俳競や雅名はい
つでも攣へることができるのである。故にペンネームを有する人は、年齢や思想の攣化による作風の推移によ
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つて、時々にその名前を取りかへるのが正常であり、それをあへてしないのは蜃術的に不正である。元来ペン
ネームといふものは、或る時代における作家の主観によつて、彼自身の嚢術的、もしくは生活的情操を象徴す
ぺく、その時での趣味をこらして選愛したものである。然るに年齢等の関係により、後には命名常時の情扱が
趣味が全く攣つてくる。或る作家が00といふ雅名のいはれを人にきかれて、「若気の誤まちです」と答へた
といふ話は、よくこの間の皮肉な心理をうがつてゐる。文聾者が始めて雅名を稀するのは、たいてい文壇に出
る昔時の少年の頃であるのに、一旦それが通り名となつてしまふや、ずつと後々までも同じものを使つてゐる
から、後では自分でも恥かしくなつてくるし、讃者にも不快な錯覚を感じさせるやうになつてくるのだ。
 昔は元服といふことがあつた。人が少年期をすぎて青年期に入らうとする時、衣髪や風采を攣へるのみなら
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ず、名前までもはつきりと欒へたのである。人間の生活も、丁度昆晶の生活と同じことであり、青島から蝿に
なり、嫡から蝶に化し、時々にその思想や情操を攣態する。「穀を脱ぐ」といふことは、決して蝉や蛇にばか
りあるのではない。人間も絶えずそれを繰返してゐる。どんな人間でも、たいてい三度や四度の欒態は生涯の
中にあるものである伯 この嘗生活から新生活に入る攣化の重なる時期に於て、人が思想上の元服をするといふ
ことは正常である。昆鼻が青島から蛙に攣るやうに、我々の情操もその欒貌を見すぺきである。即ちその時期
に際した蓼術家は、新生への澄援として古き名を捨て、新たに別のペンネームを構呼すぺきである。それによ
づで人物そのものが、L目費的にも生れ代つたやうに思はれる。そして人生の深い意義といふものは、軍にさう
J夕2
肝野
 いふ 「儀式」の中に存在するのだ。
 西洋には元服の儀式がない。西洋には名を攣へるといふ風習がない0これ西洋は個人主義の観念からして、
                          kノじ
人を呼ぶに必ず名を以てしその苗字の氏を呼ばないからである○即ち西洋で名を攣へるといふことは、人物そ
のものを根本から攣へることになつてしまつて、前名者と後名者との相互の間に、何の聯絡関係もなくなつて
                                                                ちノγレ
しまふ。即ち個人の歴史がそこで不自然に中断されるやうな奇怪を生ずる0しかるに東洋では姓の氏を壬とす
る故に、名の方だ竹はいくら攣へても、J所詮は同一人格の時々の攣化であるといふことが直覚的に分別され、
決して二重人格的の奇異を感じきせない。故に雅貌の眞の深い意味は、質に東洋にだけであるのであつて、東
洋人だけがその「哲畢」の意味を知る。西洋では雅競のことをペンネームといふ○ペンネームとは単に文筆上
の慣名といふほどの意で、極めて軽いプラグマチカルの言葉である0ペンネームと雅競とは、厳重には言葉の
意味がちがつてゐる。東洋の文学者にとつてみれば、雅鍍は神聖にして重要な意味をもつたものである0
今日我が園の文学者等は、この鮎に就いて深い自覚をもつてゐない○自分の雅競について、自分で尊敬の心
をもたない。多くの人々は、内質それの意味を知つてゐながら、表面では故意に軽くペンネーム(単なる仮
名)のやうに公言してゐる。この鮎で日本董家は、雅競の東洋的な意味を自費し、よく自分の専権を保つてゐ
る。しかしすぺての肇術家中で、異によく雅競と生活の関係を知り、それの正しき風習を墨守してゐるものは
俳優である。
俳優、特に歌舞伎俳優の奉名に関する風習は、人が普通に思ふょりも、逢かにずつと深遠な意味を有してゐ
る。だれも知る通り、彼等はしばしば蜃名を攣更する0しかしむやみに攣へるのではない○その奉術的生涯の
或る重要な時期に於て、丁度攣態に際して奨へるのである。もちろん多くの俳優等は、たいてい俸統の習慣に
ょり、無意識の形式によつてそれをしてゐる。しかも多くの場合に於て、その形式が丁度彼等の正にある時期
∫タ∫ 随筆

と一致してゐる。たとへば青年期から中年期に入る時、中年期から老年期に入る時、など一般に改名が行はれ
る。けだし年齢の推移は、たいてい蛮風の情趣と一致するからである。
 かくしてたとへば涌助が芝翫となり、芝翫がさらに歌右衝門と欒つてくる。その他の俳優も皆同棟であり、
生涯に三以上の改名をしないものは稀れである。この改名の風習が、儀式的にも内容的にも、いかに深い意味
を有するかは、常に彼等の演戯を観賞してゐる人にとつて想像以上の事賓だらう。たとへば桶助といふ襲名か
らして、人々は直ちに若く美しき濃艶の娘形を直感する。涌助の名と両助の舞憂とは必然不離のものであり、
別々に考へられない関係がある。し・かるにこれが芝翫となつては、丁度その名が現はす如き中年の水々しい女
房形を聯想する。最後にそれが歌右衛門となつては、いかにも老大家然たる名優を直覚する。歌右衝門の名と
今の傲然たる老名優の奉風とは、心理的に全く不離の関係にある。もし今の歌右衝門の名が頑助だつたら、い
かに人は不自然の感を抱くだらう。ばかりでなく、昔の涌助への美しき記憶とあこがれを持つてゐる人にとつ
ては、今の老優から痛々しい感を生じ、或は一種の裏切られた矛盾を感じ、或る種の不快な反感を抱くにちが
益ない。しかるに今の葛優は両助でなく、別の歌右衛門といふ役者である。そして歌右衝門その人の季風は、
涌助と全く別の情趣のものである。それは涌助のやうに濃艶では穎いけれども、若輩の舞蔓に見られぬ重厚と
荘粛の威風をもつてゐる。故に歌右衝門を愛する人は、もはや頑助の舞董を好む人でない。観客の心理に入つ
てみれば、歌右衛門と涌助とは別々であり、ちがつた二個の拳夙に属してゐる。換言すれば、頑助の名は頑助
の舞茎と密着し、歌右衛門の名は歌右衝門の堂々たる肇風と結合する。各の名は各の奉の態を現はす故に、ど
んな場合に於てる両者の混同することがなく、したがつて同一人物の攣化によつて生ずる所の、前述の如き不
快な錯覚的反感が起らない。
 この聴明にして意味の深い風習は、濁り俳優ばかりでなく落語家や音曲家や角力やの、所謂蛮人融合、般に
∫9イ
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行はれる風習であるタ。けだし蛮人の職業は、ヒイキ客のヒイキを生命線するものであるから、その蛮風の変化
によつて、咋周のヒイキから今日の別なヒイキに移る問に、前の古きヒイキによつて新境地に反感されること
を最も恐れる。改名の風習は、一にはまた之れを避けるための賓利的な目的から考案されたことが鮮るのであ
る。しかしその賓利を除いてみても、眞に意味の深い風習であり、内的生命の饅展によつて生活する一般の拳
術家が、必ず精神を学ばねばならないことである。況んや文学者も、その作風の攣化によつて以前の愛讃者や
崇拝者に反感され、彼等にまで幻滅と裏切りの悲哀をあたへることがしばしばある。それは讃者にとつても作
者にとつても、共に南方の苦痛であるから、かかる不幸を救済するためにすら、時期に際して改名することは
必要である。(私の知る限りの詩人の中でも、北原白秋氏、室生犀星氏の如き人々は、その情操の欒貌が特に
著るしく、以前の青春時代の衣やかな詩風と、今日の枯淡にして老大家然たる作風とは仝々その情趣を異にし
て殆んど別人の覿があるから、明らかに雅兢を攣へる必要がある。)
 文壇の人が容易に雅競を攣へないのは、思ふに困難の事情があるからである。即ち人は蕾名に慣れて、容易
に新名を呼んでくれない。俳優等の社合ではこの困難をどうするだらうか↑ 彼等の政令では「改名披露」と
いふ儀式が行はれる。その儀式は武士の元服にも此すぺきもので、最も重々しく尊厳のものであり、劇壇の関
係者全部をあつめて廣く盛大に行はれる。のみならず後援者や普通の観客一般にも、舞茎上に於て馨高く改名
が披露される。しかしてかく披露の儀式をしたあとでは、決して膏名を呼ばないのがその牡合の祀儀となつて
る0
 我々の文壇も、またこの祀曾の智慧を学ぶぺきである。近時やたらに流行するつまらぬ出版物の記念合など、
奉術的にも生活的にも、何の本質的な意義がありはしない。それょりは作家の拳術的生涯におけるエポックと
新生を記念すぺき、この種の宴合儀式の方がどれだけ眞面目で有意義であるかわからない。賓に「改名披露」
∫ガ 随筆

の風習は、もつと早く文壇に輸入すぺき箸であつたのだ。
∫夕古