谷上不死
               〆ソ  〆ソ  ヒソ  ヒソ        〆ソビソ
 谷紳死セズ 玄ノ玄 牝ノ牝 之レヲ玄牝卜謂フ。 (老子 道徳経)

 老子「道徳経」の中に、右のやうな一句がある。谷紳とは山嶽の紳であつて、永遠不滅の時杢に賓在する、
                                  め うし  めす
大自.然の像を象徴したもの。また「玄」は玄妙不思議の玄であり、「牝」は牝牛等の牝で、すべて生命の母胎、
苗物の生れ出づる母を意味する言葉ださうだ。
Jタク 随筆

僕は深山に萱つた時、いつもこの老子の言葉を表象する0高山の頂↓に立つ時、遠く眼界するものは、山肢
と山肱との連峰する谷ばかりである0そこには人間の姿がさらになく、鶏や家畜の著さへも聞えない。周囲は
ひつそりとして、森厳な大自然の雄姿が、永遠不滅の時季を語つてゐる0谷に、峰に、雲に、峯に、呼ぺば遠
ヽ ヽ ヽ ヽ
く反響する不死の時杢がひろがつてゐる0「谷紳不死!」賓にこの言語が表象するほど、大自然の幽玄を語る
ものがどこにあらうか0永遠に不滅の時軍事宙の無限的な生命、それがこの四字の表現で立慣的に浮んでく
る0
「玄牝」といふ言葉が、また不思議に幽玄の意味を感じさせる0「玄」は暗く大きいところのもの、紳秘的な
  げりんぴん

                                    ′
混沌を毒してゐる言語であるが、賓際山嶽の屠重してゐる大自然の印象は、どこか巨大な牝牛が寝てゐるや
うな、混沌とした、怪しく神秘的な幻想を感じさせる0深山の峰に立つて、低く山肱や谷やの雲表に屠重して
ゐる大自然を見る時、人はだれでも表の幻想的な気分1崇高のやうな、物恐ろしいやうな、或る異常な気
分1を感ぜずに居られない0世界多くの民族によつて語られてゐる古来の山嶽ローマンスが、すぺて皆特殊
な浪漫感とグロテスクな怪奇感とをもつてるのも、賓にこのために他ならない0しかし僕等がさうした大自然
に封するとき、最も邁切に感ずる表現は、この「玄牝」といふ言語よりない0その言語の表象するところには、
谷や峰や森林やの見渡す大自然の神秘の中で、暗く影をひいた亘大の動物が横たはつてゐる。そして貰に、そ
れが宇申水遠の時杢における、一切の本質の母胎(牝)である。

 老子学者の説にょると、この右は「道徳経」の秘密であつて、容易に公開を許さない鬼語密教として、古
来から紳鍵現されたものであるさうだ0思ふにこの句は、言語が概念として語る字義以外に、上述のやうな象
                                                                                                                    」
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徴思想が噂示されてゐるからだらう。たしかにこの句は、老子野草の最も幽玄な本質を議クtゐさa老子ほ自
ら鞭明して、自分の眞理は言語で説明さるべきものでない。言語は概念である故に、之れによつで語る限りは、
絶封の眞理を説くことができない。自分の言語はすぺて眞理を蓋してゐないと断わつてゐる。
 されば老子五千言の中で、眞に彼の思想の本質を語るものは、思ふにこの象徴的な一句であり、他はそれに
表されてゐるものか知れない。老子の他の章句、たとへば「道ノ道トスべキハ常ノ道二非ズ」と言ふ如きは、
      P。ヂツタ
言はば一種の論理であり概念であつて、畢に思想の抽象された言語にすぎない。此等の章句によつて、吾人は
老子哲学の概念を知ることはできるけれども、彼の眞に意味する虚無思想の肉饅感T即ち紹封としての眞理
−に侮れることはできない。然るに「谷紳不死」のこの一華は、一切の抽象や概念を捨て、直接言語の象徴
によつて語られてる。この章句によつて、老子思想の本質たる虚無観や無為観やが、どんな情操の上に立脚し
てゐるかが、眞に具慣的に理解される。彼の思想の根砥とするものは、賓に東洋的自然主義の極致である。こ
の特殊な「情操」からして、彼の特貌な「思想」が難語されてることを考へれば、老子経の眞精紳を誤りなく
捉へることができるだらう。
 そんな考澄はとにかく、かうした老子の思想や感情が、あの原始的な大山嶽に囲まれてゐる、支那大陸の自
然から生れたものであるのは明らかだ。人間の思想や感情やが、環境の自然によつて影響されることは、改め
て言ふ迄もなく人の知る所であるけれども、老子の場合に於て、僕は特にそれを痛感する。「谷紳不死、之レ
ヲ玄牝卜謂フ。」といふ如き観念は、あの大陸的な高山の連峰に囲まれてゐる、支那の自然に育つた人にのみ、
始めて浮んでくる原始的な心像だ。日本のやうな箱庭的な島国からは、決してこんな混沌雄大な思想は生れな
い。老子哲学の眞の意味は、思ふに日本人に理解することはできないだらう。日本に俸はつた老子敦は、いつ
∬J 随筆

でも心学的のいぢけたものか、さもなくば過去の自然主義の文革みたいに、悪く納まつた似而非無為思想に化
してしまふ。
 今日の老子学者の中には、老子の思想が俳教と類似する故を以て、その質在を懐疑し、或は老子を印度人と
鰐する者があるやうだ。僕はそんな方の革者でないから、むづかしいことは全くわからないけれども、谷神不
死といふやうな章句から考へても、老子が支那人であることは明白だと思ふ。印度の彿敦思想は、やはやその
熱帯の自然に影響されてる。そして老子が支那的であるやうに、悌敦の思想は印度的である。僕は老子の比喩
や言語から、支那の商量的自然を聯想することができるけれども、印度の熱帯地方を聯想することはできない。
 元来、老子の思想は係数と大いにちがつてゐる。之れを類似と見るのは、思想の情操する本質1概念に現
はれない肉感性1を見ないで、単に概念の抽象観を見るからである。老子哲学の本饅は、純粋に支那風な自
然主義の情操に基づくもので、印度哲寧の人間的で陰鬱なものとは、根本的に色合がちがつてゐる。俳敦は陰
鬱な森林の中で、人間的苦悶から冥想されたものであるのに、老子敦は大自然の高きに萱つて、原始の雲と谷
とにかこまれた、超人間的な明るい山嶽思想である。
 悌敦はあくまで「人間的」であり、老子教はあくまで「自然的」である。ヒューマニズムとナチユラリズム
とは、両者の思想に、著るしいコントラストを示してゐる。老子教は、決して俳敦の敷術でない。
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 老子の思想を思ふ毎に、僕はツルゲネフの散文詩を考へる。特にあの有名な「山」の散文詩− 二つの山が
欠伸をしてゐる丁瞬時特、人間の歴史の数千年が過ぎてしまふ。1は、不思議なはど老子の情操と符節して
ゐる。老子の谷紳不死を近代風の散文詩に銚謬すれば、丁度あの通りのものになるだらう。ただ、「玄牝」と
いふやうな漢語の幽玄な情趣と、その簡潔にして意味の深い手法だけは、支那文畢の特色であつて外国語卜」預
澤できない。ツルゲネフの散文詩は、この鮎やや説明的 − したがつて小説的 − であるのを発がれない。
 しかしとにかくツルゲネフは、西洋人として最も老子的な情操を本質してゐた詩人であつたぞ同じ西洋の自
然主義作家でも、ゾラやモーパツサンのそれと、ツルゲネフのそれとは全く本質を別にしてゐる。ゾヲやモー
      ヒューマニズム
パツサンのは人間主義の自然主義だが、ツルゲネフのは眞の自然的自然主義だ。それにつけても、僕は常に言
語の不便と偽瞞性とを考へる。同じ「自然主義」といふ言葉の中に、全で本質のちがつた別箇の思想を、現に
いくつ概括してゐることだらう。それからして常に批判の混乱と不正とが生じてくる。「虚無思想」とか「浪
漫主義」とかいふ言語にも、すべてこの同じ批判の混乱がある。畢尭老子の言ふ如く、言語は概念であつて具
膿性のないものだから、言語による思想はすべて異質を誤つてゐる。
 トルストイの晩年の思想は、一般に老子の影響を受けたものだと言はれてゐる。成程、思想の表面上にはさ
ぅいふ所が見えるけれども、根本の人生観は両者全く反封である。十ルストイはどこまでも基督敦的で、執念
    ヒューマニズム
深いほど人間主義の正義観に立脚してゐる。ああした基督敦的の感情から、老子の思想が理解されるとは息は
ない。僕はトルストイの思想を讃むと、それのあまりに非東洋的であることから、一種の民族的反感をさへ抱
かされる。老子とトルストイとは、世に「似て非なるもの」の好例だらう。鹿西亜人ではツルゲネフやソログ
ープの中に、最も鞋担人の遺俸的な血を蜃見する。
 野原に磨ころんで、室の悠々とした白雲を眺めてゐると、いつも老子の「谷紳不死」が思ひ出される。雲と
いふものは、何かしら時間を超越した、太古的の自然感があるものだ。雲を見てゐる時には、人間的なあらゆ
る我執や功利感を忘れてしまふ。さういふ時だけは、僕も老子と共に「悠々自然に自適する」虚無の紹封境に
20j 随筆

ひき込まれる。けれども僕の人間的な性格は、気質上にも思想上にも、老子の自然主義と共鳴できない。僕は
老子を崇拝もしないし、況んや彼の教徒にならうとも思はない。要するに老子の思想は、僕にとつて興味ある
他山の石である。
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