映画漫談
      ●昔の馬眞

活動馬眞といふものが、始めて日本に渡来してから、もう何年になるか知らない。昔の活動馬眞には、ずゐ
ぷん面白いのがあつた0その頃の映董は、今のやうに劇的なものでなく、筋もなにもない奇妙なものであつた。
今の映董は小説的であつて、事件や人情の饅展にからんで行くのであるが、普の映塞は叙情詩的であり、奇異
な溜や刹那の雰をスケッチしたものであつた0私が小寧枚に待つてゐる頃、よく俳圃パテーの映童を見た
ものだ。中に今でも記憶してゐるのがある。
酔人の夢0巴里の市街1夜陰1シルクハットをかぷつた紳士が、手にブランデーの楷をさげながら、酔
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つぱらつて町を歩いてゐる○夜の杢いちめんに大きな月が光つてゐる0月が非常にグロテスクの感をあたへる。
1成る建物の窓から女の手が突き出してゐる01手が紳士を招く0トさびしい衛路にポストが立つてゐ
る0−ポストに顔があり、人間のやうに笑つてゐる0−その暗い影に巡査が立つてゐる。1巡査が居ね
むりをしでゐる01手に棍棒をもつ01酵つばらつた紳士が、ポストに突きあたる。−巡査が根をさま
 す。−−へ以上、第一巻)
 紳士が忽の手を見つける。− 窓の中から経費婦が顔を出す。・‡酔つばらひが窓の方へ歩いて行く。
市衛が裏道になり、狭い露地がつづく。1酵人の足が益ヒよろける。 杢の月が驚くぺく大きくなる。
1左右の建物が傾斜してくる。− 建物の形が妙に撃つてくる。 すぺての建物が酒楷の形に攣る。
町全饅が酒楷の建築となる。(以上、第二巷)
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 舟遊び。三人の青年が、一人の美しい女を連れて舟遊びに出る。− ボートの中で釣をしてゐる。女の針に
魚がかかる。魚が奇異な顔をしてゐる。魚が水上に顔を出して言ふ。あい・らぶ・ゆ1イ女が魚を釣り
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あげようとする。魚が女を水中に引かうとする。I女遂に河中に落つ。」青年驚いて女を助け水から救ひ
あげる。(以上、第一巻)
 女の上着から水がしたたつてゐる。− 青年がそれを脱がしてやる。1卜水は下着にもしみ通つてゐる。さ
らに下着を脱ぐ。−袴もついでに脱ぐ。 女遂に補祥一枚の裸となる。女恥ぢらふ。 青年等次いで補
祥を脱がさんとす。 女拒絶す。青年等戯むれて離さず。1女水中に跳び込んで逃げる。ト追跡・学
園・艶めかしき活劇1青年等遽に女を押へその補祥を奪ふ。− 虞女の美しい裸鰹・初夏の森・輝やかしい
自然・青春の戯! (以上、第二巻)
 この他にも、記憶に残つてゐる映董がたくさんある。いづれもスケッチ的なものであるが、詩的気分が芳烈
で、賓に印象の強いものであつた。もちろん撮影の技術が幼稚で未成品的の物ではあつたが、今日の映董と比
較すると、映毒劇そのものに封する、根本の鮮梓が全でちがつてゐるのである。今日の映董の精神は全くドラ
マチックの数果をあげる一事にあるが、初期のものは之れとちがつて、何等劇的でなく、純粋に詩的な気分も
2ア∫ 随筆

しくは人生スケッチの断片を葺くにあつた0したがつて「鱗」がなく、ただ「気分」を現すのみであつた。
私は昔のパテー映塞がなつかしい0それは活動馬眞といふ不思議な磯城が、始めて磯明された頃の作品であ
つたのだ。
2ア古
      ●扮装に就いて

日本の映董も、近頃はたいへん進歩してきた0この頃の日活や松竹の作品には、外腎諾劣らぬ程度で、相
常に見られるものがすくなくない0しかしその進歩は、現代劇(所謂新汲)に止まつて、時代劇(所謂蕾汲)
の方では、さらに見るぺき作品がない0第言扮装が甚だ不自然である。今日の映塞が、舞董の芝居を直辞す
る時代でないのは、.だれにも知れきつてゐる筈であるのに、今日の時代劇は依然として璧日の歌舞伎芝居であ
り、その舞茎のへタな直辞にすぎぬ。
 扮装からしてさうである。
現代劇の方では、さすがに扮装が巧みになり、昔の新汲劇から脱却して、映董劇の自然的扮装をするやうに
なつたが、史劇の方は依然として舞蔓劇の模倣であり、不自然極まる化粧法や服装を俸統してゐる。あの張子
細工のカツラや、奇怪な顔の引墨や、その他の不自然なる舞憂俳優の扮装がそのままの株式でフィルムに現は
れくるのを見ては、だれでもゲツソリせずには居られない0近頃蒸し返してゐる松竹の「女と海賊」なども、
構想はとにかくとして、あの不自然な扮装から、すつかり映董劇の美をこはしてしまふ。せめて丁雷の′カツラ
だけでも、もう少し自然的に、作り物でなく見えるやうに工夫したらどうか↑ それから舞茎俳優のやる化粧
涛盾や日の欝破した引重など〕は、全然やめてしまふが好い0あれは性格を容貌で象徴する、歌舞伎芝額の
h博▲琉球式であり、葦の 「自然」 ではグロテスクになる。昔の武士の容貌は、賓際にはあんなでなく、今日の∧        一
間と同じことである。活動馬眞の監督者等が、いつまでも舞壷芝居にこびりつき、それの俸統から脱し得ない
のは情ない。もつと「自然」を見る眼を開くことだ。
                                                 、ペづ洲。“パパ瑠り袖丸捕り巧J〕増やJ切・・ノハ.過り.ノ当即榊1増バ題

     ●戦争に就いて
 就中、日本の史劇で最もヒドイのは戦争である。戦争は多くの史劇に於て、中心の興味となる場面であるか
ら、映董製作者の全力を注ぐぺき筈であるのに、日本の馬眞は賓にヨタである。
 戦争の場面ほど、活動馬眞の馬鹿馬鹿しくなることはない。たとへば関ケ原の大合戦だといふのに、僅か四、
五十人の軍兵が出てきて、むやみに刀をふり姻してゐる。それも陳列があるのでなく、軍則があるのでなく、
勝手に一人一人が抜き合せて、目茶苦茶に切り合つてゐるのだから、まるで子供の戦ゴツコであり、馬鹿らし
くて見ては居られない。いかに日本が未開国とはいへ、こんな映嘉を見てゐると、我ながら自国の民衆が悲し
くなる。子供の戦ゴツコを見せて、戦争のツモリにしてゐる映室製作者もさうであるが、それを見て悦んでゐ
る民衆も民衆である。
 っいでだから話しておくが、日本の昔の戦争といふものは決してあんな子供じみたものではない。ずつと大
昔のことは知らないが、戦国時代以後の戦法は、大膿の方略に於て、今日の戦争と攣りがない。即ち隊伍を以
て戦ふ囲饅的の戦法であつて、一騎打ちの勝負などといふことは、源苧以後の戦争には無いのである0
 慈しいことは知らないけれども、織.田信長の頃からして、すつかり隊伍を以てする囲饅的の戦法に攣つてき
た。軍隊行動は、すぺて競合によつて行ひ進退共に隊伍をそろへて整然とするので、この鮎は今日の戦争とほ
2アア 随筆

ぼ同じである0兵卒が丈一人に刀を抜いて無規律に切り合ふなんていふことは、いくら昔でも考へられない
話である0博突打ちの喧嘩と、堂々たる合戦とは、常識で考へても混同されない。
昔の戦争では、陳列の第一陣に銭砲組が居て、第二陣に槍組が進むのである○両軍が合する時、始めに銭砲
を撃ち合ふのであるが、多くは兢令にょつて表射撃をするので、その目的は、敵を倒すょりもむしろ、砲煙
の雲を作るにある0次に槍除・が、この砲煙の雲の間をくぐつて前進する0槍隊は軍の主力であつて、これが勝
敗を決するのである0槍の長さは、普通に二聞から三間であつたといふから、ずゐぶん長いものであつた。こ
の長槍も、信長時代から使用されたので、以前はもつと短かかつた○すぺて戦争に併ふ武器は、長距離にゐて
敵を倒すほど利益がある0錬砲が最も有利な武器として思惟されるのもこの理にょる。それで土古には槍が無
く、できるだけ長い太刀が使用されたが、槍が用ゐられてからは、それが専ら主要の武器になつた。槍の中で
も、長いほど利益が多いので、近せ以後の戦争はすべて長槍隊の編成にかかつてゐる。
長槍除が軍の主力となつてからは、太刀打ちの合戦が廃滅した0もちろん軍刀は帯びてゐるが、それは槍の
漁備であつて、言はば第二義的の武器である0戦圃時代以後の合戦は、すぺて槍の突き合ひであり、太刀を用ゐ
る場合は稀有であつた0関ケ原の合戦に尾↓松之助が刀を振つて奮繍する如きは、錦檜としてもフザケてゐる。
 槍隊の行動は、全く規律整然たるものであり、穂先を互に密集させて進むのであり、子供の戦ゴツコみたい
に、チヤンチヤンバラバラで馳け出すのでない○そんな無規律のことでは、戦にもならぬ中に全滅してしまふ
だらう0ただ壷槍、二番槍等の功名は個人の抜け馳けであり、それが近代の戦争とは非常にちがつてゐる。
霊Tの主力が接近してきて、互に長槍の密集隊列を作つてゐる時、一人隊伍を離れて敵陣に突入するのは、非
常の男菊がなければできないことだ0たいていは敵の槍先で、蜂の巣のやうに刺されてしまふ。
2アβ
 彗術は「事葺」の再現でない.史賓を忠茸にやれと私は言はない。しかし映董劇なるものは、その本質上か
らして自然的の感を人にあたへるのが本官だらう。今日の日本の映董界にも、一つ位は史劇らしい史劇があつ
ても好い。最近蒲田撮影所に於て、日本最初の史劇「坂崎出羽守」とかを為すさうで、二千人からの人員を使
用したといふ講をきいてゐる。今迄の戦争劇が僅かに四、五十人の軍兵を出してゐるに較ぺれば、鹿骨だけで
、も少しは音質がありさうだ。せめては戦争の場面だけでも、映毒劇らしくやつてくれ0
 蒲田はどんな意匠でやるか知らない。私の工夫によれば、戦争の場面は、どうしてもパノラマ馬異に限るや
ぅだ。大阪方と関東方と南方の軍隊が平野に封陣してゐる。さういふ所はパノラマでなければ為せない0両軍
が隊伍を整へて行軍し、或は方陣、或は開陣によつて、戦機の興味ある欒化を展開する所なども、身論パノラ
マ馬眞のものである。近景を小高い山にして、そこに主役の人物(将校)を立て、それの宋配で大軍が一時に
動くやうにでもしたら、救果が一層多いであらう。
 とにかく子供だましの戦ゴツコが、日本の映董から絶滅しない限りには、日本に眞の史劇映董は期待されない0
貧弱
僕は僕の顔が、時に血色わるく惟悸してゐたり、時に元気よく澄刺としてゐたり、そしてまた、時に綺麗に
時に汚ない、といつた風にさまざまに襲化することを見る。
一たい人間の容貌は、病気とか健康とかの生理関係から攣化を口にすることは云ふまでもないが、一方また
2アク 随筆
相瀾

その人の生活状態(磨い意味の)にょる攣皆移しい○つまり人それぞれに職業に依つてタイブが攣つてくる。
諒の職業面といふものを構成する0例へば商人は、その風采や服装にもよるが、その容貌は商人面であるし、
官更には官雷といふものがあるし、警家には警霊といふものがある○拳術家にあつで臭張りさうだ。
この間、僕の畢生時代の友人が幾年振りかで訪ねて来たが、その友人が僕の警しげしげ見て『君は暫らく合
はん→ちにすつかり文豪になつたな』と云つた0すると矢張り僕も、謂ゆる文革嘉になつたのかも知れな
い0尤も、奉術家と云つても、またそこには分慧あつて、藁家、董家、その他それぞれその職業面を持つ
てゐる0それからまた、文畢者と云つて基人と小説家とではおのづからその慧異るやうな菊がする。殊に
西洋の詩人達と小説家達の警比較するとその相異がはつきり分る○僕等詩人から見ると、小説家は悪く云へ
ばどう品物的な誓してゐる0書く云へば、世間馴れて、如才なくて、づまり苦笑といふやうな感じを輿
へられる0反封に詩人連中は、初心な、畢生肌のやうな、素朴な容貌を持つてゐる。
藷人で小説家で、且つ雷家の室生犀星君は、混血兄のやうな警してゐる0しかしどつちかと云へば、詩
人顛に属する彗0芥川君は小説家だが、その驚詩人顔に近い○詩人の礪士幸次郎の顔は、僕は非常に好き
だ0顔ばかりではない0背が高くて、どこかロシヤの大畢生と云つたやうなその風宋全慧、僕は普好きで
ある0野口米次郎氏の蔚は頗るエキゾチックである○第議玉が青い0どこか日本人離れがしてゐて、まづ混
血兄位はみえる。
 ワイニンゲルの言葉に『天才の薮は轡奇襲化する○例へばゲーテの層非常な攣化を見せた』とある。ネ
して『容貌がょり攣化することはょり天才である○凡人の顔には全然奨化を見ない』ともある。そしてワイニ
 ンゲル自身は、毎朝鏡を見、『容貌の攣化にょつて自分の思粕首見た』と書いてゐる。しかし、僕の知人のう
 ちには、顔付の非常に攣化する人もあり、いつ合つてもいつも同じ瀦付の人もあるが、それ故そこに几非凡の
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渦渦」Jγ“。h・
男q川】M月∴.
蓋椚権l見地せない.ただ蛮の攣るのは心の変る澄援とほ云へる。しかしそれは、儒教式にいふと、容貌の▲夢る
のは修養の足らないといふことになるのかも知れない。
 ところで僕自身の頻であるが、僕の煎は時に血色悪く惟悸したり、時に元気よく撥刺としたり、時に綺靂に
時に汚ない、といふ風だから、つまり修養の足らなさを示してゐるわけだ。それで自分でも自分の顔が、好き
になつたり嫌ひになつたり、である。殊に或る時期1つまり年齢によつてその好き嫌ひが劇しかつた0
 室生犀星君は僕の顔を、ハイフエツツ(ヴアイオリニスト)に似てゐると許したが、しかし、ハイフエツツ
の堂々とした顔にくらぺて、僕の顔はあまりに貧窮だ。貧窮すぎる。僕は僕の顔を部分的には気にしないが、
全鰹の貧窮さに、も少し堂々としたところが欲しいと思ふことがある。以前、せめて口髭でも生やしたら?
と思つて毛生液をつけてみた。が、いくらつけてもさつぱり生えないので到頭諦めてしまつた。
 十七入歳頃の僕は非常に痩せてゐて、僕の過去を通じて最も貧窮な厳だつたが、三十歳前後にはふとつてゐ
た。が、娃年また痩せて貧窮になつた顔を、街を歩いてふとショウ・ウィンドウの鏡などに見出すと、可なり
不満を感じる。この間田舎から東京へ引移つて来た官初、東京人は誰れを見ても垢抜けがして綺魔に見え、そ
してショウ・ウィンドウの鏡にうつる自分の顔が汚ない田舎者に見えて、気持が意かつた。尤も顔は、服装次
第でいろいろの影響があるから、一概に美醜はきめられないが。
 兎に角僕は、その常時外出するたびにそれが気にかかつたのである。この頃はいくらか慣れてそれほどのこ
ともないが、それでもあのショウ・ウィンドウの鏡にうつる自分の毅に満足したことは殆どない。いつもふと
その鏡の中の自分の顔にぶつかると、今まで得意になつて散歩してゐたのが急に哀感にみたされ、甚だつまち
なくなつてすぐ家へ辟つてしまふ。よく百貨店などで非常に風宋のいい人をみかけると、自分もさういふ凰に
ガ∫ 随筆

、』涌一
してみたいと思つて、その服装や表情を熱心に観察してみることもある。
僕の弟妹は皆粛がちがつてゐる0中で母に似たのは僕だ0頭は父に似て甚だ小さい。帽子を買ふにも、いつ
も二者小さいの、と云つてもそれをかぷつてみると、それでも猶大きすぎる。だからまあ、子供の帽子の少し
大型のが丁度いいわけである0蘇が小さいので、子供の時分『雀』といふ縛名を輿へられた。それから『プリ
ンス』だの、『婆さん』だの、をんな綽名を貰つた0『婆さん』のわけは、多分、猫背でしなびてゐたからだら
う0だから『雀』と『プリン.孟と『婆さん』と三つを綜合したものが萩原朔太郎といふことになる。
室生犀星君が云ふには去君の容貌は君の奉術には過ぎてゐる』と0これは室生君が、僕の容貌を音質以上に
買被つてゐるのだ0そしてまたそれだけ、僕の拳術を見下してゐることになる。
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