或る詩人の生活記録
 荒蓼とした関東の平野の中に、古時計の錆びた機械のやうな、ひつそりとした田舎の町が眠つてゐた。その
町の家政の上には、平野の低い室がひろがつてゐて、鵜のやうな火見櫓が、いつも北風の中に鳴えてゐた。
 さうした上州の小都合、M市といふ所で私は生れ、長い年月の問、孤濁にさびしく暮してきた。何物も、私
                                               いらい■り
の求めるものはそこに無かつた。退屈な、刺激のない、単調な田舎の生活が、日々に私を苛々させ、あてのな
い杢虞な鬱憤を感じさせた。私と町の人々とは、理由のない感情から、互に漠然たる敵意を感じ合つてゐた。
 私は書生のやうな黒マントを着て、諷々と北風の吹く場末の町を歩き廻つた。何といふ用事でもなく、ただ
あわた                               せ
慌だしげに馳け廻つた。道を行く時も、どこかに、何かしら、心を不安に急き立てるものがあつた。私の生活
の時間には、いつも静かな「安寧」が映けて居た。
 私の歩いて行く道の向うには、いつも凍りついた杢の上で、白い越後の山肱が光つてゐた。私は場末の居酒
屋た行き、暮れゆく裏町の通りを眺めながら、ひとりで酒を飲むことが好きであつた。私が濁身で居た時も、
籍婚をした後も、この一つの寂しさは同じであり、病気のやうに食ひついて離れなかつた。私は酵ひ、∧にか
くれて経費婦のゐる露地裏を紡捜した。女は私のマントを引き、或は時に、一切の眞情を許してくれた0
 或る時、私はこの町の女学校長を訪問した。彼は美挙を専攻した文学士で、常に「教育は詩なり。教育家は
詩人ならざるぺからず。」と唱へる人であつた。この頃、私の行き悩んでゐた蜃術上の認識廃間を解決すぺく、
私はその人の敦を乞はうとした。
「僕は思ふのだがね」
 私と封坐した時、先づ詩人教育家はさう言つた。
「君:::いやなに、その君等の所謂詩といふものは、果してどんなものかね↑ まあ聞き給へ。僕は詩につい
て意見をもつてる。」
「どうぞ。受けたまはりませう。」
「僕は思ふょ。詩人は人類文化の指導者でなければならないのだ。詩は教育だからね。」J珊
「さうです、たしかに。」
「所が今の詩人といふ奴が、どうもこの文化意識を持つて居ないね。皆自分のことばかり、たとへば椿だとか、
情慾だとか、或は何とか、その個人的な感情ばかり歌つてゐる。エマーソン白く、詩人は民衆の教師なりと。
知つてるかね? 人類文化に封して、眞の詩人は指導する所がなければならない。」
「するとつまり、詩に祀合意識を要求なさるわけですね。トルストイのやうに。トルストイは御好きです
価?」
「トルストイ? いや僕は知らないがね。とにかく君等の詩には、文化上の教育意識が映乏してゐる。人類牡
20j 随筆

禽の智育や徳育、特に美的情操の向上に対して、詩人はもつと貢献する研がなければならない。個人的の感情
や生活を述ぺるやうな文畢は、祀曾文化の向上に封して何の益する所もないぢやないか。」
 それからこの雄挿な詩人教育者は、自作の得意とする詩を見せてくれた。それは「紫式部」と題する七五調
の新饅詩で、女子教育の根本たる徳育や智育について、文部省の指定する通りの教育意見を遽ぺ、最後に
20d
日本女性の亀鑑たる
紫式部を見習ひて
文化のために義せかし。
といふ行句の反復で経つてゐる詩であつた。
「どうかね? 僕は之れを本にして俊行したいのだが。」
さう言つて校長1町の名望高き一流の紳士たる教育者1は、
愕然と蹄つて行く私の姿を見迭つた。その
目元には、.町の評判慈しき不良人物に封する、特殊な教育者らしき憐憫と、或る種の勝ち誇つた得意の表情が
め もと

浮んでゐた。
或る時、また私は国定村といふ所を訪ねて行つた0そこは上州の遽都な田舎で、昔「長脇差」と呼んだ所の、
命知らずの無頼漢や博徒等が巣窟としてゐた所であつた0今は人気もなく、貧しい荒れはてた寒村で、数軒の
農家の裏に、冬の物凄い竹薮が薄黒くざわめいて居た。
「かづでは生命があつた〇一の無頼漢の意志が、存在の破壊に向つて燃焼された。」
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     はこ▲一▼
ノ赤土の竣が、もトつもnと渦巻い七ゐる園定村の街道で、私はさうした一石の碑文を讃み、心の席知れない苦
悩を感じた。私は峯を仰いだ。そこには冬の砂凰にまみれてゐる、赤く力のない太陽が輝いてゐた。
 町は次第に態展して行つた。長い年月の中に、次第に人口が増え、戸数が増加し、資本が豊潤になつてきた。
いつのまにか、昔の蕾城跡が取り崩された。私の子供の時に知つてゐた、町のあらゆる記憶が失はれ、景色が
殆んど一欒してきた。昔は小さな貧しい田舎町であつたのが、今では幾つかの大工場を有する所の、関東屈指
の都市にまで餞展してきた。町の郊外の室の上には、いつもそれらの工場の煤煙が、凧のやう爪吹き流れてゐ
た。
 市街は八方に手をのばして、次第に郊外の自然を征服してきた。田や畠や、杢地や野原やが、ぐんぐんと市
直の中に編入され、日増しに新しい市街が出来てきた。昔から、私が唯一の慰安地帯であり、孤濁な散歩を好
                       つるはし
んだ所の、郊外の檜林や轢林の一帯が、工夫の鶴嘆によつて惨酷に伐り倒され、トロッコの軌道が木立の中を
貫通してゐた。七月初旬、烈々たる夏の光の中で、生白い肌を露出した樹木の切口が、そこにも此所にも痛々
しく光つてゐた。
「何といふ惨酷な印象だらう!」
 私は心に傷ましい痕を感じた。何物も、一切が、私のために肯定されない所の、宿命の悲痛なる道を感じた。
「むしろ一切を伐つてしまへ!」
 私は心に饗をあげて、遠く居る工夫の群に叫ばうとした。私が、かつて、何のために、どうしてこの環境を
忍ばねばならなかつたか。長い年月の間、どうした必然の理由が、自分を避けがたい鬱屈に閉ぢ込めたか?
                                                   ラ イ フ
「方則」とは何だ。「必然」とは何だ。そもそもまた、ああ人生とは何だ! これが人生であるならば、一切は
」紗ア 随筆

造ばたの馬に食はれてしまへ!
 この鬱屈の長い間、さまざまの「新思潮」や「流行」やが、私の周囲を渦巻のやうに流れて行つた。先づ自
然主義が、人造主義が、次に民衆主義が、そして最後に政令主義が。あらゆるジャーナリズムが、来りまた風
のやうに過ぎて行つた。一切に向つて、私は反抗し、敵悔し、香定しっくし、いつも一人、伯然として時流の
                                                ● ●
外に牙を噛んでゐた。何物も、何物も、私の飢ゑた欲情を充たすことができなかつた。おお概念よ! いかに
汝は茎虚なるかな。人の或る賓在する生活が、どうして概念によつて充質されょう。
∬β
いかんぞいかんぞ 思惟をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。
 私は伐り倒された林の中から、速く夕陽の落ちる市街を見た。そこには低い家政があり、まつすぐの道路を
越えて、過去の生活における様々の感情が、悲しく海のやうに漂つて居た。
何を私が詩に要求するか?
忍従の中に歯を噛みしめて、傲岸不敵の面魂をむき出してる詩。恰々しき貴族根性。毒舌にみちた言語。絶
望的な叛逆心。人の心を貫く悲愁。勇気! 力1 意志! すぺてこの種のヒロイツタな刺戟をあたへるもの
を、今の私は詩に求めてゐる。
 ヒロイツタの精神は、孤濁な、不運な、虐げられた、絶望的の精神にのみ宿るぺきだ。眞の意味のヒロイズ
ムは、明るい楽天的の情操に属さないで、暗い、絶望的な、憂鬱の情操に属してゐる。何となればその根援は、
我々の人間的弱小感が、嘆息や、果敢なさや、自暴自棄やからして、より強力なものへの救ひを呼ぶことに存
するからだ。ヒロイズムの本質は、一つの重度された弾力である。上からの重みが加はるほど、歴縮されれば
されるほど、逆に下から反撥してくる。
 それ故に我々は、憂鬱になるほど、絶望的になるほど、逆に益ヒヒロイツタな情操に走つてくる。楽天主義
や、アメリカ的新時代の陽快性やが、我々の「新しき季節」を決定する時、況んや益ヒ我々は簸逆的となり、
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季節はづれの詩人となつてくる。
 白樺汲のヒロイズムは、始めから楽天的な、苦悶のない、陽快の情操に立脚してゐる。それは重度された精
神の弾力でなく、始めからバネの利かない、無根濠のものであり、子供らしき畢純の「偉がり」にすぎないだ
らう。「偉がり」とヒロイズムとは、似て大いに非なるものである。ゲーテや、べトーペンや、ワグネルやの
偉大に封して、彼等が英堆的な嘆美をするのは、金魚が酸素の酔を求めて、水面の上に浮き出してくるやうな
ものである。そこには何の生活的根凍もなく、何の必然の反撥的弾力もない。単に子供らしき英雄感で − す
ぺての子供は英雄好きだ  興奮から酸素を求め、ふらふらと水面に浮んでくる。
 白樺汲のヒロイズムは、畢に「無邪気なもの」にすぎない。故に罪がなく、毒気がなく、したがつてまた何
∬タ 随筆
/−ノノ

の悲痛感がない。即ち要するに、賓のヒロイズムではないのである。


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 白樺汲ばかりでない。かつての民衆汲もまた同じであつた。民衆汲の初期における、あの威勢の好い石田君
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や福田君の鳴埠が、今から考へて「偉がり」であり、白樺的峯元菊のヒロイズムにすぎなかつたことは、思ふ
に諸君自ら自覚してゐるだらう。諸君が「民衆よ!」と呼びかけてる時、諸君はいかに得意であつたか。けだ
し「民衆」の観念は、諸君にとつての酸素であり、興奮であり、英雄であつたのだ。
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 白樺汲の武者小路氏や千家元麿氏が、べトーペンやトルストイの奉術的英雄感に陶酔してゐた時、石田宗治、
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稲田正夫、白鳥省吾等の諸君は、同じやうに一方で「民衆」の観念に陶酔してゐた。民衆とは何ぞや。民衆は
どこに居たか。そんなことはだれも知らない。ただしかし、この「民衆」といふ言語、民衆といふ抽象的な観
念が、崇高無比な陶酔にまで、諸君をヒロイツタな興奮に駆り立てた。
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 最近では、また所謂プロレタリヤ汲の詩人がさうである。諸君は正義を叫び革命を呼ぶ。それは好からう。
だが諸君の詩について感ずるものは、一の客虞な、無内容な1杢元気の怒既にすぎない。民衆汲の詩人等が、
かづて「民衆」といふ杢虚な抽象観念に酢つたやうに、諸君は「プロレタリ一ヤ」といふ無内容な、杢漠たる、
或る賓饅のない奉術的錯覚の幻想に酔はされてゐる。
プロレタリヤの詩人は、常に金魚的浮遊カによつて、根砥のないヒロイズムによつて、政治ゴロツキの袖き
偉がりによつて、安倍な怒競的感激によつて、重来の上層へのみ浮びたがつてゐる。故に諸君の詩は、馨の調
子が高くなるほど、逆に益と内容が貧しくなる。絶叫すればするほど、却つて益ヒ手ごたへのない、杢虚な寂
しい感をあたへる。何等そこには詩としての 「刺戟」がない。峯風が、峯の上を吹いて行くやうなものだ。
l
 白樺汲の如き、民衆汲の如き、プロレタリヤ汲の如き、かくの如き一切の似而非ヒロイズムに退屈した。質
に我々の詩壇は、長い間この種のヒロイズムに誤まられた。この種の子供らしい、政治ゴロツキ的な情換は、
もはや普通選挙の官世では、田舎向きの需用にもならないだらう。さうでなく、我々は眞のヒロイツタな情操
を要求してゐる。眞のヒロイズムは怒競しない。反封に沈鬱し、忍従し、地獄の地下に塞魂をひきずり込む。
そして沈温から、逆に撥ね返してくる所の、人間の底意地強き、不損不屈の、弾力に充ちた意志のカを感じさ
せる。
 眞のヒロイズムは、杢気風舶の如き、張子ダルマの如き、室虚な自己鬼大の意識ではない。それとは反封に、
自己を縮小させることから、鬱屈として外面のカに抗さうとする、凝集カの歯を食ひしめた憤怒である。丁度
我々は、そこにヒロイズムの象徴を見る。あのパイロンによつて書かれた、地獄に落ちた魔王である。彼は天
軍によつて打ち破られ、巽を折り、脚を傷つけ、絶望のどん底に陥入りながら、尚も地獄の同志を集めて、性
                                                            ヒ11ロー・
こりもなく神に封する復讐戦を計蓋してゐる。パイロンの悪魔こそ、我々の意味する「英雄」である。
 眞のヒロイズムは、客気の上層に浮ぶ瓦斯膿でなく、逆に歴縮された、重魔の底に押しっけられた、人間苦
悶の撥ね返さうとする坤きである。天に対して、宿命に対して、祀禽に封して、もしくはその他のものに封し
て、鬱届から反撥しょうとする時、始めて人は眞の「力」を知り、勇気の深い意味を感ずる。文蜃上における
ヒロイズムとは、我々にこのカや勇気を感じさせるものでなければならない。生活感の根接がない杢虚な少年
の「思ひあがり」や、特に抽象的正義感からの興奮やは、どんなジャーナリズムの名に於ても、既に既にたく
さんである。
2〃 随筆

                     つらだましひ
 忍従の中に歯を食ひしめて、傲岸不敵の面魂をむき出してる詩。恰々しき貴族根性。毒舌にみちた言語。
人の心を貫く悲愁。勇気! カ! 意志! すぺてこの種のヒロイツタな刺戟をあたへるものを、私は今の詩
壇に求めてゐる。
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