先駆者と反対のもの


 時代から進んでゐる人と、時代から遅れてゐる人とは、その反時代的のことで互に一致した外見をもつ。ば
かりでなく、俗見はしばしば両者を混同して、先見ある時代の先騒者が、それの超時代的の故に却つて時代遅
れと思惟される。
 俗識の喝宋するものは、先騒者でもなく、後退者でもなく、時代と共に歩調を合せ、流行の輿論にのつて泳
ぐ所のあの「常識的の俗物」ばかりである。天才であり、時代に先駆するものは、時代と共に行くのでなしに、
時代の先に立ち時代に反動して行かねばならぬ。けれども同様な外観が、また遅れた頭脳からも提出きれる。
 さればすぺての反動思想家等は、天才か低能か、新人か蕾人か、白か黒かの二つにまたがり、その中間の常
識的人物たることを慣想されない。あの偉大なる反動思想家ルッソオが、昔時の女化主義に酵つた新人に喜ば
ノれないで、却つて蕾弊な頑迷堵流に迎へられたといふのは、aノいふ皮肉の現象だらう! 俗衆は眼をもたな
 い。新と蕾とが、いつも彼等の判断に一致される。
 この愚昧な錯覚は、しかしながら分明にせねばならない。相違は一方の反動が現代を包括し、さらにそれの



上に超.増してゐるのに、一方の同じ反動が現代と交渉なく、純粋に過去に一廃してゐることである.天才はいづ
の世にも彼の生存する現賓の世界に生き、それの流動する気分や思想に敏感である。まことに現代が有するも
のは、感じ易き神経にふれる所の、時代の生きた趣味、感情、音、光、色、杢菊、目にみえぬ人心の傾向など
であり、敏感の精神のみが、早くこれらを直感し、それの著るしい影響をうけるであらう。けれども同じ鋭敏
な神経が、またそれによつて強く傷つけられ、至る所に自我の充たされない不満を後見する故に、現箕を知れ
ば知るほど、それへの情意が高調されてくる。かくして一般の民衆が、伺現代の杢気に解れ得ず、それ故に、
現代をば一の新しき理想と考へ、それの箕現を夢想して「輿論」の甘酒に酵つてる間に、早く幻滅の悲哀を感
じてる先髄者等は、彼等の現賓を見捨ててしまひ、より完美で自由のせ界を、別の未来に夢想しっつ進んで行
く。それ故に先駆者の情操を分析すれば、時代への愛と恰で交錯し、一方にそれの著るしい感化を受けながら、
一方でそれに慣博し、時代に裏切らうとする情熱が、時代に惑溺する趣味と争闘しっつ、到る所に大なる矛盾
を含んでゐる。丁度、多くの偉大なる肇衝品や、偉大なる天才の思想がさうであるやうに。所で、他の別の反
動思想家等は、これと全く内容を別にしてゐる。そこでは先駆者と反封のもの、即ち頑固で、無神経で、容易
に感じない鈍重の頭脳があり、常に推移して行く時勢を知らず、因襲の感情に捉はれて、新奇に腐れることを
悦ばない。約言すれば、現代の情感性そのものが全で生活と交渉なく、常識の感知する一般の輿論でさへも、
賓際の生きた意味では理解することができないのである。
 かくの如く、一方は「常識以下」である故に反動であり、一方は「常識以上」である故に同じく反時代的で
ある。一方は輿論の上に立つて現代を恰慈し、一方は輿論の下に居てそれに反感する。そしてそれ故に、丁度、
輿論の地位にゐる民衆からは、南方共に理解されず、ただ彼等の水準の仲間だけが、いつでも新しく智慧があ
り、時代の先駆者であるやうに思はれる。政治家と野心家と、それから第二流の文聾者とが、いつでも汝檜に
〃∫ 詩論と感想

之れを利用し、眞の天才が孤猫でゐるとき、彼等だけが、早く民衆の中に地位を作つてしまふ。
∫イイ