自由詩原理への入門
 自分は近く「自由詩の原理」と題する書物を出版する。そこでこの書物への序説として、自分の詩論の概要
を述べ、一般讃者の入門に資さうとした。
「詩」とは形式について言はれ、「詩的」とは内容について言はれる。吾人はここに詩的の本質を論じない。
詩について考へる。
「詩」といふ言語の、ずつと演大された意味に於ては、一般に多くの文畢を包括する。たとへば文壇が、近頃
小説にづいて論争してゐる如く、或る作品には詩があり、或る作品には詩がないなど。そしてこの場合に言は
れる「詩」とは、形式上の詩セなくして、文畢の内容について言はれる詩、即ち情操や構意の上から、一般に
「詩的」を感じさせるものを暗示してゐる。
 そこで、いかなる文筆と錐も、本質的に「詩的」でないものはないだらう。何となれば詩的とは、要するに
「高翔感」や「恍惚感」の意味であるのに、すべての情熱ある文畢は、必然に人の心を蜃衝的に高翔させるか
7∫ 詩論と感想

らだ0そして、それ故に、ゲーテも、ト〜ストイも、ゴールキイも、ストリンドベルヒも、皆この意味に於て
の詩人である。
けれども我々は、詩を形式について限定してゐる0換言すれば、文学がそれの内容から、構想としてあたへ
る詩でなく、表現の直接性から1文章の言語の↓から1直ちに内容として電流するもの、即ち「形式郎詩
的」である所のものを、他の小説や文撃と直別して、特に「詩」と稀してゐるのだ。故に我々が詩といふもの
は、表について文畢をいふ意味の詩と、表現の純粋性で直別される0我々の意味での詩とは、表現(形式)
がそれ自ら奉衝であり、文章それ自饅の魅力によつて、直接に心を高翔させ、詩的を感じさせるものでなけれ
ばならない。
76
具饅的に考へょう0どこに我々の意味の「詩」があるだらうか↑先づ文壇の所謂詩1自由詩や、新膿詩
や、和歌や、俳句や、ソネットや、1がさうである○此等の表現が詩であることは、別に言ふ迄もない話で
あ々っ○けれども↓適した詩の定義は、更にょり以↓のものを包括する○たとへばニイチエのツアラトストラ、
芭蕉の旗行記、乗好の徒然事、モーパツサンの水↓紀行、シセロやセネカの雄蹄鉄、その他多くの所謂「散
文」が、文章それ自身の語調やアクセントで、直接に人の心を高翔させ、表現からの強い詩的を感じさせる。
々こで「詩」の定義は、この種の文孝をも、表に綜拝しなければならなくなる。即ち我々は、普通に世間
が言ふ意味の「散文」をも、或る範囲に於て、ひとしく詩の観念に編入させる。
 かくて所謂「詩」と、所謂「散文」とは、我々の字書に於てみれば、決して封立的のものでなく、しばしば
混同融和する所の、同二魔性のものであることが鰐つてくる○けだし「詩」といふ言語は、もと小説や戯曲に
対する言語であつて、文学の「種目」↓の名栴である0もし形式↓から言へば、すぺて・の文畢は「韻文」と
「散文」とに分たれる。然るにこの形式上の電文は、古来必ず種目↓の詩を意味した故に 昔の詩は必ず頭
文の形で書かれた 詩と韻文とは言語↓の同字義となり、之れが一方の散文に封立したのだ0
研が自由詩以来、この古い観念は破れてしまつた○自由詩は一定の押頚方則を破壊して、無苛の自由律によ
る創作をした。即ち自由詩は、それ自ら所謂「散文」であぺ散文の形で書いた所の、しかも詩的音律を有す
る文学である。換言すれば、自由詩の定義はかうであつた0・
「詩とは、必し豊明文の形式を意味しない○吾人は散文の様式から、十分に魅力ある所の、音禁的効果に富む、
眞のスピリットな表現定額見し得る。」
即ち自由詩は、詩を哉文の拘束から解放し、散文の中に美と音律とを創造した0それ故に自由詩以来、詩は
もはや散文と封立さるべきものでなく−話それ自饅が散文だから 単に小説や戯曲等の文学と、種目上に
於て封照さるべきものとなつた○我・々の現詩壇が、詩といふ言語を散文の対照として考へてるのは、箕には因
負からの迷信であり、蒙昧の認識不足によるのである0
自由詩は散文である。それ故に自由詩と他の表文撃との相違は、資には「教書「頚文」の形式観にある
のでない。自由詩も小説も随筆も、ひとしく皆この意味では散文である0ただしかし、同じ散文の中に於ても、
程度上の比較からして、より文章としての強き魅力、音律の肉感性、語調のキビキビしさ等のものを、特に強
く響かすものと、それの平坦で魅力のない文章とがある○この前のものは、必然に詩として感じられ、この後
のものは、詩として讃まれることがすくない○たとへば上にあげた芭蕉の遊行記、ニイチエのツアラトストラ
アア 詩論と感想

等は、他の普通の散文に比して、詩といふ感銘を強くあたへる。
 しかしながらこの種の物は、尚且つその内容たる着想や構想やが、言語の一々の表現にまで、十分蛮術につ
かまれてない○言語がそれ自ら、直ちに内容の節奏となり、音律が有機的の力を以て、一層直情的に訴へてく
る文筆がなければならない。そして之れが、賓に自由詩の本領する立場である。
 かくて自由詩は、その「散文で書いた詩」の中での、正に典型的なものに属する。芭蕉の旗行記や、ツルゲ
ネフの散文詩やは、そのやや展性的な詩に属する0これ皆ひとしく「詩」である。けれども奉術上の批判に於
て、その純粋の程度がちがふ0もし自由詩を目して「純詩」とすれば、他の顆展のものは「準詩」である。故
に吾人の批判に於ては、自由詩の厳粛性を他の準詩に要求しない。逆に準詩1詩壇はこれを散文詩や叙事詩
の名で呼んでゐる1の弛緩性を、断じて自由詩に許さない0自由詩と準詩(詩壇の所謂散文詩)とは、厳に
批判の標準を別にすぺきである。
アβ
自由詩の基本的精神は、明白に言つて散文時代のものに属する。近世以来、すぺての韻文は凋落した。けだ
し儲文的な情操は、古典的なクラシズムに属してゐる。それは均再や、対比や、反覆やの、形式美牢重んずる
精神であり、感情の自由を押へて理智を尊び、直情の露出を嫌つて典雅な粉飾を愛好する。
然るに十九世紀初頭以来、資本主義文明の興隆するに及んで、人心が著るしく物質的となり、軽便賓用本位
となり、すべての形式美的のものや、優美に粉飾されたものやを、次第に人々が好まなくなつてきた。そして
米国商人的な賓用主義と、野卑な直情露出と、すぺてのプロぜツタなものとが、一般に欧洲の趣味を決定して
きた○一方で、あの浪漫主義の衣々しい運動が、中世の理智的なクラシズムに反感し、感情の自由で奔縦な態
  「
想を.絶叫した。
 かくて「鶴文的な情操」が、近代初頭の地球から迫ひ出された。もちろん「顧文そのもの」は、尚且つ依然
として残つてゐた。浪漫汲の詩人等は、大腸なる自由主義と直情主義とを標梼して、すべての形式美挙に反封
したとはいへ、彼等自身、尚且つ古典形式の押観詩を書いてゐた。しかもこの精紳の押す所は、遂に詩の形式
をすら、近代的プロゼツタの時流に融かして、眞の無形式な自由文膿−即ち散文 と同化させるに到るだ
らう。そして象徴汲の詩人等が、遂にそれを賓現した。箕にヱルハーレン等によつて創見された自由詩は、遠
くその基因を浪漫漁におくことを知るべきである。
 アメリカに於ては、鹸洲とやや異なる事情の下に、彼等の民族的な自由主義から、プラグマチカルの精神か
ら、デモクラチックの情操から、野性的な粗野から、直情露出の民族性から、早く既にホイツトマン等の自由
詩人を産んでゐた。賓にアメリカに於ては、始めから韻文らしき韻文が全くなかつた。彼等の民族的性情は、
                            ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
タラシズムの趣味に全く快けてる。彼等のざつくばらんと平民気質は、欧洲におけるやうな、どんな形式文革
も思惟し得なかつた。彼等は始めから自由詩に飛び込んだ。然るに欧洲では、之れが「自然性からのもの」で
なく、むしろ反動的な精神を多分に持つてる。(浪漫汲も象徴汲も、皆その常時の形式詩寧に反感し、反動か
ら、逆説から、自由主義に走つたのである。)
 アメリカの自由詩と欧洲の自由詩は、この鮎で本質感を直別される。欧洲のものは、本来クラシカルの美を
理解し得る人間が、反動から、逆説から、時流に應じて自由主義を主張したのだ。故札止ルハーレン等の自由
詩人が、後には再度またその反動で、頑固な形式詩畢に辟つてしまつた。そして今日、最近また彿蘭西濁逸の
新詩壇が、著るしく反動的となり、新盲典主義に傾向してゐる。然るにアメリカでは、これが民族詩人ホイツ
トマンによつて代表され、反動ではなく、自然性からの自由主義で創造されてる。
アタ 詩論と感想

自由詩の精神は、すぺての「中世紀的のもの」「韻文的のもの」に反封する。自由詩は明白に、近代資本主
義の世紀における、商業的、物質的、賓用的なる、平民感情のデモクラシイに情操する。故に自由詩の精神は、
すぺての形式的のもの、儀祀的のもの、粉飾的のものを嫌ひ、自由にして率直なもの、軽便にして賓利あるも
の、簡潔にして意味の通ずるもの等、すぺて非韻文的なプロゼツタの趣味を愛する。然り! 賓に自由詩の精
神は、プロゼツタといふ一語に轟きてる0(プロゼツタといふことは、韻文的な趣味からみて、常に殺風景や
俗悪を寓意してゐる0自由詩の革命は、古風な意味での「詩美」を破壊し、新しき詩美をこれに換へた。)
自由詩の本領は、かくプロゼツタの情操に立脚してゐる○故に自由詩は、領文的の形式美からして、より遠
ざかるほど本官である○換言すれば、自由詩は「散文的」であるほど、より眞の意味での自由詩である。自由
詩の未来は、それが益ヒ散文化するほど、形式に於ても徹底した文寧となるだらう。
 この意味で自分は、常に自由詩の散文化を主張してゐる○今日我が国の詩壇の如く、牛ば自由詩を散文化し
つつ、しか屯観念上に於ては、依然としてこれを「韻文の一種」と考へ、何等かの韻律形式からして、散文と
封立さるぺき特殊な文学の如く思惟するのは、自由詩の墜落を救ふ所由でなく、却つてその曖昧な錯覚から、
中途年端の生ぬるい似而非詩文にまで、救ひがたく低落させる原因である。かの奇怪なる行ワケ文学、即ち何
等の詩的表現をもたない普通の散文を、畢に句鮎で行を別けることからして、書式上に詩らしき見得を虜Lたへ
る顆の怪文挙が、現詩壇に横行する原因も、賓に自由詩を「韻文の一種」と考へる所の、皮相な形式観の誤謬
にある○自由詩の詩人は、すべからくその哉文的なる、すぺての形式観を捨てねばならない。自由詩は散文で
あり、そして明白に散文であることを、新しき初等入門で、先づ第一に学ぶぺきである。
伽攣
β0
 しかしながらこれは、我々の畢問の第一課だ。第一課の卒業生は、自由詩の本質が散文であり、それ故に敢
文として徹底するほど、眞の意味での自由詩であることを、初等入門で認識するに至るだらう。けれども我々
の詩讃本は、第二課に於てそれの一般に陥り易き、言語上の錯覚を訂正する。
「散文」といふ言語について、自分は既に前に述べた。散文とは、言ふまでもなく韻文の封語である。即ち一
定の約束された、押韻の方則的形式を有する文(韻文)に対して、無万別の自由律による文鰹が、言ふ所の散
文である。自由詩が散文であるといふのは、言ふ迄もなくこの意味の散文である。
                                  ヽ ヽ ヽ ヽ
 我々の現詩壇は、しばしば散文といふ言語を、でたらめの椿化した意味に用ゐてゐる。即ち彼等は、一般に
音律的魅力のない文筆を、漠然として「散文」と言ひ、之れに封するものを「頚文」と考へてゐる。思ふに現
詩壇が、自由詩を詩文の顆と考へ、一方に小説等のものを散文と呼び、両者を形式上から相封的に考へてるの
は、かうした言語の漠然たる樽化的観念によるものである。この漠然たる定義によれば、散文とは「音律感な
き文鰹」を意味してゐる。然るに上例したやうに、ニイチエの論説や芭蕉の族行記やは、散文であつてしかも
音律感を有してゐる。ボオドレエルの思想風な詩は、自ら言ふ如く「散文で書いた詩」ではないか。それは決
して韻文ではない。しかも詩としての音律感を有してゐる。そしてホイツトマンの詩や、現詩壇の所謂自由詩
が、一般に皆さうである。
 故に「散文」といふ言語は、決して必しも「音楽なき文健」を意味しないひ散文の中に、却つて強い魅力を
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感ずる故に、我々は韻文を捨てて無鶴の自由詩を選ぶのである。賓に自由詩の眞意義は、散文としての音律を
● ● ● ● ● ●
創造することに存するのだ。自由詩が散文化するほど自由詩であるといふのは、賓にこの意味を言ふのである。
我々自由詩の詩人は、すべての形式美を香定する。韻律上のどんな方則も、始めから拒絶してかかつてゐる。
我々にとつてみれば、一切の律鵜は不要である。我々は自由に、大胸に、すべての竜律と詩孝を無親して、無
βJ 詩論と感想

哉無万別の散文を書ぐのである0しか皇口人が散文を選ぶのは、詩としての力強き言語の表現を欲するから、
より近代的の音楽感を認めるからだ0散文がもし韻文に此し、言語にカなく、生命感なく、魅力にとぼしいダ
ルの文膿であるならば、何で物好きに、わざわざ自由詩を書く人間があるだらう。吾人が散文で詩をかくのは、
散文の方が、哉文に比していい詩的であると感ずるからだ。
 それ故に吾人の詩は、散文的であるほど、逆に益ヒ詩の音律効果を高くする。そしてすぺての書き自由律は、
それが無方則であり、龍律を破壊し、より眞の散文に近づいてる比例に於て、逆に益と強い魅力を有してゐる。
けだし自由詩の実は、その音律の不規則感と、自由な直情的の内容とにある。もし自由詩から、律禅的の音律
感や、均再や、・封此の形式美や、粉飾的詩実の内容を求めたりするものがあるならば、始めから失望するに極
まつてゐる0なぜならば自由詩は、この種の「韻文的なもの」に反感し、それから解放された世界に於て、別
の新しい美を創造しょうといふのだから○即ち自由詩の本領は、プロゼツタのものの中に、プロゼツタの芙を
磯見することに存するのだ。
β2
           ● ●
ケれ故に諸君は、散文といふ言語における、二つの別々の語義について、一般に誤られてゐる所の、藷壇的
錯覚を避けねばいけない0散文といふ言語は、その字義通りの意味に於ては、韻文に封する散文であつて、無
哉無拘束の自由文膿を意味してゐる0そして自由詩は、この意味に於てこそ散文化することに本領を有して
ゐる0詩壇はょろしく、すぺての電文的な先入見を、自由詩から排除すぺきである。自由詩は決して、哉文的
であつてはならない。
 けれども別の意味の散文は、韻文に封するそれで無くして、詩に封する非詩を指してる。我々の現詩壇が、
  「
ん■}
漠絶として言ふ意味の散文とは、無報無万別の文畢を指すのでなく−それならば自由詩自身が散文だから
 何等か詩的要素のない、音律感の稀薄な、平坦でダルの文膿を指示してゐる。故にもし、この意味で自由
詩を散文と呼ぶならば、それは詩としての魅力のない、苧調無生気の文畢を指定する。
 散文といふ言語を、この後の意味で解するならば、をちろん自由詩は、絶封的に散文化すべきものでない0
自由詩が散文化することは、この言語に於て自殺を意味する。何とならばこの意味の散文とは、それ自ら非詩
(詩でないもの)を指すからだ。詩が詩としての、特殊な音律感や表現魅力をもたないならば、何でこれを詩
と呼び得るか。吾人が自由詩の散文化を主張するのは、自由詩を自殺させるためでない0却つてそのプロゼツ
タな音律や文饅に、新しい言語の魅力を態見し、より近代的な「調べ」を創造しょう為である0即ち「散文」
といふ言語の字書的な原意に於てのみ、これの使用を許されるのだ0
 詩壇は愚かにも、二重の妄見に悩よされてる。一方では、自由詩を「韻文の一種」と見ることから、強ひて
これに律格を要求し、形式を規則づけ、自由詩を殺して押萌詩にしようとする0自由詩が、もしそんな萌律方
則を必要とするならば、始めから既に自由詩は無かつたのだ。即ちこの種の思想は、ヱルTレンの如く、彿
蘭西最近詩壇の如く、再度反動的なタラシズムに辟る外はないだらう。この思想の大前提が、始めから自由詩
の香定に立つてることを、自ら自覚してみるぺきである。
 別の思想は、之れに対して自由詩を「散文の一種」と認める。彼等の認識は自由詩の本領が「韻文への扱
逆」であり、近代的な、プロゼツタな\自由主義的な、デモクラチックな情操が、すべての中世紀的な形式主
義や、典雅や粉飾やの詩実に反抗して、新しき散文時代を代表するものであることを、膣ろげながらに認識し
βj 詩論と感想

てゐる0しかしながら悲哀は、その「プロゼツタ」の意味、「散文」の意味が、彼等に於て二義混同となり、
何等明白な判断もなく自覚もなく、曖昧股旅として混錯してゐることである。
 それ故に彼等は、一方で自由詩を散文的のものと感じながら、しかも意識の表面では、依然として「韻文ら
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しきもの」を考へてゐる0自由詩が散文であり、また散文でなければならないといふ断定は、決して彼等の主
張から聞き得なかつた0むしろこの鮎では、彼等は甚だ臆病であり、曖昧卑怯の態度を持した。しかも反封に、
創作の上についてみれば、彼等は甚だ大勝だつた0詩論の↓では、さも常識ありげに詩のリズムを主張しなが.
ら、賓際の作品では、殆んど何等の音律もリズムもない、平坦無味のものを書いた。
 この一知半解の自由詩観が、最近の我が詩壇を誤つたことは、賓に思ひ牛ばにすぎるものがある。自由詩の
散文化といふ観念は、この種の詩人によつて邪解され、皮肉にも詩の自殺的意味に導かれた。彼等はたしかに、
自由詩の近代的精神を理解してゐた0それがクラシズムや、形式美や、典雅美やに反封する、一のプロゼツタ
な情操に根渡すること、したがつて自由詩は、プロゼツタであるほど本質的であることを、彼等は気分的に直
覚してゐた0しかも彼等は、プロゼツタの中に新しき詩美と音律とを求めることが、自由詩の創造的意義であ
るのを知らないのだ0故にその結論は、自由詩をして平坦無味の散文に堕落させ、何等詩としての魅力がない、
退屈極まる駄文拳に低落させた○即ち彼等の結論は、結局して自由詩そのものの香定に経つた。
 かく現時の我が詩壇は、二つの反封する妄見から、自由詩の自殺的危機に導かれた。丁万の思想によれば、
自由詩が異に詩たるためには、その自由律を廃して定形律にならねばならない○即ち自由詩が自由詩た■有ため
には、非自由詩にならねばならない。(いかに奇怪なるかな!)
 反封の側に於て、自由詩の散文化が考へられてる0しかもこの思想によれば、自由詩が自由詩として徹底す
ぺく、普通のダルな散文にならない0即ち前の考へからは、クラシカルな定律詩に蹄ることで、自由詩が始め
β4
βj 詩論と感想
て自由詩たり得、反対に後の考へからは、普通の小説や感想にまで低落して、始めて自由詩が自由詩たり得る○
印ちこの二つの思想は、互に反封の見地からして、共に「自由詩そのもの」を香定してゐる○
 詩壇が、もし自ら自由詩を肯定し、自由詩によつての饅展を望むならば、かくの如き自殺的、自暴自棄的の
妄見から、先づ以て解放されねばならない。今や諸君は、最後の決定的な問題にかかつてゐる0即ち諸君自身
が、自由詩を以て眞の詩に非ずと考へるならば、諸君はよろしく自由詩を捨て、川路君の新律格詩や新古典汲
の定哉詩に行くが好い。でなければいつそ、詩といふ観念を捨ててしまつてJ音律感もなく象徴手法もない所
の、一般普通の記事文や感想文にまで、自己を漫却してしまふが好い○然るにさうでなく、もし諸君が自由詩
を肯定し、自らそれを創作しょうとするならば、上述の如き自己虐殺的な思想に封し、徽底的に反抗する所が
な竹ればならぬ。、
自由詩は、人々がその特殊な本領を認識し、創造の音の意味を知ることなしに、決して拳術としての蜃展を
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望み得ない。かつてありし我が詩壇は、一も自由詩についての自覚をもたず、でたらめにして曖昧な観念から、
好い加減の創作を績けてゐたにすぎないのだ。故に批判の樺威が全くなく、詩の償値は墜落し、詐術と好計と
が横行して、詭将が虚偽の勝利を得、詩の皮を被つた似非文畢さへが、我が物顔に横行するやうになつたのだ0
詩壇は自覚せねばならない。

lヽ
lV

 .帽   我々の問題とする詩  問題にならないもの
この詩論は、一目由詩原理への入門」横縞として書いたものであるが、之れだけ畢濁にしても、もちろん意
味は充分に通ずる筈だ○ただ前の論文を讃んでる人は前後に毒してゐる主意を、誤解なく汲み取つてもらひ
たい。




仙骨
 「詩」と「詩的」とを亀別せよ。許的はあらゆる文畢に普遍する0しかしながら詩的自身は、文孝の内容に鹿
するもので、形式に属すべきものでない。例説しょう0たとへばストリンドペルヒは詩的である0ツルゲネフ
は詩的である。けれどもそれは「小説」であつて、賓に「詩」といふべきものでない○
 詩とは、詩的が蜃衝にまで表現され、内容の詩が直ちに形式に訴へられ、言語自身、文章自身が、それ自膿
としての生命感を俸熟するものでなければならない0畢に「詩的」であるものは、一般の意味で「文畢」とい
ふにすぎない。然るに「詩」は、文畢こ般についての稀呼でなく、或る特貌な形式を有する所の、特娩な文学
について呼ばれるのである。それ故に詩は、特殊の形式を離れて考へ得ない0詩が詩であるためには、すくな
くとも二つの要考の中、何れかをもたねばならぬ〇

 一、音律感としての効果
  二、象徴手法による敷果
一は文章の語調、句切れ、アクセント等によつて、音楽の如く直情に迫るもので、これが詩の本質的條件で
ぁる。二皇晶の心象性を利用し、表象のイマヂ子ションを作るもので、近代詩における重要な手法である0
ハ象徴汲以後、馬象渡、立饅汲、表現汲等の欧洲詩は、著るしくこの鮎を重成する0)
 最近詩壇の病癖は、土の第二條件(表象的手法)、を過重して、第一條件(音律感)を忘却してゐることであ
る。もちろん我々の複雑した近代的詩感は、到底昔の叙事詩などのやうに、畢に音律だけで、音楽感だけで表
由することは不可能だ。あらめる手段に於て、我々は詩を有機的にし、複雑な表象効果を取らねばならぬ0し
かしながら詩は、元来「訴へるもの」であつて「描くもの」でない0我々詩人は、常に天に向つて、人に向つ
七、組合に向つて、心の情熱を訴へょうとする0▼然るにこの「訴へる」言葉は、必然に一種の情熱を帯び、調
βナ 詩論と感想

子を帯び、アクセントをとり、強くスピリットな音律を生むのである。故に音律感を持たない詩は、本質的な
意味で詩と考へられない0音律感の殆んどない、ただ言語の心象的表象からのみなる最近の自由詩は、決して
詩の健全なものでなく、明白に邪道であり病気である0それが詩の本質性でないといふことから、僕はかつて
前の論文で、之れを「印象的散文」と呼び、一般に詩壇の自覚をうながした。
我々の自由詩人は、すぺての形式的詩寧を排斥する〇七五調も、アレキサンド■リア調も、その他の所謂どん
                  ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
な「韻律」も、我々にとつて必要でで。吾人は一切の韻律を拒絶する。しかしながら韻律でなく、言語が訴
へることによつて、自然に生ずる所の音楽そのもの−僕はそれを「調べ」と呼ぶ1を、詩から排すべき理
由を見ない0香それなしには、どんな近代的な詩も、どんな新しい詩も無いだらう。なぜならばその音律感こ
そ、詩そのものの本質だから0賓に音楽なくして、詩人はどんな感情も訴へられない。吾人の詩感は、言語の
語調や、語気や、アクセントやを通じてのみ、始めて生命ある表現を得る。詩からこの音楽を除いてみょ。後
にはただ「描馬」がある0この場合には「訴へる」のでなく、純粋に冷静な客観的態度にょつて、心象を「描
く」だけのことになつてしまふ○吾人はこの種の檜董的、描馬的の詩を、しばしば未来汲や立髄汲の詩に見る。
しかしな掛らこんな客観的のつめたい態度が、果して貨の詩であるだらうか。情熱のない、主観性のない、訴
                   ヽ ヽ ヽ ヽ
へのない、つめたい理智的の心情は、決して詩の本領に属さない0僕は立饅汲や未来汲に反対する。彼等は断
じて眞の詩でない。
斤β
しかしながら立饅汲や未来汲は、その幾何畢的なる、構成意識的なる、近代感覚の新しい形式主義に、ネオ
クラシズムとしての英畢的根壌をもつてる0賓に此等の奉術の実は、その科挙的味覚にょる表現の構成にあり、
ここにネオクラシズムへ新形式主義)としての不可思議な魅力がある0つまり言へば、要するに立鍵革の新根
操は、昔の形式詩畢による押萌詩形のクラシズムを、近代の新しき感覚と神経で、或る全く攣つた所の、しか
も美挙的本質感に於て一致する、別の新表現にまで創造したのだ0
 既に既に、彼等の精神はクラシズムである○即ち「感情的のもの」でなくして「理智的のもの」である0故
に彼等の詩が「訴へるもの」でなくて「描くもの」であり、音楽でなくて檜董に近づくのは自然である0この
鮎では、立膿汲等の精神は正にパルナシアンの詩寧汲と一致する0彿蘭西近代詩壇の初頭に柴えたパルナシア
ン(高踏汲)は、詩の竜律方則を重要親し、自ら「言語↓のゴシック建築」を以て詩工を任じたはど、極端な
形式主義に侶重した。彼等にとつて、詩の詩たる所由は主としてその形式実にあり、煩墳な押琴の数学的方程
式が、その表現の主意義であつた。彼等は感情を排斥し、冷静な理智によつてのみ、ひとへに詩作すぺきこと
を説いた。近代欧洲の立鰹汲は、もちろんこの高踏汲とちがふけれども、態度の本質に於て確かに符節する所
がなければならぬ。
 この形式主義の高踏汲に反抗して、大腸なる自由主義を稗へ、理智を斥けて感情の解放を叫んだものは、即
ち人の知る如くあの象徴汲である。象徴汲によつて、始めてロマンチシズムの精神は復活され、詩の音楽感が
主張され、遂に今日僕等の作る如き自由詩が生れたのだ0(日本ではこの事情が反封だつた0日本の詩壇でか
って象徴汲と構したものは、均再や対比やの詩寧的方則を重成し、直情を嫌つて理智を重んじた0即ち彼等の
態度は、極めて高踏汲に顆してゐた。そして倫不思議なことには、この日本詩壇の所謂象徴汲に封して正面の
敵となつた両士幸次郎及び室生犀星、萩原朔太郎等の二次が、却つて感情の解放と自由主義とを栴へた0すべ
て西洋と逆になつてゐた。)
 ここで僕は、自分の過去における詩壇的立場を一言したい0自分は箕に、そもそもの出餞鮎からして、眞の
β夕 詩論と感想

自由主義を以て毒してきた0僕が詩壇に出た第一の日に、始めて叫んだものは「自由詩の創苧といふこ上
だつた0もちろん僕の出る前にも、既に自由詩は表的だつた0しかしながらそれらの自由詩は、精神に誓
誤られたものだつた○僕の詩壇に出た常時に於て、眞にょく自由詩の精神を知つてゐたのは、人生汲の詩人頑
士幸次郎君であつた0そこで僕と率土君とは、自然的な提携が成立した○僕等の主張した鮎は、象徴汲にょつ
て代表された昔時の日本詩慧ら、すぺての誤られた自由詩観を表し、自由詩の眞の本貿にまで、一般を啓
蒙することであつた。
 かくて僕の自由主義は、ノ今日までずつと毒してきた0僕の詩や思想の、・爾後における度々の攣北にかかは
らず、この一つのことだけでは、重く終始毒してきた0僕はすぺての非自由詩的思想1律格詩論やJクラ
シズムや、形式主義や、韻律論者や、1に封して、過去に大いに抗争した如く、今日に於ても伶依然として
戦つてゐる0然るに頑士睾次郎君は、後に至つて一種の律格論者となり、昔の同志が遽に論敵となつてしまつ
た0川路柳虹君も攣化し、室生犀星君も表の内容的反自由主義者に攣つてしまつた。ただ濁り攣化しないの
は僕である0僕は終始毒して常に自由詩のために辟護し、自由主義のために主張してゐる。この鮎で僕は、
賓に日本詩壇における唯忘「自由詩の味方」であり、自由主義の支持者である。
かうした僕の立場が、未来警立饅汲の詩に封して、根本的の同意をもち得ないことも、讃者にょく理解で
きるであらう0未来汲や立饅汲やは、たしかに形式1における自由詩であるだらう0しかしながらその精神は、
クラシズムと表鮎を有する所の理智主義で、檜書奏的、形式美的のものである0即ちこれらのものは、精神
的に自由主義と矛盾し、翌できないものである0もし毒葦の精神を押して行くならば、遂に詩の形式に
警告日由を排し、高踏汲的の敷革韻律にまで、その檜量的、構成的の建築美を求めるやうになるだらう。
ハニの建築葵といふことが、義務や未来汲の欲求する重要事である0)それ故に見よ!果して歎洲最悪詩
噂は、覇枚方則の擬重な古典詩形にまで、近代の新しき感覚を盛つた所の、名義通りの「新古典渡」によつて
代表されてる。けだし未来派、立饅汲の後を受けた新詩壇が、此所に辟結するのは嘗然である0
 それ故に僕は、僕が自由詩人である限り、すべて自由主義の精神に反封する、此等の新傾向と争はざるを得
ないのだ。のみならず僕の信ずる所では、詩の本質は「音楽」にあつて「檜蓋」にない○すくなくと皇日楽的
要素の上に、補足された所の檜毒が必要である。檜毒だけの、眼からの効果だけの、廣告商標的の詩が、もし
イブン・ゴルの言ふ如く表現汲の本領であるとすれば、僕はあへて表現汲にも反封する0詩は「訴へる」もの
であつて「描く」ものでない。描馬は小説に属して詩に属しない0詩がもし檜董の如く、描馬的性質のものだ
とすれば、所謂詩は「小説の一種」にすぎなくなる0そして詩の詩たる文畢的特色は、どこにも攣止すること
がないだらう。詩の特色は、賓に音律感の強き魅力に存するのである0音律感なき、すぺての詩は虚偽である0
僕のかうした思想からして、もし僕を「古い」といふ人があるならば、僕はあへてその「古いこと」を名著
とする。何とならば眞理は常に不易であり、流行によつて支配されることがないからだ0新しくもあれ、古く
もあれ、詩が詩としての本質をもたないものは、断じて肯定できないのだ0
 以上の言説は、主として西洋の最近詩壇を封象とした。未来汲も、立慣汲そ新古典汲も、すぺて欧洲詩壇
のことであつて、我々の日本詩壇のことでない。「日本の詩壇に於ては、少し以前に平戸廉音や萩原恭次郎君の
一汲によつて、欧洲の未来汲に顆した詩風が創案された0しかしながら一部の現象で、仝詩壇の時代性を決定
する迄に至らなかつた。今日我が国における一般詩壇は、筒自由主義の精神によつて支持され、これに反封矛
盾する別汲のものは、たとへ観念上には主張されても、賃の創備には現はれて居ない0むしろ我が周の現状ほ、
クJ詩論と感想

自由主義の誤つた汎濫にょつて晋毒されてる0それ故に自由主義の眞精神を奉ずる僕は、一般にょつて雅鰐さ
れ、書用されてる所の似而非自由主義を啓蒙すぺく、しばしば皮相の見静からして、反対の立場に見られるほ
ど、破邪的の論説をする立場にある。
僕は自由詩の味方であり、自由主義の支持者である0けれども今日の日本に見る如き、曲解された詭稗的の
意自由主義と、その人々の低劣無償値な詩を見る時、しばしば鬱然として反動的になつてくるのを、自ら押へ
禁ずることができない0それ故に僕は、却つて反自由主義の饗に接する時、内心の愉快と同情とを絶叫する。
平戸廉若君の未来汲運動も、川路柳虹君の律格詩論も、この意味に於て甚だ僕には愉快であつた。すくなくと
も僕と律格論者とは、現詩壇の現状に不平し、邪曲を排しょうとする鮎に於て、義憤の本質感を一にする。そ
の鮎については、彼等と僕とは友人である0争ひは議論の1にあつて、感情の上にないのである。なんとなれ
ば我々は、互に共同の敵を有するから。
 僕は自由詩のために主張する0しかしながら僕のいふ「自由」とは、必然に「創造」を漁期する所の、眞の
建設的自由である○故に僕は、眞の創造的意義を有しない、でたらめの、破壊的の詭粁的の自由主義を情意す
るパそれらの意自由主義は、詩の債値を低落させ、奉術を紙屑にし、何等詩的才能のない凡庸作家をして、虚
偽の詩壇的名饗を博さすに役立つ外、何等意義のない書物である○眞に自由詩を愛し、自由詩の肇術的建設を
望むものは、何よりも先づ、この種の似而非自由主義を排斥すぺく、最初に武装されねばならない。√
 故に我々の眞の敵は、むしろ「自由主義の反封者」でなく、此等の「自由主義の悪利用者」にある。自由主
義の反封者は、僕等にとつて直接の敵とするには、あまりに距離が離れすぎてる。のみならず互の「共同の
敵」について、却つて逆説的な同盟をも感じ合つてる0僕等が第三香定するのは、賓に今日の詩壇を低落さ
せた、あの所謂「行ワケ散文」の顆である0そこには何の音律的魅力もなく、そしてまた何の象徴的手法もな
タ2
い。凱ちどんな方面の観察からも、絶封に詩といふことのできないものが、詩に非ずして詩の慣面を被づてゐ
る。
 この論文の始めに於て、自分は詩の必然すべき二の形式條件を提示しておいた。即ち詩が詩たるためには、
音律感による特殊の赦果か、もしくは表象による心象的効果を強調するか、どつちかの條件をもたねばならな
い。しかしながら詩の第一義的條件は音律であり、表象感からの萩果はその附加にすぎないこと、したがつて
表象効果のみを過重して音律を顧みない一汲の詩は、僕の所謂「印象的散文」であつて、賓の健全な詩でない
ことを論述してきた。しかしながらこの議論は、我々の詩論における高等科の課目に属する。々んな高級な題
目でなく、屯つと幼稚部の生徒となつて、さし官り考へるべき題目がある。何となれば此所には、音律性も表
象怯もない所の、奇怪な馬鹿馬鹿しい詩があるからだ。賓に僕等は、今日この現賓的事賓に接してゐる。故に
僕等の論ずぺき官面の問題は、詩の本領が音律にあるか表象にあるかといふ如き、進んだ高級の問題ではない。
もし上述の如き奇怪な似而非文学に此して言へば、所謂「印象的散文」は議論の飴地なく、公然と許されるで
あらう所の、比較にならない立汲の詩である。
 賓に僕等の病癖は思想が現賓を超過して、先に進みすぎるといふことである。(これによつて僕の詩論は、
常に多数者から誤解される。僕の反駁者等は、僕の全く思ひがけない、反封の理由で攻撃してゐる。)我々は
常に注意して、思想を後もどりさせねばならない。「生徒の大部分は子供・である」。束をつけて教授せょ! 菊
をつけてロをきけ! もし日本の現質する詩壇について、それのみの考へで言ふならば、この際、僕等の最も
望んでゐる、最も好感を呈し得るものは、資に立饉汲的、表現汲的の表象手法を強調する詩でなければならな
い。何となればこの種の詩は、現存する如き堕落低劣の悪自由詩にまで、すくなくとも蜃衝的な意義と新生命
とをあたへるからだ。僕が詩壇に於て、常に萩原恭次郎君のマポオ汲の詩や、雑誌「亜」 の諸君の一行詩や、
クj 詩論と感想

北川冬彦君やその他の印象的手法にょる新しい詩を特筆し、且つ興味と同情とを以て批判してきたのは、圭と
               ● ● ● ●
してこの事情に基因するのだ0日本内地の現状からは、僕の第議論はロが出せない。犬の如く、僕はその前
 ヽ ヽ ヽ ヽ
でおあづけをされてる。
今やしかしながら、漸くにして詩壇は自覚的態度に攣つてきた0僕等の見る所では、過去に横行したやうな
「行ワケ散文」は、今日ややすくなくなつた○そして日本的な象徴手法にょる所の、所謂印象的散文が著るし
く表的となつてきた0之れ日本の自由詩が、過去の破壊的、香定的の態度を捨てて、漸く創造的態度に向ひ
つつある澄接である0しかしながら僕の第議論は、決してこの印象的散文に満足できない。たとへ僕の前の
論文(散文詩の時代を超越する思想)で述ぺた如く、日本語そのものの音律的映陥にょる、特娩な困難な事情
があるとはいへ、尚且つこれを征服して、眞の音律性ある自由詩が生れるまでは、断じて季術としての完成を
肯定されない○賓に我々の自由詩は、今や萌芽時代にあるのである。
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表温虻弘lll 〉