囲詩以前の詩壇
西洋では、詩と言はれる文奉の形式は三しかない0しかるに日本には三つもある。和歌と俳句と、それか
ら明治以後に生じた欧風の叙情詩である0然るに今日我が国の文筆、普通に「詩」と言はれる言語は、和歌
蒜句に封して、特に最後の者を意味してゐる0それは↑度「嘉」といふ言語が、普通に西洋音響意味し
てゐて、長唄や清元の日本音楽を含まないのと同様で、西洋寧上主義の耳化的観念から原因してゐる。それに
就いて滑稽なのは、先年彿蘭西から是詩慧近況を間ひ合せてきた時に、之れに答へた所謂「詩人」が、北
原白秋、三木蕗風、野口米次郎等の代表する欧風叙情詩に就いてのみ答へ、歌壇や笠に就いて少しも返事を
しなかつたことである。
我が圃の文壇に、現に歌や俳句が厳つてしまつて、存在しないならばとにかくだが、現に伶此等のポエムは、
依然として文壇の哀忙賓存し、その社台的、民衆的の勢力も盛んであつて、妄の欧風自由詩と址んで新し
き日本の文化的情操を代表してゐるのである0それ故に外国人が、もし日本詩壇の現状を間ふならば、嘗然こ
の現状する詩界の三分野(即ち和歌、俳句、自由詩)を絶括し、それの全景に亙つて表の時代的傾向を報告
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すべき筈である。然るにこの常識が映乏してゐるのは、宍YH呂といふ外国語が、外国夙の辞を意味する故に、
和歌俳句はその観念にはまらないとする西洋心酔主義の妄見で、新日本の文明がもつ「悲しき蔑ましさ」が此
所にある。
 それはとにかくとして、かく日本の詩界が三の分野にわかれて居り、各自が他と交渉なき専門の縄張りに割
渡してゐることは、詩の民族的普及における統一を甚だしく妨げる0尤牢これは詩ばかりでなく、現時の日本
文化全鰭がさうであつて、∵万■で洋服せ着ながら一方で和服を用意し、丁万に西洋書架を鑑賞しながら、一方
では日本音楽の情調にひきこまれてゐる。新しき日本と古き日本が、杜合の至る所に併存してゐる現状では、
詩壇もまた同じ混乱をまぬかれない。即ち∵万には我々の欧風叙情詩があり、丁万には対立して俸統的の和歌
俳句がある。丁度今日の美術展覚禽が、洋蓋の部と日本董の部とを別け、それを園民美術の年表として綜合す
る如く、我々の詩界もまたさうであり、賓に年刊「日本詩集」として、世界に態表さるべきものは、新時代の
自由詩と国風の和歌俳句とを、部門の別室から綜合して一堂に納めたものでなければならない0
過渡期の文明が崩するこの詩界の混乱は、しかしながら詩の分野を狭くし、全膿としての文壇的勢力を損傷
してゐる。西洋では、詩といふべき表現のものが一つしかないために、すべて詩的情操を心にもつ限りの人は、
森く皆詩壇の一堂に合してくる。したがつて詩壇の文壇的、及び社合的における勢力は廣汎であり、散文と封
立して妄帝国を建設してゐる。然るに我が国ではこの帝園の住民が三部の小直域に分割されてる0概ねの詩
情を有する青年は、最初に先づ和歌を作る0そして彼等の議分が、我々の自由詩の領土へ来る0また本来俸
統的の趣味を持つ人、国粋的の雅趣を悦ぶ人は、最初から俳句や和歌の世界に入つて居る○そして新文明に憧
憬するモダニストが、妄で自由詩に入り込んでくる0故に我が園の詩壇は、各自に少数の住民を有する攣止
の小国に別れてゐて、全懐から統一する勢力の存在がない0所謂俳人は、狭い俳壇の公園でのみ威ばつて居り、
∫j 詩論と感想

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所謂詩人は、狭い自由詩や欧風詩の妄野でのみ、少数の薯を封手にして小さく天才になつてゐる。彼等は
何れも禁固の彗である○畠の彗だけでは威張つてゐても、封外的には憐れむぺき貧窮のものにすぎな
い○即ち彼等は、何れも我が国に於ける「部分の詩人」である0「諸侯の彗」である0眞に全膿的の詩壇か
らして、一切を廣汎に代表する国民詩人と言ふぺきものは、慧圃の現状からは存在し得ない。
これが昔はさうでなかつた0昔は芭蕉や人麿やが、常時の民族が有する詩情の、扁を代表した眞の国民詩
人であつた0尤豊にも和歌と俳句の封立があり、また妄に漢詩があつた0しかし漢詩は政令的に無勢カで、
和歌と俳句の二大分野も、今日の自由詩と和歌における如く、それほど内容的に翌したものではなかつた。
和歌と俳句は、今日雲貿かち表と見るにしても、自由詩とそれとの封立は、↑度洋董と日本菅における
如く、あま墓彗の封照が著るしすぎる○何より畠ることは、両者の詩境における割線がはつきりしてゐ
て、互に自領の翌を固守して居り、妄は妄を理解せず、両者が全く別貰に風畢で居ることである。
この鮎で日本の詩壇は、賃に貰の特薔だ0もちろん西洋の詩界に於ても、↑度我が国に和歌と俳句がある
如く、彼にも叙情詩と叙事詩の別があり、或は劇詩、諷刺詩等の詩形がある0それからして彼に叙情詩人、叙
事詩人等の専門的稀呼があるのは、あまねく人の知るところであるが、しかもそれらの直別は、決して詩の文
壇的本質に関係しない0たとへば叙情詩の詩人である故に、叙事詩の詩壇は之れと交渉なく、批評に基饗に
も、互に両者が風馬牛で居るといふやうなことは無いのである。
 日本の詩界は、ふしぎにこの鮎が特警ある0現に和歌を作つてゐる人たちは、全然自由詩の貰のことを
知らない○我々の詩壇に、現にどんな新思潮が流れてゐるか、最誓んな新進作家が現はれたか、さういふこ
とを全く知らない○香、賓を云へば自由詩そのものを知らないのである0彼等はどつかの遠い世界で、そんな
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やうな誓作つてゐる、或る表の人種が居ることだけを、ただ粍げに意識してゐる0そしてもちろん、逆に
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自由詩を作つてる人も同様で、速い現費の彼岸に於て、紅毛異国の和蘭陀があるやうに夢の中の歌壇を考へて
ゐる。
 このやうに日本の詩界は、狭く小さな王国に分散して、各自に少数の住民しか持つて居ないばかりでなく、
それらの攣止図が離れて居り、相互に全く交通のない孤島となつて存在してゐる0これが日本の詩壇の文壇的
勢力に、どれだけひどい傷害をあたへてゐるかわからない。のみならずその散乱してゐる無統一から、新しき
日本園民話の創設にまで、機運の大なる傷害をあたへてゐる。もし此等の小国が一所になり、全鰹の住民の教
を合して一の強大なる詩壇を組織すれば、そこに始めて眞の「日本詩壇」が成立し、文壇的にも社合的にも、
賓に堂々たるものとなるであらう○現に近き過去の歴史から、その光柴ある「我等の権威」を懐想することが
できるのである。即ち日本の新しき文壇に、始めて西洋文明の曙光がさし、新慣詩が生れ、和歌が革新され、
俳句が時代の潮流に乗り切つてきた時である。
 この時、日本の詩壇は眞に本質的に統一して居た。もちろんそこには、和歌、俳句、新饅詩、自由詩等の別
汲があつた。しかしこの別汲は形の上で、詩の本質的潮流からは、すぺての表現が同じ統一ある意志に立つて
ゐた。たとへば和歌は、香水の古き因襲と俸統に叛逆して、新時代の撥測たる青年の情操を歌ふぺく、その俸
統の形式にまで、全く新しき舶来の情操を盛り込んだ。同様にまた俳句が、新時代の情操に通すぺく新しき生
命を吹き込まれた。そして丁万に新膿詩や自由詩があり、これがまた新日本のハイカラな詩情を先導した0か
く常時に於ては、和歌も俳句も自由詩も、その本質的な詩境に於ては、すべて共通な時代思潮を表現してゐた0
故に彼等は、互にネの形式を異にするにかかはらず、相互に密接な東販を通じ、各自の間に一様の理解と批判
が行き渡つてゐた。即ち和歌を作る青年は、同様に必ず自由詩を讃み、自由詩を作るほどの人々は、必ずまた
俳句を理解し鑑賞して居た。何となれば彼等の相違は、畢にパステルと水彩董或はピアノとバイオリンの相違
∫∫ 詩論と感想

であり、詩の本質的な「心持ち」は、互に皆共通する一のものであつたから。即ち要するに、常時に於てはた
だ一つの、眞の「日本詩壇」といふべきものがあつたのである。
それ故に常時の詩壇は、文壇的にも政令的にも、非常に廣汎の範囲を有してゐて、正に散文と封抗する所の、
堂々たる一大王囲の権力を有してゐた○したがつて詩壇に居る人たちの権威と名饗とは、文壇的にも社合的に
も、決して今日の如き煙窮のものではなかつた0たとへば自由詩では北原白秋氏や三木露風氏等、和歌では石
川啄木氏や輿謝野晶子氏、俳句では正岡子規氏や高濱虞子氏などの常時における勢力と名馨とは、今日現在す
る同じ詩歌壇の人のそれとは、到底格段の相違であり、正に全文壇を座するほどのものであつた。この事賓を
見よ! 今日歌壇に幾多の天才が居るだらうが、.狭い彼等の融合以外で、幾人がその名を知つて居るだらうか。
すくな←とも女流歌人の輿謝野晶子が、かつて日本の全文壇に競令したほどそれほど文壇的に権威のある詩人
がどこに居るか↑ しかも今日、彼女以上に天分ある詩人が居ないと言ふことを、どうして必しも言ひ得るか。
北原白秋氏に就いても同様であり、常時におけるあのすばらしき文壇的名饗と権威とは、今日たとへ彼以上の
天才が現はれた所で不可能である0今日の所謂詩人は、歌人と同じくその特娩な島国の中にゐて、小さな勢力
の根を張つ七ゐるにすぎないのだ。
 今や我々の日本詩人は1歌人も、俳人も、自由詩人も1すぺて文壇的に地位を失脚した。その理由はど
こにあるか? 民衆が詩を離れた為か↑ 文壇の思潮が欒つた為か? 香賓に根抵は、我々自身の住むぺき眞
の「日本詩壇」を失つた為である0不幸にして我々の「詩」は分散した。かつては忘ものであり、歌も俳句
も自由詩も、すぺてが新日本の囲詩として、互に異なる形式からの一の詩境を目ざしつつ進んだものだが、中
途にばらばらに離れてしまつた0即ち和歌と俳句とは、再度俸統の古典にもどつて、国粋主義の窮屈な穴にも
ぐり込み、もはや決して新しき日本の文明を見ようとしない。丁万に我々の自由詩は、西洋至上主義の迷夢と
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妄見に捉はれて、頚から国粋的の趣味を軽蔑してゐる0我々の多くの仲間は、彼がホイツトマンやヱル∵レ
ンに封此されることからして、無上に光柴の得意を感じながら、もし柿本人磨や輿謝帝村に封此されるであら
ぅならば、理由もなく侮辱された立腹を感ずるほど、それほど洩ましき盲目の西洋心酔者に堕落してゐる0い
かにして此等の南極端が、互にその詩壇を理解し合ふことができるだらうか0自由詩と、和歌と、俳句とは、
今や互に孤立してバラバラのものとなり、互に逢ふこともなく知ることもなく、各の島から交通の橋を切つて
しまつたのである。.
 かくの如くして我々の「詩壇」は漫落した。我々の住民は四散し、中央政府の権威は落ち、そして話そのも
のの統一ある王国が無くなつたのだ。昔は「日本の詩竺があつた○然るに今はそれがない0今は畢に「和歌
の詩壇」「俳句の詩壇」「自由詩の詩壇」があるばかりだ0しかもそれらを互に寄せ集めても、何等統一ある詩
壇は創立されない。単にバラバラの寄木細工で物の在るべき形象さへも出来ないだらう0我々は互に結びあつ
ても、または結ばなくとも、依然として個々のバラバラの存在であり、本質から融合すぺき機縁がさらに無い0
そして各個がカなく、薄弱に、部分の部分として文壇の微分に泳いでゐる0
 しかしながら今や、漸くにして新気運への漁感が現はれてきた0賓に、日本の文化そのものが、今や二つの
矛盾を接近して、相互から解決さすべく向つてゐる0たとへば檜毒は、一方に日本董が洋真に接近しっつある
と共に、丁万でまた油檜が、近時さかんに日本真の様式を取り入れてゐる○音楽が同様であり、今や町田博三
氏、杵璧ハ蕨氏等の主張する新日本音楽が、次第に家庭に入つて邦楽を洋風化しっつある丁万、洋楽界の中に
も、国風の自覚が次第に起りつつある。
この新しき祀合的気運の中に、我々町詩壇もまた同じ潮流を感じつつある○即ち例せば、室生犀星氏の「忘
春詩集」以後における近業の如きそれであつて、我々の欧化主義の自由詩頓に、彼の始めて投げた国粋風の新
jア 詩論と感想

傾向は、たちまちにして池面に波及し、今や議における新詩壇の静岡気運を呼ばうとしてゐる。思ふにこれ
がエポックをつくることも、或は遠い未来のことでは無いかも知れぬ0既に佐藤惣之助氏品粋主義の古典に
走り、石田宗治氏また多少傾向を暗示してゐる○我が自由詩壇は、その必然の結果として、最近皆の詩境が著
るしく俳句や和歌に接誓てきた0かつては全くそれを知らず、知つても故意に看過してゐた和歌俳句の表現
にまで、今や若き董の詩人等が目をつけて爽た○即ち我が自由詩壇は、今漸く「新しき橋」を俳壇と歌壇に
架けつつある。
 毒笠には早く荻算泉水氏罫の提唱があり、その古き季節趣味を脱却して、自由の新しき詩境に大臍
の様式を試みてゐる0麓氏にょつて、俳句は近来著るしく自由詩に接近してきた。二々自由詩がまた著る
しく印象の簡潔を尊んで、次第に様式が俳句に慧しっっぁる0特に最近しばしば見る哀詩の如き、殆んど
概ね俳句の様式と接誓て、形式からも内容からも、署を差別することが困難となつてきた。思ふに俳句と
自由詩とは、近き塞に於て撃方からもたれ合ひつつ、渾然と融合表してしまふであらう。
濁りこの時流に於て、伺頑迷固晒のものは歌彗ある0彼等の住む「あやにかセき」紳ながらの大和の囲
は、依然として国粋的俸統主義の島国に閉ぢこもり、鎖国の屏をかたく閉ぢて交通を遮断してゐる。かつて私
は彼等の歌壇に、時流の新しき攣普説いて忠告し、藷々として貰の大道に出づぺきをすすめたけれども、
頑迷なる歌壇の鍛翌薯共は、和歌は紳ながらの道であつて、あへて夷狭の知るぺき所に非ずとして、無情
滝私の黒般を迫ひかへした0そして恐らく、この事情は今畠妄あるだらう0彼等の王国の主樺者たちは、
丁度昔の紳薯流が是以外の貰を知らずに、しかも是を世界唯忘紳圃と信じて居た如く、そのや>吉
和歌を以て唯忘詩とし、和歌以外にまた賓の詩とすぺきものはないと断定してゐる。しかもその意味する和
歌とは、常に常葉集の盲詞を眞似る千篇一律を指すのである。
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 しかしながらこの歌増も、さすがに新しき時運に押されて、今や止むなく開港するに至る菊合が見える0即
ち最近若山牧水氏の始めた雑誌「詩歌時代」が、歌壇自ら進んで詩壇に接近する意志を示してゐる○前田夕暮
氏また開園のために大いに為す所あらうとしてゐる。その他西出朝風氏一波の口語歌論者あり、績いて多くの
青年志士が現はれてくるだらう。しかも一方我々の自由詩壇は、しきりに使節を汲して彼等の偏狭を啓蒙して
ゐる。そして我々自身が、自ら進んで彼等に近づき、彼等の古典的詩歌を理解しょうと努めてゐる0久しから
ずして歌壇がまた、本質的に自由詩と融合する時代が来るだらう。
 今や新しき文化の時流は、我々のためにもまた、既に「失はれた詩壇」を回復すぺく迫つて居る0和歌と、
俳句と、自由詩と、日本の現在するすぺての詩は、やがて近き未来に統一されて、一の光彩ある新日本詩を創
造するだらう。その時我々は、始めて新日本の「園詩」を所有し得る0それは我々の民衆が創造した新世紀の
国風で、正しく世界萬囲に誇り得るユニツタな奉術であるだらう○その眞の日本国詩は、今日ある如き自由詩
でもなく、和歌や俳句の顆でもなく、それらの歌風な要素と俸統の要素とが、西洋と東洋とから互に融和した
攣止のものでなければならぬ。然る時ここに始めて眞の「国民詩人」が現はれて来る0そして我々詩人の地位
は、文壇的にも、杜曾的にも、ずつと逢かに普遍的で勢力のあるものとなるだらう。