僕はソセラテスだ
成る若い狩人が、僕に封して率直に次のやうな意見を述べた。
「あなたの詩論には解決がない」
僕はこの言を反省してみた。そして「戌程!」と思つた。成程、言はれてみるとその通りだ。僕の思想のノ
般的棟式には、どうも「解決」といふものが炊けてるやうだ。だがこの言は、僕の詩論に封してょりも、むし
ろ他の場合の一般的な思想に対してょり適し、確に急所を突いてるやうだ。特に前の著「新しき欲情」の如き
は、どこにも何等の思想的解決を掲げて居ない。あの書物は、常時流行した我が国の社合的及び文壇的ジャー
ナリズム、即ち「自然主義」「人道主義」「牡合主義」「民衆主義」等のものに封して、徹頭徴尾意地の惑い諷
ヽ ヽ ヽ ヽ
刺とひやかしをしてやつた。僕はあの書物で、あらゆる既成思潮を啓蒙してやつたパけれどもただそれだけだ。
どこにも僕自身のイズムある「結論」は掲げなかつた。
そこで僕は、或る人からは非常ぺ誤鮮されてる。甚だしきは、僕を以て一種の詭持家一反語のための反語
を悦ぶ概念の玩弄者 と考へてゐる。それほどでない人も、やはり僕を警句家のや>つに考へてゐる。詩論の
方も同様で、畢に人と攣つた新説を磯表しょうと考へてる、詭粁的反語癖の人物のやうに思はれてゐる。もち
ろん、たしかに僕には一種の反語癖がある。僕は時々、常識の裏側から物を言はうとする癖がある。しかし僕
は、どんな場合にも決して皮肉家や警句家ではなく 皮肉や警句は都合人の垢ぬけた機智に属する。僕はそ
の鮎であまりに野暮くさい田舎者だ。僕にはショーのやうな洒落気がない。況んやまた反語のための反語を弄
する詭持家でもない。さうした種顆の人物たるぺく僕はあまりに野暮眞面目・の田舎育ちでありすぎる。
そもそも思想の「解決」とは何だらうか。「結論」とは何だらうか。僕は今日の日本、あらゆる政令上及び
文化上の意味に於て、徽頭徹尾矛盾に充たされてる我が「矛盾時代」の日本に於て、どこに眞の思想的結論が
あるかを怪しむのだ。杜合の賓博その軒のが、どこにも全く解決をもたない混沌矛盾の時代に於て、思想だけ
ど■ノ
が、観念だけが、何して眞の断定や結論をもち得るか。今日の日本にあつては、すべての正直な人間は皆悩ん
〃∫ 詩論と感想
でゐる?どうして、どこに、何に向?て、新しき生活と杜曾を求むぺきかといふことは、殆んど何にも解らな
いのだ。認識の行き渡■つた、反省の深い、聴明な人ほどそれが解らないのだ。ただ無反省な、感激し易い、智
慧の最も単純な人々だけが、一時の外園かぶれの熱にのつて容易に色々なジャーナリズムに走つて行く。しか
も短時日の熱がさめた後では、どれも皆馬鹿馬鹿しく、杢虚な夢となつて走馬燈のやうに忘れられて行く。
.されば「解決を持たない」といふことが、・我々の時代の眞の思想的な態度ではないだらうか? 我々の時代
にあつては常に畢純なものだけが濁断する。そして他の聴明な人々は懐廃する。然や! 我々の時代は「懐疑
時代」だ。すくなくと鴻一度、この.懐疑時代を通ることなしに、日本の新しい政令は建設されない。僕は必し
も、濁断そのものに反封の意見をもつのではない。所詮すれば、濁断が文明の一切であり、それなしには、ど
んな正義も認識も有り得ないことを知りぬいてる。けれども我々は、小児らしき、単純な、虚妄な濁断に陥入
ることを、日本人の著るしい民族的疾患として、あまりに久しい間悩まされてきた。
今や、我々はむしろ濁断から醒める時期だ。政令主義も好いだらう。民衆主義も好いだらう。けれども、此
所に入る前に、一度先づ厳粛な批判時代を持つべきだらう。明治以来、日本の文壇には色々な思潮が興亡した。
しかもただ一度の批判だに無かつたのだペ我々の文壇はただ無批判に、確乎たる蜃術上の理論的認識なく、早
にそれが西浄の新思潮といふだけで、あの浪漫主義や自然主義を輸入した。(だから今日命日本には、眞の自
然汲文学もなく浪漫汲文革もない。)タゴールが来ればタゴールに走り、ニイチエの名をきけばニイチエに行
き、トルストイが流行ればトルストイに大勢する。
かくて我々の文壇思潮界は、自然主義以衆今日のプロレタリヤ文学に至るまで、浮薄に外国の流行を迫ひジ
ャーナリズムに追従して、⊥も文学の収濾たる批判の土董を持つてゐない。かうした日本の文壇は、あだかも
土壌なくして客間に建てられた蜃菊棋のやうなものである。故に一度風向が攣るならば、直ちに跡形もなく滑
〃古
ぇてしまつて痺跡を残さない。いかに諸君は記憶してゐるか? トルストイや、タゴールや、ニイチエや、ホ
ィットマンやが、近い過去に於て興亡した歴史の跡を。彼等の一度現はれるや、熱菊のやうに日本の全思潮界
を吹きまくつた。そしてただ、杢しく幽塞のやうに滑えてしまつた0げに何の足跡すらも、後には痕跡してゐ
なかつたのだ。
日本にあつては、あらゆる主義や思想やが、常に少年の感傷として、批判もなく認識もなく、一時の熱病性
の興奮で滑えてしまふ。賓に日本の文壇は、未だかつて一つも「批判時代」を通つて居ない0日本の小兄病文
壇では、何でも「流行」といふことが一切を償値づけてゐる。思想も懐疑もありはしない0畢にジャーナリズ
ムの流行する文学を、その主義の名目でかつぎさへするならば、それが即ち文壇の「新しき作家」であり「流
行の文学」である。いかに下等なおつちよこちよいの粗品奴らが、かうした文壇に於て教育し易いか0すくな
くとも我々の新時代は、根砥から文寧を建て直す必要があそ一切の小児病興奮を排斥して、眞の文寧の立脚
すぺき「思想」を、すぺての主義の根抵に建てねばならない。かつて日本の文壇には、批判時代もなく懐疑時
代もなかつた。我々は全然どこにも「思想」といふものを持たなかつた。そしてそれ故に、一日本の文壇におけ
るすぺての思潮は、室虚な蜃東榎の夢景にすぎなかつた。今や、一切を始めから建て直せょ。先づ自然汲以前
の第一歩、十八世紀浪漫汲の文学からやり直せ! 根本的に、近代文学打出態鮎からやり直せ! (今や漸く、
近代資本主義国家の黎明期に際してゐる我が国の政令事情は、すべてに於て西洋十八世紀末実の政令と顆似す
る。)
かく今日の日本は、今や始めての「認識時代」「批判時代」に入りつつある。そしてそれ故に、今日は一の
〃ア 詩論と感想
「啓蒙時代」であり「懐疑時代」である。丁度之れと同じ事情を、我々は歴史の過去に見ることができなかつ
たらうか↑ あの古代ギリシャの末期、アゼンス文化の啓蒙時代が、丁度今日の我が思潮界におけると同じで
ある。▲地球のその時代では、あらゆる人々が思想の蹄結を失つてゐた。エレア汲のツエノーン等が、先づ一切
の有無に封する根本的の懐疑を蜃した。そしてソフイストの曲論奇読が、論理の樺威を徹底的に香定しっくし
た。人心は蹄所を失ひ、眞理は疑はれ、何もかも一切が解らなく、でたらめの世の中になつてしまつた。
この混沌たる懐尿時代を救ふぺく、決然として立つたものは、即ちあの義人ソクラテスであつた。ソクラテ
スはどうしたか↑ いかなる濁特の・手段によつてこの困難なる時代に虚したか?
ソクラテスの方法は、あらゆる既成の思想に封して、根本的なる懐尿をあたへることであつた。彼は町に立
つて人に問ひかけ、すべての先入見における誤謬を、究極するまで問ひつめて行つた。どんな過去の先入見も、
確定されてる眞理も、一切が皆ソタラテスによつて懐疑され香定された。ソクラテスは反語を使つた。たとへ
ば常識が「黒」と言ふものを、彼は逆に「自」だと説いた。
かうしたソクラテスの態度は、時の人々の眼に詭群論と考へられた。多くの人々は、ソタラテスを以て詭粁
季者の一味同族と誤認した。しかもソクラテスの意志は、簡に詭辟哲学を正面の敵とし、彼等の不眞面目なる
論理的遊戯を破邪して眞の厳然たる眞理の存在を立澄することに熟してゐたのだ。しかしながらソクチ〕アスは、
彼自身その頂理を認識することがで虐なかつた。彼は町に立つて人を捕へ、たとへば「勇気とは何ぞや」とい
ふ質問をした。そして人々の有する認識と先入見とを、徹底的に打破してしまつた後で言つた。
「君は始めそれを知つてゐると答へた。そして今、結局何も解らなくなつたと答へた。それで好いのだ。軋も
やはり君と同じやうに何も知らない。この問題については、お互に浅薄な濁断を避け、もつと深く考へてみる
ことにしょう。」
∫∫β
dZ闇瀾憎憎ノ箋
、
ソクラテスと詭椅論者との相違は、賓に紙一枚の境である。彼等は二人共、一切の既成概念を香定し、あら
ゆる眞理を疑ひ、そして共に奇矯な反語を盛んに弄する。けれどもただ一の本質鮎で、両者の態度がはつきり
と囁別される。詭持論者にあつては、あらゆる興味がただ「反語のための反語」にある。彼等はただ人と達つ
た奇説を立て、警句を弄し、名句を考へ、無意味にひねくれて世を嘲弄し、眞理を香定することにのみ得意と
満足を感じてゐる。之れに反してソクラテスは眞理の必ず存在すべきことを考へ、それの止みがたき認識上の
正義観から過去のあらゆる曖昧やゴマカシを啓蒙しょうとしたのである。この毅然たるソクラテスの正義感は、
しかし彼に於ては単に「眞理がなければならぬ」といふ漠然たる暗示に止まり、何等の掲げられた結論も解決
も生まなかつた。彼はただ時代の認識不足に憤慨して、一の未解決な「暗示」をあたへた人にすぎない。
今日、我が国の混沌たる思潮界が、牡合の各方面に亙つて要求さるぺきものは、賓に義人ソクラテスの出現
でなければならない。換言すれば、問題の「解決」をあたへる人でなくして、解決に向つての認識的正義感を
投ずぺき、一の意味深き「暗示」をあたへる思想家こそ、現代の日本が欲求する人物である。もしソクラテス
にして出づれば、次いで弟子のプラトンが出て之れを解決すぺきは明らかである。故に先づ第一は啓蒙期の先
導者たるソクラテスが要求される。彼自身が哲学を持つのでなく、ただ「哲畢すぺき精神」「正義を求める心」
を、一般に墜落した人心にまで呼び醒ますぺく、町に立つて嘲机を吹く人が必要である。そして僕自身は、非
力ながらもこの痛切の意志によつて行為してゐる。僕のあらゆる思想は1卜詩論でも、時代評論でも、その他
の如何なる随筆感想でも、 すぺて皆この一の精神によつて表現してゐる。僕は非力にしてソクラテスの智
慧をもたない、けれどもすくなくとも、「僕の意志するもの」はさうである。
それ故に僕は、断じてかのダダイズムの徒に反封する。ダダの思想は、現に存在する一切のものを香定し、
樺威を疑ひ、人生を捨て鉢にし、反語のための反語を弄して得意である。そしてこのダダの思想は、殆んど或
〃ク 詩論と感想
る程度まで極めてょく僕と類似して居る。・ダダイストと僕の思想が紙一枚の僅かな相違であることは、丁度か
の詭粁論者とソクラテスのそれと似てゐる。今日の日本に於けるダダイスト(世間では彼等をこセリストと言
つたり、時にアナアキストと呼んだりするが、眞の意味ではかく呼ぶぺきものでなく、概ねの所謂プロレタリ
ヤの顆は皆ダダである。)の思想は、丁度ギリシャの啓蒙期における詭持論者のそれである。
ギリシャの詭粁論者が、言はば「浮世を茶にした」所の、論理的破壊を悦ぶすねものである如く、我が国現
代のダダ的思想が皆それである。彼等はただ「破壊のための破壊」を好み、「香定のための香定」を悦び、一
も精神上の創造意識を有して居ない袖 このダダにおける正義感の映乏は、僕の本質的に嫌厭する所である。も
し一切を香定し、常識に叛逆し存在の権威を疑ふことに於ては僕も明らかに彼等と一致する。のみならず僕の
性情する気質の中には、生来ダダイスト的のものが非常に多い。(詩集「月に吠える」等)僕は時々自分を仕
方のないダダイストのやうに考へる。けれども僕の性格の第一本質には、いかにしても之れに不潔を感ずる所
の一の倫理的正義感が賓在してゐる。僕はどうしてもダダでない。香むしろダダ的無責任感を排する所に、僕
の思想の立脚地が存するのだ。
要する心僕の立場は、現代の日本におけるソクラテスだ。僕は町に立つて人を捕へ反語を弄し、常識を打破
し、そして一切の既成思想に薮逆懐廃する。けれども僕は信じてゐる。何物かの権威ある思想が、必すこの・混
沌時代の背後に存在すぺきことを。、僕は常に「夢を迫ふ人」で、無限の彼岸に漁想さるべき眞の人生を信じて
ゐる。僕は自ら、何等の思想的解決をも有して居ない。けれどもただ、解決があたへらるべき未来に向つて、
僕の「暗示」を投げようとする意志をもつてる。− ああプラトンよ! 君はどこに居るか↑ 1僕は正義
を信ずる。或る内容のない、峯漠たる、説明されない正義を信ずる。
然り! 僕はただ常に「暗示」を語る。僕の詩論や人生論や、その他すべての思想に放て、僕の讃者に語ら
∫朗
うとする所はかうである。
「此所に僕は、一つの新しき疑問を提出する。眞理はどこにあるか? 謎が、もし諸君に目ざめてくるならば、
それで我々は自覚したのだ。諸君がその解決を知らないやうに、僕も結論を持つて居ない。そして、もしさう
であるならば我々はこの問題についての濁断を捨て、もつと深く一所に考へてみょう。」
J朗 詩論と感想
る程度まで極めてょく僕と類似して居る0、ダダイストと僕の思想が紙一枚の僅かな相違であることは、丁度か
の詭持論者とソタラテスのそれと似てゐる0今日の日本に於けるダダイスト(世間では彼等を1言リストと言
つたり、時にアナアキストと呼んだりするが、眞の意味ではかく呼ぶぺきものでなく、概ねの所謂プロレタリ
ヤの顆は皆ダダである。)の思想は、丁度ギリシャの啓蒙期における詭粁論者のそれである。
ギリシャの詭粁論者が、言はば「浮世を茶にした」所の、論理的破壊を悦ぶすねものである如く、我が国現
代のダダ的思想が皆それである0彼等はただ「破壊のための破壊」を好み、「香定のための香定」を悦び、一
も精神上の創造意識を有して居ない○このダダにおける正義感の映乏は、僕の本質的に嫌厭する所である。も
し一切を香定し、常識に叛逆し存在の権威を疑ふことに於ては僕も明らかに彼等と一致する。のみならず僕の
性情する気質の中には、生来ダダイスト的のものが非常に多い。(詩集「月に吠える」等)僕は時々自分を仕
方のないダダイストのやうに考へる0けれども僕の性格の第一本質には、いかにしても之れに不潔を感ずる所
の一の倫理的正義感が賓在してゐる0僕はどうしてもダダでない。香むしろダダ的無責任感を排する所に、僕
の思想の立脚地が存するのだ。
要する町僕の立場は、現代の日本におけるソクラテスだ。僕は町に立つて人を捕へ反語を弄し、常識を打破
し、そして一切の既成思想に叛逆懐疑する0けれども僕は信じてゐる0何物かの権威ある思想が、必ち−の混
沌時代の背後に存在すぺきことを0、僕は常に「夢を迫ふ人」で、無限の彼岸に漁想さるぺき眞の人生を信じて
ゐる0僕は自ら、何等の思想的解決をも有して居ない0けれどもただ、解決があたへらるぺき未来に向つて、
僕の「暗示」を投げょうとする意志をもつてる01ああプラトンよ! 君はどこに居るか? −僕は正義
を信ずる。或る内容のない、峯漠たる、説明されない正義を信ずる。
然り! 僕はただ常に「暗示」を語る0僕の詩論や人生論や、その他すべての思想に放て、僕の讃者に語ら
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Z欄憎繋包.
うとする所はかうである。
「此所に僕は、一つの新しき疑問を提出する。眞理はどこにあるか? 謎が、もし諸君に目ざめてくるならば、
それで我々は自覚したのだ。諸君がその解決を知らないやうに、僕も結論を持つて居ない。そして、もしさう
であるならば我々はこの問題についての濁断を捨て、もつと深く一所に考へてみょう。