寄席に就いて
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寄席といふものは、今日次第に廃ちうとしつつある。しかし江戸時代に出来た民衆の娯楽場で、あれほど特
殊な構造をもつたものはすくないだらう。
寄席の席といふものは、ふしぎに家庭的の感じをおこさせる。たいていは下町の露地の中で、小ぢんまりし
た家造りをしてゐる。中には小さな前栽があり、庭には石燈寵などをおいてる。その座敷に這入つてあぐらを
かき、小女の持つて来る煙草盆で一服してゐると、妙に気がくつろいで、何となく自分の家に居るやうな気持
ちがする。そこに落語家などが現はれ、火鉢を側にそへて湯呑に湯茶を注ぎながら、落付いた破い地馨で話を
はじめると、丁度自宅の長火鉢をはさみながら、知人の愉快な談話でもきいてるやうに思はれる。
かうした寄席の構造は、たしかに家庭的の延長である。我々の日本人の普通の家庭、塵の上に寝ころんでゐ
る日常の生活をそのまま延長して公衆娯楽に持つて来たものである。だから寄席に這入る人は、何よりもその
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家庭的なくつろぎを楽しく思ふ。晩食をすまして散歩しながら、寄席の木戸口をくぐる気分は、活動克眞や芝
居を見に行く時速くちがふ0活動や芝居へ行く時は、その演讐見ようとする、特殊打改まつた気分のみが
強く、言はば一種の他所行きの菊もちになる。然るに寄席に這入るのは、丁度親しい友人の家庭でも、ぶらり
と訪開するやうな菊分であつて、何となく静衣がけのくつろいだ思ひである。
かく吾人の家庭的生活を、そのまま延長して娯楽場に導いたのは、寄席といふものを簡明した、昔の江戸人
の面白い所である。畢に寄席の建築物ばかりでなく、その露地裏における地位 産地を通ることから、不思
議に落付いた邸宅的の感を人にあたへる。 及び前栽や庭の工合、場内における光線の柔らかい取り方等、
すべてが家庭的の感をあたへるやうに、資によく凝つて考へられてる○ばかりでなく演蓼自身、たとへば落語
の如き寄席演蜃が、鵜者と長火鉢の前に封座して語るやうに、特挽な話術として工夫されてる0
落語のやうな寄席演嚢が、寄席の構造と必然不離の関係にあることは、箕際人の想像する以上である0私は
郷里の田舎に居た時、柳家小さんの落語を劇場で聴き、意外なつまらなさを経験した覚えがある○私は落語と
いふものを、寄席以外の場所、特に劇場できいたのはその時が始めてであつたが、劇場のあの磨い舞真の前に、
ぽつねんと小さんが坐つて、いつもの低い調子でまじまじと話し出した時、全で意気の食ひちがつた物足りな
さと退屈を感じてしまつた。劇場の構造、特にその杢気と、兵火鉢の茶話的なる落語家の話術とは、どうして
も調和できない矛盾がある。畢に音量が足りないといふだけでなく、他にもつと根本的な不調和が感じられる0
落語といふものは、どうしても寄席で聴くべきものであり、その杢束の中でのみぴつたりと融和する○
寄席といふものが、江戸人にとつて如何に家庭的延長の娯楽場であつたかは、今日筒しばしば董席と構する
講談の寄席に於て、客一人につき一個宛枕を貸してるのを見てもわかる。客はその枕を頭にあてて、あだかも
自分の家の居間に居る如く、鼻の上に寝そべつて救いてゐるのである。
それ故に寄席に於ては、演奉者と聴客とが、全く家族的の親しい関係で封立してゐる0演蜃者は客に向つて
話しかける。「今夜は何をやりませうか↑」すると客はめいめいに意見を述ぺて高座の演肇者に注文したり、
自由に心安く話しかけたりする。かうした寄席の気分は、ふしぎに、フリイで庶民的なものである0我々の新
しい奉術家は、今日しきりに「舞憂と見物との融和」を説いてる。「舞茎を見物席の上にひろげる」といふ彼
等の新しいモットオは、我が国の寄席に於て、省くから一般に賃行されてる。香、そればかりではない○我々
jjア 文明論・虹合風俗時評
はその舞蔓を、さらに敢客の家庭にまでひろげて居たのだ。日常生活の家庭気分をそのまま公衆演拳に延長し
て行つたのである。
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寄席といふものは、今日既に時代遅れになつてきた。落語や講談や、義太夫やの江戸趣味は、もはや現代の
青年と緑が無くなつてきた。それ故に今日寄席は、次第に亡びょうとしつつある。しかしながら一般の日本人
は、大正の今日命キモノをきて、畳をしいた座敷の上に寝ころんでゐる。我々の家庭における一般の日常生活
は、依然として江戸時代のままであり、少しも殆んど欧化してゐない。したがつて寄席の構造がもつ特挽の気
分は、今日でも偽書人に快い家庭的の感をあたへる。我々は洋服を他所行きにきる、もしくは畢に事務用にき
る。椅子も洋館も同様であり、多くは事務用や虚乗用にのみ使用されてる。然るに今日の娯楽場は、劇虜でも
../
活動館でも、すべて皆椅子式の洋風まがひで、少しも落付いた家庭的の気分がなく、イヤに四角ばつた他所行
きの窮屈さを感じさせる。
此所に自分は、むづかしい演奉論をしようと思はない。しかし娯楽的演劇は、元来四角ばつて見物すべきも
のではないだらう。能楽やグランドオぺラを見る時には、穐装して敬意を表する必要がある。けれども娯楽を
目的とする大衆的演嚢は、できるだけ安易の気分で、自由にくつろいで見物させてもらひたい。さうでなけれ
ば、始めから娯楽が娯楽になりはしない。今日の日本の娯楽場、特に活動馬眞館などの茎気が、いやに陰気く
さく四角ばつてゐるのは、その洋風的構造を別にしても、著るしく不愉快千苗のことである。何よりも見物が
せき
馬鹿なのである。たかが娯楽のための馬眞を見ようといふのに、皆が大蜃術でも鑑賞するつもりで、啄ばらひ
ノつする人もなく、煙草も吸はず茶ものまず陰菊な墓場のやうに静まり返つてゐる。その四角ばつた厳粛の茎
菊だけでも、好い加減頭痛がしてくる。こんな娯楽場といふものがどこにあるものか。
凄姐
元爽今日の日本人は、彗術をエンジョイするといふことを少しも知らない0音奨でも井廟でも、西洋∧は家
庭的にそれを取り入れ、食事や酒宴や、日常生活の行事における「楽しき娯楽」として愛しそゐるのに1日本
人ときては少しもさうした享楽がなく、むやみに「神聖な奉術」として、眉の張る大祀式の敬祀に祭りあげる0
活動篤農なども同様で、西洋の見物がそれをエンジョイするに引き代へ、月本の見物はむやみに襲術意識で見
ょぅとする。之れ即ち田舎者の馬鹿眞面目で、人生の趣味を解しない野暮からである。
西洋にはカフェコンサアトといふものがある。カフェの阜で飲食しながら、軽い娯楽的の音楽や舞踏を見砕
きするもので、之れが丁度日本の寄席に相應するものだらう。他にもボードビイルといふものがあるけれど、
日本の寄席とはどこか意味がちがふやうだ。
今日の日本では、もはや江戸趣味の寄席は時代遅れになつてるし、一方に香者といふ存在も新時代の青年に
は全く興味のないものとして、次第に祀曾から葬られょうとしつつある。現代における公衆のチーホームは、
何といつても唯一の伽排店である。我々の時代の青年は、伽排店を殆んど家庭的にさへ考へてゐる0茶屋遊び
ゃ蜃者買ひに、全く興味をもたない今の青年たちは、伽排店でダンスしたり音楽したりすることを欲してゐる0
そこでこの自然の傾向は、どうしてもカフェコンサアトヘの要求を生じてくる。そこで軽い飲食を取りながら、
罪のない笑劇やエロチックな娘踊りでも見物するやうになるならば、それが即ち大正年間における日本の寄席
の復活である。
今、我々の時代はたしかにさうした祀合設備を要求してゐる。(そしてもしそれが出来たら、時代錯誤の奉
者や筏柳界などは直ちに衰滅してしまふだらう。)我々の一つの不思議は、かうした杜合の要求があるにかか
はらず、何故にそれが設備されないかといふ鮎にある。すくなくとも現代の東京に、一のカフェコンサアトが
∫∫ク 文明論・政令風俗時評
無いといふのは、どうしても不可鰐の疑問である0需用もないのに供給の作られるのが、資本主義杜禽の一般
的方則なのに、逆に需用があつて供給の無いといふのは、どう考へても詳のわからぬことである。原則として、
かうした場合には先づ政府が率先してその設備をすべきである。時代が要求する公衆の娯楽をあたへることは、
文明園の政府がすべき必然の事業の一つだから。
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