田舎から都合へ
都合と田舎と、何れの生活が好いかといふことは、その人々の趣味や気質によつて異なる。且つ境遇にもよ
るのである。
故にかういふ問題では、概念上の意見を立てることができないが、私自身の饅験によれば、一般に言つて、
ノ ー マ ル
田舎の生活は全く暗鬱悲惨なものである。尤もその「人」にもよるが、すくなくとも田舎は常規的の人物に邁
アブノーマル
合して、非常規的の人物の生活に邁應しない。換言すれば田舎は、第一流の人物の住むぺき所でない。第一流
の思想、第一流の感情、及び第一流の性格は、どんな方面に於ても常識を超越してゐるのに、田舎の生活は、
杢菊それ自鰹が因襲的、常規的であり、常に沈滞した無活気のものであるから、何事に関しても、性格が周囲
と調和しない。ただ二流以下の人物は、本質的に常識家である故、田舎の周囲とよく調和し、且つ自ら指導者
となり得て、郷薫の尊敬や名著を一身に負ふのが普通である。されば所謂「田舎大家」や「田舎天才」は、古
来必ず第二流の人物にきまつてゐる。第一流の人物が、田舎に於て事礪であづた例を聞いたことがない。彼等
は常に郷薫に迫害され、嘲笑され、誹誘されてゐたのである。
私は貧しい天分しか持つてゐない。私は或は、第一流の人物でないかも知れない。しかしながら私は、どん
な意味に於ても第二流の人物で有り得ない。何となれば、私には常規的の才能が全く無く、第二流の人物が有
すべき天分と素質に於て皆無である。故に私に就いて言はるぺきことは、馬鹿か天才かの一端であり、その中
jJ7 文明論・融合風俗時評
それはとにかくとして、何れにせょ私の性格は、田舎の環境と全く適合しなかつた。誹誘と、嘲笑と、孤濁
とは、田舎の郷焦が私にあたへた一切のものであつた。それ故に「田舎」の概念は、すくなくとも私にとつて
暗鬱極まる感をあたへる。もし自ら田舎の生命を膿験せず、都合人の詩的杢想から田舎を讃美するやうな人が
居るとき、私の腹立たしさぶ怒気心頭に磯してくる。
私は過去三十鎗年間も田舎に住んだ。今日の文壇に立つてゐる人で、これほど長く田舎生活を饅験し、その
賓の内情を理解してゐる人はあるま.い。この三十験年の長い間、よくも私は周囲の悪感と侮感に耐へ忍んでゐ
た。最近、さすがに忍耐強い私が、遽に我慢できなくなつて東京へ逃げ出して来るまで、故郷に封する私の感
慨はただ「復讐」の三川あるのみである。あの故郷を迫はれたマホメットのやうに、今や私の感情は「怨恨に
充ちてゐる」のである。言葉が少しく激烈に走るかも知れないが、讃者は推察してもらひたい。
東京へ移住してきて、私が第一に嬉しく感じたことは、生活に自由があるといふことである。この「自由」
が、田舎の生活では全く得られなかつた。田舎の生活では、所謂「世間」と構するものが、非常に重大な威塵
をもつてゐて、これが事毎に個人の自由を抑座する。たとへば地方の習慣や風習に反したやうな行為は、非常
な憬意をもつて反感される。故にいやしくも因♯によらない新奇は、それ自ら田舎での邪悪であり、何事かの
「新」を試みるものは、周囲から異端者として敵憬される。田舎に住む限り、吾人の一切の行為は、すぺて周
囲の慣習と一致すぺく、常に因襲的でなければならない。粛食佳共に、すぺて個性的、濁創的の趣味は禁じら
れる。ただ常に平々凡々の人たれ。さらば諸君は田舎での生活に調和し得る。
この事質の」例を述ぺょう。私の地方で洋装してゐる婦人は、年頃の娘には全く無い。ただ一人、或る新聞
社の娘だけが常に洋装してゐる。それからしてこの娘が、世間からどんな迫筈と誹譲とを受けてゐるか、それ
FE.
はずゐぶんひどい窓口が言はれてゐる。そのため縁談の口なども、意地意く邪魔されてゐるほどである。
かく単なる外面上のことすらがさうである。本質上の性格や気質に至つては、田舎は全然吾人の 「新しき欲
情」と調和しない。非常規的の人物や、いやしくも濁自の個性を有する性格者は、田舎では最高級の侮辱と迫
害を受けねばならぬ。この種の人物は、本質上から地方での生活に調和し得ない。
田舎では、周囲が互に顔を知り合つてゐるために、その所謂「世間」なるものが、一層窮屈でやかましい。
我々の個人の家庭で、ちよつとした事件が起つても、それがたちまち市中一めんの噂となり、嘗分の間は、も
はや街路へ出ることもできなくなる。その上にいろいろな隣人たちが、個人の生活にまでに立ち入つて、無用
のおせつかいに来たり、またそれを慈しざまに言ひ濁らしたりする。たまに夫婦で散歩に出れば、それの悪罵
で町中がいつばいになる。そして眼に見えない迫箸が、絶えず個人の自由を歴迫し、意地の悪い眼が、いつで
も探偵のやうに人の秘密をのぞいてゐる。
おょそ田舎の生活とは、かういつた窮屈千高のものである。それが東京へ出てから、私はその自由に驚いて
しまつた。東京では個人が何を意欲し、何の生活をしようと、全然自由であつて、眞に「牢獄から青杢の下
へ」出た感がある。これだけの華南でも、東京は天園のやうなものである。私は思ふ。道徳の新しき精神は、
個人が互にその自由を尊重することにあると。箕際に新時代の道徳、即ち個人主義の道徳は、この精神に立脚
してゐるのである。しかして都合の道徳は正にこれであり、田舎の道徳は、.、、人「日筒あの蕾式な家族主義に立脚
するものである。都合人と田舎人とは、この一事だけでも文化的情操の新蕾に著るしい相違があると思ふ。よ
り新しい道徳の情操は、都合に於てのみ餞育するのである。田舎には「義理」と「人情」がある。しかしなが
ら個人間における理解と尊重が無いのである。それは蕾式の道徳に廃してゐる。
j∫夕 文明論・杜合風俗時評
ある故に、この鮎でも第一流の趣味を満足さすことができない。あらゆる意味から言つて、第一流のものは東
京に限られ、田舎は二流以下の事物しか存在しない。故にまたそれに邁應する所の低級な人間だけが、田舎に
於て華南な生活を迭り得る。
▲ ▲
都合居住者の田舎に封する杢想は、たいてい型がきまつてゐる。彼等の想像する田園生活は、詩 と言つ
ても昔風なソネットなど に歌はれてゐる「静かな森」「夢みる牧場」「流るる小川」「雅致ある農家」等の
綜合的情景、さうした自然の中での 「健康で平和な生活」である。所がそんな詩的なものは、賓際の田舎には
● ● ● ● ● ●
賓在しない。質感としての田舎生活は、ただ限りなく単調で、平凡で、そして恐ろしく陰鬱にジメジメしたも
のである。百姓たちの生活を現賓に見るが好い。その容貌は粗食のために蒼果となつてゐるし、仕事の単調と
生活の無趣味のために、表情のどこの隅にか活気がなく、いつたいに晴鬱でだらりとしてゐる0都合の最も貧
しい労働者でも、百姓よりは元気がょく、どこか生甲斐のあるらしい血色と眼光を有してゐる。これ都合の生
活は、どんなどん底でも、田舎の大義よりは程度が高く、且つ攣化と刺戟とに富むためである。
都合居住者は、遊行や散歩と言ふと、すぐに田舎を聯想する。これがまた大ちがひである。成程、大都合の
近郊を稀してもし田舎と呼び得べくば、田舎は遊歩に通してゐる。しかし東京大阪附近の所謂田舎と、賓際の
田舎とは、全つきり客気が別物である。私が東京へ来て感じたことの一つは、近郊のあらゆる隅々にまで、田
舎とは全でちがつた一種の都合情調が充満してゐることである。(げに都合は、ケの村落の隅々まで都合であ
る。〕東京附近のやや寂しい郡部や村落などに居て、自ら田園生活などと栴してゐる人を見ると、私は心の底
から可笑しくなづてたまらない。さういふのは 「人生のママゴト」 であり、無邪▲気な造欒にすぎないだらう。
頂
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軍際の由淘には、均園生活といふ青葉− それが如何た文化的、都合的の趣味に充ちた青嵐俄郡がか0 −す
らが絶無なのである。田舎は、すべて農村でも小都邑でも、それ自饅の杢菊が重苦しく、遊歩や散歩の娯楽に
遺しないのである。しかしかういふ音感は、諸君自ら田舎に住んでみなければわからない0もし少しく長く田
舎に住んでみるならば、散歩といふ如き気分を忘れるほど、それほど周囲の杢気の重苦しさに歴倒されてしま
ふであらう。ずつと大都合を除く外、地方では散歩に出歩くやうな人は一人も居ない○たまの日曜にステッキ
を振つてみても、周囲の気分が、それの軽い気分に調和しないからである。まれに郊外でも軋歩く人は、田舎
では狂人扱ひにされてしまふ。
かく田舎では、娯楽場もなく散歩や行楽の菊ばらしもない。そして日常の生活行事と言へば、来る日も来る
日も畢調で無意味の仕事の連績である。田舎では、町そのものが既に眠たげである○曇天のどんょりした景色
かんはん
の中で、低い町家の軒が並んでゐる。街路にはさぴしげな人物が往来して、古風な洋物店の招牌に赤自の洋傘
がさがつてゐる。それが長い長い麿時の間、黄色い太陽に曝されてゐる○かうした景色そのものが、無限の憂
鬱、無限の倦怠を意味してゐる。田舎の風景そのものが、人生の或る忘れた時刻に於て、永遠に動かなくなつ
た時計である。その象徴は「死」を意味してゐる。
されば田舎から都合へ出て来た人は、その瞬間に於て、だれでも、「墓場から人生へ」のさはやかな気分を
感ぜずに居られない。(この特貌な気分は、出京者のだれもが感ずることであるが、その原因を自覚的に意識
することができないのである。)都合では、あらゆるものが活動し攣化してゐる。あの街上にただよふベンジ
ンや瓦斯の臭ひすらが、どんなに生々とした新鮮の気分をそそることだらう0私は今迄も、時々「東京見物」
に出かけたことがあるが、人々のやうに、浅草や、芝居や、活動や音楽合やに行くためではなかつた0私はた
だ一人で、一日やあてもなく市中をうろつき廻り、あの自動車が残して行く瓦斯の臭ひを、心が満足するまで
∫2′ 文明論・敵合風俗時評
嗅ぎ歩いたのである。平常都合に住んでる人には、慣れて無感覚になつてゐるああした臭気が、稀れに田舎か
ら来る人には、ふしぎに異常な刺戟をあたへるのである。それが田舎者の鹿追されてる生活から、あの陰鬱な
気分を取り去り、思ひもかけぬ新鮮と自由の悦びを感じさせることは、あだかも都合に住んでる人が、煤煙の
中から出て田舎の青々とした野景に接した時のやうである。この二つの場合は、事情に於て逆であるけれども、
ダ ル
心理上の原因は同一であるだらう。田舎居住者たる私にとつて見れば、野菜の香気や土壌の臭ひは生活のd已−
を思はせる外、何の意味あるものではない。都合居住者の田園叙情詩は、かういふ鮎で、いつも我々の健験と
△
矛盾する0すくなくとも都合居住者町田園詩だけは、田舎者にとつて馬鹿馬鹿しいウソである。田舎生活のま
△ △
ことの詩は、自ら田舎に住み、田舎を饉験してゐる人にだけ青かれる。しかしてその詩の情操は限りなく憂鬱
に、暗愁的に、生への倦怠的情調をもつて一貫さるべきである。
上る
夜、私はまた青猫の家根を這ふ都合を見た。それはあのおびただしい無数の電燈と、電車のポールが残して
行くスパークとが、青白い火衣を曳いて、夜遅くまで都合の杢に映つてゐる光景を、私の象徴のテクニックで
「家根を這ふ青猫の夢」にたとへたのである。げに私の情操にまで、都合の夜の景色を見れば峯いつばいに三
大な青猫が、家々の屋根を這つてゐるチフに思はれる。その大きな猫の影が、ふしぎにあわただしい都合生活
の夢を思はすのである。反封に、田舎の夜は何といふ暗さだらう。田舎の農家では、今伶あの黄色い洋燈の下
で、古姓どもが夜なぺをしてゐる。その人々の暗い家には組先の大きな俳壇が影を落し、周囲には眞暗な、無
限に菊味の惑い野山が眠つてゐる。「迷信」と「宿命」、それが農夫のいつさいの哲畢であり、また彼等の環境
である0それに績く田舎の町々も同じことで、町家は早くから戸を締め、夜の街路はひつそりとして往来の人
もない○所々に暗い街燈が散在して、物偉くかなしげにまたたいてゐる。されば「暗黒」と「光明」との封照
は、そのずづと深い意味に於で、欝意の隅々にまで、田舎と都合の生活を代表し蓋してゐる。
j22
田舎生活の最大の不幸は、しかしながら何より旦父友の無いことである。人は書物と友人となしに、よくノ
日も生活し得ないとゲーテが言つてゐる。げに私の如く、気質的の孤濁好きで物臭さからも交際を庶ふ攣物で
ぁりながら、しかも田舎生活の紹封的孤濁には耐へがたかつた。田舎におけるあらゆる不幸はがまんし得る0
しかし友人の全く無いことだけは、どんな苦痛にもまさつて辛抱できない0杜合のあらゆる仕事に於て、何ら
かの野心を有するもの、及びその成功を望み得べき一流の人物は、すぺて皆都合に出て行き、また出て行つて
しまつてゐる。故に田舎に残つてゐる者どもは、何の欲望鼻心羞き、無為無能の惰眠者流ル、然らずとも
都合に成功の望みなき、第二流以下の小人物にすぎないのである0これらの「田舎風の人物」が田舎に在住し、
そして田舎一般の特貌な沈滞の室気をつくつてゐる。
この特貌な「田舎風の茎気」が、いかに重苦しく不快に耐へがたいものであるかは、田舎生活の経験を有す
る人にとつて、痛切にすぎるほど解つてゐる。一方、大都合にあつては、あらゆる種類のあらゆる人物が集つ
てゐる。物質上でも、才能上でも、ずつと偉大のものから、ずつと貧窮のものまで、無数の階級の無数の人物
を綜合してゐる。然るに田舎では、財産でも、人材でも、趣味でも、教育でも、たいてい同じ程度のものばか
りが寄り合つてゐる故に、その綜合のつくる客気の色が単調であり、且つ歴制的に重く濃厚である○何びとも、
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
田舎に住む限りは、その茎気の色に同化し、その一定の歴カの下に、身を屑してゐなければならない0でない
ものは、周囲から排斥され異端視される。
それ故に田舎では、自分が周囲の杢気と同化し、自身が「田舎風の人物」とならない限り、平和も幸編も得
られない。僕等の知つてゐる限りでも、田舎に満足してゐる人たちは、だれでも骨の髄から「田舎風の人物」
に成りきつてゐる。さういふ人物等にとつては、もちろん田舎の生活は不快でない○雪都合よりもずつと事
j2j 文明論・政令風俗時評
F r
摘に感じられるのである。研が私のやうに、どうしても周囲に同化し得ない攣り種は、どこを向いても「仲間」
が居ず、純粋に一人ぼつちの悲哀を味ははされる。(これが都合だと、どこかに同種の仲間がゐて、至る所に
バーチイを作つてゐる故、その鮎で孤濁を感ずる土とがない。)田舎の生活は、しばしば私にまで、あの「牡
合主義の幸硝」を思はせる。即ち多数の愚民が、多数の愚見の綜合から、個人のあらゆる自由に干渉して、萬
人一如の平等的平和を立法するのである。
田舎では、ずつと年少の人の外、僕等の話相手になるものがない。二十歳前後の少年は、さすが活気に溢れ
てゐる故、田舎に住んでゐても、その心もちは明るく、周囲の暗い客気に同化しない。したがつて彼等は、殆
んど本質的に田舎を厭ひ都合の生活にあこがれてゐる。然るにこの若い連中が、いつしか中年期に達してくる
と、きまつて「田舎風の人物」に攣つてしまふ。三十歳にもなると、殆んど皆が骨の髄からの田舎紳士になつ
てしまつて、昔の憧憬などは夢のやうに忘れてしまひ、田舎の小さな富や名著などに満足してゐる。かういふ
者共と一所に住むのは、馬と話をするよりも退屈である。私の思惟によれば、俗物とは、金銀の利慾にのみ熱
● ●
心な人を言ふのでなくして、人生の意味を併せず、また解さうとしない人を指すのである。賓業界の偉人等は、
利魔に熱心ではあるけれども、必しも「俗物」といふ性格に属しない。眞に俗物と言ふぺきは、田舎の商店な
どの帳場に坐つて、野心もなく、理想もなく、それにこれといふ趣味や色気もなく、ただ無意味に小金を貯め
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ タイブ ● ●
ようとする如き人間の最もつまらない型に関して考へられる。しかしてこの種の俗物が、正に田舎紳士の典型
である。
∫朗
かく田舎は、何れの方面より考へるも、第一流の人物 もしくは一流たらんとする人物1の住むべき所
でない。特に詩人や蓼術家の住むぺき所でない。何となれば文蜃の意義は、時代の新しき思潮に立つて、確一ろ
渕u彗
ず壌湘たる覇世紀の趣味と感情とを創造するにあるから・もちろん田舎に居ても、書物や新開によづで、ノ通
りの新思潮は理解し得る。しかしながら眞の思想は概念で学び得ない○新時代の思潮は、生きた人生の蛮菊、
その光、音、色、建築、婦人の衣装、百貨店の慧流行品、衝上に起る争嘩行列、物償の相琴その他の部
数な蜃覚的事物によつて暗示されてる○然るに此等の新しき感覚は、ただ都合にのみあつて田舎にない0田舎
にあるものは、いつも流行遅れのカビ臭い事物ばかりである0この茎気の中に生活してゐる限り、いかに新し
き書物をよむも、その思想は概念の智識に止まり、宰術の血液となることができないだらう0故に田舎に住む
人は、その外見の風采が時代遅れである如く、思想や感情までが蕾式で時代に遅れてゐる0「田舎風の拳間」
とは、孝問それ自饅への軽蔑でなく、むしろ孝問の根挨たる頭脳への軽蔑を言ふのである0
● ●
さて私の感情が、こんなにも田舎を罵倒し蓋したことは、しかしながら私自身を悲しくする0なぜといつて
私は、賓際の所を告白すると、世のだれに豊さつて呈を愛し、田舎生活にまで、非常に強い執着を感じて
ゐる。(でないならば、どうして三十飴年畠合に住んで居られよう○)私の主義としては、今日の都合中心的
文明に反対であり、地方に於ても濁立の文化を建設したいのである○この思想からしても、私は都合に反感を
抱いてゐた。若い嘗覚の青年等が、ただむやみに都合を神聖硯し、都合中心の信仰に駆られてゐるとき、私
は苦々しい気持ちで彼等を眺めて居たO「軽薄−・」それが今日の都合、及び都合文明に対する私の最大の情意
である。都合にゴロツイてゐる奴ど是、資力なくして相官の地位と名著を得る○田舎でおとなしく住んでゐ
るものは、天才があつて卒出世の機運が得られない0けだしさういふ風な仕組みに、今日の慈しき文明が建設
されてゐるのである。何といふ不合理な無法だらう○それからして軽薄の悪風が、都合から田舎へ侍染し、一
世の人心を風化してしまふのだ0
エ方 文明論・征合風俗時評
この「義慣」のためにすら、私は熱烈に田舎を愛し、田舎居住者の味方として、力と勇気をあたへるぺく、
私自身を儀牲にしょうとさへ覚悟した。けれども私一人の決心が、牡合金髄の組織の前に、いかに力なく果敢
ないものであるかを知り、いつでも悲しく寂しい息ひに耽りこんだ。その上、田舎生活での不愉快さは、もは
や瘡我慢にも辛抱ができなくなつた。私は攣節漢のやうに、意気地なくも決心を捨て、今や都合に脱れて来た。
「何故に田舎は、いつでも田舎であるだらうか?」私はそれを考へてゐる。文明が今日のやうでなく、組織が
攣つてくるならば、我々の田舎生活は、決して今日のやうなものでなく、ずつと書いものになるにちが・ひない・。
「もしそれが出来るならば」と、私の熱誠な意志が言ふ。「田舎の自然の中に居て、愉快な、晴れがましい、幸
頑で生々した生活が迭りたい。我々の郷土の人は、我々の個性を理解し、他人の自由に関して、さらに干渉す
ることがないだらう○もつと軽く明るい気分で、我々は互に享楽し、そして此所でも、大都合に於ける如く、
常に第一流の娯楽、第一流の趣味が満足され、新時代のさはやかな情感が準えず吹いてくる。そして我々の友
人は、いつでも至る所に求められる。」
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
けれどもこれは、我々の時代の田舎者の、悲しき杢想にすぎないのだ。恐らくは世紀の遠い未来までも、田
舎や水遠町田合であり、無智と低級と倦怠との、うす暗く陰気な沼地にすぎないだちう。
要するに今日の田舎は、人生の縛地病院であり、一の休息地にすぎない。都合の繁煩なる生活に疲れた人が、
その神経の疲労を治療すぺく、稀れにのびのびとした気分を味ふために、て・月、半年、、.もしくは一年、二年
の間、田舎に居て田舎らしい生活をすることは、健康上にもよく、非常に愉快で楽しいこdである。都合人に
ね どこ
とつてみれば、田舎はいつも別荘であり、臥床である。そこに来て終日の疲労を休むぺく、できるだけ閑静に、
平穏に、解爵単調であることが望ましく、それが田舎での幸頑と考へられる。
けれども我々の求める田舎は「田舎のための田舎」であつて「都合のための四舎」でない。我々の指令は、
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都合人のための別荘でなく、我々自分のための田舎である。都合人にとつてみれば、田舎は臥床であるけれど
も、我々自身にとつてみれば、それが活動の舞茎であり、現賓の生活が、その上で行はれてゐるのである○そ
れ故に都合人の言ふ「田舎の幸編」は、賓の田舎居住者たる我々への侮辱であり、彼等の別荘の番人として、
我々を見さげた軽蔑の表現である。終生、その臥床に横たはつてゐる病人を見て、その平和と安逸とを讃美す
る人があるならばどんな不幸の病人でも、怒気心頭に饅せざるを得ないだらう。都合人の田園讃美にまで、我
我の田舎者がいつでも腹立たしく感ずる理由がこれである。げに都合人の傲慢無祀は、彼等のための臥床とし
て、我々の住宅を讃めるのである。咄!
都合人によつて欲求される、かかる「田舎の幸涌」が、それ自ら田舎への観念を表象するほど、それほど今
日の文明は都合中心主義であり、すぺての思想や表現が、都合を標準として考へられてる。今日では、自ら田
舎に居住してゐる人ですらが、都合人の模倣に汲々とし、都合人の感情で、都合人の表象する如き田舎を表象
してゐる。換言すれば、田舎の青年詩人などが歌つてゐる田舎の詩が、丁度都合の詩人の歌ふ田園話 それ
は自然へのあこがれを情操の根接にもつてゐる−と同じであり、それの無自覚な模擬をしてゐるのである0
かく今日の田舎は、純然たる都合隷属物であり、どこにも濁立の文化がなく、自己自身の存在すらも意識し
得ない、くだらぬ退屈のものにすぎない。かくの如く、田舎が永遠にさうであるならば、むしろ田舎に住むょ
りは、都合のゴミタメの中に生きる方が好いのである。田舎をして、異に「田舎のための田舎」とせょ0そこ
に始めて、田舎生活の濁立の意義がある。
∫2ア 文明論・杜合風俗時評