芸者論

り湖肘掛絹
 日本の政令には、西洋流の字義での「社交」といふものがない。したがつてその概念を示す言語もない。日
本語で之れに顆する言葉に「つきあひ」と言ふのがある。「つきあひ」と「社交」とは、言語の語意がちがふ
やうに、賓の牡合的性質がちがつてゐる。
 日本には「つきあひ」があつて「社交」がない。社交といふのは、夜曾や舞踏合やの形式を主として、紳士
と費天人、青年と令嬢、求婚者と未亡人、それからすべての異性問にエロチックな接鱗と交際の横合をあたへ
る、一の祀曾的組織であつて、文明人の性的生活に快くぺからざるものである。この社交といふものは日本に
ない。日本の「つきあひ」といふのが、本来の性質上これと同じで、ただ形式が異つてゐる。日本の「つきあ
ひ」といふのは、その言語が示す如く、勿論交際上の機関であるが、西洋の夜合などと形式を異にして、これ
は料理屋での婁曾や、筏柳界での遊興を意味してゐる。即ち封手となる女性が淑女でなく、蜃者や遊女等のコ
ケツトであり、全く男子本位の要求からきてゐる。
 かく日本に「つきあひ」があつて「社交」が無いのは、俸統的に政令の事情がちがふからである。西洋では
夫人や令嬢やが、始めから社交的に教育され、昇子の前で自由にふるまふこともできるし、可成に巧みな婿態
で男をあやつる等の術が仕込まれてゐる。反対に日本ではそれが封じられ、別に一方で、その同じ目的から季
Jjア 文明論・敵曾風俗時評

者といふものが養育されてる。つまり西洋では、同じ一人の女性が、淑女乗コケツトとして教育されてゐるの
に、日本では之れを分業にして、淑女は淑女、コケツトはコケツトと、各の立場から別々に専門的教育をほど
こしてゐる。即ち淑女はあくまで淑女たるべし、奉者はあくまで拳者たるべしといふのが、我が国の紅合哲学
である。
 この東西南洋の祀合組織に就いては、今その長短可香を論ずべき場合でない。(思ふに何れにも一利一昔は
ある。)しかしとにかく、我が国の「肇者」なるものは、上述の如き特殊の政令組織から生れたもので、いや
しくも東洋流の杜合をつくる文明園では、必然に存在する階級である。即ち東洋に奉者があるのは、西洋に淑
女があるのと同じことで、これ無しには社交界も存在せず、生活の享発も完成されない。我が国等でいふ「衣
柳界」の語義は、西洋の「社交界」や「夜合」と同様であり、政令制度の上に必然軟くぺからざるものである。
未来、日本の祀合が全く欧化してしまはない中は、何といつても衣柳界の滅亡することはなく、萎者は依然と
して存在する。
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 かく我が国の杜合的生活は、蜃者があつて始めて完成する。故に昔は蜃者が文化の中心であり、一世を風靡
する流行の趣味、言語、風俗、文寧、歌詫の顆は、すぺて筏柳界から出たものである。然るに今日はどうだら
う。今日では拳者ほど時勢に遅れた人間はない。杜曾の流行や風俗やは、どんどん新しく攣つて行くのに、拳
者は依然として昔の江戸趣味に囚はれてゐる。昔は花柳界が文明のさきがけであ†一代の趣味や感情を支配
してゐた。然るに今では、この先導者たるべきものが、逆に時勢の最後に取り残されてゐる。
 故に昔は、所謂「つきあひ」が名質共に「社交」であつて、時代の新思潮を学ばうとするものは、何よりも
詑柳界に出入して、文明の先髄者たる蓼者から新しい趣味や音楽を学ばねばならなかつた。塾者は貰に新時代
の和治者であり、且つそれの艶かしい教師であつた。それが今日は全く逆になつてしまづた。即ち襲々が山花畑桝
界から学ぶものは、新しき風俗や音楽でなく、最も古き時勢遅れの趣味である。故に「つきあひトといふ言語
も、今日ではその政令上に於ける文化的意義を失つて、畢なる放蕩を意味するにすぎなくなつた。昔は「遊
び」が紳士の誇りであり、蜃者買ひが一の名著であつたが、今ではむしろ教養ある人士の恥づる行為と考へら
れてゐる。
 今日の奉者は、何等祀合的意義を有するものでなく、一の無季な高等淫費にすぎない。我々の健全な牡曾は
之れを揖斥しょうと思つてゐる。しかし今日では、伶之れに代はるものが現はれてない。上述の如く、東洋流
の杜合にあつては、蛮者なしに人生が完成されない。しかもその蓼者が有名無賃のものであるから、ここに過
渡期時代の苦悶があるのだ。
 我々の政令をして、一日も早く欧化させ、純粋に西洋流の社交界を作れ。もしさうでないならば、改めて新
時代の季者を養成せょ。我々の時代の文明を理解し、我々の時代の趣味や睾術を知り、且つその流行の先導者
たるべきもの、それが賓の拳者 即ち昔の意味での肇者  である。このためには、すくなくとも女孝校卒
業程度の教育と新時代の思潮や文拳等を知る程度の頭脳と、流行に先だつ新しきハイカラ趣味とが要求される。
 社交界もなく花柳界もなき今の日本は、杜曾的に健全のものと言はれない。もちろん過渡期の政令は、一切
が不健全であるけれども、特にその一面観をあげたのである。
jj9 文明論・社合風俗時評