ダンスの弁
閤桝。
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娃頃、僕が社交ダンスを始めたので、皆から色々の誤解を受ける。のみならず尾崎士郎君や萩原恭次郎君な
どから、可成手きびしい非難と忠告さへいただいた。
『萩原がダンスをやるのか。柄にない。止せやいツ』
といふのが、友人間の定評らしい。だが僕にしてみれば、ダンスが「柄にない」ことは決してない。僕は元
来、少年時代からの西洋崇拝者で、若い時はずゐぶんハイカラの風宋をしたものである。(僕の若い時の馬眞
ぢぢ
が、ずつと昔文章倶楽部に出てゐる。あれを見たまへ。)今ではずゐぶん爺むさくなつてるが、それでも精神
的には矢張ハイカラで、日常の飲食から始め、娯楽、趣味の一切に亙り、どうも西洋的なものが気に合つてる0
奉術でもやはりさうで、小説は銚謬小説に限つて讃むし、戯曲は築地劇場好みだし、音楽は三味線嫌ひでピア
ノやオーケストラの方であるし、何もつと言へば、蜃者の粋な風俗が大嫌ひで、劫排女や断髪嬢のハイカラ姿
が好きなのでノある。
かうした欧風趣味の鮎で、僕は谷崎潤一郎君と軌を一にする。いつか谷崎君の自俸をよんだら、かうした趣
味の鮎で、僕と彼とがぴつたり一致してゐるに驚いた。(ただちがふ所は、彼が江戸ツ子であるために、一方
に日本の俸統趣味を持つてるのに、僕は田舎育ちでその一面を全く映いてる所にある。)そこで谷崎君がダン
スをやるのが自然ならば、僕がダンスを始めたのも自然である。
僕は元来、子供の時から非常に音楽が好きであつて、毎日手風琴やハーモニカを弄んでゐた。やや長じては
バイオリン、ギターの顆を弾き、二十一歳にして陸軍戸山学校の軍楽除に入孝志願をした。賓に僕は、あの軍
楽隊の花やかな服装と、勇ましく拳術的な生活にあこがれたのだ。研が残念なことに、戸山学校の入学資格は
満十八歳迄であつたので、始めから無資格としてハネつけられた。.よつて市井の音楽家にならうとし、爾後縛
縛として所々の整望日米畢枚を渡り歩き、最後に上野音楽拳枚の試験を受けて落第し、爾後この希望を捨てて
jゴア 文明論・杜合風俗時評
壱」、J.ョパ題朋■題瀾欄
しまつた。 /
かうした音楽好きゐ僕が、それの姉妹蛮術たるダンスに興味を有することは、始めから決定されてる事賓で
あつて、むしろ僕がダンスをしない方が不自然であつた程だ0僕は資に早くから、ジャズバンドの音楽(それ
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がホックストロ?卜の舞踏である0)に誘惑されてた○僕のつまらない誇は、恐らく文壇のだれょり早く、僕
がジャズバンドを理併してゐたといふことである0あの野攣的な、アメリカニグロの原始的肉慾にみちた音楽
を添いた時、僕は金星にまで飛びあがつて興奮した○世にもこんな愉快な、こんな肉感的な音楽があ渇かと思
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つた○ハ佐藤春夫君や辻潤君が、ジkズを悦び出したのは、恐らく僕よりずつと後で、且つ何かの鮎で僕の間
接の影響をうけてるらしい。之れは断定しといても好い。)
かうした音楽好きで、しかも早くからジャズに興奮を感じてゐた僕。その上気質的に欧化主義者たる僕が、
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今造兵い間ダンスをしなかつたのは、横合がなくて止むを得ない為であつた。最近衣巻省三君の如き好師範を
得て、たちまち僕が之れを学び出したのは官然である0それで尚且つ、僕のダンスが「柄にない」といふなら
ば、天下あに柄になきもの無からざらんやだ○僕友人の言に封して、大いに不服して憤慨せざるを得ない。
だが二月から考へれば、さうした友人の言にもまた一理がある。何となれば今日我が国におけるダンスなる
ものは、所謂モダンボーイの専門する技褒であつて、ダンスによつてモダンボーイを聯想し、モダンボーイに
よつてダンスを聯想するほど、それほど両者が必然の関係にあるからだ。然るに僕は、・どんな意味に於てもモ
ダンボーイの族ではない○僕は思想的にも、拳術的にも、また人物としての気質からも、常にむしろアンチ.
モダンボーイを以て任ずるものだ0僕はモダンボーイの恰悪者だ。(僕の心の中では、常にあらゆるモダンボ
ーイに拳骨をふるつてゐる。)
かうしたオールドボーイの僕が、世のモダンボーイのするなる業をするといふのは、たしかに矛盾した感を
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人にあたへる0尾崎君や萩原君等の友人が、僕のダンスを「柄に鮒い」′ど音ひこ止せナ]トレト怒鳴る原因が、
多分恐らく此所にある。そしてこの意味では、正にたしかに其の通りである。賓際僕は、稀れに所謂ダンスホ
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−ルに行つてみて、しみじみと此の感を深くする。賓際、稲垣足穂君などのホールヘ行つてみても、僕のやう
な凰宋の人間は一人も居ない。僕はボドレエル好みのネクタイをし、明治初年に流行した四つボタンの背廣を
はうき ● ● ● ●
着、泥だらけの兵隊靴をはき、頭髪を帝のやうに乱し、不精ヒゲを生やして馬のやうにのそのそするのに、そ
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こに居るのは皆チヤキチヤキのモダンボーイで、例のラッパズボンに香水をつけ、ラッキヨー頭をてかてかと
させた連中ばかりだ。そこで僕のやうな「古風な老哲聾者」が、十九世紀の風俗でこの群に混ることは、いか
に考へても不自然であり、周囲の杢気と調和しない。僕は一人仲間はづれで、継子のやうに寂しくなり、孤影
粛然として辟つてくる。
しかしこんなことで、僕のダンス哲学は破産しないぞ。却つてこの悲哀と幻滅とは、逆に僕を反抗的にし、
益ヒ以て自分の哲寧を押し通すぺく、我れに正義のあることを信じさせる。何となれば今日我国に於けるダン
スなるものは、決して本来の意味のダンスではないからだ。欧米の本場に於て行はれる社交ダンスなるものは、
元来「縁組みの見合」もしくは夫婦生活に於ける家庭の単調から、女房や亭主の世帯じみてヂヂくさくなり、
タクアン臭くなり、色気を失ひ、以て遽に生活の破滅を来すを防ぐために、即ち家庭生活をして常に若々しく
し、・人生の色気を保つために、西洋人らしい哲学から要求されるものであつで、言はば「家庭の煤はらひ」で
あり、世の女房や亭主共が、結婚によつて煤ぼけ、世帯じみることの魔除けである。
それ故にダンスなるものは、元来中年期のややタクアン臭くなつた亭主や女房共(西洋の所謂紳士淑女)が
盛んに尻をふつてやるぺきもので、未婚者たるモダンボーイや不良少年の徒輩には、始めから殆んど必要のな
いものである、女房といふ「鬼」を持たない少年たちは、自由に浬費男ひに行けば好いのであつて、社交ダン
∫6ク 文明論・杜合風俗時評
スなんかやる必要はない。もし必要があるとすれば、横濱チヤプ屋のダンスガールでも抱く時だけだ。然るに
日本の現状するダンスとは、さうしたモダンボーイの連中が、チヤブ星仕込みの梅蕃ヅラで、煮え切らない性
慾の饅散瘍を、所謂ダンスホールに求めようといふのである。(西洋でダンスホールと言ふのは、経費屋の取
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りすました別名である。)
日本に現状する如き、こんな愚劣なダンスならば、むしろ警察的に禁止するか、でなければ一層徹底させて、
西洋文明圃に於ける如く私娼制度の機関として、公然それを許可するが好い。今日のやうな所謂ダンスは、単
に愚劣であるばかりでなく、あのモ外ンボーイ等の気障と浮薄さから、歯が浮いて見ちや居られない。今日の
日本の如くば、僕もまた饗を大にして叫びたい。所謂ダンス薫の青年少女を撲滅せょと。
しかしながら僕は、頑として僕の哲学によつてダンスを解し、僕の主義によつてダンスをする。けだし僕の
理解によれば、ダンスの正しき意義は西洋の祀合にあり、そして稀れに日本に於ても、之れを正しく辞する人
の少数のグループにある。何よりも重要なのは、僕等のダンスに封する要求が、畢なる西洋崇拝の気取りでな
く、今日我々の時代の家庭に於ける、必然の質感的要求を根捷とすることである。すくなくとも僕はその生活
的質感の必要から、力強く迫られて居eのである。
僕のダンスを不自然と感ずる人々は、思ふに上述のやうな理由にょつて、今日日本に行はれるモダンボーイ
等の似而非ダンスを、僕の解する正統な欧風ダンスと混同し、両者の表象を飴覚的に混乱してゐる為であつ
て、明らかに一の認識不足である。富も人の知る如く、僕はモダンボーイの顆族ではない。しかも僕があへて
ダンスすることに、何の不思議もなく矛盾もないのだ。しかも僕がダンスホールで、彼等の群に入つて悲哀と
幻滅を感ずる事は、僕の罪でなくて他の罪1それは現時の不徴底な日本の祀合と、その似而非文明が貴任を
輿ふ − である。故に僕は公々然としてポロ服を着、泥靴をひきずり、欧洲十九世紀の帽子を被つて、、人高
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く宅替聾者のダンスをする。諸君笑ふ勿れ。賓に僕はダンスをしつて、現代日本の文明に対して怒づ/Jゐるの
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