春光
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 早春と言へば、梅花一輪漸くほころぴるの頃を聯想する。だが資際の早春は、木々に青い芽が萌え出し、枯
                          つぱみ
草の中に若芽が混り、客気が生あたたかくなり、櫻が蒼をもつて来る頃であらう0この馬眞は、農家の構造か
ら考へて信州の風物のやうに思はれるが、私は自分の故郷、上州の早春を聯想する。上州の春は遅くて塞い。
            つ くし なづな
利根川ぺりの河原には、土筆、葬の芽が生え、堤防の櫻の木には、既に菅がふくらんでゐるけれども、北風は
伶つめたく、榛名、妙義、赤城の山々には、所々に筒雪が残つてゐる。そして遠い越後境の山脈は、雲間をも
る太陽の光線で、夢の中に見る氷山のやうに、白く悲しく繰砂と光つてゐる。それが人々の心に、言ひがたい
郷愁の情をそそるのである。
                                                lし
「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ。緑なすはこべは萌えず、若草も薄くによしなし。しろがねの金
町岡遽、日に溶けて淡雪流る0」といふ島崎藤村氏ほど、早春の情愁をリリカルに歌つた詩はない0早春とい
ふ季節は、人生の放行に於て、青春への出態である。冬の名残の淡雪は、日に甥けて流れ出し、変の色わづか
に青く、岡に若草の牙は萌え出るけれども、伶春は浸く、心の昔はかたく結んでほころびない。その年頃の少
女たちほど、人生のロマンチックな旗情に誘はれて、ふしぎな悲しみと楽しみとを、やるせなく痛感するもの
はないであらう。