女と流行


 女は男の反映にすぎないとは、昔からいはれてることであるが、すぺて女の思想、風俗、趣味等は、その時
時における男のそれを反映したものにすぎない。洋装したり断髪したり、映童女優的の化粧をしたり、フラッ
パアの言行をするやうな若い女が、一しきり非常に多く繁果したのも、やはりそのころの若い男たちが、さう
した女に刺激を感じ、暗にその風俗を女に要求したからであつた。
「女はいつも男の為に化粧する」といふことが、永久に眞理である限り、女の考へること、感ずること、趣味
すること、衣装することは、結局男の欲求の表象であり、男の反映にすぎないのである。前世界大戦の時でも、
今度の第二次戦争でも、欧洲交戦国で著るしく目につく現象は、一般に女の服装が汲手でケバケバしくなつた
ことださうだが、それもやはり戦時においては、敵の杢襲や物資の映乏によつて、人々の心が陰鬱に沈んでゐ
るため、特に明るい色彩や汲手な風俗を求めるからで、結局やはり男の欲求を表象したものにほかならない。
だからその限りにおいては、女に倫理上の貴任はないわけである。近ごろの女は軽薄になつたとか、不良で生
意気になつたとか憤慨する人がゐるけれども、だれが女たちをさうさせたかといふことを、最初にまづ考へて
みる必要がある。女は決して、自分の意志によつて自態的に行動するものではない。しかし彼らは、本能的に
男の欲求をよく直覚し、常にそれに順應することに巧みである。それで彼らが、パーマネントの或る新しい髪
結を工夫する時、無意識に男たちの時代的要求を知つてるのである。彼女はそれを「濁創」したのではない。
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   軋に「噸應」虹た一のである。
    さうした女性 − 男の反映像としての存在 − に封し、本質的の意味の「進歩」といふことは考へられない0
   クレオパトラの昔から今日まで、女は何千年たつても同じである。たとへば今の尖端的な女畢生や若い娘は、
   好んでむづかしい論文や哲学の書を讃んでゐる。も少し前のインテリ女は、岩波文庫で外囲の柄詳小説を漁つ
   てゐた。そしてもつと以前には、金色夜叉や不如辟の愛讃者が多かつた。これは「進歩」であらうか。香、女
   の場合には畢に「流行」にすぎないのである。どんな事態の下においても、女は決して流行に遅れてはならな
   いのである。なぜなら流行に遅れることは、その時代の男(特に若い男)の趣味や思想から置き去りにされ、
   彼らの欲求に順應しないことによつて、愛人や求婚者を持たないことになるからである。そし七女にとつて男
   から愛されないといふことほど、致命的な不幸はないからである。
    それ故に女たちは、わかつてもわからなくつても、その時代の男が好んで讃む本を一緒に讃み、その時代の
   男が思想することを一緒に思想し、そして趣味、風俗、化粧に至るまで、すべて男等の時代的好尚に順應する。
   (この場合、求婚期の若い男や畢生やが、娘たちの標準となることはいふまでもない。)それ故近頃の娘たちが
   眞面目になつたといふならば、それは青年の気風が一欒した讃左であるし、反対に不良になつたといふならば、
   若い男たちが不眞面目になつた反澄である。女に本質上の倫理的貴任はない。したがつてまた彼らは、永遠に
   進歩することもないのである。
∫βタ 随筆