早春三日 日記抄
二月十九日
詩人大谷忠一郎君の令妹、その友人の一女性と共に来訪さる。共に連れて新宿に出で、聚楽の地階喫茶室に
て談話少時。別れて明大文科卒業生の謝恩合に出席の為、四谷の三河屋に行く。
禽終りて後、岸田国士、小林秀雄、青田甲子太郎等の諸教師と共に合飲す。小林君と酔つて何事かを論争せ
るも記憶なし。節途終電車を失ひ、タクシイに来る。運轄手小田急の地理を知らず、誤つて帝都線の一停車場
附娃に下車させられる.深夜眈に乗物なく、蹄宅の道を知らず附近を尋ぬれども渡館なし。菌策轟きて狩人の
家を訪ね夜半声を叩いて一泊を乞ふ。
家人に迷惑をかけること甚し。
二月二十l日
チヤツプリンの「モダンライフ」を観る。期待した割には面白からず。しかしただ二ケ所(自働電気仕掛の
食事機械をチヤツプリンに試験する所と、伽排店でチヤツプリンの給仕が唄ひながら踊る所)だけは眞に面白
く、抱腹絶倒、久しぶりで朗らかな咲笑を満喫した。
映董がトーキイになつてから、この種の愉快な笑劇と言ふものが、殆んどスクリーンから滑滅してしまつた。
キートン去り、ロイド沈獣し、今では一人チヤツプリンが残るのみだ。しかもそのチヤツプリンは、頑とし
てトーキイに反封し、今度の作も相攣らず無筆映董でやつてるのである。思ふに笑劇といふもの、本質的に蜃
饗映董に邁しないのであらう。果して然らば、トーキイの饅明が笑劇を廃滅させ、人生の「笑ひ」を殺致した
のでありその罪正に大なりと言ふべきである。なぜなら今日の息苦しい時代に於て、民衆が求めてゐるものは、
何よりもこの種の朗らかな笑ひであるから。とにかく自分は、久しぶりで笑劇映董を見、久しぶりで腹からゲ
ラゲラ笑ひをし、館を出ても伶忘れがたく愉快であつた。最も不思議に思つた事は、チヤツプリンが昔ながら
に若く、三十年前、自分が少年の時に見たチヤツプリンと、更らに少しも攣化してないことである。よく考へ
て見ると、これほど不可思議の事は世界にない。
jjJ 随筆
二月二十二日
「戦勝記は、政府の御用史家が書き、敗戦記は文学者の詩人が書く。なぜなら文学の本質は悲劇であるから。」
と自分はかつて「絶望の逃走」中のアフオリズムに書いたが、今日或る雑誌をよんだら、或る文士が同じ事を
時局に関して適ぺてる。
日く。秀れた戦争文学は、常に必ず敗戦者の側から出る。勝戦者の方からは、確な戦争文学は一つも出ない。
だから善い戦争文挙が日本に出ないといふことは、日本にとつて悦ぶぺき慶事なのだと。
古来秀れた抒情詩は、すぺて皆失懸の詩に極つてゐる。ゲーテもハイネも、彼が失懸した時にのみ、生涯の
最も美しい詩を作つた。得懸の詩人に橡な作品がないことは戦勝者の文学に橡な物が無いのと同じである。
いかなる場合にも、文孝の本質は悲劇から出費する。だがそれかと言つて、文学者が悲劇をイデーしてゐる
わけでほない。反封に我々は、他にもまさつて強く幸頑を求めてゐるのだ。故に「文学そのものの償値」と
「文孝者のイデー」とは、常に皮肉にも逆比例をする。即ち人生の終る所に詩が出覆し、詩の姶まる所に人生
が終るのである。もしユートピアの融合が出来たら、詩と詩人とは国外に追放される。プラトンはそれを言つ
たのである。
ブ∫2
』