盆踊唄


 私の方の郷里には、特に郷土的な色彩といふものがすくない。これは東京に近く、且つ香寺府時代から中央
政府の直轄地であつて、他地方の如く世襲の君主といふものがなかつたからであらう。さういふわけで、特に
郷土的の意義をもつた民詰−即ち所謂「お園ぷりの唄」なるもの!が無いのである。
 たいていの地方には、皆一つや二つ宛、その所謂お園ぶりがあるのに、我が郷里にだけそれが無いので甚だ
残念である。私の畢生時代には、寄宿舎などで集合がある毎に、各自の「お囲ぶり」を披露し合つたものだが、
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濁り上州出身の畢生だけは何も態表することができなかつた。費際上州には、かういふ場合に餞表すべき何の
郷土的民詰もないのである。
 しかし紹封に無いことはない。一つ上州の特色とすぺきは盆廟唄である。盆踊は日本全国どの地方でも行は
れて居るが、上州は特にそれが盛んな所で、或る意味から盆踊の本場と言はれてゐる。しかし歌詞の方から見
ると、上州のは極めて拙劣で野卑である。他地方の盆踊唄は、どこかに皆優雅で詩趣の豊かな所がある。歌詞
の如きも多くは七、七、七、五調、即ち都々逸式の形式であつて極めて短かい者であるが、濁り上州の盆廟歌
は甚だ長篇で、義太夫や浪花節の如く、それ自らが一つの長篇物語をなしてゐる。即ち他地方の盆廟歌は叙情
詩(唄物)であるのに、上州のは濁り叙事詩(語り物) である。したがつて上州のものは、純粋の詩として償
俺が低劣である。その文句は野卑拙悪で何等の床しげな雅趣もない。
 元来、上州人は、叙情詩を好まずして叙事詩を求む傾向をもつてゐる。即ち長唄、清元、端歌、民議の如き
叙情詩傾向の唄物は、上州では全く歓迎されない。之れに反して、義太夫、浪花節、琵琶唄の如き、或る一つ
の俸記的物語を叙した叙事詩は、至る所上州に於て喝采されてゐる。尤も此所でこれを叙情詩叙事詩と言つた
のは、主として歌詞の詩的判別から言つたのだが、一方之れを旋律の音楽的方面から見ると、前者は全く旋律
む主とする「純音楽」であるのに、後者はむしろ物語の興味を主とする「不純音楽」である。されば上州人が、
一般に浪花節や琵琶唄の如き不純音楽(語物)を好んで、旋律本位の純音欒(唄物)を好まないと言ふのは、
明白なる事賓として、彼等の音楽的熱愛の映乏、もしくは音楽的趣味の低劣を澄明してゐる。賓際に於て、上
州人は極めて音楽に冷淡な土人である。
 音楽ばかりでなく、一般に上州人は美的情操が映乏してゐる。即ち趣味が極めて低く、またさういふ方面に
情熱を持たないのである。上州に於て古来特有の郷土的民話が無いのもこのためである。上州人は、さうした
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墾術を創h作すべぐ、あまりに殺風景な非美的人種である。彼等は喧嘩や、人殺しや、戦領一や、.政▲滑廃▲ぎ嘗‥膠
博や、たださういふ乱暴でガサガサした事だけが好きである。上州に固有の美しい民議が無いのは官然である。