文学としてのシナリオ
                                                                                      ・什ヽ
 シナリオといふもの、以前から書いて見たく思つてゐるが、未だに手がつけられずに居る。もちろん僕の悪
因してゐるものは、本格的の映重量本みたいなものではない。一々の場面を叙述したり、トーキーの茎詞や音
響を書き入れたりカットバッタがどうの、大馬しがどうのと言ふやうなことを細叙するのは、その方の術語さ
ぺも知らない純素人の僕にとつて、全然望みのない不可能事である。或る人にいつかこのことを話したら、親
切に「シナリオの作り方」と言ふ本を買つて来てくれたが、それを讃んで益ヒ絶望的になつてしまつた。その
本には映董の一般常識や術語の解説などが詳述してあり、賓例としての蔓本がいくつか掲出されて居たが、こ
れで見るとシナリオの製作といふ仕事は映董の構成に関する技術上の専門智識を基礎とするところの、一の緻
密な工重用設計囲引のやうなものらしい。元来頭脳が非数学的に粗放であつて、定規やコンパスの使用法を知
                                                            ヽ ヽ ヽ ヽ
らない僕にとつて、こんな七面倒くさい仕事は困難以上の不可能事であり、考へるだけでもうんざりしてしま
ふ。僕は本を投げ出して欠伸をしながら、生計のためにこんな仕事を課せられてゐる人たちを、人事ならず不
垂丁に思つた?
 僕の意倒してゐるシナリオは、勿論かうした本格的のものではなくつて、純粋に濁立した文学的のものであ
る。濁立した文畢といふ意味は、それが映董に附属する下書棟のものでなく、それ自身で完成された文学であ
り、且つその文学自身の中に、一巻の映董をイメーヂさせる種顆のものを意味するのである。かうした種顆の
文学は、従来の型にない新しい文畢のジャンルに属する。しかし日本の文壇でも、過去に或る一二の人が、既
にこの種の文学的シナリオを創作してゐる。即ち例へば、故芥川寵之介が晩年に書いた作品中には、明らかに
自ら「シナリオ」と銘題したものがあつたし、北川冬彦君の短欝小説中にも、小説といふょりは詩に近く、詩
といふょりはむしろシナリオに近い物が数多くある。僕の書かうとしてゐる文拳形式も、つまり此等の諸氏が
先鞭された通りの物で、別に僕の濁創による新俊明の文学ではない。
 芥川君のシナリオは、浅草を舞茎として子供の心理を書いたもので、各章十行位を一節とし、連績的に映董
の進行をイメーヂさせる。しかし純粋に濁立した文学であり、普通の所謂シナリオとは全く別種の物であつた。
北川君の物は少し攣つて、形式上には少しもシナリオ風の所がなく、純粋に小説的、もしくは散文詩的のもの
∫アア 文争論

であるが、讃者に強い映量的のイメーデをあたへるので、やはり本質上に一種の文学的シナリオと言へるだら
う。(但し、北川君自身は、それをシナリオと言つてゐない。)
 僕の考へてる文寧は、この北川君の行き方を意識的に掲げ出して、形式上にも内容上にも、一層鮮明な映量
的の文撃殺果をねらつてゐるのだ。しかしこの僕の計量は、前から長く考へてるばかりで、一向賓現されさう
もない。といふわけは、僕の文畢的稟性が視覚型でないからである。心理学者の説によると、人には祓覚型と
発覚型との二種があり、子供の時から天質的に決定されてゐるさうである。覗覚型に生れた子供は、何を見て
も巷間的、幾何学的、印象的、檜量的に観察し、玩具にしてもその種の物を好んで弄ぶさうである。反封に敢
覚型の子供は、事物に封する想念や観察が、すぺて時間的、敷革的、冥想的、音楽的であるさうである。所で
僕の如きは、天質的にこの後者の方の典型であつて、客間上の印象を知覚に把握することができないのである。
だから詩なんかにしても、僕にはやはり言葉の韻律や抑揚やの時間的音楽催が最先に感じられる。近頃一部の
詩壇で流行してゐるやうな新散文詩、文学の視覚的印象効果を狙つたやうな檜董的幾何学風の詩は、正直に言
つて僕には全く興味がなく、理解することさへもむづかしいのである。
 所で活動馬眞といふものも、近頃トーキーになつてょほど立鰹的に攣つて来たが、やはり魂覚による檜量的
印象救果が主になつてるので、シナリオ風の物を書く場合、これが僕にとつて第一の障害になる。つまり具鰹
的に言ふと、文学の中でイメーヂすぺき映童の各場面が、巷間上にはつきり浮び上つて来ないのである。僕の
頭で表象してゐるものは、風景でも人生でも、すぺて形而上学的の煙霧の中に標砂として居て、妙に音楽的の
メロヂイを曳影して居り、一も檜董的の鮮明な視覚形態を持たないのである。つまり言ふと、僕はヱルレーヌ
等と同じく、気質的に象徴汲の詩人型に出来て居るので、この鮎北川冬彦君と大にタイブがちがつて居る。北
川君の辛くものは、詩でも小品でも小説でも、本質的に戒覚形態がはつきりして、著るしく檜董的、映董的の
∫アβ
要素を持つて愁た卜へば「馬の腹k』制覇剤州刊。Y加副叫郵γk
イメーヂの本質が純粋に檜量的、
茎問的である。北川君の短節小説を讃んで、映董の或る場面を表象に浮べるものは、決して必ずしも僕一人で
はないであらう。新しい文畢形式としてのシナリオは、おそらく北川君のやうな人によつて、今後に多くの開
拓すべき新領土を見出すだらう。
日本の詩人と文学者に
 フランス人が露西亜の国債を好んで男ふのは、彼等が露西亜の政府(ツアの専制帝政政府)を好きだからで
はない。露西亜の民衆に愛を感じて居るからである。さうした両国民の親密な友情は、外交官の政治的手腕に
ょるものでなく、トルストイや、ツルゲネフや、ドストイエフスキイやの小説が、フランス語に翻案されたも
のを通じて、彼等もまた自分等と同じ人間であり、同じ生活を悩み、同じ喜怒哀柴を感じてゐるといふことを、
多くのフランス人が知つたからである。文学の園際的使命は、いかなる政治家や外交官も為し得ないところの、
ょり以上の深遠な功績をする、と小泉八雲のラフカヂオ・ヘルンが、帝大の講義の中で畢生に説いて居るが、
今日の日本の文学者は、かうした文学の使命について、深く自覚するところがなければならない0同時にまた
政治家は、文学をその正しい位置に放て、巧みに利用することの術を知らねばならない。日支事攣の官初に於
jアタ 文学論

畑一男頂、
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て、英米始め世界列強の同情が支那に集つたのは、勿論他に多くの賓利的な理由があつたらうが、一つには蒲
介石のやり口が旨かつたからでもある。彼は支那古典の優秀な文化や蜃術を、さかんに西洋へ宜俸すると同時
に、一方には「大地」のやうな小説を映董化して、現資の支那と支那人を欧米人に紹介した。映董「大地」の
中には、少しの政治的の宣倦もなく、ただ有りのままの支那と支那人を、純粋に文学的の観察で描為したもの
にすぎない。だがそれによつて欧米人等は、支那人もまた自分等と同じ人間であり、同じ喜怒哀奨を感じてゐ
る同族であることを知り、フランス人が露西亜人に封すると同じやうな、深い民族的愛情をそそられたのであ
る0
 ところで日本の政治家は、この鮎が薄介石ほど利口でない。彼等はこの時局に際して、日本の優秀な古典文
化を、あへて外国に紹介しょうとも努めて居ないし、現在日本の賓情を睾いたところの、眞の季術的一流の文
畢品を、勉めて映董化しょうとも欲して居ない。今の日本の政府人が、しきりに宣俸しょうとして居るのは、
日本の所謂国威や、日本人の忠君愛国心やを、非文学的概念で誇示した国策文蜃ばかりである。さうしてまた
悲しいことには、文寧者や詩人自身が、自己の天分する使命を忘れて、さうした政府の誤つた方針に順應し、
自ら走つてその所謂「国策文拳」に便乗しょうとして居ることである。
 詩人や文学者の良心は、常にいかなる場合に於ても、人間の眞資の心を書き、永遠の美を創造するといふこ
との外にはない。そしてその結果が、どんな政治的外交にも首倍するところの、国際的功績を生むのである。
近来の日本映董の中で、最も外国人に好評され、最も外国人に歓迎されたもの賠「土」 であつた。なぜならそ
れは、パールバックの「大地」と同じく、現質の日本の農村と農民とを、純文学的な良心と観察とで、如賓に
描馬したものであつたからだ。すくなくともそれによつて、外図人は日本の異質の姿を知り、日本人に封して
超人種的の友情を感じたにちがひない。この意味において 「土」は、日本の宣俸映董として最上のものであり、
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▲、慮イ
教具官パーセントであつた。そしてここの秘密を、日本の政府人と文学者が自覚した時、「我等何を為すぺき
か」といふことが、上からも下からも、相互に正しく理解される筈である。
 かつてナポレオン戦争の時、ウヰルヘルム一世の治下に新興した若き濁逸は、その軍団主義的俊展の茸利の
為に、過去の多くの国粋的、俸統的なる純プロシア文化を犠牲にしようとした0その時敢然立つて抗争し、濁
逸文化の純血と濁逸精神の猫立のために、政府と民衆を敵として戦つた一人の勇敢な詩人があつた。その詩人
は即ちゲエアであつた。それによつてゲーテは、政府と民衆から「非園民」とさへ悪名された勺だが濁逸は、
その一非園民の抗争によつて、今日伶その文化の純血を絶承し、濁逸精神の俸統的な濁立性を保持し得た0も
しその詩人の抗争が無かつたならば、一時的には政略的、牢固的な賓利を得たであらうが、眞の濁逸精神は喪
失し、文化の濁立性は崩壊して、国民の強い圃結や租囲愛すら、ユダヤ的混血の中に流失してしまつたにちが
ひないのだ。それ故にヒットラアさへも、ゲーテが濁逸を救つたといつて感謝して居る。今日、日本が要求し
てゐる人物は、輿論に「便乗」する「愛国者」ではなく、むしろ輿論に「抗争」する「非囲民」であるかも知
れない。
 かつて彿蘭西革命の時、一世を風靡したデモクラシイの思潮と戦ひ、よく文学の貴族的高邁性を支持して、
実の卑俗的中民化を防いだ詩人が居た。その勇敢なる抗争者は、即ちシヤルル・ボードレエルであつた0
詩人の良心は、常に永遠の兵事美を憧憬する。永遠を通じて、常に普遍的に眞なること、薯なること、美な
∫β∫ 文学論

ることを、その最も高貴なイデーに於て夢みる人が、印ちまことの意味の「詩人」なのである。然るに輿論や
民衆は、多くの場合、一時的な方便や質利主義しか考へない。彼等にとつて、永遠の美や眞やは、迂遠にして
架峯的なる非賓在にすぎないのである。それ故に詩人は、宿命的に「輿論の抗争者」としての立場に置かれる。
しかしながらその抗争者こそは、賓には輿論の正しい「批判者」であつたといふことが、いつもずつと後にな
つてから鮮つて来る0ゲーテの場合もさうであつたし、ボードレエルの場合もまたさうであつた。それ故に詩
人は、時の政治や輿論に封して、必然的に啓蒙者の位置に置かれる。啓蒙は即ち批判であり、併せてまた指導
である。そしてかかる指導精神を持つ人のみが正しく「詩人」と呼ばれる人なのである。
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 日本の所謂詩人に封して、自分が最も心もとなく危惧を感ずるのは、彼等に批判カが映乏して居ることであ
る○たとへば新髄制下になつてから、いろいろな名将による詩人の圃結協合が生れたが、その多くのものは、
宣言書によつて知る限り、「国策に順應する」ことを主意として居る。もちろん今の日本は、国民こぞつて囲
結一致し、非常時の国難突破に重力すぺき秋であるが、さうした詩人の圃憶が、果して眞に時局を憂ふる純潔
な愛国心から、必然的に燃結したものであらうか。冷静に観察して、自分にさう思はれない節がある。といふ
のは、つい近い昨日までも、日本の面接してゐる重大な圃事や文化問題に封して、殆んど全く無関心であつた
と思はれるヂレツタント的、超政令意識的の詩人たちが、多くの協合に大部分せ占めて居るからである。思ふ
にさうした合の成立は、世相の慌だしい流行に便乗して1といふょりも、むしろ無自覚に浮れあがつて1
一種のお祭り気分に内因してゐるものではなからうか。もしさうでなければ、「バスに乗り遅れる」といふや
うな群集心理によつて、軽眺浮薄に騒ぎ立つたのではなからうか。
町署ヤそ一志
 由来、日本の詩人といふ人々は、極めて畢純で人が好く、ちょつとした世相の動きや風潮にも、すぐ調子に
のつて浮れあがり、お祭り騒ぎを挽ぷところの人種である。無邪気といふ鮎では、これはど愛すぺき純情の人
種はないが、インテリゲンチユアとしての使命の上では、これほど心許なく滴りにならない人種もない。すく
なくとも彼等の大多数者は、詩人として、また文孝者としての、自己の正しい文化的使命を自覚して居ない。
そして単に、おそらくは、小詩壇的地位や名筆やの、小さな末梢的硯野でのみ生活して居る。即ちいへば、文
孝者としての大義名分意識が、多くの日本の詩人に映けてるのである。
 批判カの知性を持たず、したがつて眞の思想性を映如してゐる人々は、常に気分や感情によつてのみ行動す
る。したがつて彼等は、必然的に周囲の客気やアトモスフイアによつて浮動させられ、結局して群集心理に追
従するところの、時代の便乗主義者や事大主義者になるのである。便乗主義とか事大主義とかいふと、人はす
ぐ世渡り上手の利口者のことを考へ、汝滑で抜け目のない功利主義者のことを考へる。だが賓際には、常に必
しもさうではない。自己の厳然たる批判や思想を持たないものは、常に必然の結果として、大勢の赴く世相の
風潮に浮動することから、結果に於て 「無自覚の事大主義者」や「無意識の便乗主義者」になるわけである。
日本の多くの詩人たちは、一般に世渡り下手の文士の中でも、最も世渡り下手の人種であり、功利的な虞世術
を全く知らないところの、そして純情一徴の熱血に殉ずるところの、あまりに無邪気すぎる正直者である。し
かしそれ故にこそ、多くの侠客や無頼漢やが、自ら意識せずして政府の御用役人と結滞し、大義名分を知らな
いことによつて、常に一種の事大主義者となつてると同じやうに、彼等の無邪気な詩人たちもまた、思想性の
ないことによつて、必然に「結果としての事大主義者」となり、文壇的には、時の主潮勢力である流行思潮や
ジャーナリズムに迎合し、社合的には、強権への批判なき盲従者となるのである。(拙著「辟郷者」中の論文
「傭兵気質とやくざ仁義」参照)
∫βj 文学論