感覚・感覚派とは何ぞや
「感覚」といふ言葉が、日本の文壇で意味される概念は甚だあいまいである。特に近頃では、この語が流行的
∫2ク 文学論
に使はれてゐるが、それだけ益ヒあいまいになつてる0試みに「感覚とは何ぞや」といふ質問を出して見紛へ。
文壇的常識でさへも、これに明答し得る人が幾入居るか↑ 然らば言ふ所の「感覚詩汲」とは何の謂ぞ? さ
らにまた例の「新感覚汲」は如何? いつさい漠然として正濃のないこと妙である。
或は言ふであらう0文壇的流汲に就いては、その名将の如きどうでも好い。畢責かくの如きイズムの名将は、
第三者が局外から官ずつぼに命名するので、作者自身の自ら関する所でない。故にその名稀の邁不適の如きど
うでも好い0名栴はただの符硫にすぎないと0然り、作物に就いてはさうである。かりに或る作家の作品が、
最も不合理な名栴−たとへば古典主義の作家が、誤つて近代汲と呼ばれる如き場合1ですらも、作品自身
の資質にはさらに関係ない0名将の如何にかかはらず、一の特色ある作品は、依然としてその特色ある作品で
あり、その他のいかなる流汲にも属して居ない。
しかしながら言語が、文壇における符競として、特殊の約束をもつことから、概念の安富性が要求される。
もし全く黒色なものを指して、これに白色汲の名将をあたへるならば、その名栴は安富でない。この場合の危
険性は、文望岬としての「白色」が、一の不合理にしてあいまいな語意を有することになる。それからして理
性の混乱が生じてくる。即ち多くの、馬鹿馬鹿しき、虚偽にみちた、愚劣の観念が生れてくる。
・それ故に文拳の評論や思想では、文壇的符戟たる言語の意味を明らかにし、且つ概念の安富を要求せねばな
らないだらう0しかしながら蜃術上の言語は、科挙上における言語の如く、しかく合理性をもち得ない。何と
なれば蓼術自身が、一の気分的の内容であり、充分概念的に分析のできないものであるから。換言すれば、香
術自膿が『概念されないもの』であるから、それの藷論に於ても、これを安富的に概念することができないの
だ。
故に吾人の文壇に使用されてる、所謂「文壇的言語」なるものは、日常語とも意味を別にし、また科挙や哲
∫∫0
メ箋。駕j穎題可一
撃上の言語とも、全く性質を別にしてゐる0ここに提出する「感覚」なども、その好適な一例であ刊て_1、ンの用。1。ヨ一胡
語が文壇に約束する特殊な意味は、全く不可思議なものである。
「感覚」といふ語の常識は、言ふまでもなく五官の偶感を意味してゐる。即ち硯覚、解党、味覚、発覚等の知
覚である。そこで或る奉術は、此等の感覚のみを通じて表現する。即ち音楽は、純粋に鵜覚の表現であり、美
術は魂覚のみに訴へる奉衝である。故に常識の構呼によれば、美術音楽等の蜃術は、絶構して「感覚奉術」と
呼ばるべきである。然るにそんな栴呼は賓際になく、文壇のいふ感覚主義は、決して「檜量的なること」「音
柴的なること」を意味してゐない。
故に文壇語としての「感覚汲」が、その表現の形式を「感覚から訴へる」でないことは明らかだ。しかし或
る人々は、或はさういふ風の鮮帝をもつかも知れない。もしさうとすれば、その鮮澤による感覚主義は、とり
も直さず奉衝の表現における理想である。何となれば拳術の純一なる表現は、作者の賓の心境を蜃想すぺく、
符競等の死物的説明によらずして、直接、心情から心情へ、意志から意志へ、資の生動する神経を俸へるにあ
る。然るに文学(詩、小説の顆)は、文字といふ符貌を用ゐ、言語といふ概念を使用する故に、その表現は間
接法であり、生きた作家の生命が殺されてゐる。ただ檜董と音楽だけが、いつさいの概念を超越し、死物の符
競を用ゐずして、賓の神経あるリズムや色彩を使用する。それは感覚から感覚へ、即ち直接の神経から神経へ
響いてくる。故にいつさいの表現は、檜蓋と音楽を理想とすぺきで、それが肇術の望み得ぺき、一切表現の極
致である。
所で所謂「感覚主義」が、もしさういふ意味の解澤であるならば、つまり表現上の理想汲であり、この上別
に考へる所はない。しかして詩における象徴汲、未来派、表現汲等、概ね近代の文拳は、この主張を一面的に
jjノ 文季論
高調してゐる故、この所謂「感覚主義」は、近代文学の一般的絶稀と考へられる。然しながらさうでない。文
壇で符流されてる感覚主義の鰐繹は、かかる表現上の特色でなく、主として作品の内容たる素材、及び作家の
態度の上にかかつてゐる。
古来、科挙と智撃との認識上における争ひは、主として感覚と理性の問題である。科学は感覚だけを資澄す
る0感覚の世界だけが在り、その他は無いといふのである0これからして唯物論が饅生し、賓讃論が断定され、
現賓主義や自然主義の思想が生育する。けだし現茸主義、自然主義は、文拳の世界にあつても、ただ感覚だけ
を異質とする0即ち吾人の耳に解れ手に解れ、五官によつて解党し得る、この日常生活の眞質だけを貴重する。
しかして感覚以外のもの、即ち「書」や「美」や、理想や憧憬やの世界を知らない。彼等はそれを虚偽と嘲り、
遊戯と罵る○おょそ感覚し得るすぺての物は物質である。故に感覚主義は、それ自ら物質萬能主義である。こ
の反封の論接に於て、哲学は理性の賓在を主張する。理性−哲学上の意味では、それが心塞・叡智・良心・
理想等を含蓄してゐる1だけが賓在する0感覚は虚偽であり、妄想であり、物質慾の動機であり、眞理を味
ます悪の本源として購辱される。しかしこの思想から、浪漫主義と理想主義が呼び出される。それは感覚的な
存在一郎ち物苧1を排して、心盛の償値を高きに置く。即ち文奉の傾向としては、現質的なる日常生活を
嫌忌して、善美のイデヤする理想を意志した。この渡の思想と肇術とは、主として濁逸・露西亜の二圃に琴乙
た0けだし濁逸人と露西蛮人とは、本質的のロマンチストであり、科挙的であるより絹、より多く冥想的、形
而上寧的の人種であるからだ0反封に現賓主義の思想と蜃術は、イギリスとフデンスの二囲に萌牙し、感覚論
と自然主義とは、今侍彼等の民族に根を張つてる。
さてプラトンは、彼の極端なる理想主義から、感覚を極度に購辱した。それによつてプラトンは、同時に撃
∫J2
Z漏瀞ハ
Z習月1∃H.′r召.一
術を職辱した。何となれば肇術 − 美術、音楽等 − は、祀覚・頼覚等の感覚に訴へるものであるから。また
プラトンは、増やの文学であつた叙事詩や叙情詩をも購辱した。何となれば此等の文学は、韻律によつて塘覚
に訴へるものであり、その鮎音楽と同じであるから。
かくプラトンは、感覚的なる理由の故に、詩や美術を軽蔑した。しかしこの見解の大なる誤謬であることは、
今日もはや反駁する必要もない。けだしプラトンは、肇術の本質を全く知らなかつた。プラトンの思惟によれ
ば、董家の描く所の自然は、あだかも馬眞のレンズに映じた自然の如く、単なるモーマクの映像であり、意識
なき末梢神経の反射運動にすぎなかつた。然るに檜童は、決してモーマクの映像ではない。董家は「自然」を
模倣するのでなく、自然を自己の意匠で構成するのだ。換言すれば、自己の主観たる「理性」によつて、自然
の 「イデヤ」を直感するのだ。即ち此所に働くものは、賓に大脳の叡智であり、費在を見る智慧である。決し
て早なる末梢神経1哲学者の所謂感覚1ではない。音楽に就いても、詩に就いても、また同枝のことが解
るであらう。蜃衝家における官能は、それが目的でなく手段である。董家は青目では檜が描けない。しかしそ
の不都合さは、筆が無くて描けない時と同様であり、それ以上に不都合なもの − 紹封的の條件1ではない。
けだし眼球の器官は、自然を心象に浮ぺるための道具であり、第二義的な器官にすぎない。本質的な董家の器
官は、自然を見通す心眼の智慧である。董家の成覚は、その方便にすぎないのだ。故に或る人はラフエロを許
して言つた。
「彼を盲人にせょ。彼の腕を切れ、しかも伶彼は大童家たり得る。」と。べトーペンが晩年に及んで耳を患ひ、
全く音が恭えなくなつてからも、伺大管弦楽を指揮したのは、人のよく知る事資である。
この事情は、一方鑑賞者の側からみても同じである。吾人が音楽をきくのは、畢に音の感覚を感覚として、
音響的、発覚的に発くのではない。その感覚の手段を通じて、作者の表現せんとする思想や情緒、即ち「心室
∫Jj 文学論
の饗」を聴くのである。しかも表現の手段としては、感覚に訴へるのが最も直投であり、それが最も心姦の饗
を肉感的に俸達する。故に蜃術の理想は、次の如きモットオに約言され得るだらう。日く「表現としては出来
るだけ感覚的に。内容としては出来るだけ非感覚的 − 印ち心室的・理性的1に。」
しかしこれは、もちろん新浪漫主義の主張である。浪漫主義の本饉は、もとよりプラトン流の哲学に根ざし
てゐる。この思想はあくまで現資に反封し、理想的、心塞的のものを憧憬する。ただ新浪漫主義の嘗浪漫汲と
異なる所は、表現上における感覚的効果を高調するにすぎない。もとよりそのイデヤを憧憬する本質は、新香
共に一であり、これが浪漫主義の賓鰹である。(最近、濁逸に起つた表現汲は、言ふまでもなく新浪漫主義の
精神に根ざしてゐる。即ち表現は極めて感覚的で、その内容は全く心室的のものである。)かく新浪漫汲のモ
ットオは「感覚を通して心室を書く」ことにある。これを哲学的に言ひかへれば、「現賓の中に茸在を掴む」
ので、むしろアリストテレス流の理想主義に接近してゐる。これ浪漫新汲が、しばしば「アリストテレス流の
理想主義」と呼ばれる所由でもある。
されば勿論、上述の如き拳術のモットオは、多くの反対者を濠想される。すぺての浪漫汲を毛嫌ひするもの、
即ち現賓主義・馬寮主義・自然主義等のアンチ・ロマンチシズムは、もちろんこれに反感する。彼等の肇術観
は言ふ。吾人はすぺての心壷的・理性的のものを排斥する。吾人はただ感覚の世界を信ずる。即ちこの感覚す
る如き、現賓の人生のみが眞であると。故にそのモットオは次の如くであるだらう。「表現としても感覚的に、
内容としても感覚的に」と。これ賓に自然主義の立脚地である馬賓主義の主張である。しかし蕾式の自然主義
は、今日その論嫁を失つた。何となれば、その主張する如くに、蜃術がもし「感覚を感覚として描く」郎ち硯
費の末梢紳経に映ずる自然や人生を、それ自身の映像する如くに、所謂「あるがままの自然をあるがままに書
くしであるならば、どこに奉術の個性があり、創作の創作たる意味があるか↑ 彼等は主観を排斥し、想像を
∫J4
付塾
Z[淵Z 召淵瀾瀾領瀾凋 当州川畑 川畑“題 周川は瀾 Z月J瀾柑月1旬確1ハ。 。∃ 」。ヨ1月一っ違和一一一一1一d
鳩しみ、自然の忠賓なる横馬を強ひるのである。かくの如くば、むしろ人間たる作家を廃して、馬眞撥械のレ】
ユズとなるに如かないだらう。レンズには主観がなく想像がない。その異に「あるがままの自然」を、あるが
ままに映像するものはレンズである。しかも人間たる拳術家が、器械のレンズに模倣して、筒且及ばないのを
嘆息するに至つては、何たる奉術の末路だらう。かくてはプラトンの言ふ如く、蜃術は自然の拙劣なる模馬で
あり、卑しき感覚上の遊戯にすぎない。
それ故蕾式の馬貸主義は、この不合理の故に破産した。新しくこれに代るものは、新霜害主義・新白熱主義
でなければならない。此等の新しき主張は、「自然の忠茸なる模馬」でなくして「自然の印象的なる再現」を
要求する。即ち馬眞器械的でなくして、檜董的・直感的であることを栴導する。この鮎で、それは蕾自然主義
と異なつてゐる。しかしながら彼等は、根本的に理想主義に反対する。即ち心量的・浪漫的の現象を排斥し、
ただ現賓する事質の世界、人が感覚し得る認識のみを肯定する。純粋に彼等の思想は、現質的・唯物的である0
しかるに理想なき生活・現世的唯物観の辟結は、一の暗澹たる宿命論に終らざるを得まい。陰惨にして絶望的
な宿命観と厭世観とは、賓に蕾自然主義文寧のモチーフであつた。しかし人生をかぐ絶望的に考へるといふの
は、一方に矢張「感覚以上の賓在」を信仰し、或る心室的償値への憧憬をもつからである。換言すれば、この
現世を現せとして肯定し感覚それ自身の生活に安心し得ない、一の先入見的ロマンチシズムを有するからであ
る。もしこのロマンチシズムを捨て、異に現資の人生を肯定するならば、もとより厭世観の生ずべき理由はな
い。この場合の人生観は、反対に最も楽天的のものとなるであらう。眞のレアリズム、眞の感覚主義の人生観
は、賓に「全く煩悶をもたない生活」「気軽で陽気な人生」でなければならない。いつさいのロマンチシズム
が、ここに於て完全に駆逐される。
自然主義・1ト現貸主義の別名としての自然主義1は、その官然の辟結として、この新しき思想に縛生した0
∫j∫ 文拳論
「新しき自然主義」それこそ即ち言ふ所の「新感覚汲」である0もしくは「新時代汲」である奉術上の傾向と
して、新感覚渡は彿蘭西に餞生した0けだし悌蘭西は自然主義の本場であり、感覚論と現賓主義の根ざす地で
あるから、ここに新感覚汲の生れたのは官然である0新感覚汲の主張するモットオは、けだし次の如くである
だらう0「表現はできるだけ印象的に0内容はできるだけ現賓主義の思想で!即ち刹那的、享楽的、楽天的、
官能的の人生観で。」
浪漫主義の本場たる濁逸からは、かの「新しき浪漫汲」なる「表現汲」が後生した。そして自然主義の本国
なる悌蘭西からは、この「新しき自然汲」なる「新感覚汲」が芽生した0けだし表現汲と新感覚汲とは、現時
の世界を代表する南極の思潮であり、正しく互に反封する矛盾の観念を封立してゐる。しかもこの二つの者は、
或る外観に於ては、不思議に顆似するものを有してゐる0即ち表現汲も感覚汲も、その形式が共に印象的効果
を強調し、説明的でなくして直感的であり、概念的でなくして感覚的である。けだし表現の形式を、できるだ
け音楽や美術に近く、符競を離れて感覚の色やリズムに訴へょうとする試みは、近代のあらゆる拳術の特色で
あり、時代的なる限りに於て、すぺてのイズムに共通である0新しき自然主義と浪漫主義は、この鮎で外見を
正する0しかも両者の異なる所は、その根本の精紳に存するのだ○即ち一方の精神は、感覚的世界を超越し
て、賓在の冥想に潜入するのに、妄は感覚の現貰に立脚してゐる0したがつて表現汲の特色は、冥想的・神
秘的●心室的の色彩に富み、感覚汲の特色は、これに反して現世的・官能的・凄楽的である。たとへば同じ政
令を書いても、表現汲は忘理想を高調して、言はば『心室のある牡合』を書く。したがつてその傾向は、し
ぜんに牡骨董義的もしくはプロレタリヤ的色彩を生ずるであらう0之れに反して感覚汲は、純粋に現質する牡
曾を書いて、如質の人生のみを描出する。
j∫β
i.
彗畑 彗一
感覚とい竪柑の普通の意味、及び文壇的なる意味は、大鰹これを概説したが、
で久しく特殊な意味に用ゐられてゐる。我が囲の文壇は、習慣として「感覚」
伶この言語は、我が一国の文壇
の語意を「直覚」、もしくは
シ ノ ニ ム
「直感」と同字義に用ゐてゐる。たとへば「感覚する」といふぺき所を、「直覚する」もしくは「直感する」と
いふのである。感覚と直感(直覚)とは、本来全く別の概念に属するのに、かく両者を混同して同字義に使用
する所から、文壇的評論、特に詩の評論等に於て、多くの非論理と不都合とが生じてゐるのは、吾人の常に見
る所である。もちろんすべての感覚は、それ自ら直感的であるけれども、直感的なるすべてのものは、必しも
● ● ● ● ● ●
感覚的ではあり得ない。たとへば「精神」なる存在は、眼にも鰯れず手にも解れない。即ち全く感覚し得ない
● ● ● ● ●
ものである。しかも精神は、容易に直感し得る存在である。然るに我が園の文壇的言語では、かくの如く異な
▲ ▲ ▲ ▲ ▲
る二の言語を、全く同字義に使用する所から、精神を稗して感覚的事物と言ふ如き、曲論や詭将が生ずるのだ0
(或る雑誌で不思議な論理をみた。日く、信仰は感覚的のものである。しかるに音や匂は感覚的である0故に
信仰は、音や匂を感ずる如きものでなければならないと。)
それ故我が国では、すぺての直感的表現に訴へる垂術が、誤つて感覚的蜃術と呼ばれてゐる。「詩は感覚的
の蜃術である」といふ如き馨を、過去にしばしば聞いたのもこのためである。言ふまでもなく詩は、最も直感
的の表現であるけれども、必しも感覚的の内容をもつものでない。ただ或る特殊の人々の詩だけが、内容に於
● ● ● ● ● ● ● ● ●
ても感覚的である。即ちたとへば北原白秋氏の「東京景物詩」や、佐藤惣之助氏の「深紅の人」等は、詩想そ
れ自饉に於て、極めて感覚的のものであるが、私の詩集「青猫」等に現はれた情操は、全く心壷的のものであ
って、五官に感覚し得ない超現賓のイメーヂを歌つてゐる顆である。ただすべての近代の詩は、言語を符合の
概念として使用せず、それ自膿を神経として磯想する所の、純直感的の表現に於て一致する0
前に新浪漫汲蜃術のモットオとして、「内容は非感覚的に、表現は感覚的に。」といふ如き言ひ方をしたのを、
∫jア 文寧論
讃者は甚だ煩はしく混乱して感じたであらう0けだし前にかかる言ひ方をしたのは、我が国の文壇的習慣から、
感覚と直感とが混用されて居り、ために言語の誤鰐を生ずることを恐れたのである。賓を言へば、感覚といふ
言語は、かかる場合の意味に用ゐるぺきでない。「表現の感覚的」といふ如き概念は、あたか丈豊日欒や美術を
感覚賓術と言ふ如く、笑止なノンセンスにすぎないのだ。もちろんこの賓の意味は「直感的」と言ふぺきであ
る0
奉術における、この感覚と直感との関係は、彿教の一汲たる繹畢の修養法に顆してゐる。縛の修養の目的は、
人も知る如く、いつさいの感覚的欲情を殺すにある。その倍道の到達鮎は、感覚的世界の存在を無にひとしい
と観ずるにある。碑の精神は全く心壷的・理性的のものである。しかるにその修養の方法は、極端に直感的で
あり、或は感覚的でさへもある。たとへば群の起元は、蓮華の花の一片に解党し、その官能的気分からして、
俳敦の眞精神に大覚したものと言はれてゐる。また繹寧は概念を排する故に、一切の文字や言語を用ゐず、思
想を俸へるに種々の感覚的手段−眼の合固、音饗の調子、身饅の身振り、打撃の鱗覚、匂ひの嗅覚等1を
しばしば慣用する。繹の悟道とする目的の精神は、もちろん或は嚢術と異なつて居るだら、}。しかもその修養
的工夫の原理に至つては、奉術−特に音楽や美術1と全く同様である。即ちいつさいの概念を排斥し、ひ
トヘに感覚を媒介として、純粋の直感に訴へる。
∫∫β
さて上述せる如く、最近の世界的時流を作る肇衝は、大別して「新浪漫汲傾向」と「新自然汲傾向」とに別
れるだらう。濁逸の表現汰、新興ロシヤのプロレタリヤ文宰等は、即ち新浪漫汲の一汲であり、之れに封して
俳蘭西のコント的、新感覚渡的の文季、その他のレアリズムの蜃術が、新自然汲の流れに属してゐる。しかし
て新自然主義は、それ自ら新感覚汲に外ならない。けだしその蜃術的情操が、純粋に現世的・感覚的の人生観
Z周顎
蜃‥憾.裁
それ故に 「新感覚汲」
● ● ● ● ● ● ● ●
感覚的 − 即ち享楽的、
Z彗州瀾儲周り題
』召周っ川畑い
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
といふ語の文壇的意味は、畢に表現が直感的であるといふのでなく、内容たる思想が
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
刹那的、楽天的 − であることを條件とする。もちろん表現形式の直感的たるも、新
感覚の著るしい特色である。しかしこの特色たるや、必しも新感覚汲の特有でなく、内容に於て之れと反封の
立場に立つ、一方の表現汲に於ても同様である。けだし表現形式の直感的になつてることは、世界の文壇を通
じて、現時の一般的傾向である。感覚汲と表現汲との別を問はず、この鮎に於ては、時代のすべての文垂が同
一の潮流に於て流れつつある。しかるに詩は、文奉の最も直感的なるものであるから、しぜん最近の文寧は、
形式上から詩に接近しっつある。小説のコントの如き、表現汲の戯曲の如き、内容と傾向の別にかかはらず、
表現の形式では、ひとしく皆詩に顆接してゐる。
最後に残つた問題は、我々の詩壇と新思潮との関係である。我が現時の詩壇に於て、果して新感覚汲の名構
● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
に償する作家が有るかどうか?一般の聯想は、直ちに北原白秋氏に及ぶであらう。それから堀口大挙、青井
●
勇氏等によつて代表された、往年のスバル汲を聯想する。彼等の詩操の本質は、全く官能的・享楽的のもので
あつた。酒場と紅燈と耽溺とが、その生活の全景であり、ひとへに感覚上の快楽に走つてゐた。故にこの意味
から、彼等を漠然と「感覚汲」と言ふは差支へない。しかしながら昔時の詩人は、決して「新感覚汲」では無
かつたらう。何となれば常時の文壇は、賓に膏自然主義の文壇であり、その詩壇もまた時代の潮流に巻かれて
ゐた。
自然主義の思想、即ち唯物的現音主義の人生観が、感覚のみの人生を肯定しながら、しかも、内貰はそれに
安心立命し得ないため、甚だしく陰惨なる紹誓約厭世観に麻績したことは、前に既に述べた所であるが、この
∫jク 文学論
厭世思想は、一方にデカダンの教生となり、人生を酒と歓楽の官能的享楽に委さうとする思想を生じた。これ
が常時の詩壇の所謂「官能汲」であり「享楽渡」である。けだし世界を感覚的存在と覿ずる限りは、生活の意
義を官能慾の飽満に認めようとする思想の生ずるのは官然である。しかもその動機は絶望的なる厭せ観に優し
てゐる。
それ故に常時の所謂「官能汲」は、言はば一種のデカダン詩汲であつて、自然主義的厭世観の産物である。
う は べ
名は享楽といふけれども、資は自暴自棄の苦い悲哀に外ならない。表面に官能の快楽を迫ひながら、賓はそれ
に満足できない哀傷の浜をかくしてゐる。されば常時の所謂官能汲・享楽汲の詩風は、いづれもそのモチーヴ
として、極めて哀傷的の情感を高調してゐる。例せば北原白秋氏の叙情詩、青井勇氏等の和歌等、皆その表面
が享楽的であるにかかはらず、詩想のモチーグとして全く哀傷的・厭せ的である。
されば常時の官能詩汲は、たしかに感覚的であるとはいへ、新時代の意味する感覚汲とは、いささか語意を
異にしてゐる0新時代の所謂「新感覚汲」は、昔の感覚汲たる官能汲と、次の鮎で本質的に差別される。新し
き自然主義の人生観は、いつさいの厭世覿から脱却した。新時代は煩悶を捨て、陽気に快活なる人生を喝采す
る0その現賓を肯定し、感覚に生くることを楽しむ鮎では、全く前の自然主義と同様であるけれども、その官
能生活や享楽思想やは、何等デカダン的のものでなく、賓に健康にして明るい精神に充たされてゐる。何とな
れば新時代は、いつさいの章在的冥想を捨て、感覚的なる人生そのものに、生のエネルギイ的悦びを感じてゐ
るから0新時代の精神! それはげにスポーツマンの快適なる精神と類比される。健康! 精力! 陽気1
咲笑! 享楽! 宴禽! しかして「何も考へない」といふこと、これが新時代の標語である。
この新時代、新しき自然主義の情操こそ、それ自ら新感覚汲の蜃術に外ならない。新感覚汲の撃術たるや、
もちろん大に官能的でなければならない。しかも蕾官能汲の詩の如く、哀傷的なる陰影があつてはならない。
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一jトバレ8ヨ一_.」』
それは窺革め根砥から陽気であり、√モチーヴとしでの楽天観でなければなら蛮ノばヨガ壌の覇じき季節、葺ヨ=
● ● ● ● ●
新時代的なる人物が、果して我が詩壇に居るであらうか? 吾人は正に「居る」と断定する。わが佐藤惣之助
君の蜃術、及びその人物がそれである。もちろん佐藤君は、畢純なる楽天家でもなく、単純なる享楽家でもな
い。彼の思想と人物は、極めて多方面の百衣鏡的攣化を有し、常識のうかがひ得ないものを包括してゐる。も
し彼を早純なる楽天家と見るならば、その不思議なる厭世家的反面を無覗することになるだらう。しかしなが
ら言語の概念的抽象を許すならば、正しく佐藤は新時代の気質を有する人物であり、名賓共に新感覚汲の詩人
と呼ばるぺき一人者である。何となれば彼の人物と作品とは、本質的に陽快で楽天的で、その情想は本質的に
官能的、現質的である。すくなくとも此等の素質で、彼に比較すぺき新人は外にない。(もし人物だけに就い
● ● ● ●
て見れば、頑田正夫君もまた多少新時代素質を有する詩人である。しかして痛田君と佐藤君とが、現詩壇にお
ける最も近き時代の新進作家たることに、何等かの時代的意味が暗示される。)
しかし佐藤君等を構して、吾人自ら「新感覚汲の詩人」と言ふのは、詩壇の誇を自ら傷つけるものに外なら
ない。何となればこの新感覚汲なる名構は、最近漸く文壇に生じたので、佐藤君等の賓の拳術は、そのずつと
以前、未だかかる名稀の生れなかつた前からあつた。すべて詩壇的意義は、来るぺき時代の情操を、散文に先
だつて直感し、文壇に先駆して行く所にある。しかるに先づ直感されたる情操は、一の漠然たる気分に属し、
何等の概念すべき思想の判断をもたない故に、もとより蜃術上のイズムや名稀を有してゐない。かくの如きイ
ズムや名稀は、まづその創作が示されて、しかるのちに後から生ずるのである。故に思潮の先駆として、最初
に直感されたる新創作は、常に一定の名構なき「無名日の新汲」、即ち「新しい感じのする或るもの」にすぎ
ない。
佐藤君等の詩が、最初文壇にあたへた印象もこれであつて、もとより何の名構もイズムもなく、ただ直感的
∫イノ 文孝論
に「何となく新しい傾向の詩」を感じさせたにすぎない0然るに最近、この新情操が文壇に動いてきて、今漸
くそれが新時代汲もしくは新感覚汲の概念的命題を立てることになつた。もちろんかうした現象は、今に始め
たことではなく、昔から詩壇封文壇の関係がさうであつた。たとへば北原白秋氏の詩が作られて、しかるのち
官能汲の栴呼が起り、一代の時代的情操が先騒された。(この意味で民衆汲の提唱は、多少時代に立ち遅れた
● ● ● ● ● ● ● ●
形がある0が、しかしょく考へれば、民衆主義の稗呼以前にも、やはり白鳥省吾氏や富田砕衣氏の「民衆的傾
向の作品」はあつたのである0故に賓際には、世間に民衆主義の輿論が起つて、それから民衆汲の詩が出来た
のではない。)
● ● ● ● ●
新感覚汲と相封して、時代の一面の潮流なる新浪漫汲の詩人としては、萩原恭次郎君のプロレタリヤ詩汲、
及び表現汲的色彩を帯びた多数の若く無名の詩人がある0故に何れにせょ詩壇は、今碑文壇に先駆してゐるこ
とを知るのである。
∫42