神保光太郎君の詩
                              ペーソス
神保光太郎君の詩は、東北人的な素朴さと純情さで、ひたむきな哀傷を歌ふことで、現詩壇に三イタな位
置を買はるぺきものである0原則的に言つて、抒情詩の本質はぺ−ソスであり、多くの書き詩人は、夫々のち
がつた趣味と様式とで、各自のぺ−ソスを歌つてゐる0たとへば三好達治君は、隠者風の静観心境と閑寂趣味
とで、蜜蜂の呟く自室の自然の中に、ひそかに意味深く呼吸してゐるところの、主観の侍しくやるせない悲哀
を訴へ、丸山薫君は、無機物の感覚なき状態と、その永遠に固定してゐる賓在相とを、主観の心境する詩想に
托して、物質の無限的な悲哀をリリックしてゐる0そして伊東静雄君は、酷烈にまでストイックな意志によつ
て、正にその重度の中に破れちぎれ、大気中に飛散しょうとするところの悲哀をいみじくも古典的に形式化し
て抒情して居るし、立原道造君は、若き日の清純な浪漫的感傷性を、高雅な趣味と透明な知性によつて、音楽
と厳畢の構成圏式で清新に表現してゐる。
 かうしたゼネレーションに廃する詩人中で、比較的そのぺ−ソスを率直に歌つた詩人は、賓に唯一の中原中
也君であつた0中原君はその詩情する感傷性の賓憶を、一茶風の虚無感と諷塵倭と、東洋的なチヤラメルの笛
の衷音とによつて、最も素朴な直接法で抒情した0(中原君の詩が、比較的多くの大衆に愛されるのは、かう
した東洋的個統性と、抒情の直接法との魚であらう0)神保光太郎君の詩は、その抒情の率直性と素朴性とに
於て、やや中原君に似たところがある0紳保君もまた、ひ力むきにぺ−ソスを歌ふ純情の詩人である。詩集

欄周欄増澗畑柑礪欄瀾欄感磯欄瑚昭欄瀾祁祁叫碓碓儀郵珊諦八幡純癖を菅よく映〉朝胡用
像してゐる。しかし神保君の詩情には、中原君の如き一茶凰の平民性ハ或る意味からは、卑俗性と呼んでも好
い。)がなく、もつと清純に高潔である。神保君には、情緒の哀切な悲哀があるけれども、世に拗ねたやうな
攣質者のニヒリズムはない。その詩精神には、或る楓爽としたものがあり、東北人に共通する孤高さがある。
そしてこの孤高さが、彼を孤濁な「笠鷺」にして居るのである。その笠鷺を歌つた巻末の詩(笠鷺と旗と)は、
おそらく詩集「烏」の中の歴巻であるばかりでなく、この作者の本領するぺ−ソスを、最も飴りなく抒情し蓋
した物であらう。
 山岸外史君が聴明に許した如く、神保君の詩が抒情してゐるものは、東北人が雪国の故郷を・遠く離れて、都
合の町に族泊しながら、心の中にある故郷の檜圃を繰りひろげて、孤濁な郷愁に泣き愁へてる詩である。百貨
店の屋上に登つて、青杢にへんぽんと翻る旗を眺め、金網の中に飼はれてる鳥を眺めて、雪に埋つた故郷の室
を偲びながら、孤濁な生活を寂しんでるこの詩人こそ、まことにうら悲しい「都合の漂泊者」の姿である。

  枯枝に鵠の止りけり秋の暮

 といふ芭蕉の俳句は、この詩人の本質してゐる悲哀と孤濁とを、畢的によく約言し蓋してるやうに思はれる。
たしかに神保君は、都合に漂泊してゐる奥の細道の芭蕉である。

  鷹一つ見付けて嬉しいろこ岬

 といふ、同じ旗人芭蕉の句も、また神保君の或る詩情とよく共通してゐる。神保君の表象する主題の 「鳥」
は、さうした芭蕉の 「鵜」や「鷹」と同じやうに、いつも冬枯れの景色の中で、枯木のやうに孤猫に、紙凧の
49夕 同想・詩人論・詩壇時評

馴那
やうに寂しがつてる。そして北国の暗い雪杢の下を、雨や霞に濡れながら、巽をぴしょびしょに重たくして、
世にも惨めな悲しい姿で放浪して居る。
「雪崩」といふ今一つの詩集は、非賓口叩として刊行されたものであるけれども、拳術的償偶に於ては、むしろ、
烏以上に洗練されたものである。のみならずそれは、この詩人の郷愁と子守唄とを、もつと純粋に率直に表現
してゐる0しかし忌悍なく批評すると、神保君の詩作品は、概してやや抒情の強軟性が稀薄のやうに思はれる。
抒情詩の迫力性は、作者に於ける意志の強靭性と比例する。詩想上に於ては、どんな優雅な女性的のセンチメ
ントを歌ふにしても、所詮その拳術上に於ける迫力性は、作者の主観に於ける意志の強烈さに因するのである。
おそらく神保君は、少しく詩に甘えすぎて居るのであらう。しかし抒情詩人としての神保君は、エッセイ詩人
としての神保君と相封してゐる。抒情詩に於て、極めて女性的である神保君は、エッセイに於て甚だ男性的で
あり、豪快現爽たる英雄人の風貌を示して居る。明治の一英雄詩人、輿謝野銭幹に私淑してゐる神保君は、お
そちくその性格の牛面に於て、銭幹的なる気概と情熱を素質してゐるのであらう。多くの東北人は、その性格
の一面に於て、鞋担的な豪放性を持つてると共に、一面に於て、アイヌ的な内気と弱々しさを気質してゐる。
神保君の場合では、この東北的気質の両面が、一方で彼を抒情詩人とし、一方で彼をエッセイ詩人にしたので
ある0私として望むことは、今後にも伶、益ヒ詩作に精進すると共に、評論の方にも進出して、両面からの紳
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保君を、綜合的に大成してもらひたいことである。
F竹竿