詩壇時言
      昭和詩紗のこと

五十にして天命を知るといふ言葉があるが、僕の如き、五十になつて未だ蓋叩を知りさうにもない。しかし
自分の才能の限界だけは此頃漸く辞つて来た0つまり「命を知る」ことはできないでも、「分を知る」ことだ
けができたのである0さうした今になつて考へると、青年時代の昔の僕は、何といふ身の程知らずの馬鹿者だ
つたらう0その頃の思ひあがつた僕は、自稀天才を以て任じ、傲岸不遜を極めて居た。魔女詩集「月に吠え
るレが出た時、山村暮鳥君から手紙をもらひ、「ボードレエルの畳を摩す」と苛められて腹を立て、その手紙
`適題
を無茶h苦茶に破いてしまつ−嶺つまり僕の方が、ボードレエルより偉いと思つて居たからである● そんな昔の
ことを考へると、恥かしく穴にも入りたく、今でも冷汗が背に流れて来る。ポオの或る諷刺小説の中に、さう
した昔の僕とそつくりな人物が現はれて来る。その自稀天才の新進文士は、或る批評家から「英国一流の大家
と此眉し得る」と激賞されて大に怒り、その批評家に決闘を申込んだりするのである。ボオはそれを漫量的に
ボンチ化して諷してゐるが、さうした僕のやうな馬鹿野郎は、やはり世界の何所の囲にも居ると見える。
 それで此頃の僕は、人からどんな悪口を言はれょうとも、自ら顧みて我が愚を悟り、寂しく微苦笑を洩らす
のみとなつた。ただ事が私事を離れ、詩論上や思想上の問題に解れた場合は、大義名分を正さうとする公憤か
                            わたくし
ら、反駁の筆をとることもあるけれども、僕一個人に関する私の批評である場合には、どんな悪口に封しても、
紹封に沈歎することにしてしまつた。しかしさうした心境の僕にとつても、稀れには獣つて居られない例外の
場合もある。その一例は、昨年富山房から俵頗されて、僕が編輯した「昭和詩紗」に関し、一無名子が「畢拳
新聞」に書いた批評であつた。これはおそらく、その選に洩れた一詩人が、私情から含むところあつて書いた
もので、批評といふぺきものではなく、むしろ人身攻撃の感情論であつたけれども、いやしくも新聞紙上のブ
ック・レビューに、堂々と公表されたものであつて見れば、微苦笑してすますわけにも行かなくなる。(新聞
紙の讃書欄に、執筆者の名を記さないで載つたブック・レビューは、一個人の所説でなくして、公の社説を代
表するものと見て差支へない。)
 そのブック・レビューには、冒頭から「でたらめの昭和詩紗」といふ標題がついて居た。僕もずゐぶん多く
       き よ ほうへん
の新聞雑誌で、毀暑褒乾種々なブック・レビューを見たけれども、こんな標題付きの新刊紹介は、かつて一度
も見たことが無かつた。記事にはもつとひどいことが書いてあつた。たとへば冨山房が、萩原のやうな時代遅
れのデモ詩人に、選詩の編纂を頼んだのがまちがつて居るとか、全部の選が私交上の情資本位だとか、官然選
∫の 回想・詩人論・詩壇時評

に入るぺき人を、故意に入れないで洩らして居るとか、さらにこの選集によつて、僕が昭和詩人全慣の名著を
汚して居るとか、詩壇は一度総がかりで、萩原を郷りつけてやるべきだとか、まるでゴロツキや無頼漢のやう
な口調で、言語に絶する罵晋雑言が書いてあつた〇一昔前の詩壇には、かうした無頼漢のやうな言動を得意と
し、人の恥づる不徳のことを、逆に詩人の特権とするやうな連中が澤山居たが、今の文明開化の世の中にも、
まださうした人種が居るのかと思つて唖然とした。
 元来この「昭和詩紗」は、明治、大正、昭和の三部詩集の一部であつて、富山房の計量では、その中の「大
正詩紗」を日夏秋之介氏に、「昭和詩紗」を高村光太郎氏に槍任してもらふ手筈だつた。然るに高村氏が新任
し、且つ氏から書殊に推薦して、代りに僕を紹介されたので、結局僕が受けもつことになつたのである。そこ
で人選の件につき、書韓を通じて間接に日夏氏と交渉した。つまり如何なる詩人を「大正詩紗」に編入し、い
かなる詩人を「昭和詩紗」に入れるぺきかと云ふことの交渉だつた。そこで驚いたのは、官然僕の選集に入る
ぺき筈の、最近の樋く若い詩人の大部分が、殆んど皆日夏氏の大正メムバアにリストされてゐることであつた。
それでは僕の編纂する飴地が無くなるので、書韓を通じて日夏氏と交渉し、その中の或るゼネレーションだけ
を、僕の方へ割愛してもらふことにした0そのゼネレーションを直分した規準については、僕が自ら絃の詩砂
の序文に詳しく書いた通りである0ついでだから言ふが、この「昭和詩紗」の編纂については、僕も相富力を
入れたし、且つ充分の貴任も感じたので、序文に詳説して、編纂の立場を公然と明らかにしておいた。常識の
ある人だつたら、さうした序文を讃むだけでも、編者の態度は明白であり、私曲をはさんで物言ふ筈はないの
である0もし反駁があるならば、それは序文に書いた僕の詩論や、現代詩の歴史観やについて、公然と思想戦
を以て僕を反撃すぺきであつて、一個人の感情論を以てすぺきではない。なぜならその詩妙に於ける選詩と人
 選とは、すぺて序文に青いた通りの、僕の詩論と歴史観とに規準してゐるのであるから。
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 畢彗横領汁僕の人選穎儲旧賓本位で藤森与暫を非議し†その何として、h帯椅元曹、大谷忠ノ即答の
無名詩人が入つてることと、佐藤一英、城左門、尾崎喜入、山本和犬、及びその他僕の全く知′らない ハおそら
く大部分の詩壇人が知らないと思はれる)二、三の新進詩人の洩れてることを指摘して居るが、僕としでは、
あの「昭和詩紗」はどにも、一切の情賓を排去して編纂したものはないのである。たとへば高橋元青君や大谷
忠一郎君は、僕の奮知の詩人であるにちがひないが、僕はその情賓の故に彼等を人選したのではない。此等の
人々は、過去にずゐぷん長い間詩を書いて居り、且つ相常に認めらるぺき筈の才能をもつてるにもかかはらず、
田舎に住んで孤高を楽み、詩壇的の費名野心がなかつた為に、比較的人に知られる横合が無かつたのである。
さうした障れた詩人たちを、何等かの横合に紹介するのは、僕でない編者としても、官然の責任ではなからう
か。
 さらにその無名記者が、人選に洩らしたといふ城左門君や佐藤一英君は、明白にちやんと編入されて居るの
である。目次にも本文にも、まちがひなく入つてる筈の人を、入らないといふのは不思議である。そのため僕
は念を入れて、今一度本を調べて見た0おそら←その記者は、ロクに中を讃みもしないで、自分が選にもれて
ることから、一時に逆上してしまつたのであらう。新刊書をよみもしないで、新刊書の批評を書くほど、無音
任極まることがどこにあるか。その他の選に洩れた人々、たとへば尾崎喜入君や深尾須磨子君のやうな人々は、
僕の序文にも書いてある通り、詩話禽時代を代表する知名の作家で、佐藤惣之助、肩田正夫等の詩人と共に、
嘗然「大正詩紗」の中堅をなすぺき大家であるからである。その人々をも編入すれば、ゼネレーションの規準
が動いて来て、さらにまた数十名の多数を加へねばならなくなる。その上この鮎では、「大正詩紗」の編者に
封して、僕から遠慮しなければならなかつた。「大正詩紗」の方から、さうした有名な代表詩人を抜いてしま
へほ、日夏君の塘催する詩紗の方は、内容的に全く室瀬になつてしまふからである。また同じく落選を非難さ
∫0ア 同想・詩人論・詩壇時評


れた山本和夫君は、常時兵士として支部に出征中であり、文通の交渉ができなかつたひその他の名をあげられ
た二三の人々は、前に述べた通り、僕の詩壇的寡聞によつて、常時未だ僕の知らない詩人であつた。
 しかし僕のこの編纂詩妙については、むしろ無名子とは全然正反封の見地からして、一部に非難されること
を覚悟して居た。即ち人選があまりルーズに過ぎ、入れる必要のない人まで、山盛りに入れすぎたといふこと
で、厳選を映くといふ非難を杷憂して居た。そして果してその通り、この鮎を二三の人々から叱貴された。し
かしこれについては、出版書店の証文によつて、譲歩しなければならなかつた事情を告白しておく。初めに僕
の改定した人員は、現行本に掲載されてる人員より逢かにすくなく、その一人分の詩が占める頁は、それょり
もずつと多かつたのである。書韓の希望を入れて、多少でも僕が手加減をしたことは、自ら顧みて非良心的で
あり、たしかに疾ましいことであつた。だからその鮎の非難者に封しては、一言も應へることができないので
ある。しかし無名子のやうに、全く見官ちがひの感情論から、人身攻撃に顆する罵署雑言を搭せられては、詩
人の面目を保つ上にも、獣つてるわけに行かないのである。
 無名子は、僕が「昭和詩人仝健の名著を汚した」といひ、そのため「詩壇は絶がかりで萩原を捲る必要があ
る」と書いてるが、どういふわけで僕の編輯が、昭和詩人全慣の名著を汚したのだらうか。前に告白した通り、
多少厳選を映いたのは僕の失だが、詩人全鰹の名著を汚したなどといふことは、だれがどう讃んでも、常識に
考へられないことではないか。僕は過去に長い間、ずゐぷん日本の詩と詩人の.瀧めに蓋して来た。詩が文壇と
ジャーナリズムから苛めつけられ、正に亡びょうとする悲運の時でさへも、ひとり立つて孤濁に縄ひ、詩と詩
人のために擁護して爽た。最近、詩が新しい黎明の機運に向ひ、ジャーナリズムが比較的に詩人を優遇するや
うになつたのは、他に別の杜合的事情があるにせょ、過去に長く績けて来た僕の不屈の抗争が、あづかつて多
少のカなしとはしまい。現に僕の選詩妙に洩れた詩人等も、過去に此して執筆のチャンスが多くなり、いくぶ
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                                                                                   ■■l
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んでも境遇にめぐまれて来たことを考へれば、僕を「捲る」といふ如き忘恩行為は、紙上の峯譜にさへも苦く
ことができない筈だ。私憤に脹られて公憤を忘れ、自己を知つて大義名分を知らない人々はど、非詩人的、非
文筆者的の人間はないのである。
 その同じ無記名子は、その同じ新聞の新刊批評欄に於て、山雅房の「現代詩人集」を賞讃してゐる0ところ
がその山雅房の選集に入つた約三十鉄人の詩人は、中の二三人を除く外、轟く皆「昭和詩紗」に入つて居るの
である。そしてその無名子が、僕の落選をとがめた二三の新進詩人は、やはり「現代詩人集」にも入つてない
のである。殆んど同じ内容をもつてるところの、殆んど同じ二つの書物を、同時に故記して批評しながら、そ
の丁万を特に乾して、他の丁万を特に讃するのは、いかにしても厳正批評家の態度ではなく、併に封して個人
的な私情を含んでゐるところの、或る何物かの仕業である○でなければ僕の選集に洩れて、山雅房の選集に入
った、二三の詩人中の或る一人が、ワタクシの私憤によつて書いたものにちがひない0何れにしても卑劣な小
人的のヤリロであり、君子の組し得ない心情者である0最後にそれが、果して「全く情資本位によつて人選し
た」ところの「でたらめの昭和詩砂」であり「詩人仝鰹の名著を汚した」ものであるか香かを、廣く讃者の公
許に問ふため、左にその「昭和詩紗」中の詩人メムバアをリストしよう0
 伊東静碓、岩佐東一郎、乾直恵、菱山修三、春山行夫、佐藤一英、萩原恭次郎、立原道造、津村信夫、城左
門、中原中也、菊岡久利、岡崎清→郎、森山啓、高橋元青、洩野晃、西川勉、村野四郎、安西冬衛、北園克衝、
神保光太郎、薮田義雄、竹村俊郎、中野重治、小熊秀雄、北川冬彦、草野心平、丸山薫、三好達治、内田忠、
大谷虫二郎、阪本越郎、竹中郁、田中克己、宮澤賢治、藤原伸二郎、滴原清、山之口琴西脇順三郎、瀧口武
士、鈴木政輝、伊藤信書、速見猶苦、田中令三、小高根二郎、金子光晴、高橋新書(順不同、四十七人)
伶この詩紗の編纂は、昭和十四年の夏に書牽から頼まれ、昔時病床中にゐながら、暑熱を冒して編纂したの
∫0タ 同想・詩人論・詩壇時評

であつた0然るにそれが刊行されたのは、昨年、即ち昭和十五年の春であつて、この間約七ケ月あまり、原稿
のままで書韓の手許に保留された0書殊には色々な言ひわけがあつたけれども、僕としてはあまり愉快な菊持
でなく、最後に出版契約の取滑をしょうと考へた時、やつと世に出ることになつたのである。その僅か牛ケ年
あまりの間に、日本の牡合は急激な攣化をし、詩が驚くぺき加速度を以て公衆の間に普及して衆た。同時に今
迄長い間、詩壇的に引退して居たやうな人々や、詩壇から忘られかかつたやうな人々やが、好潮に乗じて表
に立ち上り、さかんに返り咲きの活躍を開始し出した0そのため僕の選詩紗では、昭和十四年の編輯常時に於
て、未だ引退状態にありながら、それが刊行された十五年度以来に於て、急に更生的の活躍を始めた二三の詩
人を選に洩らしたことは止むを得なかつた。
僕は今後、もはや二度とかうした書韓の注文に應じないことを決心したから、再度この種の詩集を縞輯する
ことはないであらうが、過去の清算の意味も含めて、あへてこの不快な一文を革した。
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