文藝汎論と他の詩雑誌
        附、詩人賞のこと

 詩の雑誌は、何を讃んだら好いでせうかといふ質問を、しばしば若い詩作人や、詩壇外の人たちから受ける。
歌壇や俳壇には夫々権威のある専門の雑誌があるし、文壇には、改造、中央公論などの綜合雑誌の外に、文嚢
とか新潮とか、或は文拳界などのポピユーラーの雑誌があるので、讃者の方でも選揮に困ることはないのであ
るが、詩壇にはさうしたポピユーラーの代表雑誌がないので、資際多くの人たちが、選揮に困つてるらしい。
そこで私は、かうした質問に封して、いつも「四季」「コギト」「歴程」「文拳汎論」の四種を指定してゐる。
この中で「コギト」と「文蜃汎論」とは、詩専門の雑誌ではないけれども、詩と詩精神を中心とする文学雑誌
であるから、先づ以上四種の雑誌をよめば、現代詩壇の鳥敵囲が、一望の下に把握できると思ふのである。賓
際、現詩壇に於ける優秀な代表的詩人と、各詩汲の主張する尖鋭的の前衛思潮とは、たいてい以上四種の雑誌
に網羅されてる。他の片々たる多くの詩雑誌は、地方的の同人雑誌か、でなければ特殊的の一私薫雑誌にすぎ
ない。
 四種の中で、「コギト」は浪漫汲系統の詩人が多く、「四季」は唯美汲の傾向に属し、「歴程」は野獣汲とも
言ふぺく、「文蜃汎論」はモダン汲(超現資渡等)系の詩人が多い。しかしこの雑誌には、一種の猟奇的耽美
49∫ 岡想・詩人論・詩櫨時評

汲と皇ロふぺき特殊の妖美臭が強烈であり、それがこの雑誌の三イクな魅力となつてる。そしてこの特殊な
臭気は、縞輯者の二詩人、岩佐東一郎君と城左門君との、ユニイクな個性から態散する肉鰹臭に外ならない。
もつともこれに限らず、すぺての雑誌は、無意識的に編輯者の個性を反映し、その肉饅臭を態散する。たとへ
ば「歴程」の野獣臭は、その編輯者たる草野心中君の肉臭であり、「四季」の女性的な優雅さは、この雑誌の
創立餞行者たる堀辰雄君の遣俸であり、「コギ上の浪漫的精神は、その縮輯者たる亀井勝一郎君や保田輿重
郎君の個性的反映に外ならない。

 僕は、僕自身の浪漫精神に於て、最もよく「コギ上と共鳴し、僕自身の肇術至上主義者に於て、「四季」
のインテリ精紳と共馨し、さらに僕の気質のアナアキスチックな鮎に於て、時に「歴程」の詩夙に同感し、そ
して僕が、ポオの小説やボードレエルの詩に私淑する意味に於て、「文拳汎論」の猟奇的妖美趣味に興味を寄
せてる。

 今の詩壇には、主なる詩人賞が三つある。「詩人協合賞」と「中原中也賞」と「文蜃汎論賞」である。かう
した詩人賞といふやうなものが、果してどれだけ詩壇のために資質的の功績をするかは、甚だ疑はしい疑問で
あるが、とにかく一種の景気をつける賑やかさにはなるのだから、先づ無いょりは増しであらう。
 さて以上三つの詩人賞の中、詩人協合賞は、その審査委員の大部分が老大家であり且つ合そのものがアカデ
ミックの傾向を持つてる為に、その入賞する候補者の範囲も自然に詩壇的の年功順となり易い。即ち多年詩壇
のために仕事をし、孜々として詩業を功績して来た不遇の詩人に報いるべく、一種の年功慰労賞として胎金す
るといふ内意が、可成強く動いてるのは、この合の性質として止むを得ない。元来、文噂的にも物質的にも、
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常に不遇で富まれない仕事をしてゐる詩人の為に、せめてかうした横線に名著と報酬とを寄筋するのは、自ら
詩人たるものの、常然モラルに負ふべき良心だから、たとへ詩人協合賞の意向の内部に上述のやうな年功意識
があつたところで、何等非議非難すぺき等の筋道はない。むしろそれは、早くから日本の詩壇に無ければなら
なかつた者なのである。(若い詩人が、自分の入賞しないといふ理由によつて、それを非難するのは私憤であ
り、大義名分に立つ公論ではない。)
 これに反して中原中也賞は、審査員の大部分が、新進気鋭の少壮詩人である為に、その入賞者にも概して新
進の若い前衛詩人が選ばれる。そして文蜃汎論賞は、丁度この両者(詩人協合賞と中原中也賞)の中間地帯に
位置してゐる。この禽の審査員は、堀口大挙君や石田宗治君の如き、大家級中の新鋭な現役詩人である上に、
主宰者たる岩佐君や城君の意志が自ら無意識に反映するので、自然にその入賞者には、多く中堅級の詩人(北
川冬彦とか、中野秀人とか)が選出される傾きがある。
 そこでこれを要するに、以上三つの詩人賞を通じて、現詩壇の新嘗三種に亙るゼネレションの詩人たちが、
各ヒ公平に授賞されるチャンスを所有するわけである。即ち最も若い新進のゼネレションは中原中也賞。やや
古い中堅のゼネレションに属する詩人は、文拳汎論賞。そして一層古く、一層長く詩壇的に功績した人々は、
詩人協合賞で報いられるチャンスを持つわけである。但し以上のことは、もちろんそれらの合が具饅的にかか
る意識を掲げて、改め入賞者の人選をするといふやうな意味では紹封にない。ただ合の性質や審査員の顔ぶれ
から自然無意識的に、そのやうな結果になり易いといふことを述べたにすぎない。
イクア 同想・詩人論・詩壇時評

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