悪魔主義?
悪魔主義とは何だらうか0第二不思議なことは、今日の新しい文壇に、こんな古色蒼然たる言語が存在する
といふことだ0たとへば谷崎潤一郎氏の作品などは、今でも伶文壇から、悪魔主義の名で呼ばれてゐる。
僕はかつて戎本星の鹿骨で、谷崎氏の小説に「悪魔主義の文筆芳」と書いてるのをみて、本屋は本星らし
い庚台をすると思つて苦笑したが、その後或文寧雑誌で或知名の文士が同じやうに「谷崎氏の悪魔主義につい
て云々」と論じてゐるのを見、隔世異様の感にうたれた。
                       ほ や
悪魔主義なんて云ふ言葉は、もう一世紀皇日に流行つた言葉で、今日では文壇的に存在の痕跡すらないもの
だと思つてゐたのに今伶そんな観念を眞面目に論ずる人があるので、甚だ怪訝にたへない次第だ。第一今日の
意味に於て、悪魔主義とは何を言ふのだ0そもそも「悪魔」とは何のことだ。「紳」や・「原罪」や「天使」や
の言語が、何を意味するか解らない今日の僕等には、それらの相封観念たる悪魔といふ語も同様で全く不可解
で無意味のものにすぎない。
 感度主義なんていふ観念は基督敦の法王植が地↓を支配し、異端鞠問所の正義観が善悪を裁断した時代、あ
の中世紆時代の観念である0その時代にあつては基督敦的なるすべてのものは碑に廃し、非基督数的なる、切
  鮎∬一
J題一Z
凄触悪魔に鹿した鮒鞋から登魂に欝て肉慾を歌ふもの緑悪魔主義で、楕靂に背い妻突奄変するも
のは悪魔主義者だ。(それによつてポドレエルやワイ〜ドが、時に悪魔汲の詩人と呼ばれた○)
 だが二十世紀の今日では、もはやこんな神学凰の倫理感は、クラシズムとしてさへ忘られてゐる0我々の時
                                  まる
代が意味する「悪」や「善」の観念は、根本に於て全きり昔とちがつてゐる0肉慾の讃美や感覚主義は、今日
の常識で何等悪魔的のものでなく、況や異端的飯逆思想のものでもない0悪魔主義といふ観念は、それが基督
教主義と相封し、悪魔と紳とが相封するから意味をなすのだ0したがつて「沖」や「敦合」の観念が、豊川と
なつてしまつた今日では、之れが封語たる「悪魔」といふ言語も賓在しない0尤も西洋では、比較的最近まで、
命基督敦的神学思想が残つてゐた為め、ボドレエルやワイルドの如き反基督主義者が、文壇の古風な神学趣味
から、時に悪魔主義者と呼ばれた。(ボドレエル等を悪魔主義と呼ぶ時、その言語の中における古風な紳寧的
飴朝1或クラシカルな中世的詩美−を、特に意識してゐることを知るぺきである0)賓際ボドレエルの詩
想には、そうした中世的神学趣味が多分にあつた。

          ニ

要するに悪魔主義なんていふ観念は、十六世紀前後文蛮復興期のものに属する0印ち丁万に中世紀の敦合が
ぁり、一方に之れと坂逆する近代思想が、新しく興つた時代の言語であつて、今日では既に内容がなく、言語
が何を意味するかさへも解らないのだ。強ひて今日、もしこの言語を使ふとすれば、それは中世的紳畢の情趣
                                  ● ● ● ● ●
を帯びた古風なクラシズムの文拳に封する稀語だらう0(この意味で日夏秋之介氏の詩風など、或は悪魔汲と
呼び得る唯一のものだ。)
僕は悪魔主義と云ふ言葉から、フアウスト劇に出るメフィストフユレスを聯想する0中世紀の俸説と敦合の
∫イア 文寧論

鐘の中から飛び出してきたやうな、あの古雅愛すぺき悪魔の姿は今日に於ては一のユーモアであり、詩美であ
り、古典である0しかしながらそれは、今日の意味における何等の悪魔でなく、何等の非倫理的のものでなく、
何等の異端的のものでもない0僕は此虞に谷崎氏の文学について論じょうと欲しない。だが氏の文孝を悪魔主
義と呼ぶことだけは、滑稽以上の痴愚に顆する0我々の新しき文壇が、今日筒こんな死語を保守してゐるほど、
それほど時代錯誤を感じさせるものがどこにあるか。
∫イβ
脇濱
    唯美主義?
唯美主義といふ言葉は、昔は悪魔主義と同字義だつた0それによつて今日でも、ワイルドや、ボドレエルや、
谷崎潤一郎氏やが、丁万で悪魔主義者と呼ばれる時、同時に一方で唯美主義者と考へられてる。即ち「悪魔主
義」と「唯美主義」とは常に一つの言語であり同じ文字の言ひ換へと考へられてる。
 かく何故に「美」と「悪」とが、過去に於て同字義に考へられたか? 言ふ迄もない。近代文蓼の磯端がル
ネサンス以後の反基督教主義、ヘレ1妄ムの異端思想に優してゐるからだ。即ち近代文拳の精神は敦合の歴禁
から解放された、人間生活の自然と自由を歌ふにあつた。睾術は「宗教のための説教」でなく、異に「奉術の
ための嚢術」「実のための美」を書くものでなければならない。
 かうした反動思想からして、美といふ観念は必然に非敦合的のもの反キリスト的なものを本質するやうに考
へられた○特にキリスト教が悪魔現した肉慣上の感覚美が反動的に蜃衝の本質美と考へられた。そこで「美」
といふ言語は、それ自ら反キリスト教的の異端を意味し、必然に「悪魔」の観念と結合したのだ。

            き
                                瀾瀾瀾     憫」畑召州      一一句
 しかし態魔や、悪魔主義の言語が、既に無意味の杢語になつてしまつた今日では、同様に之れと縮合した奨
の観念も、時代遅れの無意味なものにすぎないだらう。今日我々の奉術が意味する実は、もはや必ずしも反基
                                         ひ ゆうま にすと
督教的のものや、肉慾的感覚美やを本質と考へない。我々の時代にあつては、かつてあの人間主義者が構へた
                                 まる
「奉術のための蜃術」「美のための美」といふ言葉が、全で原意とちがつた別の意味をもつやうに撃つてきた0
言ひ代へれば美といふ言語が、基督敦的観念を対象とするのでなく、ずつと内容の廣漠とした、一般抽象的の
美挙に立つてきた。過去に於て「美」の観念は、一の明かな反動的内容であり、常識と敦合に封する叛逆的の
熱情だつた。然るに今日の文壇が意味する実は、むしろ其反封に「非熱情的なもの」「叡智的なもの」「静観的
              ● ● ● ● ● ● ●
のもの」等、要するにすぺて形式主義の表現を意味してゐる。
             ● ● ● ●
 かくて今日の文壇では、唯美主義といふ観念が、表現至上主義もしくは観照的形式主義等、すぺて叡智の克
った「静的の文筆一般」を概念してゐる。之れに封して情熱的の文学や、主観的のデイオニソス型文寧は、一
  ● ● ●  ● ● ● ● ●
般に人生汲とか反唯美主義とか言はれてゐる。つまり言へば、美といふ言語の内容が、昔と今で全く反封にな
ってきたのだ。昔は異端的、情熱的の文筆、たとへばワイルドやボドレエルや時としてはボツカチオの如き作
家が唯美汲と呼ばれたのに、今日の文壇が意味する唯美主義は、コクトオや、新構成汲や、芥川寵之介氏や、
志賀直哉氏やの如き、客観的叡智渡の作家を意味してゐる。ワイルドやボツカチオの作品は、今日の文壇的言
語に於て唯美汲と言ふぺきでなく、むしろその反封の人生汲(もしくは主情汲)に属してゐる0
 今日の我が文壇が、谷崎潤一郎氏を悪魔汲と呼ぶことの愚昧なのは、前払眈に述ぺた如くであるが、同棲に
彼を唯美汲と呼ぶのは、より以上に時代錯誤で馬鹿げてゐる0明白に言ふと、今日の感覚で僕等が「美」と感
ずるやうなものは、谷崎氏の文孝の殆ど何所にも存在しない○蜃術的の鮎から論ずるなら、谷崎氏の神経は実
に対して鈍感以上でさへある。谷崎氏がもし唯美汲ならば、これ以上無神経の蜃術は世界になく、実の近代償
Jイ9 文寧論

値は相場のガタ落ちになるだらう0費に僕等が、常に谷崎氏の文単に敬愛するのはこの鮎でなく、彼が常に主
観的熱情に燃え、血と肉とを以て書き、強きエゴイズムの異端を持し、そして要するに「人生のための蓼術」
を一貫してゐる鮎にある。
この鮎で谷崎潤蒜氏と芥川寵之介氏とは、最近斉頓における両極の封象だつた。即ち芥川氏は唯美主義
(拳術のための拳衝)の代表者として、谷崎氏は生活主義(人生のための蓼術)の代表者として正反封の両側
に横網の地位を張るものだつた0したがつて芥川氏の文畢論が、常に形式主義に立脚してゐる時、谷崎氏の思
                                      ● ● ● ● ● ● ● ● ●
想は多く内容主義に精進してゐた0最近「改造」革上に併載されたこの南大家の論戦は、今日の僕等の意味に
かいか唯美主義の文学論と、之れに封する反唯琴王義の文争論とがいかに精紳の立脚地を異にするかを、意外
に明白に示してくれた0賓に今日の新しき文壇は、二つの反流する潮流で相封してゐる。即ち併蘭西における
コクトオ等の新感覚汲的形式主義(唯美主義)と妄濁逸、露西亜における表現汲以後の新入生汲的精神主義
(反唯美主義)の封立である0我が日本の文壇では、之れが新興文畢の二大系汲、即ち所謂「新感覚汲」と、
他の所謂「プロレタリヤ汲」で封立してゐる。
j∫0
 文壇といふ世界は、一つの不思議な世界である。昔の僕は、それを遠くから見て居り、文字通りに考へてゐ
た。即ちかうしや七宝柑は文学者一般の集合によつて組織された、無形な抽象的の概念を指すのであつて、どこ
にあり、かしこにありと言はれるやうな、賓膿的のものではないのだらうと○
 研が此の頃になつてから、それが思つたより狭義のもので、或少数の文学者によつて組織された、一の茸膿
的のものであることを饅見した。第一この「文壇」といふ観念中には、我々の詩人や歌人は這入つて居ない0
詩人や歌人と雄も同じく文学者の一部である故、道理上にはもちろん文壇人の仲間に属する筈だが賓際上でそ
れが除外されてることは、丁度「創作」といふ言語が、この世界で「小説」を意味して居り、他の詩文的創作
を除外するのと同じである。
 次に所謂文壇は、無形の抽象上の概念ではなく、どこかに或茸饅的な、一の中心を有する倶楽部(もしくは
文学組合)である。故にその倶楽部貞に属しない文畢者等は、事貰上に文壇から除外される0文壇人とは、そ
の特殊な組合に廃するところの、特殊な文学者の一囲を意味してゐる0決して文学者のだれもが、文壇人であ
るわけではない。そこで尿問は、どこにその倶楽部の本部があり、だれが合長で、だれだれが加入部員かとい
                              ● ● ● ●
ふことに落ちてくるが、これがまた甚だ漠然として居て、はつきりと指定し得る正膿がない0しかもまたそこ
には、一の直感的に判然とした、目に見えない不文律の法規や合則やがある0
 明白に言へば、文壇といふ概念は、事箕上に於ける一つの職業組合である0即ち文筆を以て本業とし、衣食
の資料とする人たちが、肇術上の同好趣味から瓢約的に集まつた倶楽部である0もつともかう言へば、大概の
文学者は文筆を本職としてゐる故に、文壇即ち文学者の綜括といふことになるだらうが、事賓上に於てみれば、
文筆を以て衣食してゐるものは、全膿の敷からみて甚だすくない0
無名の作家や新進の人はもちろんだが、相官の大家であり、名馨のある人であつても、眞の文筆業者たるぺ
∫j∫ 文学論

く、充分の職業意識を持ち得ない人たちがある0さういふ人たちは、自然に作品を書く畳もすくないし、文壇
人といふ観念からは、多少局外的に取扱はれ、影が薄くなつて居る。 ::  ::●
そこで所謂文壇を代表してゐる眞の典型的の文壇人は、すぺて職業意識のはつきりしてゐる文士的文士の一
                                                       ● ●
味徒煮に属してゐる0より職業的文士であり、より文士的文士であればあるほど、文壇人としての色彩がはつ
きりし、其政令での幹部的中心に位置してゐる0反封に充分の職業意識を持たない−もしくは持ち得ない
● ●
I非文士的文畢者等ほど、その組合からは緑が速く、文壇外のものとして扱はれる。
文墟と稗する忘無形な倶楽部は、賓にかうした内容で成立してゐる。そこでの合長や、幹部や、倶楽部員
やは、忘不文律の規約にょつて、或特殊な人選から成り文士的文士のみで組織される。そしてもちろん、そ
の組織は自然であり、他の牡合制度の如く、嘗然の事情であるだらう。何人も、より本職的文士であるものほ
ど、より文壇的名士であることに不審を持たない0けれどもこの職業組合ハと皇三ぺき)文壇が、拳術上の
オーソリチイとして考へられ、そこの文壇的意見が、直に文筆の許償を決定する現状には、少しく危険なしに
居られない。


          ニ
 賓に今日の日本に於て、文拳作品のすぺての許償は、所謂文壇者の文壇意見によつて・決定される。然るにこ
の「文壇」怒るものは、今言ふ通り特殊な少数の人によつて組織された、或同業組合の一種であつて、そこに
は自ら定見された、その人々の共通な美挙がある○何となればその所謂史壇は、互の共通した職業意識や、互
 おのづか
の共通した生活境遇やから生ずるところの一の共通した特殊の人生観と、共通した特貌の肇術観を持つてる、
略国葬項の文畢者の菜園だから0或ほまた、さうした文壇的名士の周囲に集まつて居り、文壇的美挙の先入見
∫∫2
汁温−
音盤T
填的薮涯‖作者の葺か亀
 すくなくとも僕等は、今日の日本の「文壇」にまで、何の嚢術的オーソリチイも感じて居ない。したがつて
その文壇的批判によつて決定される、あらゆる作物の許償を信用しない。文壇的許償によつて書き作品と呼ば
れる者は、たいてい型が一定してゐる。即ちそれらの職業的文士が持つてるやうな、特殊の人生観を内容とし
て、丁度また彼等の趣味に合つてるやうな特殊な修辞や技巧やを持つ作品だ。一歩でも、文壇人の常識から型
を破り、その美学的先入見の外に出たものは悦ばれない。しかもその美挙的先入見は、今日「文壇人」と稀す
るところの、或特殊の人たちによつてのみ、狭き範囲で支持されてゐるにすぎないのだ。
 賓際の例をあげよう。中里介山氏の「大菩薩峠」は、とにかく大衆文畢の先勝として.、近年に於ける一つの
傑作的文肇だつた。しかも文壇人の文壇批評は(一人の谷崎潤一郎氏を例外として)一もこれを許償してない■0
かかる作物の純粋償値は別としても、そこに扱はれた一の新しき文学楕紳トーそれは異常なセンセイションを
呼起した−をすら歎殺し、文壇批判口口口□れないのは、所謂文壇的文士の文畢観が、いかに偏狭で資質性
のない概念にすぎないかを明示してゐる。かつて倉田百三氏や有島武郎氏の傑作が、同様にして文壇から冷遇
された。今日でも尾崎士郎氏や宮嶋資犬氏の如き多くの作家が、その非文壇的文士である事情を以て、不幸に
も正常な批評を受けて居ない。もつと他の例を言へば、廃自身の時々「新潮」等に書く詩文やエッセイの顆で
ぁっても、融合の他の方面に相官多くの熱心な讃者を持つにかかはらず、文壇人には殆ど讃まれず、いつもそ
の方面で新穀されてる。


          三

所謂「文壇の定評」と祓何だらう↑ 内賓を言へば、賓に或二三の人−それも常に雑誌社等に関係をもつ
J∫∫ 文学論

てるところの、典型的なる文壇的文士1の、楽屋落的なる耳寄り話にすぎないのセある。これがその文士倶
楽部の談話室で文壇関係のある人々に侍へられ、たちまち一般の定評となつてしまふ。かうして貰に何でもな
い平凡の作物が、文壇関係の内情から、佳作として定評される一方には、超文壇の孤濁のために、幾多の駄殺
されてる傑作がある。そして作家が文壇に出るためには、文壇人の文壇的倶楽部に入り、それの杢菊に慣れ切
るまで、充分社交的にならねばならない。換言すればそれらの文壇的典型人が考へてゐるところの特挽の人生
          ● ● ● ●
観や拳術覿やを、すつかり自分に合得してしまはねばならない。それでなければ、彼はいつも非難され悪評さ
れる。反封にコツをおぼえ、彼自身が文士的文士になり、その同じ気質や香道観を有してくれば、いつも文壇
の評判がょく、彼は進歩したと言はれ勉強したと賞讃される。
 所謂「文壇」なるものが、若し文字通りの文壇であり、文聾者の一般的地帯を意味するならば、文壇的許償
なるものは、正しく信用し得るだらう。しかし今日我が文壇で普通に考へられてる文壇は、言語それ自膿の響
に於て、一種の偏見的なる臭気を持つてるところの、或特殊意識の文壇である。(讃者は文壇的とか、文壇意
識とかいふ言語に於ける、或不快の語領を考へてみょ。)他の政令の事情と同じく我々の文壇にもまた、首然
の社交倶楽部は有り得るだらう。だが文畢作品の正しい許償が、今日の如く特殊な文壇人等の、楽屋落的な耳
昇り話から決定されるといふのは、決して健全な批判の道ではない。かくの如き文壇、あまりに楽屋落的なる
文壇は、むしろ有事無益であり、観念上にすら無い方が好い。文畢作品の正しい批判は、今日の場合として、
むしろ公衆に訴へる方が好いのである。衆は無智であり、蛮術上の深い教養を持つて居ない。彼等は多分、ず
つと高級の蓼衝を理鮮することができないだらう。しかしながら彼等は、常に素質としての健全性を有して居
る。公衆は「教養を受けない子供」である。故に彼等の批判は、その最も誤つてゐる時でさへ、邪道に墜ちた
▲悪文畢者の先入見より本省ハ上に於て自然であり、天眞爛漫の眞賓を語るのである。
j∫イ
ポオ、ニイチエ、ドストイエフスキイ
 西洋の文筆者で、僕が眞に畏敬してゐる者は三人しかない。ポオと、ニイチエと、ドストイ土フスキイであ
る。昔からさうであつたが、今日でも伶さうである。
 ドストイエフスキイについては、いちばん古くから私淑してゐた。始めて讃んだのは「カラマゾフの兄弟」
だつた。僕は文畢に於ける深刻といふ言葉の意味を、始めてこの小説から知つた。それは底知れぬ驚異だつた。
績いて「罪と罰」を讃み、殆ど全くこの小説に耽溺してしまつた。僕はあの大作を二日で讃み、首分その異常
な昂奮から、平静に締ることができなかつた。後にショーペンハゥエルの 「意志と認識のせ界」を讃んで、恰
度「罪と罰」の思想を哲学的に紳讃したものを感じ、一種の深い思索的興味を感じたけれども、その讃後感の
強い熱度は、到底「罪と罰」に及ばなかつた。
 それから後、僕は狂信的なドストイエフスキイアンになつてしまつた。日本語に銚辞されてる限りに於て、
彼のあらゆる作品を讃みあさつた。そしてあらゆる作品に感激させられたが、特に就中「死人の家」に威座さ
れた。ドストイエフスキイといふ名は、僕にとつて文学者の神様であり、天才以上の天才だつた。しかもドス
トイエフスキイの名は、昔時の我が文壇であまりに虞く知られてなかつた。昔時この作家を澹いだのは僅かに
∫∫∫ 文学論

武者小路貰篤氏等の白樺による人だけだつた。しかし白樺汲の人々のドストイエフスキイ観は、自分と全く見
る所がちがつてゐた。彼等はこの深刻無比の大小説家を、単純にも人造主義者の概念で総括し、幼稚なセンチ
メンタリズムの文学者として、女学生的ヒロイズムの昂奮で巣拝してゐた。けだし此の汲の人たちは、その年
少時代の感傷たる一種の時流的宗教熱(トルス†イズム)に浮かれ、同じ博愛教徒の一文寧者として、ドス寸
イエフスキイをトルストイの右段に祭つて居たのだつた。しかもトルストイとドストイエフスキイは、性格的
にも奉術的にも、全然正反封の典型に廃する文聾者で、メレヂコフスキイの許した如く、正に「地球の南極」
を代表してゐる。彼等の距離は無限であつて、そこに反封の文寧が封庶すぺき、あらゆる考察が含まれてゐる
のだ。畢なる人道主義者の一概念で、彼等の文寧を一所くたにし、簡単に片づけてしまふほど幼稚な頭脳が、
何の理解を示すだらうか。
 かうした稚態に封する反感からも、僕は二重にドストイエフスキイを崇敬し、この偉大なる文畢者を研究す
ぺく、僕の友人たちにも手紙を書いた。常時その友人中には、室生犀星君と山村暮鳥君の二人がゐた。二人共
未だドストイエフスキイを知らずにゐたが、僕の俸道によつて忽ち熱心な信徒になつた。そして室生君は「ド
ストイエフスキイの肯像」といふ詩を作り、故山村暮烏はその俸記研究に取りかかつた。しかし室生君も山村
罫も、僕の紹介した漁想に反して、常時の時流的トルストイズムの影響から、主として博愛教徒としてのド氏
を認め、一種の宗教的興奮で鰐繹してゐた。友人達も僕にとつては、白樺汲の一族としか思はれなかつた。だ
がこの話は鎗計事である。
                                 ヽ ヽ ヽ
ニイチエを讃んだのは、ドストイエアスキイょりもつと古く、殆んど僕の文学的出態鮎の最初だつた。いち
ばん始めに僕はその「ツアラトストラ」を一語した。そして正直に告白するが、殆んど皆目解らなかつた。あ
の世界的定評のある難辟の書を、ロクロク哲寧的素養の準備もなしに、しかもその他にこイチエの著作を苛ま
∫∫∂
b舶一一頃d
」1す・・d′彗・J 覇兼ホa¶詔の少慧禁・丹礪郭0喪符芸官警部妄考へてノ糾ツf千那州調
        が、常時はそれが療に障り、密かにニイチエに封して反感した。恰度臆病の犬共が、正鰹の解らぬ人物に吠え
         るやうに、僕も恐怖から反感した。
         しかしその後、同じ生田長江氏の詳で彼の別の著書を讃んでから、すつかりこの大思想家に容態され、反感
        どころの騒ぎでなく、完全に長れ入つて僧服した。その別の書物と言ふのは、例の「人間的なあまりに人間的
        な」であつた。この著はニイチエの作中で最も鮮り易い部分であつて、言はばニイチエ哲畢の入門書である所
        から、流石頭脳の悪い僕にも理解された。(もつとも充分に理鮮する迄、十行を三度も讃み返さねばならなか
        った。)始めてそれが鮮つてみると、ニイチエは正に太陽だつた。それが照らす所の世界の景色は、自重より
       も輝やかしく、熟と生命とで氾濫してゐる。思想の深刻さは無限であり、どこまで掘つても掘り切れない。心
        理の解剖は髄に達し、どんな小説も及び得ない。その上にまた表現が、詩のやうに蜃術的な魅力を持つてる。
         僕は賓に驚嘆した。こんな深刻な大思想家、こんな鋭利な心理学者、こんな詩人的なメタフイヂシアン、そ
        の上にもこんな力強い意志を高調した大精神が、かつて何虞にあつたらうか。僕はニイチエの前に封して、自
        分が全く取るに足らない鈍物であり、三人に封する晶ケラのやうな卑下を感じた。なぜなら僕が三年間もかか
        って考へ、やつと一つ態見したと思つたことを、ニイチエはただ一日で知り蓋してゐる。僕の全力する大思想
       は、ニイチエにとつての一行であり、しかも平凡な常識事にすぎないのだ。彼は僕等の終る所から出覆し、僕
        等の頭脳を幼稚園の課目に入れてる。それ故僕等の智カを以てみれば、ニイチエはいくら掘つても掘り表せず、
        無限の地獄に達してゐる底なし井戸だ。
         こんな奇段的の天才とは角カにならない。青年時代の血気にはやり、人を人とも思はなかつた常時の僕も、
        さすがにニイチエには降参しちやつた。そして先生に封する弟子の畏敬で、以後は一筋宛彼の著作を熟讃した。
∫∫ア 文学論

洲仙
批評眼で讃むのではなく、平身低頭して讃むのであつた。もちろん僕は、その超人思想や権力主義には、今日
伶納得できない多くの疑問を抱いてゐる。僕はむしろ哲撃として、ショーペンハウニルの厭世思想に惑溺し、
それから脱却できないものを多分に持つてる。にもかかはらずニイチエの哲学は、不思議な拳術的の魔力によ
つて、僕等の生命感を手づかみにする。ニイチエの思想は智寧でなく、むしろ電気カのやうなものである。だ
                                                   ヽ ヽ ヽ ヽ
れでもそれに解れたものは、強い雷雲の中で寸断される。イデオロギイのょぼょぼした主張なんかは、ニイチ
                       Pヂツク
エの前では骸骨のやうに粉砕される。それは単なる論理でなく、火と電撃とを呼ぶ「カ」だからだ。
∫∫∂
 ポオに裁ては、同様に昔から畏敬してゐた。彼の代表的な短篇集は、僕にとつて一つの文畢的聖書であつた。
特にその「アツシヤー家の漫落」「物言ふ心臓」「黒猫」「リヂア」「渦巻」等は、それを始めて讃んだ時から、
魔のやうに頭脳の底にこびりついて、如何にしても僕の詩的幻想から迫ひ出せない。おそらくは永久に、僕の
生涯を通じてこの印象は残るだらう。ポオを考へることは恐ろしい。ニイチエやドストイエフスキイを恐れる
ょりは、もつと別の意味で恐ろしい。なぜならポオこそは、天才といふ言葉が意味するところの、あらゆる狂
気じみた神秘の中で、最も内奥的な気味悪しき神秘だから。僕はボードレエルを畏敬してゐる。だがボオを恐
ろしいと思ふ意味では、ボードレエルをさのみ恐ろしく息つて居ない。なぜならボードレエルの理智や感情や
は、所詮俳蘭西的聴明の高調で、言はば一種の高等常識にすぎないから。(悌蘭西人といふものは、英国人と
は別の意味で、最も常識の餞達した国民である。)之れに反してアラン・ポオは、常識の世界を超越した神秘
                                                               ヽ ヽ ヽ ヽ
詩人で、本能的にさへ薄気味の悪い狂人だから。ボオの蜃術には血糊がついてゐる。狂人のぺとぺとした、心
臓から流れる生血がついてる。ボードレエルは聴明であり、逢かに冴えて澄んでるけれども、それだけ紳士的
常識の詩人を出∵ない。
 それ故僕にしてもサさのみボードレエルは恐ろしくない夕月僕のやうな人間でも常」若し昔時の俳蘭西に生れて
ゐたら、たしかボードレエル位の仕事をし、彼ほどの詩やエッセイを書いたであらう。すくなくともボードレ
エルは、僕にとつて「及び得る」といふ自信をあたへる。然るにポオに至つては、徹頭徹尾絶望であり、最初
から降参する外に仕方がない。ポオは天才の天才だから、勉強しても迫ツつかないし、眞似をしても眞似がで
きない。これこそ本官の 「奇蹟」 であり、文孝の中での、、、ステリイだ。
                                                                       ヽ ヽ ヽ
 ポオと、ニイチエと、ドストイエフスキイと、この三人の文学者は、或る本質の鮎に於て、不思議にぴつた
いとよく似てゐる0第一に先づ、ポオとドストイエフスキイとが酷似してゐる0ポオの特色たる病的心理や、
                                                             ヽ ヽ ヽ ヽ
怪奇思想や、犯罪への強い好みや、厭人病的なデカダンスや、暗い憂鬱の情操やはそつくりそのままドストイ
エフスキイに現はれてゐる。特に就中、その病的心理の鋭い描寛が、南方の作家に特色してゐる。ポオの名作
「物言ふ心臓」と、ドストイエフスキイの傑作「罪と罰」とは、病的心理の著しい描馬に於て、正に世界の姉
妖小説と言ふぺきだらう。ポオほどに鋭く書いた作家はなくドストイエフスキイほどに精しく書いた作家はな
いのだ。
                                                Hリ′ リ ツ ク
 けれども特に注意すべきは、この二人の文学者に共通してゐる、特殊な抒情詩の精神である。ポオがその抒
情詩集に歌つてる詩は、多く皆怪奇にしてスヰートな懸愛詩で、これが散文の方では名作「リヂア」に現はれ
てゐる。リヂア! おょそ文学に現はれた作品中で、これほど艶めかしくスヰートでしかもこれほどグロテス
クで気味の悪い抒情詩がどこにあるか。その不思議な作品中で、ボオは墓場の中の懸人を呼び起し、死人の部
                       ヽ ヽ ヽ ヽ
屋で抱擁しながら、馨を忍んでさめざめとすすり泣いてる。そこに我々は、魂の食ひ裂かれたやうな働笑と女
∫jク 文寧論

の生血によつて塗りつけられた、蒼白いセンチメンタルの抒情詩を見るのである。
 恰度この同じ感傷主義が、ドストイエフスキイの作品にも一貫してゐる。ドストイエフスキイの作中に出る
懸人等は、その風貌からして病鬱に蒼ざめて居り、いつでもボオの少女リヂアを表象してゐる。彼女等はいつ
も神秘的の性格者で、基督敦の蒼ざめた信仰から、肉の破れはてた魔窟の中でも、不死の貞操を幻想してゐる。
ドストイエフスキイの書く懸人等はすぺて肉饉を持たないところの、塵魂だけの幽塞であり、墓場の中に鬼火
                    ヽ ヽ ヽ
のやうに、断腸の悲しみで、すすり泣いてゐるボオのリヂアは、正にドストイエフスキイのネルリであつて、
前者が詩人として歌ふものを、後者は散文家として抒情詩してゐる。
 かうした二人の作家の一致は、決して畢なる偶然ではないだらう。思ふに露西亜のドストイエフスキイは、
かつてどこかで新大陸の鬼才ポオを讃んだのである。若しその影響でないとすれば、遠く囲を距てた二人の相
似を、只々奇妙と言ふ外はない。(二人の作家に於ける唯一の相連は、ポオが無神論者であるのに封して、ド
ストイエフスキイが基督敦の信仰を持つてたことだ。したがつて前者が一種の超倫理主義者であるのに反し、
後者は愛の礪音による救せ的人道主義を抱沸してゐた。だがこの相違は、気質上の相違と見るよりは、むしろ
二人の生れた郷土の関係に辟すぺきだらう。ポオはピューリタンの新殖民地に生れ、ドストイエフスキイは希
鳳正数の古く侍統した露西亜に生れた。)
 次にニイチエとドストイエフスキイも、その文学的気風の上で、不思議に共通した一致を持つてゐる。だが
                                                                                      、.ヽ
この二人の関係は、間にショーペンハウエルを入れて考へる時、一層明らかになるであらう。ドストイエフス
キイは、常時露西亜の革命的青年(虚無主義者)を支配したショーペンハウエルの哲拳から、明白に少なから
ぬ感化を受けてゐる。そして一方にニイチエは、ショーペンハゥエルによつて哲学の洗穂を受けた人で、後に
その▲厭世思想を験したとはいへ、言はばショーペンハゥエルの高弟である。したがつてこの」関係から、こイチ
∫の
相一
      ′I Y・十繁        LJl・Jミけ・−≠・!F      ト 〜−“ヨ喜椚瀾瀾憎摺ノ榊稽川11ほ一頂瀾仙dJィい議題パリJヵ一}でT7遷川H詣絹首11子、ン
朋朋朋那†いmん楓戚認dγポポ小母f自然に繋がつた兄弟であ打獣文孝者とけuでの出磯鮎匂ず思想の幹を」
つにしてお
る。
 ドストイエフスキイの代表作「罪と罰」は、ショーペンハゥエル的の虚無思想から超躍して、直ちにニイチ
エの超人主義に徹入してゐる。主人公の大学生ラスコリエコフは、正にニイチエのツアラトストラを具膿化し、
自ら超人たらうとした英雄である。不幸にも彼の超人は漫落したが、その小説全巻の思想を通じて、ニイチエ
の哲季は至るところに取り込まれてゐる。この意味で「罪と罰」は、ニイチエズムの小説的註解育とも見るぺ
きであらう。確かにこの度西亜の作家は、深くニイチエを愛讃しで、思想上に影響を受けてゐたにちがひない。
一方でニイチエがまた、ドストイエフスキイを「我が師」と呼んでる。あの傲岸不遜のニイチモ自ら十九世
紀最高の天才と自縛したニイチエが、他人に謙遜して「我が師」と呼ぶのはけだしい←いいの場合でなければ
ならぬ0
 ポオとドストイエフスキイの相似は、主としてその文学的気質にあり、趣味や性向の鮎にあつた。そしてド
ストイエフスキイとニイチエとの共通鮎は、多くその思想上の鮎にあつた。だがもつと根本的に考へれば、後
者の相似鮎もそれだけでなく、やはり文畢者としての気質的一致に蹄するだらう。即ちその孤濁を愛する厭世
人的性向や、一種のデカダン的気質の上に、両者の共通性が根を持つのである。(註。ニイチエは彼自身のデ
カダンを克服すぺく、デカダンに対して戦つた戦士なのだ。)かうした気質的孤濁の文学者は、必然に心理学
への興味をもち、その方への鋭どい観察者になる。ニイチエとドストイエフスキイとは、この鮎で軌を一にし、
メレヂコフスキイの許した如く、共に址んで十九世紀の最も深遠な心理学者だつた。ニイチエがドストイエフ
スキイを「師」と呼んだのも、おそらくは多分この鮎での驚異であつた。
∫古∫ 文畢論

 人は常にその封択を見、自分と同じ線の上で、他の反封の側に向き合つてる者(即ち敵)を注意する。だが
自分と立場がちがひ、別の改行線に属する者には、全く関心を持たないのである。故に例へば蜃術家は、同じ
拳術家仲間の偉人を恐れるが、政治家や軍人の大人物には、何の関心も持たないのである。同様にまた僕等も、
自分と性向や気賀を一にし、文学の目標する同じ地鮎を争ふものを、常に敵として恐れてゐる。始から素質が
ちがひ、文学の特色を異にする別汲の者には、畢なる尊敬は沸ふとしても、異に関心するところはないのであ
る。
 それ故に僕が文学者として恐れるものは、常にポオであり、ニイチエであり、ドストイエフスキイである。
その他の偉大なる文学者、例へばトルストイや、ユーゴーや、ゲーテやに関して言へば、僕として単に尊敬す
るのみである。なぜならトルストイやユーゴーやは、素質や性向の上に於て、始から自分とは世界がちがひ、
別の改行線上に属してゐるから。もとより自分は、彼等の文学を所有し得ない。だが同時に、所有しょうとも
欲しないのだ。之れに反してニイチエやドストイエフスキイは、自分と顆似した素質をもち、自分と同じ線の
上で、同じ文学の指盤を指して居る。しかも僕等の非力が及ばぬ所で、五大な岩のやうにそびえて居るのだ。
僕等は彼等を乗り越えるか、でなければ岩の下で、惨めに度しっぶされる外はないのだ。
 ポオとニイチエとドストイエフスキイは、近代の文学史上で、最も多方面に最も廣く感化をあたへた文学者
である。近代の詩人にして、ポオの影響を蒙らない者は殆んどなく、近代の小説家にして、ドストイエフスキ
イから寧ばなかつた人は稀れである。ニイチエに至つては、特にその影響が著をしく、主義に於て彼と反封す
る牡令室義や無政府主義の人々でさへ、大概みなニイチエから電撃され、その巨人的影響の下に出優してゐる。
なぜならニイチエの思想の中には、その敵や反封をも包容する、深遠無比の偉大さがあるからである。そして
勿論、この深遠さと複雑さは、濁りニイチエのみに限らず、すべての偉大な文学や思想の特色であり、ボオに
∫古2
もドストイエフスキイにも共通してゐる。それからして偉大の文学は、宙の異つた鮮繹と将論とを生むのであ
る。(容易に々の底の探れる穴は、常に必ず小さな穴だ。)
 僕は昔からポオに私淑し、ニイチエに驚嘆し、ドストイエフスキイに畏服して居る。おそらくこの三人は、
過去に於ける僕の先生であらう。正直に反省して、僕は確かにこの三先生の感化を受けてる。蜃術上にはポオ
に多く、情操上にはドストイエフスキイに、思想上にはニイチエに深く影響されてる。もつと他の言葉で言へ
ば、ポオは僕に≦∽HO宅をあたへ、ドストイエフスキイは人生の晴鬱な悩みを敦へた。そして伶ニイチエは、
かうした憂鬱と苦悶の中から、人生を切り抜くことの勇気を教へ、僕を自暴自棄の紹望感から救済して、戦ひ
生きることの意志をあたへた。ポオとドストイエフスキイは僕の「蜃術」であり、ニイチエは儀の生き得た
「生活」だつた。