特殊国としての日本文壇
日本といふ囲は、いろいろな意味に於て世界の特殊園である。例へば文壇に於ても、詩が小説の下位に見ら
れ、詩人が小説家よりも軽祓されてる。こんな特異な現象は、決して外因には無いのである。西洋の文壇では、
詩がいつも文学の最上位に位して居り、詩人と言ふ名栴自身が、小説家などよりずつと高く、文蜃思潮の指導
者として、最上の尊敬で仰がれてゐる。それ故に例へば、西洋の文学史や文垂批評では、巻頭に先づ詩と詩人
ヽ ヽ ヽ
とを許俸し、次に小説や戯曲やを論ずるので、順序が昔からちやんと一定してゐる。日本の文蛮批評のやうに、
j(け 文学論
この順序が反対になり、最低度の者が最上位に願倒され、詩と詩人が殆んど問題にもされないほど、文壇批判
から除外されてゐる如きは、世界に顆のない特娩現象と言はねばならぬ。
かくの如く、外国では詩が文壇の権威であり、詩人が最高の名著と、尊敬を受けることから、たいていの文
畢者等は、その出饅の官初に於て、一度は先づ詩人に成らうと志してる。今日、僕等に名を知られてる世界的
の文畢者は、小説家であつても、戯曲家であつても、彼等の文寧的出磯の官初にあつては殆んど皆例外なしに
詩を書いてゐた0例へばモーパツサンでも、ストリンドペルヒでも、バルザツタでも、最初は皆詩人にならう
として出態し、熱心に詩を作つて居た0此等外圃の文学者にして、過去に薄い無名詩集の一筋ぐらゐ、持つて
ゐない者は殆んど無からう。
西洋の文寧者が、かうして出磯の首初に詩を作り、詩人に成らうとして志すのは、その「詩人」といふ名将
自身が、文畢者の最も望ましい柴審として、一般に高く考へられてゐるからである。そして年の若い青年時代
は、だれしも質利よりも名著を愛し、ロマンチックな憧憬に耽り易い。後に小説家として知られたやうな文寧
者が、すぺて皆出饅の青年時代に詩を作り、且つ詩人に成らうと志したのは官然である。おそらく西洋の文拳
者で、始から小説家に成らうとしたのは少数だらう0モーパツサンのやうな典型的小説家でさへ、青年時代は
小森家を軽蔑し、自ら詩人に成らうと意志したのである。
しかしながら彼等は、すぺて皆中途に於て詩を廃し、一挿して小説家や戯曲家になつてしまつた。何故だら
うか↑ 第一に彼等は、自ら詩人的天分の快けてることを、後に自覚して来たからである。詩といふ拳術は、
単にそれを「書く」「作る」といふだけでは、おそらく文畢中の入門学課で、どんな年少で無数養な人間にも、
例外なく鮮造作に出来るほどのイージイさと、素朴的畢純さを本質してゐる拳術である。そしてこの原因が、
ノ方で多くの文畢愛好者を詩人にする○しかしながら一方では、詩はどまた特殊の天分を必要とする、文畢中
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の特殊的種目はない。この鮎で小説はずつと逢かに一般的で、格別特殊の鬼才がない人でも、一通りには小説
家に列することが出来るのである。詩は何人にも書ける代りに、詩人として柴拳の桂冠をかち得るものは、古
千萬人中に一人しかなく、あらゆる文学的素質の中で、最も特異な稀有の素質を必要とする0
それ故に一般の文筆者は、出教の官初に於て、たいてい詩人に成ることを意志しながら、後にはたいてい皆
紹望して、自己の才能に邁應した小説家等に撃つてしまふ0さうでなく、もし彼等が何時迄も詩に執着し、最
初の野心を捨てなかつたら、今日大文寧者として知られる作家ですらが、特色のない末流平凡の詩人として、
姦しく無名に経つたであらう。詩人として名を知られ、詩人として成功を克ち得たる者は、最初のスタートを
切つた何古人の文寧者の中、異にその最も特異な二三人にしか過ぎないのである○これを思へば、詩人が文壇
に於て貴重硯され、異常な尊敬を受ける所以も明らかである0
西洋ではこの通りである。だが我々の日本に於ては、詩人の名が始から軽蔑されてる0それ故に日本に於て
は、多少野心を持つてる青年等は、概して皆小説家たらうと志してる0すくなくも現代日本の文学者で、一流
の権威と名筆を持つてる者は、殆んど皆小説家である0そして彼等は、過去に決して詩を書かなかつたし、ま
た勿論、自ら詩人に成らうとも意志しなかつた0彼等日本の文畢者は、始から小説家に成らうとして出優し、
そして始から小説を書いて居た。西洋と日本と、此所が非常に達ふのである0
だがこの事情の相違は、そこにまた必然の理由があるので、要するに日本の文化が、日本の特娩的文壇を生
んだのである。日本では何故に詩が軽蔑されるか? 何故に詩人の名が、西洋の如く高い尊敬に債されない
か↑ すべて此等のことに就いては、充分の説明さるべき事情があり、全く必然の理由がある0だがこの論文
には省略して、他の別の事賓を観察しょう。
日本の新しい文壇は、しかしながら最近の傾向として、よほど特殊囲の範囲を況し、外因一般のそれに近づ
…血朝一点一
j丘,文畢論
いて爽た0印ち悪文壇の先頭に立つてるところの、多くの若い新進作家は、概して皆過去の眈成文学者とち
がふところの、別種の文孝的経路から態足して来た0即ち霊の若い小説家は、多く皆過去に詩を書いて居り、
過去に詩人たらうとする野心をもつて出態してゐた0さうでない人たちも、多少詩に興味と理解を有して居り、
或は何等かの詩壇的関係を有してゐた0試みに最悪文壇で、最も高い時代的償値を建設してゐる多くの若い
歪丁者、即ち例へば評論家としての小林秀雄、小説家としての中野重治、堀辰雄等の諸君を見よ。彼等は皆詩
人として出饅し、大々の未刊行詩集を過去に持つてる0もつと最近の作家としては、北川冬彦、梶井基次郎の
やうな諸君があり、他に随筆家としてサトー・ハチロー、苦行エイスケ、林芙美子、中西倍堂等の諸君、皆過
去に詩人として出優したところの人々である0そしてしかも、小説にも随筆にも、此等の諸君が最近文壇を代
表し、従来の文壇に無いところの、特殊な新株式の文寧を創造してゐる0(此等の人々の詩には、過去に詩人
として相嘗才能を示し得た人もあつた○しかし概して言へば、小説や随筆やに樽じたことで、ずつと自分の本
質の物に近く、多くの得をして居るのである0私の驚いたことは、詩人としてロクでもないと思つた人が、散
文家として驚くぺき才能を態揮してゐることの態見だつた。)
おそらくは伶、日本に於て、詩が文畢の最高地位を得る時代は遠く、未来に属する夢かも知れない。しかし
ながらすくなくとも、今日以後の新しい我が文壇は、次第に外国のそれに近づき、すぺての作家の出蜃経路が、
「詩から小説」もしくは「詩から他の歪T」をたどるであらう0換言すれば、働めに詩人たらうと志し、後に
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他の文学者に縛身するのが、表の場合の文学的経路になるであらう○そして差それ故に詩が表的に理解
され、文壇から深い敬意と愛慕とを持たれるだらう0けだし一度でも自ら詩を作り、詩人たらうと志した所の
人は、それが如何に貴重な文学であり、特殊な素質を必要とする唯表現であるかを知つてるから。かくして
おそらく、詩と詩人との正しい許償が、次第に創立されて来るであらう。
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