芥川龍之介の小断想
 芥川寵之介ほど、多くの矛盾した敗者褒乾の批評を受けてる文学者はない。或る人は彼の文拳を典型的の近
代小説と許し、他の人はそれを一種のエッセイにすぎないといふ。一方では彼を詩人と構し、彼の作品を散文
∫〃 回想・詩人論・詩竣時評

詩だといふ人があるに封して、妄では反封に、詩的情操なんか少しもなく、素質的に詩を持たなかつた文畢
者だといふ人もある○或る人は彼を天才と呼び、或る人は単なる秀才に過ぎないといふ。前者は彼を租明な知
性人で、すぐれた頭脳を持つた思想家だといふに封し、後者は畢なるぺダンテストで、思想なんか少しもなく、
生意気な中畢生といふ程度の、幼稚な頭脳者に過ぎないといふ○さらに或る人々は、彼の作品を主観の熱烈な
告白であり、眞のヒューマン・ドキュメントであると許し、他の人々は反封に、全然自我の生活を書かないヂ
レツタントで、人生の皮肉的傍観者に過ぎないと誹誘する0さらにまた或る人々は、彼の文寧がすぺて小常識
の概念であり、初等敷革的に割り切れ過ぎるといつて軽蔑し、他の人々は反封に、不思議に理解できない神秘
の謎が、表の捕捉しがたい懐愴の鬼気を感じさせるといつて鷲敷する0(山岸外史君の著書「芥川寵之介」
は、芥川文学のミステリイについて、新しい濁創的の批判を遽ぺてる。)
 すぺて之等の矛盾した、南極的に正反封の批評は、芥川寵之介の場合に於て、各表の眞理をもつてる。茸
際彼は、聖徳太子の聴明さと中畢生の子供らしさを、文寧的性格の両面に素質して居た。非常に後背した成人
の頭脳が、非常に未熟な凌育不全者と同居した0純粋を求める詩人的性格が、それを全く香定するやうな心情
の中に雑居して居た0そしてまた彼の文畢は、賓際に小説でもあり、エッセイでもあり、同時にまたそのどつ
ちでも無かつた。
 彼は名著の絶頂に死んで、不名著のどん底に突き落された0青少年の時、彼の文拳に魅惑されて、その崇拝
者の事変に群集した多くの青年や畢生が、彼の死後になつてから言つてる0何であんな文寧に感心したのか、
今になつて考へると馬鹿馬鹿しく、我ながら腹が立つと0だがそれにも関らず、彼の本官の名饗は、今日筒少
しも衰へては居ない0依然として今日でか、彼の作品は多くの知識階級者や畢生の讃者をもつてる。そして以
前よりも、もづと多くの新しい讃者を、もつと杜合の廣汎な屠に凍大して居る。年々歳々、彼の笥者は大衆の
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中に普泊増して来る。東西古今を問はず骨すぺての優れた奉衝品が、必然にさうした運命を持つてる如蒼1・
おそらく彼の文学は、永遠に「新しいもの」 であるかも知れない。
 おょそ文聾者には、許家から見て二つの異つたタイブがある。一つは「問題を持つてる文孝者」 であり、一
つは「問題を持たない文学者」である。たとへば彿蘭西の詩人の場合で、ボードレエルは前者に虚し、ゴルレ
ーヌは後者に属する。十九世紀から二十世紀にかけ、いかに多くの評論家が、いかに無数のボードレエル論を
書いてることか。これに反してゴルレーヌが、極めて少数の人々にしか稀れに評論されて居ないか。けだしそ
の理由は明白である。前者の詩文寧の内容には、時代の一切の問題を含んだところの、無数の宿題やトピック
が資質されてる。さうした文寧的資質は、これを分析すればするほど複雑であり、いかに論じても論じ義せな
いところの、無限の謎と興味を人々に輿へるであらう。これに反して後者は多くの批評家が言ふ通り、「眞の
詩人中の眞の純粋の詩人」 であり、しかもその絶賛の評語によつて、一切が解決され蓋してゐるのである。ゴ
ルレーヌの詩については、世界の多くの人々が、ボードレエル以上の魅力を感じて居る。すくなくとも純粋性
といふ鮎では、彼はボードレエル以上に許償されてる。だがそれにもかかはらず、多くの人々は彼に評論的の
興味を持たない。なぜならゴルレーヌの詩は、純粋すぎることによつて、問題を含んで居ないからである。
 かうした二つのタイブは、日本の文学者の中にも普通に見られる。だが、明治大正時代の作家の中で、最も
多くの 「問題を持つた作家」は、おそらく芥川寵之介であるだらう。彼はボードレエルと同じく、評家によつ
て、無限に轟きない興味の封象人物である。すくなくも大正時代の日本文化と、その時代の或る社合思潮を表
象するところの、多くの「問題」が彼の作品に内容して居る。しかもその問題の多くは、今日倫未解決のまま
で残され、近い未来にまで裾績して、宿題を残すものである。そしてその限りに於て、彼の文寧は長く人々の
興味をひき、決して退屈されることがないであらう。その上もつと面白いことは、毀暑褒乾の南極端から、ど
〃∫ 同想・詩人論・詩壇時評

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