日本服の絡来
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 日本服の改良について、近頃いろいろな議論がある。日本の女服は、多くの外国人の言ふ通り、たしかに世
界に冠たる優美のものにちがひないが、男の着物は、美といふ鮎から見ても、あまり感心したものではない。
特に多人数集合した場合など、薄汚く黒ずんで見えるので、西洋人の群集の統一共に此し、むしろ甚だ醜悪に
感じられる。それに第一、今日の事務的な牡合に於ては、活動に不便で資用に通しない。私の考を言ふと、日
                        ふだんぎ
本の女服は、永遠に今日の美を保存したいが、男の日常看だけは、何とか改良した方が好いと思ふ。
 しかし私は、多くの改良論者が言ふやうに、日本服を廃して洋服、もしくは洋服まがひの物にすることは反
対である。先年某新聞で改良国民服の新案を募集した時、その官選の分を見たら、たいてい皆洋服の一部を少
し襲更したやうなものであつた。これでは改良日本服でなくて改良洋服である。日本人の国民服が、西洋人の
服装の眞似だなんていふことは、あまり自慢にならない国辱事ではないか。一時西洋崇拝に心酔し、洋服を著
42ア 文明論・紅曾風俗時評

てハイカラがつてた支那の新しいインテリ青年等も、最近日支事攣以来は、民族的に自覚して洋服を脱ぎ、停
統の支那服に蹄つたといふ話である0もつとも支那服は日本服とちがひ、構造が本質的に洋服と同じであつて、
事務上の活動に便利であるから、日本とは少し事情がちがふだらうが、とにかく凛亜に二千六石年の歴史を持
つた日本人が、服装までも西洋人の眞似をするほど、濁創の文北を持たないと思ふと情ない。洋服の眞似なん
かしなくとも、日本には昔からの便利で優美な服装がある筈である。
 そこで過去の歴史風俗から、今日の時代に通する男子服を求めて見ると、鎌倉、室町時代の武士風俗が、最
も邁切であるやうに思はれる0王朝藤原時代の長袖式は、美といふ鮎で申分なく優雅であるが、今日の活杜合
で、算用に通しないことは勿論だし、江戸徳川時代の物は、大鰹に於て現代の日本服と攣りがない。そこで鎌
倉室町時代の服が外観上でも算用上でも、最も現代の要求に適してゐる。常時の男服は、上衣の袖も袴の裾も、
                   ふだ ん
すぺて紐で括るやうに出来てるので、平常はゆつたりした克衣であるが、必要に應じて紐を括れば、いつでも
今の洋服と同じやうに、筒袖ズボン式に攣化する0さうした外観は、二号のモンぺ式であるけれども、逢か
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ふだん
にずつと憶裁がょく、文化人の衣服として恥かしくない。その上平常の寛達にしたスタイルは、洋服の頑袈以
上に品位が高く、正に堂々たる紳士の儀檀を具へてゐるし、寒暑を防ぐ衛生上の見地からも、日本の風土気候
に適して申分ない0もつともさうなると、ついでに洋式の帽子も廃止にして、日本固有の冠物を被るaにし
ないと、少し調和が取れなくなるかも知れないが、今の若い支那人等が、支那服に洋風の帽子を被つてゐるの
が、それほど不調和に感じられないやうに、それ位の和洋混合はさまで可笑しくないかも知れない。
 しかし本官のことを言ふと、服装風俗の攣移などと言ふものは、時代の推移に伴ふ牡合の事情と趣味性の異
攣によつてだれがそれを定めるともなく、自然に民衆の好む方へと流行して来るのであるから、いくら新聞
で囲民服を新薬しても駄目であるし、政府が公告して護国服を奨励しても無益である。民衆は常に、自分等の
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趣味)
ルは、洋服の祀装以
野掛藍鞍際算定養蜜感激瀞凝澄簑茶凝蜜賢箋イ一私儀慶應凝
箋欄
                    をするのであるから、夢野に以.婆←りの條件
ハu軍用と
時代によく邁應する服装が、常にその時代の新しい風俗となるのである。ところで現代の日本人が、
好んで皆洋服を看てゐる理由は一つはそれが賓用上のためであるが、一つは資にそれが国民の趣味性に於て、
何となく上品に美しく、ハイカラでインテリ的な文明風俗と思はれてる為に外ならない0(何と言つても今の
日本人の大多数者は、西洋を唯一の文明園と考へてるところの、欧米崇拝主義者である0)
 さて此所まで考へて来ると、上述した私の改良服論の如き、全く机上の杢論であり、痴人の妄想として一笑
に附されるものか知れない。すくなくとも大多数の日本人が、日本の古代文化について償値を自覚し、それが
今の西洋文明に此して、敢て劣らないものだといふことを認識しない以上、私の上説の如きは「野攣への復
古」を唱へる頑迷者流の反動思想として、一笑に附されてしまふことは明らかである○
 そこで今日の問題として、最後に考へられることは、結局今の時代風俗を、そのままの流行として、現状維
持に放任しておく外ないといふ結論になる。それは過去の日本歴史を反省する時、何より明らかに澄左される0
上古から奈良朝へかけて、日本人の風俗は全然支那朝鮮の模倣であつた○今日の宮廷儀穐服が、純然たる洋装
であるやうに、常時の官制公服や土人の服は、支那唐代の服装をそつくり模倣したものであつた0然るにその
後、平安朝時代に入つて国粋主義の自覚が興り、漸く支那模倣から脱しょうとする気運と共に、服装にもまた
                          ひたたれかりぎぬ       ひとへ
攣化が生じ、藤原時代の優雅で濁特な国粋服が新案された0だがあの直衣狩衣等の男装も所謂十二重衣の女装
も、すべて奈良朝時代の唐代支那服が次第に原型から欒化して、なし崩しに国風化したものであることを知ら
ねばならない。そして一層後世の日本服は、さらにまたそれから崩れて二重に和服化したものに外ならぬ0
         かみしも
(例へば江戸時代の祥の如きも、平安朝時代の祀装を原型として極端に略式化したものである0)
 かく考へてくれば、清爽の新日本服が、どんな形の物になるかは、ほぼ想像のつくことである0おそらくそ
42夕 文明論・紅合風俗時評

れは、今の洋服の原型から、次第に崩れて和風化したものになるであらう○そしてその新しい国民服が生れる
時期は、日本人の表大衆!特に鞋曾の↓盾に立つ智識階級者1が今の西洋崇拝の夢から醒めて、国粋思
想の自覚に達した時に外ならない0過去に支那唐服の直輸入から出優して、世界に痕なき濁特優美な服装を俊
明した日本人は、おそらく近い未来に於て、今日の洋服をなし崩しに和服化し、全く原型と趣を異にするとこ
ろの、世界唯忘美しい奉術的衣服を創造するにちがひない0ただ現代は過渡期であり、西洋模倣を能事とす
                           し け どき
る外に、何の国粋文化の見るぺきものもない最意の不漁時である。
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