現代の青年
無表情の根本病理
新体制とは、新勢力が旧勢力に代り、新思想が旧思想に代り、青年が老人に代つて、新しい社会を組織する制度だといふ。して見れば今日の日本は、正に若きヱルテルの時代の如く、または幕末維新の時代の如く、明らかに「青年の時代」と言はねばならぬ。だが実際には、むしろその反対のやうにさへも観察される。
青年よ超てとか、青年よ希望を持てとか、或は青年に向つて、今日は正に諸君の時代であるとか、街に声を大きくして叫んでゐる人はたくさんある。だが彼等は皆中老年者のグループであり、学校の校長とか、会社の課長とかいふ連中である。かうした連中が寄る所では、極まつて青年の無気力が憤慨され、さかんに青年論が闘はされる。しかも肝心の青年自身は、一向彼等の言に風馬牛で、どこに自分等の時代があるのかと、怪訝に目をきよろつかせてるやうな有様である。ぶしつけに言へば、今はさうした「青年父ツちやん」の時代であつで、青年そのものの時代ではないやうである。
一昔前の青年たちは、さうした親父たちの意見に対して、敢然自分の思想を主張し、或場合には、断乎たる弁駁や反対論をさへ称へたのである。だが今の青年たちにはそんな自己信念もなく勇気もない。彼等は年長者の意見に対して外見いかにも殊勝らしく、無言に頭を垂れて敬聴してゐる。だが実際には、少しも「敬聴」してゐるのではない。私は最近ある会合で校長から訓示されてる学生の一群を見た。その校長は声をはげまして時局を論じ、今こそ新日本の黎明時であり、正に青年の起つべき時代であると論じ、さかんに青年の希望を鼓吹する演説をした。多くの学生たちは、黙つて謹厳に話をきいてた。だが彼等の顔を見渡した時、私は一体、彼等が何事を考へてるのかを疑つた。かくも劇的に、煽情的でさへもある校長の熱弁に対して、一人の目を輝かして聴く生徒もなく、一人の胸を轟かしてゐる生徒もなかつた。彼等の顔は、全く不可解なる無表情そのものであつた。かつて或映画館で、丁度その校長の言葉と同じことを、ヒツトラアが壇上で演説した時、独逸の学生や女学生が、感激に昂つて目を輝かし、ハイルハイルを絶叫した場面を見た私は、彼我の対照の著るしさに怪み驚いた。
元来日本人の顔は、西洋人に比して無表情である。しかし今の青年学生の顔に見る無表情は、一種特残の意味を持つた無表情である。それは兵隊の顔に見る無表情とも似て大にちがつてゐる。兵隊の無表情は、鉄の意志を持つた無表情である。然るに今の学生等の無表情は、その反対を内容してゐる無表情である。つまり彼等は、年長者の言に対して、何の感動もなく反抗もなく、もちろんまた批判もなく質問もなく、なぐられても打たれても、逆にまた讃められても煽られても、一向に無感覚になつてるのである。即ち言へば、彼等は一種の「精力虚脱症」にかかつてるのである。
そこで私の問題は、どうして今の青年学生が、こんな病気にかかつたかといふことの、根本の病理学から出発する。私の考へを言ふと、おそらくそれは、軍隊的教育法の、誤つた民間通用にも、一部の原因があるかと思ふ。軍隊的教育法は、これを巧に利用すれば(ナチス独逸のやうに)確に鉄の意志をもつた人を作る。だがこれを下手に悪用すれば、全く自己の自由意志をもたないところの、そして打たれても擲られても、侮辱されても罵倒されても、無感覚に平然として、ひたすら没法子の事大主義に生きるところの、支那苦力のやうな精力虚脱者を作るのである。
民族的矜持の自覚
軍隊精神の支持は、規律と命令の遵奉である。上官の命令は絶対に服従すべしといふ軍法の前には、懐疑も批判も許されない。そしてこの一つの軍律が、実際に鉄の兵士を作るのである。だが軍隊と社会とは、内部の組織がちがつてゐる。軍隊は実社会から隔絶してゐる、一種の特別の社会であつて、或る単純な一元的な原理が、系統的に部門を組織してゐるのである。然るに実社会はさうでなく、種々雑多の複雑した多元的な原理によつて、微妙な関係で組織されてゐるのである。
軍隊の教育法が、最も理想的な兵士を作るといふ考へから、もし一般国民の大衆や青年等に対して、その同じ方法を採用しようとする人があるとすれば、為政者として最も非常識な人であらう。もちろん青年の訓育上に、軍隊的の規律や鍛錬を課することは、或程度まで極めて必要のことであるが、国民そのものの精神を、一元的に兵隊化するといふことは、社会の事業や産業やを、本質的に停止させてしまふ結果になる。なぜなら実社会の組織と活動力とは、前言ふ通り、多くの矛盾と対立を含むところの、複雑微妙な有機的関係で出来てるのだから。
そこで例へば、服装や風俗にしたところで、産業や工業の発達した、したがつて社会組織の複雑した、文明富強国の民衆ほど、多種多様な服装をし、風俗が個性的に入り混つてゐるのである。一昔前の朝鮮人やアラビ
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程度の低い未発達な社会を証左してゐる。之に反して、軍隊の如く、一元的な原理によつて組織されてる特別の社会に於ては、服装もまた一元的に統一されるのが普通である。軍隊的教育によつて、国民を一元的に指導しようとするのは、あたかも国民全体にカーキ色の制服をきせ、以て社会を兵営化しようとするに同じく、却つて社会を疲弊させ民衆の生産力を停止させ、国民を無気力化する結果になるかと思はれる。
先年、独逸のヒットラアユーゲントが日本に来た時、いかにもその青年らしく、希望と勇気に溢れた颯爽たる姿を見て、外国のことながら、真に頼もしい若者達といふ感じがした。思ふに彼等のさうした気魄は、そのナチスの指導者を絶対的に
― 殆ど宗教的にさへも ― 信じ切つてゐることと、独逸民族の使命と矜持とを、高くロマンチックに理念してゐる為であらう。それに反して日本の青年、特に学生の大多数が、いかにみじめに意気消沈し、虚脱者化してゐることかを、改めて悲観的に反省せざるを得なかつた。
かうしたコントラストに於ける、彼我青年の心理の相違は、一つにかかつて「希望」の有無に帰因してゐる。明白に言ふと、今の日本の青年たちは、何等のロマンチックな夢も持たず、何の希望も持つてゐないのである。なぜなら彼等は、独逸青年に於けるヒットラアの如き、宗教的信仰の神を持たず、また民族の使命についても、真の自覚と衿持を所有してないからである。
彼等の大多数の学生等は、べからず令によつて禁圧され、ただこれ法に触れまいとして、猫の如く汲々如として居るにすぎない。
今日為政者の為すべきことは、何よりも彼等に対して、希望を与へることでなければならぬ。そしてこの為には、日本人としての民族的衿持を自覚さすべく、第一に先づ、日本の伝統的なる国粋文化について、正しい認識と歴史的教育を与へ、以て彼等の先入見であるところの、西洋崇拝の迷夢から覚醒させることが最も緊要事であると自分は思ふ。ヒットラアの教育法は、民族意識の第一課にそれを置いた。日本もそれを習ふべきである。然らずして、単に軍隊的の号令やカケ声によつてのみ、空虚に内容のない愛国心を鼓舞したり、無意味にただ声を大にして、抽象的な希望を鼓吹したところで、教育ある青年学生を動かすことは不可能だらう。
希望に赴かしめよ
青年と一口に言ふ中にも、具体的には様々な種別がある。だがこれを大別して言へば、学生等のインテリ階級に属するものと、農村青年や工場青年の如き、所謂大衆青年との、二つの種類に別れるだらう。これをもし経済的に分類すれば、前者は親からの送金学費によつて、寄食的に生活してゐる青年であり、後者は自ら社会に立ち独立の労働によつて生活してゐる青年である。
そこで今日の禁令が、比較的前者に対して厳であり、後者に対して寛であるのは、もちろん当然のことだと思ふ。学生たるべきが、殆ど教室には出席せず、日夜ダンスホールに通つたり、麻雀に耽つたり、映画館に入りびたつたり、珈琲店に出没したりするのは、近時の禁令を待たない迄も、当然民衆の排撃を受け、早く既に社会的に制裁さるべき筈であつた。
実際一頃の学生生活は、全く目にあまるやうなものであつた。角帽を横に被り、レインコートのバンドを外し、泥酔して隊を組みながら、街路を横行する学生の姿を見ると、人事ながら、横面を擲りつけてやりたくなると、或在留独逸婦人が書いて居たが、外国人にあらぬ日本の民衆自身が、何故今日に至るまで、あへてそれを擲りもせずに、自由に放任して居たかといふことが不思議である。
そのくせ彼等は、若い女が少しばかり派手な服装をしたからといつて、すぐ国賊呼ばはりをして擲りつける。
かうした学生風俗が、今は街上から一掃されてしまつたことは、確に悦ばしい現象である。若君懲乱戦め鞋淋訂患掛叫欝倹川濫掛象象であるだがその後の彼等学生が、果して「本心に立帰り」勤勉にして真面目な学生になつたか何うかは、甚だ疑問なきを得ない。おそらく彼等は、禁錮された遊冶郎の如く、一種の精神虚脱者に化してるのである。そこで或る強制的な仕方によつて彼等に一種の軍隊式教育を課し、以て心身の鍛錬をさせようといふ考へ方も、一部の教育者の間に起つて居る。現に某大学総長の如きは、知育よりも体育を本位として、大学を改新するといふ説を述べてる。だがかうなつて来ると、学校が一種の懲治監と選ぶ所なくなつて来る。肝腎のことは、青年をして自発的に
― 他動的にではなく ― 新しい希望を抱かせるやう、教育を仕向けるといふことである。
そしてそれには、前言ふ通り、民族の文化的使命について、正しい認識と自覚を与へるところから、彼等のインテリ的衿持心を、高い祖国愛に向はせる外はないと思ふ。
次に第二種の青年、即ち農村青年や工場青年やの、所謂勤労大衆青年について、自分の考へるところを一言しよう。此等の青年に関しては、学生とは反対に、むしろ或る程度まで、その大衆的娯楽や遊興やを、寛大に黙許する方が好いと思ふ。なぜなら彼等は、学生の如きインテリ的衿持を持ち得ず、大衆のレベルに勤労生活してゐる者であるから、酒や女やの娯楽なくして、生活の意義を知り得ないのである。況んや今日の如く、極限に近い勤労と窮乏とを強ひられてる時代に於ては、常にも増して娯楽が一層必要であり、酒や煙草の如きものさへ、殆どすべての民衆生活から、一種の実用品として、生理的に強く要求されてるのである。
欧洲の例を見ても、大戦時には常に劇場や映画館が満員であり、至る所に娯楽場が繁昌してゐる。前大戦の時、独逸にはパンが無くなつたが、麦酒だけは常に豊富にあり、国民はそれを飲んで酔ひながら、非常の苦悩と欠乏に耐へ、以て不平を紛らしてゐたのであつた。
徳川幕府の経済的危機に際して白河楽翁の松平越中守と、その政策を襲用した水野越前守とが、共に極端な勤倹節約制を強制し、民衆の欲望を最大限に抑圧したるにも関らず、前者が比較的その改革に成功し、後者が惨澹たる失敗を喫したのは、民情の心理学に通じない後者の水野が、歌舞伎、吉原を始め、民衆の娯楽一切を禁圧した為であつた。
これに反して通人の楽翁公は、他の方面で厳重に禁令しながら娯楽方面では比較的寛大であり、むしろこれを自由に保護した形であつた。
国民がその慾望を禁圧され、多大の負担に苦しむ非常時に於てこそ、酒や娯楽が益々必要になるわけであり、もし強ひてそれをしも禁圧すれば、遂には由々しき結果になることを知らねばならぬ。県令の特に厳しい地方の青年団等が、最近時局に名を藉りて、時にしばしばヒステリカルな暴力団的行動をする噂を聞くが、此れ等は単に「行きすぎた時局意識」といふやうな見方によつて、皮相に看過すぺき問題ではないと思ふ。