日本人的なる表情
「世紀の凱旋」や「民族の祭典」などの映画を見た人は、だれも気の付いてることと思ふが、画面にヒットラーの姿が出て来ると、見物が皆クスクス笑ふ。何が可笑しくて笑ふのだらうかと、自分はその理由を考へて見た。勿論、軽蔑の意味で笑ふのではない。道化が可笑しくて笑ふのでもない。反対に人々は、ヒットラーに非常な好意と愛敬とを感じて居るのだ。では何故に笑ふだらうか。そこに考ふべき問題があると思ふ。
「世紀の凱旋」は、仏蘭西を屈服させたヒットラーが、全国民の熱狂的な歓呼の声に迎へられて、ベルリンに凱旋した時の記録写真であるが、群衆の歓声に取り巻かれたヒツトラーが、自動車の上に立上つて挨拶したり、総裁官邸の露台に立つて、幕僚と何事かを私語しながら、群衆に向つて手を振つたりする様子が、いかにも子供らしく嬉しさうで、真に得意満面。男子一代の光栄を自覚してゐる悦ばしさが、押へきれない微笑となつて、自然的にその表情に現はれてる。さうした天真爛漫な表情が、あまりに自然的に無邪気であり、いかにも子供らしく感じられるので、日本人の観衆は無意識に可笑しくなり、好感的にクスクス笑ふのである。
「民族の祭典」に出て来るヒツトラーは、独逸の選手がリレー競争でバトンを落し、折角の勝利を惜しくも失したやうな場合に、座席から乗り出して手を揉んだり、いかにも口惜しさうな顔をしたり、座にも耐へないやうにハラハラしたり、反対にまた独逸側が勝つた時は、満面崩れるばかりにニコニコして、いかにも無邪気に嬉しさうな表情をする。それがまた真に自然的であつて、子供のやうな天真爛漫に感じられる。
ところで日本人には、一般にさうした表情の自然表現がない。特に大臣とか首相とかいふ偉い人々になると、どんな場面にも渋面作つて威厳を保ち、夢にも喜怒哀楽を色に出さないのを常としてゐる。然るにヒットラーともあるべき人が、あまりに子供らしく無邪気であり、天真爛漫の表情を見せるので、自分等の日本人は、何とも知らずに可笑しくなり、ついクスクスと笑つてしまふのである。
だがヒツトラーに限らず、一体に西洋人といふものは、日本人や支那人に比して、どこか子供らしく天真爛漫のところがある。世界中で、最も子供らしい子供は白人の子で、最も老人らしい子供は支那人の子だと言はれてゐるが、一体に西洋人といふものは、大人からして妙に子供臭いのである。趣味でも、娯楽でも、食物でも、藝術でも、すべて西洋人の嗜好するものは、本質に於て何となく子供臭く、実際にまた、子供の好きなものと原形に於て共通して居る。だから僕等の日本人でも、子供の時はすべてに於て(食物でも、スポーツでも、娯楽物でも、観覧物でも、音楽でも、文学でも)本然に西洋的なものが好きであり、反対に日本的なるものは、何となく老人臭くて子供心に合はないのである。
西洋人が子供らしいといふことは、つまり彼等の民族的年齢が若いからであつて、支那人や印度人やの、古く長い歴史をもつた国民が、生れながらにして老人らしいのと、同じ一つの理由にもとづいて居る。だがそればかりではなく、一には白人の宗教道徳が、東洋人と異つてゐることにも関係してゐる。
支那人や日本人の倫理観は、多く仏教と儒教のモラルによつて教化されてる。さうした宗教道徳の教理は、人間の自然性や本能性を悪(社会生活に有害なもの)と認め、それを矯めることを強制する。したがつて我々は、日常の行為や表情にも、西洋人の如く天真爛漫であり得ない。人々はよく、西洋人が表情に巧みであることを羨望する。しかし彼等の白人は、それを技術で学んでゐるのではない。彼等の習慣や倫理観が、自然にさうした行為表情を教へるのである。
ヒツトラーの映画を見て思ひ出すのは、かつて日露戦争の時、東郷大将や乃木将軍が、帝都に凱旋した時の記憶である。新聞の伝へたところによれば、乃木将軍は馬車の中に顔をうなだれ、愁然として眉をあげ得なかつたといふ。そしてまた東郷大将は、処女の如く羞而として、いかにも極りが悪さうに見えたといふ。
思ふに乃木将軍は、旅順に多くの部下を失つたことの過失を、深く心中に傷み悲み、国民に謝罪してゐたのであらう。そしてまた東郷大将は、日本海に於ける偶然の勝利を、自己の功名として歓迎されることを、心に恥ぢて照れ臭く思つたのであつたらう。これをヒツトラーの「世紀の凱旋」と比較する時、そのあまりに著るしいコントラストに驚くのである。
西洋人的なる表情に対して、もし「日本人的なる表情」といふ言葉があるとすれば、さうした乃木大将や東郷大将の表情こそ、正に日本人的なる表情の典型である。人間道徳心の根本は、羞恥の情にあると孟子がいつてるが、自己の功名を誇る前に、自己の不徳を恥ぢる日本人の心理こそは、実に類なくすぐれて優しいモラルである。それ故に我々の表情は、喜怒哀楽の情を色に出さず、いつ息の中に思ひをひそめ、女のやうに恥かしがり、内気に照れ臭さうにして居るのである。ヒツトラーの天真爛漫は愛らしく、何人にも朗らかな好感を印象させる。だが乃木将軍等の凱旋は、もつと日本的に意味が深く、涙ぐましい印象を残すのである。しか外国人には、決してかかる「表情」の意味が理解できない。(彼等はそれを、日本人の薄気味悪さと考へてる。これをよく理解し得るのは、「物のあはれ」のぺ−ソスと和歌の伝統を知つてるところの、僕等の悲しい日本人ばかりである。
支那事変の最初の時、上海で苦戦した海軍陸戦隊の一隊が、銀座通りを凱旋するところを見た。軍楽隊を先頭にした水兵の一隊が、銃を肩にして粛々と行軍する街路には、群衆が黒山のやうにたかつて居た。しかもそれらの群衆は、無言に墓のやうに沈黙して、静粛に列を見守つてゐるばかりであつた。たれ一人として、万歳を叫ぶものも無く、歓呼の声を発するものもなかつた。
もし事情を知らない外国人が居て、この光景を見て居たとしたら、おそらく何かの葬式行進と思ひちがへたかもしれない。だが僕等の日本人には、直感的に群衆の心理がわかるのである。彼等の群衆は、多数の敵に取り巻かれて孤軍奮闘し、辛苦を尽して善戦した此等の勇士を、心からなる謝恩の涙で迎へてるのだ。かうした場合に、軽々しく万歳を叫んだり、歓呼の声をあげたりすることは、日本人の心理に於て自然的でなく、却つて非礼にさへも当るのである。群衆は何一つ声を出さない。そしてしかも心の中では、だれも皆手を合せて拝んで居るのだ。否、拝んで居るのではない。真に泣いて居るのである。
日本人といふ国民は、嬉しかるべき時に泣顔をし、怒るべき時に微笑をする、と多くの外国人が不思議さうに書いて居るが、僕等の心理を理解し得ない人から見れば、凱旋兵を迎へて涙を流す我等の姿は、まことに不思議以上であるかも知れない。しかもその不思議の中に、我等の大和心がひそんで居るのだ。そして大和心の本質こそは、実に「物のあはれ」の悲哀を知る、ぺ−ソスの詩情に外ならない。これをヒツトラーの凱旋と比較せよ。花輪と花束に埋められた街の中を、得々として勇ましく行進する独逸兵。それを囲んでハイルを叫び、祝祭のやうに躍り狂ふ独逸の群衆!
第一次欧州大戦の時、聯合軍の兵士が唄つた軍歌は、チツぺラリイやダブリンべ−の歌であつた。それは何れもユーモラスで、漫才的ナンセンスの興味に富んだ歌であつた。戦場の第一線に立つ兵士は、常に恐ろしい死を目前にして、半ば精神錯乱の状態に居る。彼等が他愛のないナンセンスを悦ぶのは、心理的に全く自然のことであつた。然るに日露戦争の時、日本の兵士が常に好んで唄つた軍歌は、あの悲傷哀調を極めた「戦友」の歌であつた。西洋人の目から見れば、かうした日本兵の心理は不可解である。だが日本人の大和心は、かうした歌によつてリリカルに使簇されるところの、物のあはれの哀傷感にのみ、戦苦を忘れることができるのである。そしてこれが即ち、「日本人的な表情」の本源となつてゐるのだ。