文明論・社会風俗時評
軍歌その他の音楽について
時局と詩歌人
今度の事変に際して、僕等の詩人が一見極めて冷静であり、時局に関する憂国詩や愛国詩の作品が無いのに反し、歌壇の連中が筆をそろへて時局を歌ひ、さかんに戦争や出征の歌を作つてるのは、まことに興味のある対照である。或る人々はこの現象を帰納して、歌人の至誠な愛国心に帰してるけれども、自分は必しもさう思はない。もつとも日本の和歌といふものは、昔から皇室を中心として栄えたもので、伝統的に国粋主義の精神を持つものだから、西洋輸入の自由詩や新体詩のエスプリとは、文学の本質上で多少異るものがあるだらうし、実際また歌人の仲間に国粋主義者が多いことも事実である。しかし今の歌人等が作る時局の歌が、真の憂国至誠の熱情から生れたものとは、いかにしても考へられない。端的に言ふと、彼等は歌を一つの手藝として、単なる職業的レトリックの手藝として、常に殆んど何の詩的情感なしに作つて居るのだ。彼等の生活は、その身辺のあらゆる周囲に、絶えず作歌の題材を探さうとして、いつも何か事あれかしと、蚤取り眼できよろきよろしてゐることだけである。そこで例へば、子供が病気したと言つては歌を作り、妻が里帰りしたと言つては歌を作り、障子を張り代へたと言つては、歌を作る。毎朝の新聞紙とラヂオのニュースは、彼等にとつて映くべからざる歌の資料である。何所そこに大火事があつたとか、地震があつたとか、電車が脱線したとか、人殺しがあつたとか、某工場でストライキが起つたとかいふ類の社会事変は、悉く皆彼等の歌の逸材となりミソヒトモジの散文に手際よく構成される。かつて二・二六事件があつた時、殆んど全歌壇の人々が総動員でニュースに飛びつき、この好餌を逃すまいとして何百千の歌を作つた。今度の支那事変に際して、歌人等が盛んに時局を取材し、何かの愛国歌のやうなもの、憂国歌のやうなものを乱作するのは当然である。此所で「やうなもの」と言ふのは、それが真の熱情からほとばしつたものでなく、彼等の使ひ慣れた手法によつて、儀礼的に表情を装つたものにすぎないからだ。正直に観察して、自分はこんな歌人等よりも、却つて沈黙してゐる詩人の方が、ずつと深く真剣に時局を考へ、真の憂国の情を抱いてるところの、純真の愛国者であると思ふ。彼等が容易に筆を取らないのは、時局の性質が深酷であり、容易に昂奮ができないほど、実質的に重大なものであることを知つてるからだ。皮相な感激に浮れ上つて、御座なりの詩歌を乱作するほど僕等の仲間は単純な子供等ではない。
露営の歌と愛国行進曲
「露営の歌」と「愛国行進曲」とは今度の時局が生んだ二つの名軍歌であつた。特に前者の「露営の歌」が、日本の津々浦々に行き亙り、老幼男女を通じて歌はれてるのは、実に驚くべきものである。この歌謡が大衆に悦ばれるのは、歌詞と作曲とが共に哀調を帯びてぴつたり一致し、よく日本人の民族的趣味に通するからである。「物のあはれ」の伝統以来、日本人の音楽趣味は哀傷風なセンチメンタリズムで、一貫してゐる。日清戦争の時の「雪の進軍」日露戦争の時に流行つた「戦友」(此所は御国を何百里)、共に皆哀調を帯びた悲しい歌であつた。軍歌に限らず、大衆に受ける近頃の流行歌曲は、たいてい皆哀調の短音階だが、今度の「露営の歌」もまたハ調短音階で、流行歌曲風の旋律を巧みに取り入れて編曲されてる。つまり軍歌と流行歌謡の合の子見たいなものであり、大衆がまたそこを悦ぶのである。しかしこの歌謡のセンチメンタリズムは、日露戦争の時の「戦友」と何所か質がちがつて居る。「戦友」はその歌詞が琵琶歌風な叙事詩であるばかりでなく、曲譜がまた単純な琵琶歌的悲調のものであつたが、今度の「露営の歌」は、歌詞も曲譜も共に純抒情詩的で、デスぺラートの絶望感が深く、哀傷の質が甚だ深酷である。つまり今度の時局に伴ふ国民のニヒルの不安が、そのままリリックとなつてこの歌曲に反映されてるので、戦争の質が深酷であるだけ、日露戦争時代の単純な軍歌に此して、情緒の内容が複雑深酷になつてるのである。
それ故にかうした歌謡は、藝術としては正に本筋の物 ― 大衆の真実な心を正直に反映する作品は、常に藝術として本筋の物であるにちがひないが、所謂国民精神総動員の「士気を鼓舞する」目的からは、むしろ禁止令に触れるべきものかも知れない。昨冬僕は伊豆の伊東温泉に滞留し、南京陥落の日に行はれた市民の旗行列を見物したが、小学校の女生徒等が、この歌謡を唄つて行進するのを見、一種異様な感じがした。南京陥落、日本大勝利を祝する目出度い日に、かかるニヒリスチックな悲哀の歌を合唱するのは、いかにしても、場合に適はしくないからである。すくなくともかかる場合は、もつと勇壮で力に充ちた、明るい光明的な軍歌がほしい。それかあらぬか知らないが、政府は今度「愛国行進曲」を大仕掛で宣伝し始めた。老軍楽士瀬戸口氏の作曲になるこの歌は、たしかに国民精神総動員の主旨に適ひ極めて雄健明朗であり、その上に荘重の趣さへもある。
此所で僕は、行進曲作者としての瀬戸口氏の天才的独創性を今さらの如く考へずに居られない。前に述べた如く、由来日本人は悲調を帯びた哀傷風の音楽が好きであり、この国民的大衆性に投じない歌謡は、決して普遍的に流行することができないのである。現に日々新聞で一等に入選(露営の歌は二等であつた)した陸軍軍楽隊作曲の行進曲の如き、政府がレコード会社と共に盛んに宣伝したにかかはらず、大衆は一向に之れを唄はず、却つて二等の「露営の歌」ばかりが唄はれてる有様である。然るに不思議なことは、独り瀬戸口氏の作曲だけは、極めて明朗勇壮であるにかかはらず、よく日本人の趣味に適ひ、何等哀傷的の悲調なくして、しかも大衆に悦んで唄はれるのである。前に氏の作つた「軍艦マーチ」もさうであつたが、今度の「愛国行進曲」もまたさうである。つまり瀬戸口氏の作曲は、日本真の雅楽調や、日本俗謡の特色たるラグタイムやを、随所に巧みに取り入れることによつて、洋楽の行進曲を、日本人の伝統的血液中によく融化してゐるのである。そしてこれは、天才のオリヂナリチイに非ずば不可能な仕事である。音楽でも映画でも大衆小説でも同じであるが、感傷好きな日本人を口説くのには、いつも「お涙頂戴」の一手に限る。この一手さへ使つてゐれば、たいていの凡庸作家でも大衆に相当受けるのである。しかし「お涙頂戴」以外の手で、大衆を動かすことのできる人は稀れであり、それが出来る人は天才である。今や国家非常の時、日本の大衆の心を捉へ、よく人心を鼓舞する歌謡を作り得るもの、瀬戸口氏を置いて他になしとすれば、この人の存在が一層貴重に感じられる。しかも氏は老齢七十歳である。此所にもまた深酷の感なきを得ない。
普仏戦争の時、祖国敗亡の危難に際して、ナポレオン一世に仕へた老軍楽士等が、奮然立つて幾多愛国の行進曲を作曲したが、今や老齢七十歳、日露戦争時代の軍服を着た白髪の老楽手が、祖国の非常時に際して奮起し、この勇しくも美しい愛国行進曲を作つたことは、西洋の戦争小説にでもある如きドラマチックの悲壮美を感じさせ、深く僕等の心を打つものがある。僕はあの行進曲の第三節「ああ悠遠の神代より」といふところを聞く毎に、作曲者瀬戸口氏のことを思うて涙湧きくるものがある。
しかしこの作曲の名誉に比して、あの歌詞の拙いことはどうだ。僕はローマ字論者でもなく漢字廃排論者でもないが、この「愛国行進曲」の歌詞のむづかしさには、心から反感をもたざるを得ない。「見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば」などと、歌ひ出しから既にチンプンカンプンで、一昔前に流行つた一高の寮歌と同じく、漢字を見なければ語意がまるで解らない。宜なる哉。大衆の唄ふのを聞くに、殆んど歌詞を完全に覚えてる者は一人も居ない。皆うろ覚えでデタラメに唄つてるのだ。そこへ行くと「露営の歌」の方は質に歌詞がよく出来て居り、曲の旋律と合つて意味がぴつたり迫つてくる。折角の名行進曲も、歌詞が悪くては仕方がない。この歌詞は朝日新聞の懸賞募集で、選者の中には佐佐木信網氏や河井酔茗氏などの大先輩も居た筈なのに、一体何うしたといふことなのだらう。
琵琶・詩吟・その他の事
琵琶唄といふもの、日露戦争の時には全盛的に流行したが、今度の時局ではあまり唄はれなくなつたやうだ。実際僕等が聞いてもあの音楽の旋律はあまり単調で繊弱にすぎ、悲壮美を感ずるよりは、むしろ卑俗な安センチメンタリズムを感ずるのみだ。つまり日露戦争の時の軍歌「此所は御国を何百里」が、今日の大衆にとつて興味がなく、単純にすぎて悲壮美を感じなくなつたやうに、琵琶唄が時代の情操から遅れたのである。之れに反して「詩吟」といふものは、今日でも命依然として流行し、僕等が聞いても一種特別の悲壮美を感じさせる。特に底力のある男声で、あまり節をつけぬ素朴な朗吟には、何とも言へない魅力があり、漢詩風の東洋的悲壮美を強く感じさせる。琵琶唄の旋律も詩吟と似たやうなものであるが、詩吟のエスプリを忘れてこれを音楽化した為に、却つて安感傷主義に堕したのである。
尚聞くところによれば、政府は今度所謂股旅物の映画流行唄を始め、あまり情痴的のものやセンチメンタルなものに制限を加へるさうである。その理由は色々あるだらうが、つまりこの非常時に際して国民精神総動員の士気を鼓舞し、民心を颯爽たるヒロイズムに導く為に、之れと反するやうなものを控へるのであらう。しかしさうなつて来ると、在来の伝統的な日本歌謡、特に三味線音楽的の物は、町のレコード小唄と共に概ね制限されねばならない。そして代りに、否でも西洋音楽が専制的に採用される。なぜなら在来の日本音楽は、情痴的に非ずば感傷的であり、一も士気を鼓舞する如き颯爽たるものがないからである。(その原因は、日本が島国に鎖国して、外敵の侵略を受けず、長く平和で居たからである。)
この一例を見ても解る如く、世界戦場に進出した今日、現代の日本主義は表面或る点で伝統に反逆し、或る程度まで旧国粋的なるものを揚棄することによつて、逆に国粋日本主義を止揚する立場にある。ヘーゲル流の弁証論的パラドックスは、今日現代の日本が避けがたいヂレンマである。それ故に政府当局者は、一方で女の洋装やパーマネントを毛嫌ひしながら、一方では活動に便利な洋服的ユニホームを銃後の日本女性に求め、一方で国粋伝統主義を称へながら、一方で股旅式の義理人情を排斥したり、洋楽の行進曲を宣伝してゐる。そしてしかもこのヂレンマは、日本の正しい世界的地位を自覚してゐる者にとつて、何の矛盾でもないのである。かつて日露戦争の時、「四方の海みな同胞と思ふ世になど浪風の立ち騒ぐらむ」と詠まれた明治大帝の御製に対し、畏れ多くもこれを不合理の自家撞着だと評した外国人の記者があつたが、今日、日本の世界的使命を知り、併せて自己の立場を自覚してゐる僕等にとつては、この明治大帝の御歌が、そのヂレンマの深遠の哲理を知る故に、却つていよいよ哀切深く、悲壮美の幽玄なリリシズムとして感じられるのである。