藤井制心氏に
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ふ‥。調h川
再び係数普柴に就て
一アマチュアたる僕の妄言に封して、貴下が懇切にも績々反駁の筆を執られたことを、深く光栄として感謝
します。貴文をよみて大に知識を得、指数されること多かりしと共に、かかる先人未頚の新領野を、書架に於
て開拓さるる人の労苦を思ひ、すぺての先駆者が宿命する孤濁と寂蓼との環境を、貴下に於ても痛切に同感し
て、うたた愛敬の情に耐へないものが生じたので再度の一文を革することに致しました0
 まことに貴下のいはれる如く今日に於いて、新しい彿敦音楽を創始することは、殆んど無から有を生事フと
する努力にもひとしく、異に前人未餞の驚異的創造事業だと信じます0おそらくこの蜃術的事業は、今日只今
貴下等の少数先駆者によつて、漸く初めてその端緒についたばかりのものぞと存じます◇かかる黎明的の創始
的蜃衝に対してもとよりその完成を望むことは誤りであり、所詮今日彿整日欒と栴するものが、なほ一個の試
作品にすぎないことは、貴下自身もこれを自認されてることと存じます0それ故にこそ、音楽上のアマチュア
たる僕の如きが局外よりこれを批判する楢利と義務を負ふのであります0(もし完成された蜃衝だつたら、素
人のロを利く飴地がなく、またその義務も権利もない。)
イガ 文明論・杜合風俗時評

インチキだといふのは、畢に西洋音楽だからといふ理由のみではないのです。琴唄や長唄にさへも、オーケス
トラの伴奏を入れたり、洋楽の形式を取り込んだりする時代ですから、今の現代の彿教音楽が多少の洋楽化を
することは見方によつてはむしろ嘗然かも知れません。しかしその場合にも、音楽の精神それ自身は、もちろ
ん俳教的でなければならないでせう0然るにラヂオで聴いた音楽はバッハ、ハイドン以来、キリスト教の聖歌
系統をひいたところの、純然たる西洋凰の宗教楽臭をおびたものでした。すくなくともそれらの音楽のモチー
ヴには、彿陀の敦の眞髄であるところの、あの寂滅為楽や諸行無常の情操を感じさせるものがなく、さうした
表現を意囲した節さへも現はれてませんでした0いかに大乗係数が積極的であるとはいへ、あの梵鐘の像龍が
表象する俳敵背寧の第一精神を無親して、何をかさらに彿敦として説く所がありませう。かの弱肉強食の争蹄
を事とし、無懲無恥の修羅道に、飽くなき彷鎧を績けてゐる西洋白人種の飢餓文明を救ふものは、賓に我が併
教の外になく、日本の幽玄な梵鐘の音が、今こそ正に世界に鳴り渡るぺき時代でせう。然るにその「俳敦音
楽」と構するものがおょそかかる東洋思想と矛盾し彿陀の敦と汲交渉な洋楽を奏しみづからそれで新しがり、
得意にハイカラがつてゐるとは、何といふ無智な呆れはてた事柄でせう。
420
        中

言ふ迄もないことですが、すぺて音楽にあつては、一にも二にも作曲であり、旋律や和饗が萬能の地位に居
るので、歌詞の如きは殆んど何うでも好いといふ位の、軽い拳術数果しか負つてゐないものです。所謂偶数音
楽が、単にその俳敦的の歌詞の故に、辛うじて俳教育楽だといふならば、それはインチキであるばかりでなく、
蹄鉄宜俸の上に於ても、むしろ有害無益の贅物でせう0なぜなら音楽の鵜者は、旋律や和饗のあたへる感筆小
 ソ、‡ 「
  謂
ノ渦潮
 らのみ、常に情操を支配されるからです。音楽がもしキリスト教であるのに、歌詞がもし俳敦的であづたとし
たら、聴者は必然的にキリスト教信者になつても、悌数に辟依心を起す可能性はないでせう○
 最後に、教圏関係の人の為に一言御忠告したいことは、かうした新俳敦音楽を作る場合に、第一に先づ「作
曲者」を選定せょといふことです。その選定に於て、何よりも先づ必要なことは、作曲者その人が、悌教の熱
心な信者であることです。西洋のキリスト教聖楽でも、すべて皆その作曲者は、敦合の熱心な信徒でした○こ
れは畢に音楽ばかりでなく、あらゆる宗教蜃術が皆その通りです0古来、支那日本に俸つてゐる、すぺての俳
像悌董の製作者は、何れも係数に深く辟依してゐた美術家でした0その宗教を信じないものにその宗教のエス
プリが解る筈がなく、況んやそれを音楽や蛮術上で、表現でき得る筈がないのです0
 日本の所謂悌敦音楽の作曲者中には、山田新得氏の如き大家も居るといふ話ですが、この場合に問ふぺきこ
とは、大家といふ條件よりも、先づ以つて信者といふ條件が先なのです0たとへ偲院内の信者ではないとして
も、すくなくともその宗教に対して、深い敬虔の情と、慎ましい辟依心とを持つてるといふことは、紹封的に
必要な條件と思ひます。(山田耕符氏は、日本の大昔柴家にはちがひないが俳敦に深く辟依してるといふ噂は
未だ聞いたことがない。)そんな無縁の衆生たる大家や大審術家にたのむょりは、むしろ僧院内に於て精進に
努めてゐるところの、無名のアマチュア音楽家に、作曲を依頻する方が、すべてに於て賢く効果的であるでせ
1フ0

領一言、筆者の愚考を附加していへば、かうした新しい悌整日柴を作る場合、範を西洋音楽に取るよりは、
イ2∫ 文明論・軋合風俗時評

むしろアラビア、ぺルシテ、シャム、南洋等の東洋諸邦の音攣さらになほ理想的には、本場の印度音楽につ
いて、創作の啓示を得る方が賢明だと思ふ0西洋音楽といふものは(ジャズを除く外)本来その起元を、キリ
スト教の宗教聖楽に磯したものですから、本質的にその精神が耶蘇敦臭く、耶蘇教具くないものは、本質的に
いつてまた西洋音楽でさへないのです0さうした西洋音楽が、本来彿教育楽の精神に適しないばかりでなく、
概してむしろ封択的なものであることは自明でせう0この意味に於て、日本の所謂係数音楽なるものは、明ら
かに俳教自身の敗北であり、キリスト教への降伏と自己鮮膿を澄左してゐるものです。彿敦の権力ある囲慣と
その信徒志、かかる併陀の敷逆者を、無批判に許しておく菊が知れません。これをしもなほ「時勢に順應す
る」といふ美名によつて、俳教普及のために歎許するといふならば、むしろ日本国中の彿敦寺院を、轟く洋風
ビルヂングに改築し、梵鐘をつぶしてキリスト寺院のペルに代へ、悌陀の本尊をやめて十字架を拝するに如か
ないでせう。
 なほ、筆者のきいた係数音楽の演奏者は、京都聖歌合唱圃といふのでしたが、そもそもこんな名前からして、
キリスト教の気障な模倣で識者の胸を悪くさせるに足るものでせう。元来、「聖歌」といふ言葉は、キリスト
教の教室日楽を、ラテン語から和詳した言葉で、俳敦にそんな言葉は無かつた筈です。(彿敦では、かういふ
場合に、たしか梵唄とかパイカとか、または和讃などいふ言葉がある筈です。)聖歌といへば、それ自らキリ
スト教の讃美歌を意味するのです0それで「聖歌合唱囲」と言へば、必然にローマ数曾の聖歌除を指示するの
です0然るにそれが日本では係数の和讃合唱圃の名前になつてゐるのですから、何とも奇怪至極の感じがする
わけです0新しい時代に應ずる為の、新俳敦音楽を作ることは、もとより悪いことではないが、その観憶にか
ういふ菊悸な名前をつけようとすることの、その無自覚にして軽桃浮薄な、モダンボーイ的の心情からは、所
 詮沸敦の新しいバイブルや新膚仰やが、興り得る管がないことを言つてるのです。
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再び彿教書架に就て
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 藤井制心氏に
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一アマチュアたる僕の妄言に封して、貴下が懇切にも繰々反駁の筆を執られたことを、深く光柴として感謝
します。貴文をよみて大に知識を得、指数されること多かりしと共に、かかる先人未饅の新領野を、音楽に於
て開拓さるる人の労苦を思ひ、すぺての先駆者が宿命する孤濁と寂蓼との環境を、貴下に於ても痛切に同感し
て、うたた愛敬の情に耐へないものが生じたので再度の一文を草することに致しました0
 まことに貴下のいはれる如く今日に於いて、新しい彿教音楽を創始することは、殆んど無から有を生まうと
する努力にもひとしく、異に前人未態の驚異的創造事業だと信じます。おそらくこの事術的事業は、今日只今
貴下等の少数先駆者によつて、漸く初めてその端緒についたばかりのものだと存じます0かかる黎明的の創始
的蜃術に対してもとよりその完成を望むことは誤りであり、所詮今日彿敦音楽と栴するものが、なほ一個の試
作品にすぎないことは、貴下自身もこれを自認されてることと存じます。それ故にこそ、書架上のアマチュア
たる僕の如きが局外よりこれを批判する樺利と義務を負ふのであります0(もし完成された蜃術だつたら、素
人のロを利く飴地がなく、またその義務も権利もない。)
イエ,文明論・社曾風俗時評

さて僕の前の論文は、俳警楽の拳術批判そのものょりは、むしろ西洋かぶれをして、キリス左の形骸皮
相■を模倣することにょつて自ら「新時代的」だと思つてる蒜の借侶諸君と、かかる軽薄にして無自覚なる現
代の併敦精神とを、指貰蒙するために書いたのでした0たまたま併警楽なるものを警、これもまた同じ
浮薄な時代精誓根操とするものと思つたので言やや過激に亙つたやうな次第でした。然るに雫の挿明をょ
み、意外にその精神の眞撃にして蕎的なるを知り、いささか雪の非誓悔恨恐縮してゐる次第であり毒
しかしながら僕は、決して必ずしも、前言の論旨そのものを撤回しょうとは思ひません0貴文にょつて、作曲
者としての貴下の苦心と意圃とを知り、併せてその敬慕すぺき奉術的良心を知りましたが、雲された奉術品
そのものと、此等の意圏されたものとは、おのづから問題が別だと存じますので、竺應の覚を披歴したい
と思ふのです。
最初に申し上げますが、僕の前の批誓は、全くアマチュアとしての立場から、大衆を代表して述ぺたもの
であります0本来、宗警慧るものの本質が純悪性以外に、むしろ布教の宜俸箕を直接の目的とする以
上、その讐の讐レベルを、少数の識者よりも、多数の大衆に置くぺきことは勿論でせう0そして僕の批評
も、全く大衆の耳を代表したものであることを最初にお断りしておく歪であります。
424

蘇の宗教奨に解か完封位法や頬埋の洋楽方則を破つた新機軸やがあることを、
さ妄下の御酵説にょつて、あの放迭の作品中に、多分の悌教的、日本的なる新要素が、大胎に取入れられ
三ニ)墓守ました0まことに専門家の藁家が救いたらば、そこに貴↑の試みられた新しい和葦や、従
                                                                                     ■ ■   ゝ..一l>.. ヽノト.).■ ■■†い 勺、
明らかに簸きわけることがで
膠瓜野隠匿瓢掛眺掛野馳際瓢瓢瓢隠匿野瓢瓢瓢瓢野馳瓢瓢馳温瀞霧應慈瀞簡  潔責付賓r〃
擾 賢那脈b門的町譲針郎柑…鵬a稲川渕
犬.衆
gけナり榔尋町家の如q・ご晋柴を知性的に分析して鶉く事ができないのです節大衆の音楽を聴く仕方は常にただ一つし
  かないのです。その仕方といふのは、常にただ直覚から、曲全憶として受ける印象を、一掴みに「勘」として
  敢くのです。アマチュアとしての僕が、音楽を敢く仕方も、もちろんまたこの通りのものなのです。そこで僕
  の塘いたところを、正直に申しあげますと、貴作の係数音楽からも、山田耕符氏の作曲からも、異に「悌教
  的」といふ感じは受けられませんでした。「係数的」とは何ぞやといふ質問が、もし此所で讃者の側から起る
  とすれば、一言に蓋して「東洋的情操」と答へませう。賓際、印度、支那、シャム、南洋を通じ、すぺて「東
  洋的」と感じられる文化情操には、どこか皆本質に於て、僕等が「俳敦的」と感ずるものを共有してゐます。
  特に音楽に於ては、この感が著るしいのであります。
   ところで貴下の作品には、たしかに貴下自ら言はれる通り、東洋的(即ち係数的)なる要素が、多く取入れ
  られてるにまちがひはないでせうが、素人の直観から、曲全慣としての綜合された音楽を聴き取る場合に、そ
  れが全慣としての洋楽的ムードに歴倒され、殆んど微弱的にしか感銘されむいのです。身論前にいふ通り、専
  門家の音楽家の耳には、それがはつきり鮮明に − むしろ耳障りのほどに − よく救えるのでありませうが、
 一般大衆の鵜者の耳には、おそらく筆者と同じやうに、単に普通の西洋音楽、もしくは西洋音楽的なるものと
  して、無数果に鵜過されたことと存じます。すくなくともあれらの彿軟膏発をきいて、東洋的、もしくは東洋
  音楽的といふ感じを受けた人は、一般大衆中には砂なかつたらうと思ひます。現に僕の家族(母、妖、子供、
  女中)等は、あの放迭を聴いて、普通の西洋音傑の時間だと思つたと、後で僕に話しました。おそらく係数音
  楽といふ見出しがなく、またあの歌詞を見なかつたら、だれでも一般の大衆は、同じ様に普通の洋楽として培
  いたでせう。山田氏の作品も同様であり、正直に批評して、八分の西洋音楽に封する、二分の日本音楽の混合
イ2∫ 文明論・牡合風俗時評

           「           \
米といふぺきでせう0この混合の比例率が、その反封の逆にならない限り、大衆は決してそれを東洋的とも、
東洋音楽とも准きません0そしてそれが「東洋的」として砕かれない以上、決してまた「俳敦的」ではないの
です。
42古
      下

以上非穂の言を遽ぺましたが貴下の新香術に封する熱意と良心とに封しては、僕も同じ困難の試作的文学
(詩)にたづさはる一人として、衷心より同情と敬愛とを禁じ得ません。特に現代日本の混沌たる過渡期文化
はすぺて僕等の拳術的方位を矢賀させ、吾等何を為すぺきかの懐疑とともに、暗澹たる嗟嘆を久しうするのみ
であります〇一例をあげれば、今日我が国の小寧枚で、西洋音楽を兄童に敦へることからして、不可解千萬の
奇現象でせう0世界何れの国々でも、その国民教育の根按に於て自国の音楽を敦へずして、外因の音楽を兄童
に敦へ、英国のホームソングや、濁逸の民詫やを単に歌詞だけ自園語にして、寧校で教育する如き園がありま
せうか0音楽はあらゆるものにまさつて、民族の感情と侍統精神を俸へるものです。日本人の眞の民族精神や
民族情操が、侍統の日本音楽を離れて存在しないことは、濁逸人のゲルマン精神が、濁逸音楽を離れて有り得
ないのと同じでせう0かつて明治初年の新政府は、小学校で西洋歴史を敦へ、自国の日本歴史を数へなかつた。
その西欧余罪の極愚は、季ひに外人教師によつて指摘啓餞されましたが、今日なほ、自国の音楽を卑しみ嫌つ
て、外国の音楽をのみ敦へてる政府は、かつての明治政府よりもなほ愚でせう。なぜなら音楽は歴史よりもな
ほ強く、囲民の民族情操を支配し、それにょつて民族的の結束と愛国心を固めるからです。宜なる哉。今日西
洋脊梁によつて教育された青年畢生が、次第にその情操迄も歌米化し、日本人としての民族的自生をさへ失つ
る有
時 封 う 増
代 し と 言
香 て す が
術 敢 る 飴
の 然 人 事
創 戦 は に
始 ひ 、入
者 を 一 つ
に 挑 面 て
嘱 む に 朱
し と 於 碩
て こ て し
、ろ 現 ま
僕 の 代 し
の 勇 文 た
望 孝孟 化 が
む な の 、
かかる混沌たる過渡期日本に於て、異に東洋的なる山俳敦音柴を新興しょ
と る 混
こ 叛 沌
ろ 逆 性
を 精 を
披 帝申 包
涯 の 指
し 所 し
ま 有 な
し 者 が
た で ら
0 な ’
一面に於てこれが蒙愚を啓優し、時代の風潮に






もヽ





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