仏教音楽をきいて


     上

 八月十四日、ラヂオで仏教音楽(京都聖歌合唱団)といふのをききました。仏教音楽といふから印度音楽の
ことかと思ひ、多少の好奇心をもつてスイツチを入れたら、普通の西洋音楽だつたのでがつかりしました。近
頃、新仏教と称する一派があり日曜学校を建てたり、オルガンを弾いたり、説教者が洋服をきたりして、すつ
かりキリスト教の眞似をしてゐるのがあるさうですが、俳敦音楽といふのも、やはりその一汲がやる仕事と思
ひます。東洋文化のユニイクな光輝と編者とで、今や亜細亜が西洋を啓優し、日本が世界の指導者とならうと
イデアしてゐる時代に、異に東洋思想の中心ともいふぺき彿致そのものが、逆にキリスト教の模倣をしたり、
西洋崇拝のハイカラ軽薄見みたいなことをするのは、識者の批判を待つ迄もなく、無自覚の甚だしきものとい
はねばならないでせう。眞の「新悌敦」とは、洋服をきてオルガンを弾くことではなく、彿敦の生きた眞精神
を、現代に新しく復活させることだと思ひますが、今の知識階級に廃する若い僧侶諸君は、果してどんなこと
を考へてゐるのでせう。
 話が飴事に走りましたが、とにかく俳敦音楽といふものは、インチキの甚だしきものだと思ひます。それが
4∫ク 文明論・敢合風俗時評

インチキだといふのは、畢に西洋音楽だからといふ理由のみではないのです。琴唄や長唄にさへも、オーケス
トラの伴奏を入れたり、洋楽の形式を取り込んだりする時代ですから、今の現代の彿敬音楽が多少の洋楽仕を
することは見方によつてはむしろ官然かも知れません0しかしその場合にも、音楽の精神それ自身は、もちろ
ん併教的でなければならないでせう0然るにラヂオで添いた藁はバッハ、ハイドン以来、キリスト教の聖歌
系統をひいたところの、純然たる西洋風の宗教楽臭をおびたものでした○すくなくともそれらの嘉のモチー
ヴには、俳陀の教の眞髄であるところの、あの寂滅為楽や諸行無常の情操を感じさせるものがなく、さうした
表現を意囲した節さへも現はれてませんでした0いかに大乗俳敦が積極的であるとはいへ、あの梵鐘の飴哉が
表象する係数哲寧の第蒜紳を無線して、何をかさらに彿敦として説く所がありませう。かの弱肉強食の争闘
を事とし、襲懲無恥の修羅造に、飽くなき彷後を績けてゐる西洋白人種の飢餓文明を救ふものは、箕に我が彿
教の外になく、日本の幽玄な梵鐘の薯が、今こそ正に世界に鳴り渡るぺき時代でせう。然るにその「俳教育
楽」と稗するものがおょそかかる東洋思想と矛盾し併陀の敦と汲交渉な洋楽を奏しみづからそれで新しがり、
得意にハイカラがつてゐるとは、何といふ無智な呆れはてた事柄でせう。
イJ抑
    中

富ふ迄もないことですが、すぺて音楽にあつては、言も二にも作曲であり、旋律や和琴が萬能の地位に居
るので、歌詞の如きは殆んど伺うでも好いといふ位の、軽い蜃術黎果しか負つてゐないものです。所謂偶数音
楽が、単にその俳教的の歌詞の故に、辛うじて傍観音楽だといふならば、それはインチキであるばかりでなく、
併軟質俸の上に於吉U、むしろ有著無益の贅物でせう0なぜなら音架の鵜者は、旋律や和饗のあたへる感銘か
⊥』
らのみ、常に情操を支配されるからでサ。音楽がもしキリスト教であるのに、歌詞がもし俳教的であづたとし
たら、聴者は必然的にキリスト教信者になつても、係数に辟依心を起す可能性はないでせう。
 最後に、教団関係の人の為に三口御忠告したいことは、かうした新彿教音楽を作る場合に、第一に先づ「作
曲者」を選定せょといふことです。その選定に於て、何よりも先づ必要なことは、作曲者その人が、俳教の熱
心な信者であることです。西洋のキリスト教聖楽でも、すべて皆その作曲者は、敦合の熱心な信徒でした○こ
れは単に音楽ばかりでなく、あらゆる宗教肇術が皆その通りです。古来、支那日本に俸つてゐる、すぺての俳
像彿真の製作者は、何れも係数に深く辟仮してゐた美術家でした。その宗教を信じないものにその宗教のエス
プリが解る筈がなく、況んやそれを菅栄や蜃術上で、表現でき得る筈がないのです。
 日本の所謂彿教書楽の作曲者中には、山田耕搾氏の如き大家も居るといふ話ですが、この場合に問ふぺきこ
とは、大家といふ條件よりも、先づ以つて信者といふ條件が先なのです。たとへ僧院内の信者ではないとして
も、すくなくともその宗教に封して、深い敬虔の情と、慎ましい蹄俵心とを持つてるといふことは、紹封的に
必要な條件と思ひます。(山田新得氏は、日本の大音楽家にはちがひないが俳敦に深く辟依してるといふ噂は
未だ聞いたことがない。)そんな無縁の衆生たる大家や大挙術家にたのむょりは、むしろ僧院内に於て精進に
努めてゐるところの、無名のアマチュア音楽家に、作曲を依頼する方が、すべてに於て賢く効果的であるでせ
1つ0

伶三日、筆者の愚考を附加していへば、かうした新しい彿教書楽を作る場合、範を西洋音架に取るよりは、
42J文明論・紅禽風俗時評

むしろアラビア、ぺルシ≠、シャム、南洋等の東洋諸邦の音楽、さらになほ理想的には、本場の印度音楽につ
いて、創作の啓示を得る方が賢明だと思ふ0西洋音楽といふものは(ジャズを除く外)本来その起元を、キリ
スト教の宗教聖楽に饅したものですから、本質的にその精神が耶蘇敦臭く、耶蘇教具くないものは、本質的に
いつてまた西洋音楽でさへないのです0さうした西洋音楽が、本来悌敦音楽の精神に適しないばかりでなく、
概してむしろ封択的なものであることは自明でせう0この意味に於て、日本の所謂係数書架なるものは、明ら
かに俳敦自身の敗北であり、キリスト教への降伏と自己解膿を澄左してゐるものです。彿敦の権力ある囲澄と
その信徒せが、かかる俳陀の敷逆者を、無批判に許しておく束が知れません。これをしもなほ「時勢に順應す
る」といふ美名によつて、併敦普及のために獣許するといふならば、むしろ日本国中の俳敦寺院を、轟く洋風
ビルヂングに改築し、梵鐘をつぶしてキリスト寺院のベルに代へ、悌陀の本尊をやめて十字架を拝するに如か
ないでせう。
 なほ、筆者のきいた彿教書楽の演奏者は、京都聖歌合唱囲といふのでしたが、そもそもこんな名前からして、
キリスト教の気障な模倣で識者の胸を悪くさせるに足るものでせう。元来、「聖歌」といふ言葉は、キリスト
教の敦曾音楽を、ラテン語から和詳した言葉で、彿教にそんな言葉は無かつた筈です。(係数では、かういふ
場合に、たしか梵唄とかパイカとか、または和讃などいふ言葉がある筈です。)聖歌といへば、それ自らキリ
スト教の讃美歌を意味するのです0それで「聖歌合唱圃」と言へば、必然にローマ敦曾の聖歌除を指示するの
です0然るにそれが日本では係数の和讃合唱圃の名前になつてゐるのですからヾ何とも奇怪至極の感じがする
わけです0新しい時代に應ずる為の、新併敦音楽を作ることは、もとより悪いことではないが、その囲憶にか
ういふ菊障な名前をつけようとすることの、その無自覚にして軽桃浮薄な、モダンボーイ的の心情からは、所
箆併敦の新しいバイブルや新信仰やが、興り得る箸がないことを言つてるのです。
イ22