英国は師とするに足るか
日本国民が上下挙つて西洋を崇拝するの度は、滑稽を通り過ぎて寧
ろ憐むべき程である。之れは近来段々と気が附き出したらしい、無茶な
排外は勿論褒めた事ではないが、誇るに足るべき国民性やら慣習やら
を持ちながら、之れを棄てて厭ふべき風潮を西洋から輸入するのは、極
力排斥すべきである。西洋崇拝と云ふても、日本で崇拝するのは主とし
て英吉利で、陸軍々人の一派とか、独逸仕込の学者連中には、独逸を崇
拝するのもあり、仏蘭西帰りの画工などには、仏蘭西崇拝もあるが、之れ
は比較的少数である。英吉利を崇拝するのは、日本人の中には英語を解
する者の方が多いのと、随つて英吉利に遊んだ者が少からずあるから
だらう。英吉利は果して日本人が師とすべきだらうか、師とするに足る
だらうか。
過去の歴史に就いて、英吉利と日本と較べるのは、現在及び将来に対
して、余り大切な事ではないと思ふからして現時の英吉利に就いて云
ふならば、日本及び日本人は決して英音利を師とすべきでない。
英国は立憲国の模範か
第一に、日本の政治家とか論客などは、屡(しば/\)英音利を立憲国の手本の様
に曰ふ。併し上院が事実に於て否認権を失つた事や、戦乱前まで八釜し
かつた愛爾蘭土自治問題の如きは、果して立憲国の手本とすべき事か。
下院が三回続けて可決したものは、上院に於て否決しても、皇帝の承
認さへ得れば差支ないと云ふのは、法学者などの間には色々議論もあ
らうが、要するに一院制度に近づいたものである、之れを論ずるのは、一
院制度と二院制度の比較になるからして深く茲に論ずる積りでな
いが、見遁かすべからざるはアルスター問題である。
愛爾蘭土自治問題は、英吉利に於ける三十年来の難関で、英音利の内
治の重大問題は悉く之れに聯関して居ると云ふて宜しい位、上院の否
決権を奪つたのも約言すれば此の為めである、我輩は案其物の可否は
論ぜぬが、下院に於て三回も続けて可決したものを、上院に於て三回も
否決するとは如何なる現象であらうか。一の案は、国家に対して利なる
か害なるかの二つに出でぬ。平民を代表する下院が国家に利りカと見
て可決三回に及ぶに、貴族を代表する上院が国家に不利なりとして否
決するのは、明かに上下二流の国民間の思想に、一大障壁が存在するの
証拠でないか。国家の利害に対して、斯くも正反対な二流が上下に分れ
て居ると云ふことは、決して健全なる状態でなからうと思ふ。或は彼等
が国事を議するのは、国家の利害から打算して掛かるのでなくて、党派
的又は利己的打算からやつて居る為だらうか。それならば、尚ほ一層許
すべからざるの不健全状態と言はざるを得ぬ。
兎に角に自治案が法律となつて発布され、将に施行されやうとする
時に、愛爾蘭土の一州たるアルスターが、猛烈に此案に反対して、強いて
之れを施行するならば、兵力に訴へて其施行を拒否すると言ひ出し、義
勇兵を募集し訓練し、今や同胞間に血の雨を降らさんとしたのである。
処が突発的の欧州大戦乱の為に、其内乱は爆発せずに休止して居るが、
今後果して此儘に終るであらうか。
案の善悪は暫く措き、苟くも国民が選挙した議員が可決し、法律で定
められたる順序を正当に踏んで、其効力を発せやうとするのを妨げる
何たる事であらうか。成程自治案はアルスター州に対しては
面白くあるまい。第一彼等は他の諸州と基督教の派を異にする。而も無
類な頑固な教徒である、世界中歩いて見ても、愛爾蘭土のやうに異派の
教徒が互に敵視する処が無い、下宿人を置きたいと云ふ広告にも下女
を求むる広告にも、婚姻を求むる広告は勿論のこと、悉く先づ何派の教
徒たるべしと指定する。西洋人は基督教を以て世界の平和、人類の博愛
を目的とする様に説く。然るに教派の相違が原因となりて、彼等基督教
徒が相闘た事は数知れぬ。二十世紀となつても此例は愛爾蘭土に起ら
うとしたのである。
アルスター州は他の残りの三州と較べると地積に於ても人口に於
ても遙に小さいのである。併し富力は全愛爾蘭土の有する半(なかば)以上である。
彼等は貧乏な三州と同一地方議会に列し、多数決で以て事を議されて
は損に相違ない。之れが彼等が自治案に反対する他半の原因である。極
言すれば彼等は愛爾蘭土の為に、或は英吉利国の為に真に反対するの
でなくて、自己の利害から割出しての結果である。英吉利の具眼者は英
吉利国民が余に自己の利益のみを重んじて国家の利益を顧みないと
痛論して居る。アルスターは正に此好例の一であるまいか。斯の如き国
民は果して国家に望ましいか如何か。
考へて見よ、日本の帝国議会に於て北海道の自治案を可決し、其れが
法律となつて発布せられ、将に施行されやうと云ふ時に、函館とか小樽
とかの一地方が極力反抗し、而も反抗するの理由は宗派の相違と財産
問題で、義兵を募つて政府軍と戦はうとしならば如何(どう)か。例へば誠に忌
まはしい仮想であるが、此様な事があつたらば我々は如何に処すべき
か。分かり切つた話だと思ふ。併し英吉利の憲法政治では之れが分り切
らぬ。土台英吉利の憲法政治なるものが、斯かる忌まはしさ事の事例を
産み出すのである。之でも日本の政治家や論客は英吉利の憲法政治を
崇拝して之を師とすべしと説くか。
英人の摺蛮思想
第二こは英吉利人の国家思想が如何か、忠君愛国の念は如何か。英吉利
しりじつ く忙 イ f lスがりしゆわ’こく 小 甘 しぬ とは あは
一つの貸賃な闘でない」英官制各衆王国と云ふ名の示す通丸一の合
ィy〆ヲy V スコアト’y甘 ′イル’y V ウ土エスこの こ い ぶ人し けつ
はせものである.英倶蘭土、蘇格蘭土、愛爾蘭土、威斯、此四個の異分子の結
”ふたい こ九 に はん こく しう性くかいだウ い 々う ち− てきく 【り
各鰹である.之は日本の四国九州北海道と云ふた様な地理的直別でな
けんこくい らい じんし抄て昏く ペウ
くて、建国以凍の人種的直別である、絆軒が絆hが新野酢ががピ紆軒が
0 0 0 つ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
本人の抱くものは鼻然建つて居るD
Tイル ヲy− おい スコット ヲy V おい だいがくけ’じ抄 ヰう i ち あ ひと
変研蘭土ほ於ても蘇格蘭土に於ても、大畢教授の様な位置に在る人
ィ ギ りス い たん く忙 し抄ち々, す こう
が、英音利のキソ〆と云ふのは畢ほ団の首長のシソボγ托過ぎのと公
けん はゞ この々ラ げ人 き わ九ら に はんじん い ぐわい か人 しやウ
言して悍からない.此横夜二言を開けば、我等日本人ほは意外な戚む生ず
しか つちく ゆ らい か人小 舟 イ ギ †ス おい
る.併し熟キングなるものゝ由凍を考へて見ると、英官制ほ於てばか阜
†いヰうかくこく おい ばん い か じんみ▲ lひだ しん舟り く巾んけい
でなく、西洋各囲ほ於て一般ほ、如何ほも人民との間ほ親密夜閲係のな
ば 私ひ たfさん イ 半 †ヌじん かウ lい亡 わか わウa会 いた官 こと
い場合が樺山あつね.英青利人は、曹て英語の解ら氾王凍を戴いた革も
ヌ土ナシあ九り むかし bうi全 くらあ と甘 y し甘 じんみん だいへ’し●
あつた。療典速の昔の王凍は、位ほりく時の儀式として、人民の代表者の
まへ じんみん むす ●くモ‘ 牡l い †ん†い じん舟ん 才う ● ● ● ●
前で、人民と結んだ約束む守ると云ふ宣誓・としJ人民の方では、約兎を守
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● い 九ふじ の こと 九рオ き さい
る岡は王として戴かうと云ふ答辟を述ペた事は、歴史はちやんと記載
この甘いき ノかヰー スエナジ ぶ人X とくりり こく と
3れてある.此世紀では諾威が瑞典から分離して濁立団となつた時ほ
ヂyマー♂ わうbウひ わうたいし モ萎 むか (らゐ つ すы] わウ じん
丁抹から、王、王妃、王太子と揃つたのむ迎へ七億ほ就かせねノ即ち王と人
丸ん 苛ひだ みんぞくくわんけい 生こと ウす さいр おい }うと’
民と小の間ほ、民族関係は誠ほ薄いのである。衰迂ほ於ては、バルヵン騒動
す丸 い くに † п@ わっa士 ド イ’ い
の未ほアルバニアと云ふ飼が出水て王様は濁泡から行つね.乙れなど
じんみん わうさ生 まつた む くわんけい けんち じ にんめい セい iうあ
は人民と王様とは重く無関係である.顆知事の任命と大した相違が在
か た しき くに がくし々 だいけんせつ ろん に 壮ん 々ウ こくか モ しき
い.斯かる組織の図の聾者が、大様読む論じても、日本の様な同家組織の
ところ ぜん−X一つlの み いは ちウくん ぐわんねん
虞では杢然別物として見るべきである。涼んや忠君の祝念などは、チソ
「
英人の同家思想 一四】
「
英国は押とナろに足るか
一四ニ
は【レ ′ヽ■り
デ始めから戟べものほなら瀬.
ま九 おい じ ぢ ちん たい じ ね ウんとつ ときし 研い 佗
又ダデ,ンほ於て自治莫ほ対する示威運動のあつた時.市術む錬鼻
屯る ● ビ ラl こ’ムん あ生 み†く らんkふ こく†
歩い熊野次馬が興奮の除阜、店々に乱入してユニオンジャックの囲旗
がうだり こ九 九くaんもり かいとう ひろば や す おどろ はなし
を強奪し、之を樺山集めt街頭の廣場で焼き秦{泡、驚くべき話でない
▲ に はん や じ ウ虫 い か きやうたい おちい ひ 故事 こくп@ もっ
か.日本の野次馬が如何ほ狂態ほ隋つても、日の丸の靖放を集めて火を
り 炒め お亀 こと これら こく井ん 丸いこく い くわんnん
附けるなどは、夢ほも恩はの事だらう.是等の団民の愛国と云ふ観念は
†
ぜん・んYベウlの ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
仝飴別物でなければならの.英音利崇拝の連中は、此例ほ対して何と音
● ● ● ● ● ● ●
ひ仙浮けむするか。
∫ ギ ’ス 亡ん X イ’じん ウち 忙 沖叩んじん 下ウぐんもい こくし さう lウ
英音刹人や濁逸人の中ほは、日本人の忠君愛国思想を以て
ぎ しう
一の擬宗
けうてき甘 しん ひ々う ちるひ に はん こくみんけういく lつ ちウ‘んちいこく ちつ†いてl
敢的償侶だなどと許し、或は日本の国民数育む以て忠君愛国の厘制的
ちうにふ と牡 もの に はん しんぶん首りし ウち こ九ち けん てん
注入だなどと唱へた着がある.日本の新開雑誌の中ほは、此等の言を樽
aい み †い◆う どと こくか モ し1 1と ち じんみん み
載したのも見えた.西洋の如き同家組織の下ほ在る人民から見ねなら
「 † T
に はんじん ちうくんlいこくし iウ ▲ か かい きウl か札ら 舟r ●ウ ぷ さ 浅ふ
ば、日本人の忠君愛図思想は不可解に相違ない.彼等が右の横在無作津
む てつばう けん ほ い た しか l こ п@ に はん
無銭砲の言を吐くのも異とするほ足ら氾.併し若し之れを開いね日本
じん ウち れい †い々うす’旺いnつ †い●’じん けん もXがた けり
人の中ほ、例の西洋崇拝熟から、西洋人の言とさへあれば難有がるの頼
くわすこ みy 々う 肝うけん みゝ・ い lつ はか ▲
兵、少しでも右の様な暴言ほ耳を貸すならば、そ爪は以ての他である古H
▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲
本の歴史む知ら氾西洋人の言葉を、日本の歴史も西洋の歴史も知ら氾
▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲
日本人が開く程危険な事はない.
甘 かいぢう (に ふ 旺 かうかウ すぐ もいこく 恥いこく †いしん すl旺
世界中の園て父母ほ孝行なのが直ほ愛国であみ、愛国の槽紳が即ち
ちうくん に ほん はか п@ すな旺 に ほん ち’くんちいこくかウか’ L●
忠君となるのは、日本の他ほは無い、即ち日本では、忠君変図孝行の三者
どう とう甘 で こと イ 甘 ぐわい亡く こ で п@ こ九ら くわん
は同一の動機から出る頚が出水る.外因では之れが出水ない.此等托粥
†い●クじん と に はんこくみん おは女 下が
して西洋人の詮くと乙ろなどほカブレると、日本囲民は大岡達払むす
こ り 寸り ち▲†いぶりがくてрカんたうくわん く蛙 の
る0之れほ就いては拙著「生物孝的人造軌】ほ詳しく並べてある.
英人の拘束思想
−四三
J
英駒は師とナるに足るか
英周の海外移僅烏
一周四
せいやうかくこく へい を 大中ナノノルウ王オウス∫り
でなく、西洋各図の弊として居ると乙ろであるが、瑞典、郵威境地利なと
ゃぅ し上くみんち l くに い花 かた イ ぎ Yス じんみん
の棟ほ、殖民地を持た沿囲は致し方もないが、英青利の人民であ阜なが
欠い町中ウち ぐわ∨ い じラ 士つた イ 半 りス こくп@ ぜりえん 〜の すく に
ら英領地外ほ移住し、全く英青利の国旗と絶縁する者が少なくない・日
ほん ろんかく ウち と はんじん かいぐわい 小 みん 寸 秒 し々ウれい
本の論客の中ほは、日本人が海外へ移民として出て行くペきを奨拗し−
カ サ ホル一 丁 しうくわい はいにち旺ふlん だ ち わ
加利編尼亜州曾で排日法集を出しねとて血を沸かしたものが窮かつ
しか こ aいかク 上 ち このこと ペウ だい ちらた ろん†
ね.餅し之れは再考の飴地がある.此事は別ほ題を改めて論議しょう・
ィ 羊 りス の∋みん と ち す くb√こく い ぢク モのたぬ イ ギ’ス ケ’一{ち
英音利の農民が土地む棄てゝ外駒へ移住し共名ほ英官制の耕作地
nんくあ ゆ 甘んな のこ とんな かす おは モのけりくわ l
は年々荒れて行く、女が遺されるから女の数が多くなる.女給果は有ら
はウめん しやくわいlんだい ひきおこ らウじん じ●くし々 のこ す牡吐 こくか ●くかい †う
ゆる方面ほ融合問題む煮起す.老人や易者が濁る.即ち固象の厄介が埠
カ はたら 甘か わかlの イ 羊 1ス こくп@ くわんけい た こ けウ l社
加する.働き正負の若者は英青利の国旗と閲係を絶つ、之れは決して革
こと
ぶべき事で夜い.
すペ せい●うじん ぐわいこく き (わ ぐわいこく い ぢつ すこ
凡て西洋人は、外図ほ蹄化するとか、外閑に移住するとかなどは、少し
たい こと おl モ に はル い た けん せ官 ウつ やう
も大した串と恩つて居ら氾.日本で謂はば他顆へ籍を移す様なもので
ある・卸軒断絆a〃が肝脚がが伊野尉でががが酢がが酢c評が紆が貯
0 0 ⊃ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ない.利益とさへあれば執れの図へでも移住する¢如何なる飼人とでも
紆貯ヂが、針酢ピ評が粁軒が野jがが」がががげが酢が酢ポパは鮎貯
江か だいじ す рンだ п怐@ ばか ぎん払ん かいぐわいはつてんし抄
の墓を大事托し過ぎるとて、涙む流がさん計阜ほ残念がる港外発展主
管 し々 かいぐかいほりてん もうろんひつ九’ しか こくき ぜっlん 々う はりてん
轟音がある.海外教屁は勿論必要である.併し図旗と絶縁する様な発展
ひ こくみんてき
は非国民的である.
同盟セエ
とうめいひ こウ ビワ払いひ こウ イ 羊 サス 払いぶつ モのけ人 いん
は同盟罷工である、同盟罷エは英音利の名物である.其原因は
え’ し はんねし 九い らつビラし● 托んこう ことは
ぅが、要するほ資本主に対して昇働者が反抗するので、言東む
海外移住民 同盟摘エ
一四五
ー「
英国は嘲とす−わに足古か 】四六
か ふ しヰ 甘んし々 もらモひ こ(р「 おい ひんぶ р竄、かいきう
換へて射れば富者と貧者との畢である・一団内ほ於て貧富の両階級が
もひもちた こくか さんけふ 甘 せい も上う どうはう こんく かへり たがひ りんまウ り
相雫払、国家の窪兼を犠牲ほ供し、同胞の困苦む顧みず、互ほ厘毛の利の
ため たゞか モ こ だい しヰくわいて甘けりてん しやゥこ イ 羊 Yスじん
名ほ嘲ふなどは、共慮に大なる敢曾的故粘のある諾壕である」共著利人
これ かいし々† か モうじんみん ち しき L人圧 ため じ 亡 けんり じ 肘く き
は之を解滞して下層人民の知識の進歩の馬ほ自己の植利を由覚し凍
たh くわと じ だい けんしやウ lく あ かれら けういく しん旺
つた馬となし、過渡時代の一現象と目して居る.彼等を教育し進歩させ
か人が と р骼揩ニ か 七っ ちウどうし々 む ち ぐ とん しゆじん
れば針鰯ほがむと考へて居る、成程下層の穿働者が無智愚鈍で・主人ほ
丸い yクは どと と’払いひ こう おこ イ 羊 りス とうめいひ こう
対して牛馬の如くならば同盟罷工などは起ら氾.英官制の同盟罷工の
おは い ら’とウし●かいきう た こく しんは ◆う しか
多いのは、謂はゞ昇働者階級が他国よ鼻も進歩しねからの様である.併
“レ Uリ さ 々う
し革質は左血裸でない.
イ ギ ’ス おはぢ 世し ますくお托 せうのう 屯 江や払つばゥ ちうの’ 澄んく
英青刺では大地主が益々大きくなる。小農は最早滅亡し.中農は段々
へ これら ちう‡ウの’ へん おほぢ ぬし こ 古くにん す年E のうけ▲らウどク
と減る.是等の中小農は襲じて大地主の小作人となつた.即ち農業弊働
し● のうけふらうとうし● と’れいひ こう わけ 抄 か九ら た こく
者である.農業弊働者は同盟罷工をやる評ほ行かの.そ乙で彼等は他国
「
い ぢう こうげふ はう モのお埠む ちが ぜうし 壮ん こうけふ ぜんじ せい サワ
へ移住する、工業の方では其趣きが達つて、小資本の工業は漸次成立し
たい こラけ▲し● いよく だい せうこ’け点し々 し たい げ らく し▲くにん
なくなタ、大工業者は愈よ大となる、小工業者は次第に下落して職人と
らウとウしや かれら かいぐわい い ぢう こと ようい み かい ち
な阜弊働者と夜つね。奴等は海外ほ移住する串は容易でない、東掲地で
こうけ▲ 旺り たつ を かれら のう みん へん え
は工業が発達して居らのからである、彼等は農民ほ襲じ得氾からであ
とう めい ひ こう こ おこ
る.同盟罷工は之れから起る.
育んらい えい どく へん はり たり らうとうくみちひ ふ し々 たい ぜりたい あ けふ
社家の英猥逢に敏速した弊働組合は、富者ほ対する絶大なる威脅で
とうじ々づて専ど’めい ひ こウ 々 しき いた まりた フ ’yス だいかくめい 潔い 虻
ある、同情的同盟罷工の組織ほ至つては、全く彿蘭西大革命の第一歩で
わが旺い 古くねん ちき ふゆ か ふ お だいどうめいひ
ある、我襲は一昨年の軟から冬ほ掛けて、ダプリン府ほ於ける大同盟碓
こ’ み せんとう九人ぜつ п@ しか こくか W●ウき か
工を見ね。ラーキンの煽動演詮も開いた。而して飼豪の病気も斯くせで
いた がいたん カ ぴ●ウてрアくか 宅 しп@ け人官う
ほ至るかと慨嘆した。斯かる病的国家組稀は、研究すべきであるけれど
ま 払 いは 宅んけいすう はい おい
も眞似るべきでなからう.況几や尊敬崇拝するほ於てをやだ.
だい こ じん けんп@ ‘わち上う こと イ ギ リスくらあこ じん けん9 宅ん
第五ほは個人の樺利を過重する事である.英青利位個人の権利を尊
同盟罷エ 一四七
英拘は師とするに足るか 一四八
て固豪が個人の樺利む尊重する
牡に ちくr々つ 旺たら を か 甘んペん く−かヘ 七の忙んすう すく
何かしら悪行を働いて居る.斯くする乙と何遍と繰返した其人数も少
こくか たい か この じんみん サ くわんだい
なくなかつね.国家ほ対して斯かる好普しから狩人民をも、斯くも克大
お まりた こ じん けん中 くわちよう イ ヂ ヮス 扶ふyウ
ほして置くといふのは、重く佃人の権利の過重である.英音利の法律の
ゥち こくか 熊い まこと もつと こ じ入 野 t し捗r
内で、同家ほ封しては誠ほ尤もであるが、個人の利己主義ほ紆餌の酎
すく牡 しか か はふりウ イ ギ ース たゞち くウぷん
ものが少からずある、併し斯かる法律は英音利では直ほ重文となる.
所謂英国の紳士 遭
たい イ 半 ▼ヌ しんし こく イ ギ リスじん Lんせい
第六ほは英蕾利は紳士拷だと肝ふ.英青利人は、鼻正のぜソトルマ
い
ン′
1 半 りスじん はこ このヰう こと い イ ギ りスじん 性か せ
は英官制人あるのみと誇る.此様な事を云ふのは、英音利人の他には世
かいちう 虹 はんじんはか に 壮んじん l;_の に はん ぷ し だう
界中で日本人計タであるピH本人の或者が、日本には武士道といふもの
い だ イ ギ りス れん顎う に はん ぶ し 兜ラ イ ギ 甘ス
があると言払出すと英壱利カブレの連中は、日本の武士道は英音利の
しんし だう おな とせ このやウ 九人ちラ 牧人
紳士道と同じだと唱へる・此棟な連中は、何でも財部棚ほあるものでを
ぁ が九 おち 屯 ほどイ 単 一ヌ しんし 漑う
ければ有ら難いと思はねのである.成る程英音利の紳士道なるものは
「同盟罷エ仰望へ駒の紳表
一朗九
「 − 英駒は怖とするに足£ 妄○
おウベいしよこく じんみんかん じ 生ん し − イ’Uん ぶ l にふ
欧米渚囲の人民間ほは自慢すペきであるかも知れ氾.猟逸人の無作法
や伊太利人の不衛、乃至は亜水利加人の下品などゝ故べたらば癖が貯
イ タ ワ じん ふ けウlいし ア ノ ー } じん げ ひん くら
半 リスじん じ々ウ甘ん ィ 半 サス す こゝろ■ち た こ( す こゝろlち いちじる lウ
曹利人は上品である.英音利ほ住む心持と他図ほ住む心持と著しく相
違がある戯のがつ郭は戎い肘Jが打n軒が灯〆bJ釘ががb〆が貯
−の
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● イ
青利場内ほ限ら締るもので、如何に磨く見ても欧羅巴以外ほ及ば抑.英
字 Yスこくみん かいぐわい はりてん た こくじん せりし上く とрアと 九りとうこくみん †り
青利国民が海外ほ教展して他の図人と接触しね時、殊に劣等国民と接
し上く ぼ ろひ かれら 年上とう い かゞ ぎん亡くむ だうは 申ん ち‘ぎ々ク
槻した場合ほ彼等の畢動は如何であるか盛酷無道破倫あらゆる悪行
牡 はゞ むかし ▼ ノ り カ おい ィy r おい 甘んあ
を為して悍ら氾でないか.昔の亜水利加ほ於ても、印度ほ於ても南阿ほ
おい γうしう おい くわこ れ写し っひ首ウ おも なか す
於ても濠洲に於ても、過去の歴史を追想しねならば、思ひ学ばほ過ぎる
ちか こく い かいた‘くわいしや れんちう らん旺う りひ }く仙ん
だらう.淀くはブラジル固へ行つ允開拓曾敢の連中の乱暴は、終ほ昨年
だいもんだい хрィこ lたさく仏ん ちんだい と ウ
大問題を志起したでないか.叉昨年のキクユー問題は如何か、アスキス
ふ じん と じ人 丸いこく†んだうし かみ みち と た た人モく
夫人は、キクユー土人は英国倖導師ほ紳の道む詮くほ足ると喋息しね
に はん たW は甘 か す ことわ写 イ 半 ▼スじん た伊
でないか.日本ほは放の牡は掻き棄てといふ笹がある。英官制人は放の
ぎいちく ふ ろん かんが ちか とこ汚 し な y†yハイ水y コy へん お し 牡
罪悪は不論と考へてるらしい。近い虜で支那上海、香港遽ほ於ける支都
じん たい イ 羊 サスじん し う lウた lウ じ人定’ はプ こと 【んと
人ほ郵する英青利人の仕打ちは、全く以七人遣ほ外れた事むやる。持護
九んちう か とう イ 羊 1スじん こと い なるほと● う
する連中は、それは下等な英青利人の事だと云ふだらう。成凝左様かも
し いプ こくじん ▼りば しんし
知れ申触しぶ朝なパは、野新和舶ほ断らず、執れの国人でも立汲な紳士
かy じ々ウとウしやくわいだ打 かr こく屯いだ かl
である療て貯軒那のみほ限らの上等融合丈に限られ、国内太けほ限ら
●う しんし とう k はん ぶ し だう ‘ら
れる様な紳士道は、日本の武士道なぞと較べものほなるまい.
美音利の乱暴女
iいと イ ギ サメめいぶり らん旺ウ瞥ん牡 と う か九ら こく舟ん じ上
最後け卜英官制名物の乱暴女は如何か、彼等は国民とし七恕すべから
あくじ п@ 亡と ぜん め とほ に 壮ん しAぶんぎつし うち か九
ざる悪事を為す事は前ほ述ペね通阜、日本の新聞社誌などの内ほは、彼
ら ちつ がくせ小 をんな ひやう ぢ上けんくわくちやう えラきう lつと甘 古んビワ かれら
等む似て覚醒した女だと許し、女樺撰張の要求を尤だと費同し、破等の
ばうかう たん くわと じ だい まぬか じ てрーんしやう しる
暴行は、単に遇拍時代に免るべからざる−時的現象だと記し大のがあ
卜美音利の胤亀女
】五一
「..〓蓄ほ
剛とするに足るか l五ニ
ィ ギ ワス けんばふ ち くわ‘とく とん狂
いのほなると、英音利の窓法は血で獲得したものである.女が
ち●ウ や ば とウ々う ビ仲んじ土 ふ 丁∧と
張するほは、矢張ら同様の順序を踏せねばなら氾と蹄護した
ィ 平 甘ス こと р 1 甘 し ま ま’じうナウ
のもある.英音利の事とさへあれば、何でも善いに定めて仕舞ふ盲従余
はい こゝ いた ま旺 い 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
拝も在は至つて極せれ阜と謂ふべしである」英青利本国では蛇燭のや
aが貯がげで尉がが軒軒軒軒ががポjががががが`ががドが鮮がげ
0 かれら らんはう甘んむとl 亡 盲 わ九ら ち 甘 に 壮ん あ 昏々うす
る。破等乱暴女共が之れを聞いたらば我等の知己は日本ほ在身と狂喜
し 暫し ヨーロ’バ か九ら
するかも知れ仰が、憎いかな鮮野で瞥いてなかつね・欧羅巴でも彼等に
ワ ま め め ろんy a lの は か もの
就いて鼻面白ほ論議して居る者もあるが、馬鹿者といふ
仕t lし
て鼻で過らつ
b はう おほ わがはい いた ところ こ い このy ろん イ 字 Tス
て居る方が多い。政撃も到る虞で故意と此議論をした。英音利でもやつ
計 か九ら と , このらんはうモんп@ たいぢ で 昏
て見たずると彼等が、如何したらば此乱暴女む退治出家るだらうかと
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居月山間する.そ
わがはい しウlんし● ま じ 払 か けん おつ いろ/ヽ へんた▲
乙で我撃は頚間者の鼻面日3加減ほ應じ七色々の返答し
み モのlウと ふ 生 じ 払 たい しんぶんぎりし 古いか九ら 年 生へ
て見ね.其最も不具面目なのほ封しては、新開赦誌が】切汲等の名前を
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か こと こ て う 聖ソもん a打
者かの.事托すればょいといふのが一つ、是れほは手を拍つて妙秦と叫
ぷ覿が那かつた痛も面倒な事はないから選畢樺をやつて仕舞へとい
廿に 力んだウ こと せん専▲けん し ま
ふのが新二銚の蹴弊かれほ封しては、小供は玩弄物む賃ふまでは駄々
九い こ と亀 有■ちやちの lら だ ムY
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む乙ねるが、茸へば底ほ厭く、如何ほも其方が宜しいかも知れねと蹴射
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する.餅し中には小骨をかしげる者もある、其様な連中ほは、諾威では女
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が選挙樺む得たが烏ほ、何も得むして居ら氾例む少し鼻面目ほ聞かせ
しか このlん定い しんけふ けんр、 を ひと・・で イ ギ †ス お
る虚して此問題を具勿ほなつて研究して居る人々ほは、英青利に於け
ぢ上し だんし ひ おは − いうこのLfか W々う こん圧人て字ぐわいくわれウはふ えう
る女子が男子ほ此して多い理由.此国家病は根本的外科療法む要する
へんじ このこと せりちよろ 1 せい●う か じつaいこ人kち イ ギ すス
といふ返牢此事は抽卿鳴呼西洋Jほ尊い<ある.箕際今日の英青利では
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手九百十一年未統計)男ニ】九八、一入六七ほ射し、女二三三一、五二四七
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人、即ち女の方が官三十二甫除超過して居る、之れ丈けの女が亭主を持
なに他Aとん牡 お壮 瞥とこ こ モた なに他人をと亡 tだ
てない府故女が多いか、男の鬼が育た何からである.何故男が育た氾か、
英営利の吼暴☆ 】五三
粛
英麟は師とするに足るか −茄四
こ モんt こ ひ じやう は いく ほh モ ところ はゝお● ふ
子は女の子よ身も非常ほ哺育ほ骨が折れるものだ.鹿が母親が不
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だから育ち恰い男の子の方が飴計ほ死の」何故托不注意か、遊びた
こ ヮワば しエラ払い た けりろん イ ギ _スぜんこく カ
いからである.之れは立況な諾明の立づ結論である。英官制金岡で一箇
hんかん いウぎ ため 社kはピ ザに りか イ ギ ーヌじん 仰いaんa 亡と しめ
年間ほ、遊扱の烏ほ何程の餞む遭ふか、英青利人は概算左の如しと示し
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て居る.
競馬
狩独
ク ¶′ ケ ツ ト
菅架■骨
チーース
活動▲葛民ハ
一億側刷
七千茶園
六千萌阿
lニ千人南開
五官蔑呵
アート ポー ル
輯脚
色働革
ゴ ル フ
飛行機
七千萌阿
八千南閻M
五 千血萌岡
二 千前川
四首茶囲
肴容毎超人首茶人
す牡ば くわつどうし々しん ので おく まん丸ん たり ぐわいらいじん かけ
即ち活動寛具む除いて四億九千萬囲に薄する.外本人のあ蔭もあら
し秒 丁 半 りスじん いウ ちく lめ りか か払 lら {と
うが、主として英音利人の逸欒の為に達ふ金である.更ほ挿しくいへば、
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ィ ぎ Tス ととこ をんな こ 菅 け人と ため りか か仏 イ ギ Yス い か
英音利の男が女の御機嫌取る為ほ辻ふ金である」共音利では如何なる
齢靴窮でも、男が一人で行くなどは勿論の事、女気のない連中は重く間
者とこ にん 抄 lちろん ことをん甘け 九んち’ まつた −−
ぬ a 山る 特 性と この々ウ か拙 かゝ をんп@九九
が抜けて居る.キマザが悪くて行かれない碇だ.此壕な金の掛る女を誰
もら 私益首り し 牡に抄ゑ 甘い仙人 けつこん 専ら
が貨ふもんかごンドンの或雑誌が、何故ほ青年が結婚む嫌ふかといふ
lん潔い た とうし上 りの おうぽ し々 わ− ぶ をん屯 lの
開層を出して投書を募ったらば、應寡者の入割五分までは女といふ者
牡にほとあた 生んモく か チ∨な かす おほ うへ このムうてう
は何程輿へても満足せ氾からと香いた.女の数が多い上に此風潮だも
どくしん瞥ん甘 ふ 屯ちろ人 ばいせ,ふ し せいじ くわXうげやウ モのだ小 島ん
の、狗身女の増えるのは勿論である.賀笑婦、私生見、花柳病は其第一の産
点り らんはうをんな だい
物で、乱暴女は粛この釘が.でが〆0
膿正なる判断な島鶉外心
みy あ はか イ ギ Xス おlしろ てん いろJl はうめん たくaん しか
宕は奉げた他ほ、英音利の面白くない粘は、色々の方面ほ樺山ある。併
ら おほ イ ギ † けりてん むし 一1ロサバ †エラり’ けつて人
しそれ等の多くは英音利の故黙といふょらは、事ろ欧雁巴共通の敏粘
こときら こゝ の рノ イ ギ Yス ヨーロ’バ うち
であるから、殊更ほ滋に陵べるではないが.何しろ英青利は、欧雇巴の中
瞭正なる判噺なき鵬桝外心 一五五
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英国は持とナろに足るか 】五六
とく ひい 9ウば こくみん で 官 a くに したが とく イ 羊 ’ス
で特ほ雰で泡立沃な固民で出水て居る堵ではない.随つて特に英青利
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許多を崇拝する理由がないのだ鶴野のポ郎鮎で、鶴針で如一軒が那野
て年 すうZい ゐ − イ’ せい くち 宅ろ 々 はんみんモく だいへうしや
的に崇拝して居た狗逸むば、一番ほ口数揃へて野攣民族の代表者のや
ケナ †んa’ lで 瞥が ●う たつと あ たんせんせんふ
ぅほ児すでないか.教学する迄は拝む横ほ尊んで居ながら、一旦宣戦布
こく こんと て ひら か や’ 打 たウ この々ウ こんじ●う ひ は人
骨となれば今度は手の掌を返へし允楼ほ罵倒する.此様な故性で批列
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も研究も出水るものでない重曹利でも邦鮎丸郎一粥鮮駅蹴となつた
こんにちず イ’ むか 技社 有(†い おな 々う イ ギ ▼ス む
ならば、今日狗逸ほ向つて放ちつゝある忍挙は、同じ成ほ英青利に向け
さうゐ と はんじん ナウぐわしんん けんせい 江人世ん ウヘ こと
る托相違ないb日本人の崇外心は、厳正なる判断の上でない事が乙れで
bか やくけん 伊々づて甘 かウ曾 しん おこ 打々’甘
も解る.約言すれば病的である、好奇心から起る病気である.
カ わ肘はい せいやう lk lの 女性 な
斯くはいふもの\我輩は西洋から何物も学ぶべきものが無いとは
い まп@ しか こ なら こと たく‡ん し他 ぶりしりかい
日は氾.革んで而して之れほ傲ふべき事は樺山ある.主として物質界ほ
おい しか セ♭ まへ ひ ひ●う 九ウ 仕んだも えう lクじ’
於てである.併し傲ふ前ほは批評む要する、判断を要する0盲従ではイケ
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氾、弟秤は盈イケ拍。
ィ ヂ 甘才 女牡 ぜん叶いき い らいせ かい 竺フし々 イ ぎ †ス たし
英青利む拳ぷもよからう、前世紀以本性界の優者ねる英官制には、確
ゐら ところ 太くaん なら こと む すう こ 女l こLろが
ほ偉い虞が樺山ほある虚ふペき事は無数にある.之れむ革ぶ心掛けは
わ一石
恵くはない・附い掛割榊か封釘付知新対卵酎−肘a対酎紺が」酎尉い釘
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っ允原因は、他組む余罪し模倣しなかりね馬めである古本の英音利崇
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
秤家は、英青利の最も大事な粘を弟押して居ないのあでる.
大和民族の典籍すべ き硬
ゃ女と みんぞ( はつたづ モの九きし おい せ かい レ るゐ ち 包う たいこ じ だい
大和民族の哉達は、共歴史ほ於て世界ほ無類である盛球の太台時代
い らいとrワつ がうしう た こく るゐ と’ぶつ さん に あ すなば
以密特立しカ濠洲が、他国ほ類のない動物を窪するのほ似て居るノ即ち
ぐわいかい ぽりかウし々う はつたり けつくわ モのこくたい おい こ‘み人 し aう ねい
外界と挽交渉で凝津しね結果である。兵団性ほ於ても、拘民の思想ほ於
けんと おい †んJぐ・とくXつ けいろ と п@a
ても、言語ほ於ても1凱郎に椚ても壷然特宜した径路を取つて水て居る・
し ぜ人 かんたん しか いウ伊 ちрア 者人年 払るしんぶん か
凡てが自然で、簡畢で、而して優美である高子といふ女が或新開ほ書い
大和民族の黄秤ナベき閲 一五七
「
英拘は師とすもに足るか 一着バ
か人}ウ う下 に は人 い つ ぶんめい 屯 はうしや けつ せ かい
た感想の内ほ」日本は何時でも文明の模倣者であつて、決して世界の文
机い aう官うし● ゐ さ こく えうらん 一 かい lし ちしlる
明の創造者になつて居ません」とか、「鋭圃の端整から世界へ二足三足歩
怒 忙 ほん あか ばう あか げう しр閨@ おとl l れ
き出した日本は曾だ赤ん坊です.赤ん坊が頻ほ大人の眞似をするのは
し ぜん けいくb い ゐ あрア 々ウ Fんと く裁 ことば ひ●う
自飴な経過です」在どゝ云ふて居る。晶子の様な女の下ら和音菜を許す
し こ ち官こ かr ことは
るのは鵜舶貯ないといはれるかも知れ仰が、之れは晶子に限つ空一戸菜
に ほん せい やウ†う はいか い く とう おん 旺 ことは ちき こ l ナウ
でない.日本の西洋余邦家の異口同音ほ吐く言葉である、晶子が若し柴
旺いか かのぢ上 せい々うすうはいか し さウ けん つゞ もら
秤家でないとすれば、彼女は西洋負秤家の思想を一言ほ約めて現はし
k はん † かい ぶん力い aづざうしや п@ ち り てп@ くわんけい
たのだ.日本が世界の文明の創造者ほなつて居ら何のは、地理的の朋係
官 あ ぐわい亡{ かうウウ はじ ちか亡ろ い こと けんこく
から凍て居る.外由と交組む飴めたの、が近頃であると云ふ事は、建国が
ちか亡ろ こと ぜん′ぐ・ペウもの ぐわいこく かうつう はじ ちか亡ろ
遊軍であるといふ事と全然別物である.外駒と交通む始めたのが近頃
こと に はん ぶんくわ 甘 い
であるといふ事は、それせで日本ほ文北といふものが無かつねと云ふ
のと天地の相違がある針ポががj射すが紆がガ〃がaか.へ〆がノ〆
て人ち さ’b
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● すタじりぜん あるぢ上がくかう かゥち々ウ えんぜり
は、是等の誤れる思想から凍て居る.数日前ほも或女学校の校長が演詮
ど いり に はん いろくこ‘じ々ク 忙 てん hんらいにり九り
して、狗逸と日本とは色々図情ほ似ね粘があつて、ツイ五六十年凍教達
宅の い 甘 に はん lか ばう
したなども英一であると日ふ柁のむ開いた.乙れなども日本む赤ん坊
計 あ れんち’ い ぐi ビ ラ に はんじ人 か に はん れ■
と見て居る連中の言ひ革である.如何すれば日本人は、斯くも8本の度
し わナ かれら に は人 †い々ウ だ らく おぽ つ ちか
史を忘れるの狩らうか、彼等は古H本が西洋の堕落を費えねのは終ひ混
亡ろ い ま ち肘 a に 壮んじん サブ はい も 扶う くに
頃だ」と云ふべきのむ間違へて居るのだ.日本人が崇拝し模倣すべき固
イ 半 Yス ▼ イ’ ′ メ ー カ む ろん ● ● ●
は英青利でもない狗逸でも覆い、亜水利加なÅどでは無論ない、唯だ週
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
去の日本あるばか阜である. ハ大卒凶年四月彗大日本」)