西洋文学の読ませ方

 我輩は水産植物を専ら研究して居る者で、文学の方面には全然局外
漢である。唯だ時々慰みの為に、解らぬながらも色々西洋の文学を読ん
で見る。煙草屋のお神さんが店番しながら、八犬伝を読むやうな流儀だ。
然るに近来日本で西洋文学の翻訳が流行し出し、随つて之に関する論
評が盛になつた。其論評の中(うち)には、我輩の腑に落ちないものが数々あり、
中には、如何(どう)して日本の文学者連は此様見当違ひをするのかと、不思
議に思はれる程のもあつた。併し何分(なにぶん)にも自分は此方には門外漢、自分
が不思議に感ずるのは読み方の足りぬ故とも考へて見た、考へては見
たものゝ其疑(うたがひ)は霽(は)れぬ。それから思ひ出して、一つ近頃流行のイプセン
物の和訳を、原本と比較して見やうといふ好奇心を起し、寸暇を竊んで
之れをやつて見たのである、其結果は誠に意外千番で、イプセン物の和
訳者で今日日本で文士と許されて居る人々の中には、外国語の知識の
如何にも貧弱なのがあるには驚き入つた。そこで我輩は「尻沢辺(しさべ)の布刈(めかり)」
なる仮面を被つて、遠慮会釈なく其誤訳を指摘した。即ち本誌に於て
連号掲載されたのが夫(そ)れである。
 我輩の誤訳指摘に対して、重訳物を原本と比較して誤訳呼ばはりを
するのは無理だ。先づ以て英又は独の訳本と原本との相違を述べ、然る
後に和訳の当否を論ずべきであると評した人がある。如何にも御尤も
な次第である。併し英訳も独逸訳も我輩の手許に無いのである。唯だ嘗
て二三の英訳を見た事があるのと、独逸訳の一二は、近頃流行の独和対
訳のイプセン物で見た丈(だ)けである。処(ところ)が我輩の見たる此二三の英独訳
に於ては日本の文士がものせるイプセン物の和訳の誤りさ加減は、気
の毒ながら英独訳に罪を嫁する訳に行かぬ、それから和訳の中には如
何にしても重訳だと思はれない体裁で以て世間に出したのもある。或(あるひ)
は評者は諾威(ノルウエー)語を諒解する人であると世間に吹聴したのもある。そん
な事は兎に角として、此等の文士がイプセンを論ずるに当つては、英独
訳を通じて間接にイプセンを窺つたらしくないのである。孰れもイプ
セン物の真髄を見透ほした様な風で、其間に遠慮もなければ謙遜もな
い。而して是等の人々の和訳の情ない事夥しい。之れが即ち文学門外漢
我輩をして、筆執つて見ようと思ひ立たしめた理由である。我輩は
誤訳呼ばゝりを非論理的だと非難する人は、先づ彼等イプセン論者を
以て羊頭狗肉のイカサマ者であると宣告しなければ公平であるまい。
お手柔かに云つても、孫引論者位の名を与へるのが至当であらう。

         人形の家と新しき女

 島村抱月君がイプセンの「人形の家」を訳し、之れを単行本として早稲
田大学から出版された時に、諸新聞に現はれた広告文を見ると、新しい
女と云ふものは「人形の家」の翻訳が世に出てから始めて現はれた。約(つま)り
島村君の翻訳が、所謂新しい女の出現を誘致したといふ様な意味を示
せる、文句があつたと記憶する。此広告の文案には、抱月君が関係したか
せぬかは知らぬが、当時新しい女といふ言葉が、東京では非常に流行つ
て居たから、世人の好奇心と此書物とを結び付けようとの計画である
やうに見えた。
 小野秀雄君が同一原作を翻訳し、「ノラ」と題して南山堂から出版した
時にも、之れはイプセンが女性の自覚を描きし最初の大作で、婦人問題
の焼点(しやうてん)となつた云々といふ様な広告が出たと記憶する。此広告も矢張
り近来婦人問題の八釜しいのに乗じて両者を結び付けようとしたも
のと見える。
 此等の広告文案が出版書店一個の了見から出たにしろ、世の中の或
人々、精密に申せば東京の一部の読書社会には、ノオラが新しい女と関
係あると思ふたらしい。某雑誌が「新しい女」に関する諸家の説を載せた
中に、某氏の如きは、「ノラは終(つひ)に帰つて来るだらう」といふ様な標題で、有
りもせぬ意見を無理に絞り出してる様な事を書いて居つたのを見た
事がある。之れなどは、確かに世間の一部で右の様に考へた証拠である。
 「新しい女」とは何を意味するか、之れは種々雑多な新聞雑誌で書き立
てられた事で、我輩が遅れ馳せにかれこれ蛇足を添へるまでもないが、
此言葉の生れた当時は、決して賞讃すべき意味に於てゞは無かつたら
うと思ふ。官能的に放縦な行動をする女、風体挙動丈け男の真似する女、
亭主に従順と云ふ事を止めて、之れを尻の下に敷かうとする女、此等の
類を意味した様に思はれる。左れば島村君の翻訳が、是等の誰が眼に見
ても好ましからぬ女を産出させた訳で、誠に国家の為に嘆息すべき結
果を生じた事になる。イクラ売り高を多くしたいからとて此様な事を
自慢らしく広告する本屋はあるまい。左れば本屋の所謂ゆる新しい女
と云ふのは、賢母良妻の名の下(もと)にある、一種の下女としか見られなかつ
た妻を咒(のろ)ふ女、男ばかり勝手な振舞をして女に貞操を強ふる夫婦関係
に反抗する女、奴隷的の妻となるのを拒んで、独身生活で以て世の中に
立つて行かうといふ女、生殖哺育の面倒を見る代りに、社会的事業の為
に身を献げんとする女、其他(そのた)之れに類する女を意味するのだらうか。
れだとすると「新しい女」と「人形の家」とは、少しも関係するところは無い
と思ふ。


          ノオラと新しき女

 イプセンの描いたノオラといふ女は、器量自慢で金遣ひが荒くて、娘
時代には何等の修養もなく、妻となつては家事になんかは頓着せず、虚
言(うそ)をつく事を何とも思はず、面白可笑しく世の中を渡りたいといふの
が其性格、中頃になつて降つて涌いた大騒動の為に、今迄で唯一の頼み
として居た亭主は案外の無気力者、下らぬ虚栄心の為に愛情を第二段
に置くのに愛憎(あいそ)をつかして、断然小供の愛を棄てゝ家を出て行くのが
結末。之れで見れば、前に挙げた第一の意味に於ける所謂新しい女は、此
作を読むが為に改心こそすれ、決して新たに出づる訳が無い。又第二の
意味の新しい女とノオラとは、何等の関係を見出し得ないでないか。し
て見れば、イプセンの「人形の家」の翻訳と「新しい女」とを結び付けた本屋
の考(かんがへ)が解らぬ。
 イプセン崇拝者や其作物の難有連(ありがたれん)は、如何様に「人形の家」を評して居
るか知らぬが、此「人形の家」一編は、劇としてこそ面白いものであるが、深
く考へて見ると矛盾が沢山ある様に思はれる。世間知らずで無頓着で
夫れで、無邪気なノオラが一夕(せき)にしてイエルマーの人格に愛憎を尽か
すなんかは最も不自然としか思はれぬ。併し仮に之れを許してノオラ
の心機一転を以て、真に女としての己れの位置を自覚したものとする
も、此自覚は決して日本の女の旧道徳を破壊せんと企つる一派の女に
対しては、些しも味方するところが無い。

 東京の山手の青年男女の間には、我が国の古来の女道徳を以て実に
女子を侮蔑したるものとして、全然之れを眼中に置かぬ様な風潮が見
える。成程昔の女大学は封建時代の遺物で、明治大正の世には適せぬ点
が多々あるだらう。併し適せぬ点は孰れであるか。何故に適せぬか、之れ
を我が国の歴史、我が家族制度の過去現在将来、現時の日本の道徳法律、
色々な点から考へて改良するがよろしからう。全然之れを眼中に置か
ずに、頼るところなく守るところの無いのは、最も危険なる状態に在り
と謂はざるを得ぬ。殊に西洋の書物を生噛りにし、或は其翻訳物や評論
を窺ひ、西洋の事情も何も知らずに、西洋女の弊害とする点を真似るに
至つては、全く亡国の手段である
。東京の山手は日本の全部でないから、
其様に心配するに当らぬと云ふ人もあらうが、日本の田舎人は東京人
の為す所に憧憬する事が思ひの外である。殊に西洋盲従崇拝の日本国
民に対しては、西洋病毒撒布所が小さいからとて安心してはならぬ。

        イプセンは女権論者か

 イプセンの本国の諾威でも其作品の評は一定して居らぬ。普通の人
は作品の多くをば不道徳なものと見て、ベヤ、ユントかブランの他は、家
庭では、高声で読まぬものとされて居る。読書社会に於ては、イプセンの
思想が如何であつたとか其処世観が彼様であつたとか、他国人がイプ
センを批評すると大差の無い様な事を云ふて居る。
 併し欧羅巴人がイプセンを許するのは、欧羅巴に於けるイプセン物
の位置、欧羅巴の人心に影響する其方向及び深さを主とするもので、国
情や人情を異にする我国に於ては、其評言を其儘取り込む事が出来な
いのは勿論である。欧羅巴人が見て反対する箇條も、日本人が見れば賛
成すべき点もあらう。又此反対な点もあるほ相違ない。我輩の眼で見た
ところでは、皆が寄(よつ)て集つてイプセンを女権論者にしたやうに見える。
イプセン自身は、私は女権論者でないと云ふて居るでないか。イプセン
が晩年にクリスチヤニアに帰つて来た時に、同府の婦人読書倶楽部の
主催でイプセンを歓迎したところ、其席上でもイプセンは女権とは何
の事だか私には解らぬと話したさうな。これは其会に出席した某婦人
から聞いた、のみならず、彼れの作品の中には、女子独立論者の期待に反
対して居る様な口振りは、一再ならず見られ得る。


         イプセン劇中に現はれた男女観

 我輩は通常の日本人としての立場で以てイプセン物を読んで見る
と、日本の旧道徳、殊に結婚問題に対する日本の旧道徳と、イプセンの作
物中に現はれる男女観が、正しく相一致するのに驚いた
。イプセンは日
本の旧道徳や旧習慣を勿論知るまいから、之れは偶然の一致と見るの
外ない。南欧に漂流すること三十年イプセンが、到る処男女の関係の弛
廃して居るのを見て嘆息し、夫婦関係は単に一種の物質的結合たるに
過ぎないのを見て、到底これでは健全な一家を構成する事が出来ない
と認めたに相違ない。併し欧羅巴人の多くの眼には、果して此点が見え
たか如何か解らぬ。仮にイプセンの頭の中には、斯かる思想が毛頭無か
つたとしても、随つて我輩の憶測に止(とゞ)まるとしても、西洋思想に囚はれ
ざる日本人ならば、誰しもイプセンの作物を見たらば同じ感じが起る
べきだと信ずる欧羅巴人の様な見方をするのは日本に適せぬ。
 斯く曰ふたならば、欧羅巴人の作物を欧羅巴流に見ないで、日本人の
眼で別方面から見ると云ふ事は、作物の真意を解し能はぬ事に立ち到
るので、愚(おろか)な至りであると非難されるかも知れぬが、これは諒解と批判
とを取り違へた話しで、諒解するには欧羅巴人になつた気で欧羅巴に
居る積りで読まねばならぬが、批評するときには全然其立場を離れて
仕舞はねばならぬ。文学撃といふものは自己を読むもので、自己に反射せ
ぬ。[ママ]文学は読んでも解らぬ、西洋文学でも其通り、日本人は日本人に反射
する様に、日本流の読方を為すべきである。
 然らばイプセン物を日本流に読んだならば、果して日本の男女の旧
道徳を讃美して居るか如何か、之れは直に我輩に向つて問はるゝ事だ
らうと思ふ。我輩は躊躇なく然りと答へる。ヘダ、ガーブラーでは如何で
あるか。結婚の動機としてへダの自白する処によれば、何の気なしに此
様な家に住み度いもんだねと、フォークの建物を指してテスマンに話
したのが基でないか。夫れをテスマンが本気に取つて私と結婚なさい。
そしたら私が此家を買つて、二人で楽しく住まうじやありませんかと
云ひ出したのが結婚の相談の始まり、ヘダは奇麗な建物に住みたいば
かりで、後前見ずに之れに同意したのである。素よりタスマンに深く慕(ほ)
れては居なかつた。恋人は他に在り、即ちレープボルクであつたのであ
る。テスマンは坊ちやん育ちの学者肌の男で、ヘダは陸軍大将の娘、生ま
れから虚栄心に満ちた女、結婚してから後に、始めて自分の性格とテス
マンの気風と合はないと悟つて、内のテスマンは政治家になれまいか
とか、大臣になれまいだらうかなどゝ判事ブラックに語つて、強(ひど)く判事に
笑はれたでないか。
 若し彼等が結婚の約束する前に、テスマンがユリーネ叔母さんに相
談したらば如何であつたらうか、あの様な見え坊の女は、あ前の性分に
合(あ)はないから、お止めなさいと忠告したに相違ない。ヘダも若し誰か親
友に、テスマンと結婚するの判事を尋ねたら、誰しも一言の下(もと)に打ち壊
したに相違ない。約り若い同志が二人で、一人は女の美しいところばか
り見て、一人は奇麗な別荘に住みたいばかりで、未来の運命などに無頓
着で、結婚した結果はあの通りである。

 「人形の家」でも同じ事が云へる、若し第三者があつてイェルマーに忠告
して、君彼(あ)の様な金遣ひの荒い女を貰ふのは止し賜へ、何程女が奇麗で
も、後日の為にならぬよ、女の美しさは何年保つと思ふかと云ふ様な事
を、真意を籠めて忠告したらば如何か。イェルマーは考へ直したかも知れ
ぬ。又ノオラにしても其通り、彼の様な無邪気な世間知らずの女には、余
程しつかりした男でなければ、生涯無難で通れるものでない。若し第三
者がノオラの為に夫を択んで呉れたならば、イェルマーは確かに落第で
ある。然るに彼らはお互い同志で判断して、イェルマーはノオラの金遣ひの
荒い事も、何の修養も為しに育つた事も、万々承知でありながら、其様な
重大な事には頓着しないで、女の美しさより他の事には盲目であつた。
ノオラは又イェルマーの御機嫌取りの上手なのに恋(ほ)れて、其意志の薄弱
な点、下らぬ虚栄心のある小胆な男な事には考へ及ばずに、結婚した結
果は終(つひ)にあの通りである。
 「海の奥さん」には何とあるか、エリダが若気の無考(むかんがへ)から、浮浪的な海員
と夫婦約束をして、後に至つて悔るところが如何か。ワンゲルに其当時
のことを白状して、「鳴呼如何か察して下さい、妾(わたし)は其後で、直(すぐ)に思ひ直し
て何といふ気狂ひじみた無茶な事をしたらうと、深い思ひに沈みまし
た」といふ文句は、若い女の後前(あとさき)見ずの恋に対して、峻烈無比な警戒でな
いか。若し之れが日本固有の女道徳に遵つて、老いたる経験ある人の判
断に依りて、夫を択んで貰つたならば、灯台守の娘と雖も斯くは苦しま
なかつたらう。「海の奥さん」一編は、若い女の無思慮の結婚から後悔を示
し、又一方には、物質の為に前後の考へもなく他人に身を任せるの結婚
を呪詛して居る。


     イプセンの恋愛呪詛

 日本の文士連の中には、英独人等のイプセンを批評した言葉に囚は
れて、此「海の奥さん」一編をば、自由恋愛を主張したものと見て居る者が
ある。我輩から見れば、之れは全然反対の見解と云ひ度い。成程「海の奥さ
ん」の中には、自由意志で以て亭主を選択したいといふ様な言葉が、エリ
ーダの口から出て居るが、之れは自由恋愛の事ではない。勿論自然主義
とか野合(やがふ)主義とかを指すのでない。今日欧羅巴の天地を腐らしつゝあ
るところの、慾と道伴れの恋を呪詛した言葉である。
其証拠として挙ぐ
べきは、「海の奥さん」一編の処処(ところ/"\)に現はれて居るが、著しいのは第四幕目
に於けるエリーダの言葉である。彼はワンゲルとの結婚をば取引と名
けて居る。自分の身を売つたのだと言ふて居る。如何に卑しい労働をし
ても、貧乏しても、斯かる取引的結婚はなすべからざるものであつたと
悶え苦しんで居るでないか。肩書の附いた人ならとか、沢山財産のある
人ならなんどと望んで居る女共には、此劇は一種の爆裂弾である、同時
に、持参金附の娘を狙ふ青年に向つて毒矢である。
 「棟梁ソールネス」でも「亡者」も、自由恋愛を呪詛して居るのが明かに
見える。「恋の喜劇」では、恋は我等に取りては科学なりと云ふて居るが、之
れは社会の一員として、国民の一単位としての立場からは、正に斯の如
く恋を見るべきを示して居るではないか。日本の旧来の結婚道徳の習
慣は、三千年前日本民族の建国以来から研究して割出した一の科学の
結果である。青春の血の沸騰して居る若い男女は、人世の将来などに就
いて判断の出来るものでない。老巧冷血なる第三者の判断を待つて、始
めて彼等の真の幸福が得られる。情のみ漲つて理の流れない青年は、凡
て恋に対して盲目である。此結果は
「好き連れ泣き別れ」の一言で示され
て居る。之れを顧みずに、自由恋愛であるとか、自然主義であるとか、種々
雑多の無茶苦茶を言ひ出すが、此様の無茶苦茶は何も明治や大正の文
学で聞く迄もない、徳川文学で沢山聞されて居る。
 又「海の奥さん」の中でイプセンは、リュングストランの口を藉りて、妻と
しての女の真正の幸福を語つて云ふには、「女が夫の為に受ける幸福は、
尊敬とか名誉ばかりぢやないのです。其様なものは寧ろ言ふに足らん
小部分です。女は夫の創作を助ける事が出来ます。常に夫の傍に居て労
作を軽くしてやるのです。夫に侍(かしづ)いて其生活を徹頭徹尾安楽な愉快な
ものにしやるのです。女に取つてこれほど立派な幸福はないと思ひ
ます」と、之れは日本の良妻主義でないか。西欧の連中は此様(こん)な事を聞か
されると、ボレッテと同じやうに「何といふ我儘な人でせう」と云ふのだ。そ
れから「真鴨」の中では、ヤルマーの女房は夫に対して非常に丁寧な言葉
を遣ひ、質素な生活に甘んじて忠実に働いて居る。ヤルマーは友人に向
つて己が妻をば理想的女房だと褒めて居る。日本の旧習慣に依つて育
て上げられた娘が人の妻となり、其婦道を守つて行けば、これが即ちイ
プセンの理想的女房で、女の真正の幸福を得たものである。「ジョン、ガブ
リエル、ポルクマソ」の中でフォルダルの言へる、「仮令遠い処にでも、何処か
の土地に、本当の女が居ると思ふて居れば、如何にも幸福で難有いと申
さねばならぬ」と云ふところの、其「何処かの土地」は日本で、其「本当の女」は
日本の女である(東京の山の手の女を除く)決して詩人の空想で無い。
 我輩は斯く考へるからして、イプセンが若し日本を見舞つて、日本の
結婚習慣を研究したとしたらば、どの位之れを感嘆讃美したか知れぬ
と思ふ。然るにイプセソの作物を読んだが為に、日本従来の婦徳を破壊
する様な女が殖えたならば、之れは確に日本の文学者達がイプセン物
の読ませ方が悪いのだと思ふ。文学といふものは、個人として己れを読
むものならば、国民としては自国を読むものであらう。風教の堕落した
欧羅巴人の読方を日本人は少しも真似るに及ぶまい。


        イプセン作物の通有性としての遺伝

 更にイプセンの作物の通有性として見るべき点は、遺伝の力の大な
るべきを語ることである。「人形の家」の医師ランクの業病は、父の道楽生
活の結果だといふ、
母親が嘘つきだと小供も嘘つきほなると聞いて、ノ
オラが煩悶する、「真鴨」のへドクヰクの眼病は、デーレの鍾から凍て居る.グ
       ーやうしん げ!フて亨     はト     邑 七人       †う     全うじ々
レヤースの良心の病的なのは、母からの遣停だといふ條がある、己者Jの
オスデルドの粁郎椚は、朝ば針軋の弊弼紆の那那鮮魂の蹴似であるが、
ちゝ せいしク モの まゝ ウ
父の性質を共偉受けたのである、′オラの貯靴革も椚の蹴駄舶阜だと

イプセン作物の鵡有性としての故停              】二言

L 。d
  「
西洋真率の務ませ方                      ニ二八
とп@       あ                        だい・P・bら    п@        ふ し r
唱へられて居る」ロス †−スホルム」では、代々笑払も泣きもせ氾不思議
      こ       ぞく  ゐ でんせい      モのた   きく−つ    ゐ †ん  こと  ちエーせりかん
がある.之れは一族の造停性である、其他の作物でも、遺倖の事が直接間
ぜつ ばう−F− み
接ほ方々ほ見える。
               nんとろ  やく       か 払んかん  し 仲う  さいEうかく  ゆ がふ  けん伊
 千人首七八十年頃の、約十四五個年間は、雌雄の細胞核の癒合が崩歓
き々うか  くわ人aワ    托じ    けりくわ      ぶりしつて曾  あ で人せつ  しエラめい  ウ     い九
鏡下で観察され始めた結果として、物質的に遺樽詮を詮明し得るに室
    じ だい  †いぶつがくし々い 附くしやр轤ー  てりがくし々  と     ひ U†ラ    だいかく払い  おこ
つた時代で、生物聾者、醤畢者、並に背畢者ほ取つて、非常なる大革命む起
    とき      伊々う辛  み巧もと      さいр  モのまゝし モん  たいちう  い かう
した時である.病気の源むなす細菌が、其佳子孫の膣申ほ移行するとの
せり    で   ふ ぽ   たいしり  官 し々う  モぬま1こ と〜  i でん        せつ      l甘
詮さへ出た.父母の憶賃や気性が、其儀小供ほ造倖するとの詮などは勿
ろんしん    亡んにち  み   たウじ ゐ でん†り  ひ じ々う lやl
論侶ぜられねJ今日から見れば常時の造倖故には非常な誤阜もあるし、
ふ じうぶん  て人  た ゝ       なK    たうじ   п@じやう いрヘひ 亀り  †んば     †つ
不充分な澱も多々あるが、何しろ普時は非常夜勢を以て倖播した改で
                たのじ だい   さいちう  ふで  と      b   か九  あ      あ でん  お七
ある。イプセンは其時代の最中に筆を執つて居る.政は慈しき邁俸の良
         し               か      し他ん・・・  afぶウち’  この †つ   はさ
るべき計知らせやうと{1後れの種々の作物申に此改を鋏んだものほ

相連ない・之れは艶物艶和の郎桝の蹴破h鞄せ叡″へれば、誰しも直ほ其
aう ゐ      こ                                              たれ    たゞち  モの


とは    こゝろプ           ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
通らほ心附くだらう。科挙界の新改を珠つて、頻ほ融合風致の向上ほ費
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●     ふ だうとく点んがくしや      々う  けな    ぶ   ノl
せやうと試みカイプセンむば、不道徳文畢者である様ほ庇す一部の諾
ル土じん たしか                 管   い
成人は、確ほイプセンの僻桝の靴針を弼如して居ら氾と謂ふべしだ・
         イプセ ン作物中陀現はる▲軍人と島〜教衆
 −<       生た           ぐんじん  ふ はい  ふんがい     a                か九
 夫れから又、イプセ ンが軍人の腐敗を憤概して居るらしい乙とは彼
 古くひん りういうせい     会うじ々  生 が亀        ぐんじんし々うか’
の作品の通有性の一である・「亡者モも真鴫」でも「加増の毅モも軍人牌放
  っね  ふ ひんかうはうじうし々      もら        a   こ         いヴ    くkいプ
は常ほ不品行放縦者として衷はされて居る.之れなどは、執れの固執れ
  じ だい  おい    ふ か           こと  ぐんじん  たうと  す     ぞう下々う    す
の時代ほ於ても不可なき乙とで、殊ほ軍人を尊び過ぎて、増長させ過ぎ
  忙 ほん  けんじ   おい     モにはとこ セい     せうかい       がい         ● ● ● ●
た日本の現時ほ於ては、何程誇大して紹介しても書ほならのイプセン
一.● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
高ませやうに依鼻ては、新しい女を出す代阜ほ、増長し過ぎた不品
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
軍人典を.引き込ませる乙とも出水るだらう.
イデセy作物中に現ほるゝ軍人上京数家
ニニ九


押洋安寧の務ませ方
二三〇
数ほ関しては壷帝とガレタア人」、ラフン盲鶴めとし三郎増の撃で
けう  くわん      くわウてい            じん          旺じ


      しんかうしん  牡         由1し        女うじ々    せい仙人ぐ巾こう  む しん
オラの信仰心の無い乙とむ馬ると乙ろr亡者Jでは青年重工の無信
かラ    く   む せつモい        おうしうじん  しうけウしん  だ らく  しめ    幹
仰から承る無節制、一として欧洲人の慕数心の堕落を示して居らのは
                            しうけう   す      はくし   し iう   へん甘ん   ちら
ない、「ロ スマースホルムーでは、宗教を東てた牧師の思想の歩蓮を表はし
               いた  b      くち か  吐んぢら
て、蹴ほ郡いポと新野げするに至って居る・プランの口を薄阜王汝等が
し仲  むか    さ1    いの申     ばんめ   もんく   牲か  てふ  とゞ        蟄こ上
主ほ向ひて捧ぐる所痔は、四番日の文句の他は、天ほ届かせんの誠もな
      伯が        すペ  くち    い     とら托       さ肝    いた      こんとち
ければ願払もなく、凡て口よ卓出づる重曹のみ」と叫ぷほ至っては、今日
  ヨーせyパ 亡ん  む しんかう  つうは     い官  払     と           やう      甘■
の欧羅巴人の無信仰を痛罵して、息の青もむ止めてやつね様である.欧
】’メ   モうり上    ぶ   ひ じやラ  ム 兜うとく仕 りん                     lちろん
羅巴の僧侶の一部が非常ほ不道徳破伶である乙とは、イプセンは勿論
じうぶんし上うち   はず     しか                    はか   しばム・・.こ    かうと(
充分承知の筈である戎州るに首スマースホルム」の他では、塵之れを高徳
せいじやう  ひと      ちら      あ      ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
措辞な人として現はして居るのは、無侶仰なる平民共の益堕落して布
● ● ● ● ● ● ● ●
くのを防ぐ−には、セ
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メテ坊さんほ蹄依3せたら、鴇分か効力あらうと云
  「   ̄
● ● ●
ふ考へ
● ● ● ● ● に 旺ん  せい仏んだんぢ上  けんじ々ウ このとは   t        こ たか
かも知れ巧日本の青年男女の現状も此通鼻で無からうか。飯高
外因空拳叔介に封ナる性悪

!西洋丈率の領ませ方
ひ ひ々う  ‡んかウ
二三ニ
 ひ ひ々う ‡んかウ         1女た          こ    た几  に ほんじん
の批評は参考とするには妨げなからうが、之れが烏ほ日本人としての
九ちば  わナ     ビ ラ       わがはい  む 1う  しふばいはうかくち肘   めいきう
立場む忘れるは如何あらうか、我輩の触用の心配方角逢以の迷想なら
 さい旺
ば睾以である.
                                   モの首んし他つ†   こんにち  じ々うたい  じ抄くち
ニサチエほしてもトγストイにしても、共産出地の今日の状態を勃知
         とのしんい  り々っかい  え   てん  九 1      お〜  に ほん  勺ち    
しなければ、其異意を諒解し符の封が多々あると思ふ.日本の中でも、名
亡 々 にひがたへん  ひと  ぜんだいも−か−かへ人  ひと             古く屯つ  上    と年
舌屋新潟遽の人と、仙茎盛岡遽の人とは、トルストイの作物を頚んだ時
 乙ゝろ各    ちが   さうゐ    官1くたん 丸い  ひ  ミフ        ミま  †いnん
の心持ちが達ふに相違ない感銘な例む引く様ではあるが、薩摩の青年
  古いとく    しウ  を ゼ生き とう性く  せいuん    きは    む み かんさう
の愛護する「磯の苧環」は、東北の青年には極めて無味乾操なものである.
すく        払んぜ人     1 う       とう旺く 1の  がいし上  たい   王女
(少なくも二十年前までは左様であつた「東北の者が、該啓ほ射する薩摩
ぜいnん ひ々うと  盲    モのひ々うど  せんにふし抄     しプ  をだ士官  上
青年の評語を開いて、其評語を先入主とし三鷹の苧環盲蔑むとしたら
  ど う        に はん  うち     ち にう  カ      とう  さ(よっ  たい    み
ば如何であらう.日本の中でさへ地方が襲はれば同一作物に対して見
方が達ふ虎んや酢弼も即耶凱疎も祁射郎ふ配椚祁が、朗椚桝ほ難し<
かた   ちが   い江
  「
く        ひ ひ々う  に ほんじん         ょ ほとしんちエラ  たいと    せうかい       えう
下だしね批評は、日本人としては飴程慎重な態度で紹介するむ要する、
しか    モのさくよりじ しん  たい      忙 はんじん  みブか  に ほんじん  上   かた  上
市して其作物自身ほ対しては、日本人は自ら日本人の請み方と潰ませ
かた          お■
方があると思はれる.
  だい    げんいん       ち            に 性ん  ぶんし 九ん  なか     せい々うぶんがく
 第二の原因として奉げたいのは、日本の文士蓮の申ほは、西洋文畢を
くわんぜん X々づかい      ちから  牡   ちの  かサムl・      ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
完全ほ諒解するのカが無い者が数々あつて、それが不事ほして西洋文
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● か   まを    は牡に       せんえり   いた
畢の紹介者として出しや張る串である.斯く申さば、甚だしい借越の重
         しか           し                 け等  比んやく  いちくせん甘      み
阜として叱られるかも知ら氾が、イブセ y劇の礪謬を一々教議して見
    か九ら   ひとX       げん古く  よ   こと  で п@  や     九   え小々く    ▼
ると、彼等は】人として原作を凄む革が出家ず、已むを得ず英謬とか濁
イ’や{                ウかゞ    ゐ              なが  す
逸謬とかでイプセンを幾つて居る.それであ阜乍ら直ぐほイプセンを
中々うかい    つ屯    たрソ  b 々(           がほ                    ぶんがく
諒新した積阜で、直ほ和詳してyクy赤をし、スカンデナビヤ文挙があ
              ろんロやう    ところ  bが はい   こんにち     み   わ 々く   だいた すう  はとん
あのかうのと論許する.虞が我難が今日まで見ね和琴の大多数は、殆と
げんさく  い ぎ   つた    を     甘か    ろく〜1V イヅビ   えいど   かい  え
原作の意義む停へて.居らの.申ほは様々燭逸語も英語も解し得氾やう
外阿東拳紹介に封ナる托意


西洋丈畢の務ませ方
    ひと   とくわ たい々く       払い   うり
える人で、狗和封辞など・ゝ銘を打て、イブ
     二三四
    けき   壮ん々く   ど 首 lろ
セソ劇の礪辞で御坐侠と
  ひと社         ひ ひ々う      カ     b   屯の  み     だいほん  上
し、人並みらしく批評などを香いて居る者も見える.基本を凄めも
                 tの  ひ ひ●う      じり   へ宅ちや  甘はみ
しないで、イプセン物の批評などは、賓に臍茶の極である。
 ぶんがく    lんぐ山いか人    わがばい  わゴ           払の  み   だ      み甘
 文畢ほは門外漢たる我撃が」僅かにイプセン物む見た丈けでも、為の
◆う  けん  は   う    − いう  いう      しん    せ        じつ  ぶん肘{せんこう
様な言を吐き得るの理由む有すると侶ずる」若し乙れが箕ほ文畢専攻
し●  ひろ  せいやうぶんがく  けんきウ      lの  め   み       こん忙ち  い誌抄る妙 にふぶん
着で、虎く西洋文拳の研究をした者の眼で見たらば、今日の所謂輸入文
がく             くらlaけ    lの          たいが小さつ  え       このやう
畢なるものが、ドノ位情ない物であるかは大概察し得られる.此様なイ
      妙 にふひ人  もつ  に はんр、らい  し きう  こんらん                    Vた
カサマ輸入品で以て、日本雀凍の思想む混乱せしめやうとするほ至つ
    げ人だい  えう官う  う む   だい  だん      р  い   рォ      亡と    おl
ては、現代の要求の有無は第二段として、何と云ふ情けない事かと恩は
    またこ     ため  とうえう  ウ     げんだい  †いねんだんぢェ  い か     まl
れる.又之れが魚ほ動輯を受けた現代の青年男女は、如何ほも守ると乙
    社     とl  †い●うせいやう たましひ ぬ       邑     ひ々う
ろの無いと共ほ、西洋西洋で魂を抜かれて居ると許すべきである.
                                ハ大正四年六月班「新日本」)
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