日本人の鉄腕と舞台
我日本人に対して、爾の現在及び今後の活躍舞台は何処なりやと問ふものあらば、其れは東洋のみでなく、南洋のみでなく、地球の全面であると答ふるに躊躇するものは、恐らく一人もあるまい。
然り、其日本人である以上、日本人現在の活動舞台も、今後の活躍場も、東洋的でなく、南洋的でなく、当さに世界的であり、全世界を跨にかけて、縦横無尽に日本人的鉄腕を揮ふべきであることを、而も断言的に、而も確信的に、最も鮮明に言ひ得ないものは、絶対に一人も無い筈である。
併し乍ら、我等は又、然らば、爾等日本人は、果して、其言明り如く、世界を活躍舞台とし、全世界を跨にかけて、其所謂日本人的鉄腕を縦横無尽に揮ひつゝあるか何うかを問はれたる場合、依然、確信的に、鮮明に、然りと断言するに躊躇せざるものも、亦、恐らく一人も有ざるべきを信せざるを得ないのである。
西洋人が、殆んど一千年間の長時間と、殆んど計算することの不可能なる大努カとによりて建設したる科学文明を、僅々半世紀の短時日を以て、完全に輸入し、又之れを咀嚼応用することに於て西洋人に遜色なき程度にまで迅速なる進歩発達を遂げたる我日本人としては、今頃は、既に、已に、全世界を活動活躍の檜舞台とし、盛んに日本人独特の活劇を演じ、西洋人の大喝釆と絶大なる尊敬愛重とを集中し、世界随一の果報者となり済まして居るべき筈である。日本商品の至る処太陽没せず所なく、日本人の住む処働く処太陽没せすと豪語して、而も世界一切の人類をして、絶対に否認すること能はざらしむる程の世界的大発展を為して居るべき筈である。
然るに、斯くの如き事実は、過去に於て、殆んど臭ひだもせざりしのみでなく、一と云つてニと下らぬ世界的大強国であると云ひ、欧米先進諸国に一疇は愚か半疇も輸する所なき最高の文明国であると誇り、大国民であり世界無比無類の優秀民族であると吠へ散らして而も些(すこ)しも愧づる所なく、洒々として所謂強大国民面を天下に曝け出して居る今日に於ても、依然、日本人の到る処、住む処、活動する処、太陽没せずの痛快なる豪語と其事貿とを耳にしたることが絶無であるのみでなく、日本商品の到る処、太陽没せすどまでは行かすども、尠くとも、列国商品顔色なし位の事実さへも、否噂さへも、絶対に耳にしたることが無いどころの話でなく、殆んど全く、夢にも現はれたるこどがないのみでなく、日本人も日本商品も、今頃は何処に何うしてござるやらと言はざるを得ない哀れ至極の有様である。
而も飜つて国内に於ける国民の状態は何うである。看よ、時局の好都合なる廻り合せにより、僅か十億内外の正貨の舞ひ込める事実に、成金国を振り廻して宇頂天となり、素寒貧の芋食(いもぐひ)書生が、一夜に万金を得たるが如き、頗る醜(みつともな)きお祭り騒ぎを演じつゝあるものは、日本人の活動舞台は東洋でなく南洋でなく地球の全面であり、我等は全世界を跨にかけて日本人独時の鉄腕を揮ふベきであると豪語し、十億や百億位のハシタ金は、殆んど眼中になかるべき筈の又殆んど問題とせざるべき筈の、頗る賢明なる我日本の国民ではないか。又盛んに海外発展を説き、世界的移民政策を論じ、大声叱呼する癖に、自ら卒先して海外に躍出するの実際的勇気なきものは、支那人でなく、印度人でなく、日本及日本人の活動活躍の檜舞台は地球の全面であると大言壮語する、頗る大胆不敵なる我日本の国民ではないか。又、仮令、海外に罷り出ても、政府の援助を俟つにあらざれば、些しの活動も活躍も発展も、到底為し得ざるものは、蒙古人でなく、南洋人でなく、今や日本人は全世界を跨にかけて日本人的鉄腕を発揮すべき時であると言明する、所謂大国民たる我日本の国民ではないか。而も夫れ、南米北米の大陸に於ける、濠洲に於ける、印度に於ける、南阿に於ける、又欧洲に於ける、支那に於ける、総ての所謂発展振りは、明白に之れを立証してゐるではないか。或は又、銅成金が何うであり船成金が何うであり、鉄成金が何うであり、株成金が何うであると喧囂し、時局を利用して同胞の金を巻き上げ、自腹を肥したる輩を羨望し、非難し、攻撃し、罵詈雑言し、而も其癖、已れも亦密かに同胞の膏血を絞り其肉を喰はんとすることに、頗る熱心であり忠実であるものは、米国人でなく、仏蘭西人でなく、正さに世界的大国民を広言して憚からざる、我日本の国民ではないか。即ち、大言壮語する癖に、実際に於ては、些しも大事壮挙を為し得ざる、口弁のみ無聞に世界的であつて、実行の些しも世界的でないのみでなく、所謂蝸牛角上の小田原評議に日を暮し蔭弁慶の独り偉(ゑら)がりを極(き)め込んで居り、他国の世界的偉人を批評し、悪態つくことは知つて居ても、自国よりは些しも世界的偉人を出し得ざるものは、自ら大国民と称する我日本の国民ではないか。之れ、果して、世界的国民であり、世界を舞台として活動し、日本人的鉄腕を縦横無尽に揮ふべきであると豪語する日本人として、些しも愧づる所なき事実であるか。
我等は、決して、斯じて、好んで我同胞を非難せんとするものではない。徒らに独り快を貪らんが為めに、我国民のコセ/\振りを罵倒せんとするものではない。勿論、我等は、日本人であり日本の国民である以上、日本国民を弁護し、日本国民の名誉と権利と利益とを尊重することに於て、何人にも劣らざるものであることを言明するに躊躇せざるものであるが、併し我等が、如何に贔屓目に見ても、我国民の大言壮語する癖に実行の之れに伴はざる事実、日本人の活躍舞台は地球の全面であると云ふ癖に、些しも世界を跨にかけて活躍し居らざる事実は、到底、絶対に、庇護することも、弁護することも、尊重することも、不可能なる現在の事実である。而も此の矛盾の事実、遺憾なきコセ/\振りに庇(かば)ひ立てをするは、結局する所、詰る所、贔屓の引倒しであらざるを得ないものである。
今や、我日本帝国と日本国民とは、否(いや)でも応でも世界の最高支配権を把握せざるべからざる時代に向つて進行しつゝある道中の初期である。随つて、我国民は国内に迷子(まご)々々して小田原評議に太平楽を謳歌し、団栗の丈比べに日を暮し、蝸牛角上の小糴合(こぜりあひ)に能事了れりと為すべき時でない。方(ま)さに、其常に言明するが如く、地球の全面を活動舞台とし、縦横に活躍し、日本人独特の壮快なる鉄腕を、遠慮会釈なく発揮すべき時であり、世界全主権掌握の日を、遠き将来に置かずして、近き将来に置くことに、全力を傾注すべき肝腎要の秋である。
而も刮目して見よ、今や現在、世界の到る処、我日本人の快刀の如き鉄腕を揮ふべき必要の事業に満ち、我日本人の来り救はんことを熱求し要望しつゝあるではないか。内輪の金を争奪して成金たらすども、世界の到る処、猶(より)以上の大成金たり得る、幾多の余地が存在して居るではないか。豆の如き本国内に迷児々々して小成功に血眼にならすとも、地球の全面、到る処に於て、世界的大事業家たらしむる無数の大事業が転がつて居るではないか。其他、一切万事、我日本人が思ふ儘に、欲するがまゝに、自由自在に、腕を揮ふべき舞台と事業とは、世界のあらゆる方面に存在充満して居るではないか。即ち、世界は、日本人によりて、真に開拓され、真に人類の安全なる棲処(すみか)たらしめらるるの名誉を戴くべく、双手(さうしゆ)を挙げて日本人の具体的大活動を要求して居るではないか。今日此際、最早や我等は、其何が何うであるにしても、日本人の此(この)、言行不一致と、徒らなる大言壮語と、独り偉がりを看過すべきでなく、黙視すべきでなく、拝見して居る時でなく、見物して居るべき時でない。我等は、我帝国と帝国民の先天的使命と、世界及び我国民の現在状態とに顧み、我国民に対し、其自覚と反省とを要求し、只だ徒らに口弁のみ大にして実の之れに伴はざる、所謂法螺吹き国民たる不名誉のみを辱(かたじけな)ふすることを不名誉とし、恥辱とし、先づ精神的緊縮圧搾を断行し、其緊縮圧搾したる精神を以て、真剣に、実際に、地球の全面を舞台とし、快刀を以て乱麻を断つが如く、其独特の鉄腕を、縦横無尽に、遺憾なく発揮せんことを要求せざるを得ないのでゐる。而も此要求は、我等の要求ではなくして、我日本帝国と日本国民との上に与へられたる、先天的使命の要求であり、宇宙絶対神の要求であり、命令であり、我皇祖皇宗の健国の大精神の要求であり、日本魂(やまとだましひ)の要求の叫(さけび)である。