錦と襤褸の昼夜帯
錦或は繻袗を片側として、之れに配するに、洗ひ洒しの、而もつぎはぎだ
らけのメリンス地を以てしたる昼夜帯ありとすれば、何うである。恐らく、何
人と雖も、其片側の美なるに対して、他の片側の醜なるに顰蹙せざるを得ない
であらう。而して又、恐らく、何人と雖も、其均衝を失せる程度の、余りに脱
線的であり、余りに没常識的にして、帯全体の価値を零たらしむるものである
ことを承認せざるを得ないであらう。
我等は、此の昼夜帯を形容として一方に置き、他方、今日の我青年を観ると
き、我等は、其の大多数が、此の没常議的、脱線的書夜帯の形容を適用すべき、
好個の事例であることを認めざるを得ない。
即ち、一見した所、又其のロに言ふ所、何人と雖も、新日本の新教育を受けた
る、申分なき青年たることを承認せざるを得ない。彼等の外観は、爾(しか)く合理的
であり、文明的であり、真に日本の青年たるに愧ぢざる青年である。然し又、其
反面に至りては、実に我等をして、呆然たらしむる事のみである。実に、我等を
して憤慨せざるを得ざらしむる事のみである。実に、我等をして、彼等はプラス、
マイナス、エコール、ゼロであるの嘆を発せざるを得ざらしむる事のみである。
彼等は、能く国家的、社会的の語をロにし、又正義人道を云々する、然し彼
等自らは、果して国家的、社会的観念を有し、正義人道を尊重遵奉するか
の点に至りては、彼等は、全く空であり、虚であり、零であり、彼等は、国家
を思ふに先ちて、自己を思ふて居り、社会的観念に拠つて行動せずして、徹
頭徹尾、個人的、利已的、自已本位主義によつて行為行動して居る。又、彼等
の正義人道は利己的一切の観念を離れたる真の正義人道ではなくて、自己に好
都合なる正義であり、人道である。即ち、彼等のロにする正義人造は、彼等を
利益する場合に於てのみ、彼等に取りて、必要であり、有意義である。
また彼等は、能く義侠を云ひ、同情を云ひ、博愛を云ひ、独立心を云ひ、勇
気を云ひ、意気地を云ひ、義務を云ひ、責任を云ひ、克己心を云ひ、浮華軽佻
を痛罵し、儒弱淫蕩を排斥し、一切の不道徳的観念及行為を排撃する。然し、
彼等自らは何うであるかを観れば、全く空であり、虚であり、零である。義侠
心有るが如くにして其実義侠心無く、同情心に富めるが如くにして其実極めて
薄情であり、博愛的なるが如くにして其実利己的、排他的であり、義務責任を
重んずるが如くにして其実義務心なく責任感無く、浮薄軽佻を罵倒する癖に浮
薄軽佻であり、一切の不道徳的観念及び言行を排撃する癖に多く不道徳的であ
り、独立心鞏固なるが如くにして其実薄志弱行であり、意気地有るが如くにし
て其実カラ意気地無しであり、男気あるが如くにして憶病者であり、進取的な
るが如くにして其実退嬰的であり、懦弱淫蕩を排斥する癖に懦弱淫蕩であり、
克己心強なるが如くにして其実薄弱であり、其表面と内面との甚しく相違せる、
其言行の不一致を通り越して全く相反せる、其表と裏の異ることの甚だしき、
之れ即ち、襤褸と錦を縫合せたる昼夜帯に等しきものでなくて何である。
国家が要求し、社会が要求し、我等が欲する所の青年は、言ふ事のみを知り
て行ふことを知らざる、内容の空虚なる青年でなくて、言ふことは知らずとも、
行ふ事を知り、又実行する、真に内容の充実したる青年である。雲雀の如きお
喋舌の片々たる小才子的青年ではなくて、獅子の如き虎の如き重乎(どつしり)したる大器
的青年である。蓄音機の如き声のみの青年ではなくて、水雷の如き爆弾の如き
実力ある青年である。瓢箪の如きスツカラカンの青年でなくて、大鉄丸の如き
重量ある青年である。吹けば忽ち飛ぶやうなハイカラ青年でなくて、挺で捏ね
てもビクとも動かぬバンカラ青年である。
我等は、世の青年に警告す。言ふことのみを知りて行ふことを知らざる、声
のみ美にして蓄音機の如き、内容の空虚にして瓢箪の如き、吹けば飛ふやうな
ハイカラ青年は、国家に収りても、社会に取りても、有害ではあつても決して
有益ではなく、国家社会を堕落衰亡せしむるには有力であつても、向上発展せ
しむるには全然無力であり、仮令鯱鉾立をして世界を一周するも、到底、絶対
に不可館であることを