何が何うであつても
仮令(たとひ)、西洋が何うであり、西洋人が何うであり、世界の形勢が何うであり、其他何が何うであるにしても、我等日本国民は、敵を愛する前に、世界一切の人類を愛する前に、先つづ日本帝国を愛し、我等同胞国民を愛するに完全であるべきを要する。
仮令、西洋が何うであり、西洋人が何うであり、世界の形勢が何うであり、其他何が何うであるにしても、我等日本国民は、他国の政治的、外交的、軍事的、経済的、其他一切の事に、干渉を試み、差出口を利く前に、先づ自国の其等一切を完全にし、他国より干渉的差出口を受けざる用意充実が肝腎要(かなめ)である。
仮令、西洋が何うであり、西洋人が何うであり、世界の形勢が何うであるにしても、我日本帝国のみは、国際的泥棒、国際的強盗を働くべきでないは勿論、其お先棒たることも真平御免蒙るべきである。
仮令、西洋が何うであり、西洋人が何うであり、世界の形勢が何うであり、其他何が何うであるにしても、我日本人は、『爾の国を護るものは爾であり、爾を護るものは爾であり、神は自ら助くるの人を助く』を絶対唯一の国民的信条とすべきである。
仮令、西洋が何うであり、西洋人が何うであり、世界の形勢が何うであり、其他何が何うであるにしても、我日本国民は、真の神聖なる帝国は、琿円球上、唯だ我日本一国あるのみであることを確信すべきであり、且つ仮令如何なる事情があり理由があるにしても、其確信を動揺せしむべきでない。
仮令、如何なる理由があり、如何なる事情があつたにしても、我日本人は、大和魂の専有者であり、其専有権の抛棄或は譲渡(ゆづりわたし)を為すが如きことは、断じて為すべきでない。
仮令、西洋が何うであり、西洋人が何うであり、世界の形勢が何うなつたにしても、我(わが)日本人は、正義は個人的にも社会的にも国家的にも、最後の勝利であり、正義の力は、其最後の勝利を贏(か)ち得せしむる絶対唯一のカであることを信ずべきである。
仮令、西洋が何うであり、西洋人が何うであり、世界の傾向が何うであり、其他何が何うであるにしても、我日本国民は如何なる場合に於ても、国家に対して忠実ならざるものは如何なる場合に於ても一身一家に対しても忠実ならざるものであることを銘心すべきである。但し、其れと同時に、、如何なる場合に於ても一身一家にのみ忠実なるものは、必ずしも国家に忠実なる善良の国民であることの証左となるものではないことを辨知(べんち)すべきである。而して又、其の、一身一家に対する忠実は、如何なる場合に於ても、徹頭徹尾、善良なる国民たることを出発点とし、起点とし、基礎とし、根柢とするものであることを要し、善良なる国民たることを基礎とせざる一身一家に対する忠実は、結局する所、似而非文明たり矛盾文明たりオブラート文明たる西洋文明が産める個人主義、自己本位主義と同断のものに帰着するものであり、日本国民としては、絶対に排斥すべきものであることを承知して居るここが必要である。
仮令、西洋が何うであり、西洋人が何うであり、世界の形勢が何うであり、其他何が何うであるにしても、我日本国民は、将来、世界の最高至上権を把握する国は我日本帝国であり、世界最優秀の民族となる民族は、我日本民族であることを確信し、其れを唯一最高の理想とし目的として進むべきである。而して、其れが日本帝国と日本民族との上に与へられたる先天的使命であることを絶対に信すべきである。