近眼を好む現代学生の悪傾向
衣肝に至り袖腕に至ると高唱し、弊衣(へいい)短褐(たんかつ)、大道(だいどう)を闊歩(くわつぽ)して、身辺の装飾に意を払はざるを、寧ろ誇りとした、新日本初期の学生を嗤ひ、蛮風殺伐、到底伍すべからすと貶斥する今日の学生が、其思想に於て、其行為行動に於て、遙かに所謂文明的であり、時代に随行した学生であり、其点に於ては、到底、同日(どうじつ)同級(どうきう)の論でないことは、我等も、決して否認せんとするものでなく、又何人も否認するここ[ママ]能はざる現在の事実である。然し、其れと同時に今日の学生が、西洋文明に中毒して、頽廃的思潮に浮動し、不健全より不健全へ、頽廃より頽廃へ、堕落より堕落へと、傾向し進行しつゝある、文明中毒患者たることも亦、我等は、到底、絶対に、否認することが能(でき)ない。否、何人と雖も、此の赤裸々に暴露された明白顕著なる事実に対しては、到底、絶対に、何等の美辞巧言を以てするも、完全なる弁護を遂行し得るものではない。
我等は、何等の思考をも費すことなくして、直ちに、即座に、現代学生の文明中毒症の一切を、明瞭に指摘し得るのであるが、我等は其の最も顕著なる事実であるにも拘はらず、世人が余り注意を払はざるものゝ一として一般的に近眼たるを好むの風あることを挙げざるを得ない。
其性質が、先天性たると後天性たるとを問はず、近眼が理想的の眼でなく、眼鏡を用ゆるにあらずんば一人前の眼力無き眼であり、眼鏡を用ふると否とに拘はらず、不具的不健全なる眼であることが、到底、絶対に否認すべからざるものであることは、到底、何人も、絶対に、否むことの出来ない事実の上に立てられた医学上の結論である。
而も、現代の学生は、其等近眼についての一切の知識を有し、近眼が其性の何たるを問はず、所詮不具であり、不健全であり、青年学生は無論、一切人類の理想的眼でなく、寧ろ努めて一切の予防及び回復の方法を講ずべきものであることは、百も承知であり、二百も合点して居る所である。
既に其知識を有し、一切の予防及び回復の方法を講ずべきものであることを百も承知し、二百も合点し居るにも拘はらず、寧ろ反つて、近眼たらんことを好み、眼鏡を用ひてまで近眼たらんとし、又た眼鏡を以てするも近眼たり得ざる者は、近眼鏡を常用して、其近眼たることを衒はんとするの傾向あり事実あるは、一体全体、如何なる理由であるか。
分析的、解剖的に観れば、徴兵忌避を目的とするもの、勉強家と見られんとするもの、ハイカラ根性のお洒落と、人に勉強家と思はれんとする二道かけたるもの、学者には近眼者多く、近眼の度の強弱は、学殖の深浅を知る計量器(メートル)であるかの如き一種の迷信に囚はれたるもの、近眼鏡を掛けざれば何となく学生にあらざるが如く、巾が利かざるが如く思はるゝ稚気(ちき)よりするもの、単に満々たる衒気よりするもの等に分類することが出来るが、其(その)何(いづ)れであるを問はず、直接間接、西洋文明中毒の結果であり、其無智、其衒気、其気障さ加減、唾棄に値し、実に、嘔吐を催さゞるを得ないのである。
アルコール中毒者が、精神に於ても、肉体に於ても、到底、健全で有り得ざるが如く、未だ海の物とも山のものともつかざる、修業時代に在る学生が、未製品と云はんよりは寧ろ原料と謂ふの適当なる学生が、西洋文明に中毒したる結果の不健全であり堕落であることは、到底、絶対に免かるゝことが出来ない。
而も事実は、何物よりも有力なる証明であり、何物よりも力ある雄弁である。斯くの如き学生の、吾等の限前に於ける、一切の存在状態は、事実其物が、精神的にも肉体的にも、不健全であることを、已(すで)に遺憾なく説明して居る。試(こゝろみ)に看よ、徴兵忌避は無論、其他動機が何であり、原因が何であり、目的が何であるにせよ、近眼たらんことを好み、又私かに近眼たるを誇りとする学生に、果して碌(ろく)な者があるか。心身の不健全が、臣として君に忠なるの所以でなく、民として国家に尽すの所以でなく、祖先父母に対して孝なるの所以でなく、社会と子孫に対して義なる所以でないことを知つて居る者が、果して有るか。或は又、正義心の確固、道徳的観念の厳格なものがあるか。又国家的観念の旺盛なるものがあるか。意志の堅固、独立心の牢乎たるものがあるか。艱難に遭遇して克く耐忍し、能く己に克ち艱難に打勝つ勇気あり、進取の気概あり、奮闘努力の精神と実行力を有するものがあるか。尠くとも、今日(こんにち)迄に事実の説明する処は、否(ノー)の一語を以て、彼等の一切を否決し去るものゝみである。其結果は、彼等が以て蛮風殺伐なりと軽蔑非難する衣(ころも)肝(かん)に至り袖(そで)腕(わん)に至る二三十年前の学生の学生らしき結果に逆行したるものゝみである。我等は、現在、其等の嫌忌(けんき)すべき、唾棄すべき、笑殺すべき、憫むべき、憤慨すべき、深憂すべき赤裸々なる事実を、而も間断なく目撃しっつゝある。
無論吾等は、一切の近眼学生を、総て然(さ)うであると做(な)すものではない。天下滔々たる近眼者の中には、今日の医術的方法によつては絶対に無効である先天性のもの、及び不注意と、強度の勉学との結果、不知不識の間に近眼となつたものの、決して少数でないことを是認する。
然り、自ら求めず欲せずしで近眼となり不便不自由を嘆じつゝある者が少くないことは事実であるが、全体より見れば、其等はホンの一小部分であり、極めて少数である。其大多教は自ら好んで近眼たらんとする不料簡(ふれうけん)極まるべラポーのみである。
又、過去の事実が何うであり、現在の事実が何うであるにしても、自ら好んで完全なる両眼を破壊して、不具者たらんとするが如き、不料簡の輩が、其精神の全量に於て健全であり完全であるべき筈なく、精紳的にも肉体的にも不健不完なる者が、其行為に於て満足なるべき筈のないことは、論理上の結論であり、又実際に於ける事実である。
今や欧に我帝国は、国民の精神的圧搾と一大覚醒とを要すべき、重大なる時期に逢着して居る。我等一切の国民は、健全に、完全に、進歩し発展し来れる我帝国を、猶(より)完全に、猶健全に発展せしめ、世界的光輝を極東の一点に集中せしむべき最大努力の、第一階段に一歩を踏入れ、心中我帝国の迅速偉大なる進歩発展と世界的優越なる地歩の占領とを喜ばす、而も虎視眈々々たる世界列国に対向して居る。
此秋(このとき)此際(このさい)、帝国民の中堅となつて活躍すべき大責任を負へるものは誰か。現在の政府か、政治家か、実業家か、学者識者か。否(いな)、否、未製品たる現在の一切青年であり、其青年の子孫でなくて何である。然るに其青年が、殊に一切青年の中堅たり心核(しんがい)たるべき学生の大多教が、西洋文明に中毒し、不健全なる非国家的非国民的思潮に浮動(ふどう)するのみでなく、自ら好んで健全なるべき身体を破壊し、肉体的にも不具者たらんとし、而も其れを以て一の名誉と心得、誇りとするに至つては、実に、言語道断、沙汰の限りではないか。
日本帝国の健全なる進歩発展を期待し得るものは、政府ではなく、各日本国民の健全なる状態であり努力である。全日本国民の健全なる状態と努力とを期待し得るものは、青年の健全なる精神的進歩発達と、完全なる肉体的発達である。而も現代の我拳生界に、近眼たらんことを欲し、且つこれを一の学生的誇りとする風の滔々たるは、何う贔負目(ひいきめ)に見ても、我等は到底、絶対に、称賛すべき事実であり、慶賀すべき傾向であると認むることは出来ない。国家的にも、個人的にも、深憂すべき傾向であり、根本的改善を要すべき悪風であり、真に唾棄すべき、又寒心すべき事実である。
我等は、現代学生界に、近眼者の激増しつゝある事実と、近眼たるを好み、欲し、且つ近眼者たるを一の学生的誇りとする弊風の顕著なる傾向を以て、単に文明教育に随件する、已むを得ざる産物として、軽視すべきでない。政府及び教育家が慎重なる考慮を要すべきは勿論、親切周到なる父兄の注意と、青年の自発的覚醒とを必要とする重大問題である。
然(しか)し、我等は、他の何よりも、先づ茲(こゝ)に天下の学生に対して、其反省と自覚
とを要求す。