富国弱兵の徴候
吾等は、特に、好んで、不祥の言を放たんとするものではない。又(ま)た、針小
の事実を捧大に吹聴せんとする、一種の悪癖を有するものでもない。否、吾等
は、出来得る限り、不祥の言を放たざるべからざる事実を発見するも、之れを
避けんとするに忠実なるものであり、又た、針小にせよ棒大にせよ、好ましか
らざる事実の存在をも嫌忌するものである。
然し吾等が、如何に不祥の言を放たざらんとするも、其事実の重大にして、
到底、不祥の言を放たざるを得ざるものは、又た如何に其事実の存在を否定せ
んとするも、到底、絶対に、否定すること能はざるものは、我が日本の富国弱
兵的徴候である。
然らば、其の、我日本の富国弱兵的徴候とな何であるか。曰く、国内商業の
殷賑、海外貿易の発展、化学工業の勃興、其他一切の富国的理由によりて、国家
国民の経済力が、最近著しく膨張し、着々、富国の圏内に進行しつゝある反面
に於て、軍紀の厳粛に亀裂を生じつゝある寒心すべき事実が、即ち夫れである。
吾等は、我日本の軍人が、其強勇なることに於て、其軍人精神充実し、軍紀
の厳粛なることに於て、世界無比であり、東西の古今に冠絶せるに相違なきこ
とを確信し、誇りとし、名誉とする心上(しんじやう)に何等の動揺をも与へて居るものでは
ないが、其確信と誇りと名誉とを以て、縦横に弁護し、極力庇護を試みんとす
るも、絶対厳粛なるべき軍紀の弛緩(ちくわん)的傾向と、軍人精神に亀裂を生じつゝある
事実とは、到底、弁護し能はざる、到底庇護し能はざる、絶対に隠蔽し否定し
能はざる所の、顕然たる事実である。
軍紀の弛緩的傾向、軍人精神の亀裂、共に忌むべき事であり、憂ふべき事で
あり、又た、日清日露の両戦役当時の軍紀の厳粛なる緊張と軍人精神の充実旺盛
とに顧みれば、決して、断じて、有り得べからざる事のやうである。然し、近時、
吾等の眼前に置かれたる事実、及び現在顕現しつゝある事実とは、吾等が、有り
得べからざる事と信ぜんとする根柢を顛覆し、又遺憾なく破砕し去つて居る。
看よ、現役青年将校にして芸者と情死する者、情死までは遣(や)らすども、紅燈
緑酒の間に流連荒亡、放縦に流れて素行更に修まらず、為めに退役を命ぜらる
る者、予備役に編入せらるゝ者、停職を命ぜらるゝ者、謹慎を命ぜらるゝ者、
或は又、現役予備役の将官にして、軍事の研究よりも、殖財に熱中して余念
なき者、或は予後備役将校して、営利会社に関係し、種々の忌はしき醜行を
敢てするもの、或は殺人の大罪より、強盗、窃盗、許欺、横領、収賄の破簾恥
罪を犯す者、或は下士卒の脱営逃走の頻々(ひんぴん)たる、又た一般兵卒間に、軍隊生活
は一種の苦役なりと云ふ概念を有するものゝ漸次多きを加へつある、之れ皆、
絶対厳粛なるべき軍紀の弛緩的傾向でなくて何である。烈々たる軍人精神の亀
裂的事実で無くて何である。而も其等の傾向及び事実が、逐年甚だしきを加へ
つゝあるに於ては、仮令何人が、如何なる巧弁麗辞を列ねて弁護するも、到底、
軍紀の弛緩的傾向、軍人精神の亀裂、結論的に言へば弱兵的実際の徴候を、隠
蔽し、抹殺し得るものでない。又仮りに隠蔽し、抹殺し得るとするも、其傾向
其事実が吾等の前に顕現する限り、吾等をして、軍紀の振粛、軍人精神の復活
充実を信ぜしむるには足らないのである。
我等は、吾等一個の身体が、其の発育に於て不具的たるを欲せざるが如く、
国家国民の発達状態に於ても亦、不具的たるを欲せざるものであり、之れを看
過藐視(ぼうし)するの無責任なる寛量を有するものでない。随つて、吾等は、現在我
日本帝国が、一方に於て富国たる実質圏内に進行しつゝある状態に対して歓喜
すると同一の快心を以て、他の一方に於ける、軍紀の弛緩的傾向、軍人精神の
亀裂と云ふ頽廃的弱兵的徴候を視ることは出来ないのである。
我等日本国民は、今日迄、富国強兵の標本として、米国を観、仏蘭西を観、
他国の事ながら、其の将来の決して安心すべからざるを思ふと同時に、我日本
は、必ずしも富国ではなくても、天下に冠絶せる強兵を有するを誇りとし、私
かに将来に嘱望して居たのである。否、吾等は、現在に於ても、決して此(この)誇り
と嘱望とを抛棄して居るものではない。然るに、近時、吾等が、其軍紀の厳粛、
軍人精神の充溢、全世界無比であると信じ且つ誇りとせる我日本が、吾等が、
従来又た現に、余計な事ながら其国家国民の将来を私かに心配して遣つて居る
所の、米国又は仏蘭西と同様なる、富国弱兵に陥らんとしつゝあるは実に意外
である。尠くとも、我が一般国民が、現在の惰眠的、昏睡的、無自覚的状態を
以て進行せば、早晩、日本の富国弱兵時代の必然的に到来すべき徴候が、今日、
平生無頓着なる吾等によりても、明々に、白々に、看取せられ得るまでに顕著と
なれることは、実に甚だ意外の感に打たれざるを得ないと同時に、実に憂ふべき
事であり、惧(おそ)るべき事であり、何事よりも先づ寒心せざるを得ないことである。
現行の世界的大戦争の結果が、国際政局に如何なる変動を与ふるにせよ、現
に某国が主張的に唱道せる一般的国際仲裁条約が締結せられ、列国が軍備拡張
の競争に奔命するの必要が無くなつたにしても、また独墺及び其の同盟全部を
除外したる世界的攻守同盟が成立したにしても、窮兵であつても毫頭頭差閊なし
と云ふ結論は生じない。他国は問題としない。少くとも、我が日本のみは、其
将来の世界政局が何う変動するにしても、何が成立し、何が締結されて、何が
何うなるにしても、断じて、富国なれば弱兵たるも差閊無しと云ふ結論を作る
ことを許さない。我日本は、世界政局の変化の如何に拘はらず、益(ますま)す富国たる
と共に、亦た益す強兵たるを必要とするものである。
或(あるひ)は言ふ者あらん。米国は建国以来の富国弱兵の国であり、未だ曾て米国の
強兵時代を見たることがない。然し同時に未だ曾て、一度も、米国の独立的基
礎、並に、国民の世界的発展の行進路が脅かされた事も耳にしたことが無いで
はないかと。然り、米国の富国弱兵が其建国以来の事であり、又た其れが為め
に米国の独立及び国民の世界的発展が脅かされた事の無いのも、明瞭なる事実
であるかも知れぬ。
然し、日本を論ずるものは、日本は日本の日本であつて、米国の日本でない
は勿論、其他の何れの国の日本でも無いことを忘れてはならぬ。即ち、日本は
日本であり、米国は米国であり、日本と米国とは全然別個の国であることを閑
却してはならぬ。即ち、日本と米国とは、建国の歴史を異にし、政治的、軍事
的、経済的、其他一切の国家国民の生存及び発展上の要求条件に於て、全然同
一でなく、又た必ず一致するものでないと云ふ根本問題を閑却してはならぬ。
吾等は、米国を主題として論ぜんとするものではない。米国の富国弱兵につ
いて憂へんとするものではない。米国は富国弱兵で差閊ないものであるか、富
国強兵たるを必要とするかは、米国の問題であり、米国人の問題であり、我等
日本国民が躍起となるべき問題ではない。唯だ、吾等が米国の事について刮目
し躍起となるべき必要ある場合は、米国の富国弱兵問題ではなくて、米国が富
強兵となれる場合である。併し此場合も、我等日本人が刮目し躍起となるの
必要は、米国の為めに刮目し、米国の為めに躍起となるのではなくて、我が日
本の為めに刮目し、我日本の為めに躍起となるのである。其他一切の対米問題
についでも同様である。
随つて、我等は、米国人の米国たる米国が、建国以来の富国弱兵の国であり、
建国以来未だ曾て其れが為めに米国が危急存亡の淵に立つた事が無いにして
も、其れを移して、日本の富国弱兵的現在の徴候を楽観する理拠(りきよ)とすることは
出来ない。而かも猶、其れに拠つて日本の弱兵的徴候を楽観せんとする者は、
米国と日本とを同一視するものであり、米国が米国人の米国であり、日本が日
本人の日本であることを閑却したるものであり、到底、日本の富国弱兵的徴
候問題について言議するの資格無きものである。
米国人の米国は、其の過去の事情が、富国なれば弱兵であつても別に差閊無
かつた如く、現在に於ても、将来に於ても、弱兵たるも毫頭差閊ないかも知れ
ぬ。然し、国状の一切を米国と異にせる我が日本人の日本は、過去に於て富国
強兵を絶対必要としたる如く、現在に於ても富国強兵たることが絶対必要であ
り、将来も亦、永遠に、無窮に、富国強兵たることが絶対必要である。
国際的仲裁条約と云ひ、一般的仲裁裁判と云ひ、攻守同盟と云ひ、協商協約
と云ふ。其の名称名目は天晴文明的であり、如何にも平和的である。然し、吾
等は一歩退いて、其の性質と其効力の時間と程度とを熟考する時、其処に少く
とも我が日本帝国のみは、世界の政局が今後何う変化するにしても世界無比の
富国たらしむると同時に、世界無比の強兵国たらしむる必要の、益(ますま)す切なるも
のあるを思はざるを得ない理由を発見するのである。
煎じ詰めた所、国際的仲裁条約と云ふも、一般的仲裁裁判と云ふも、或は又
同盟と云ひ、協約と云ふも、其は締約各国が自国の独立生存上の必要に迫出(はくしゆつ)さ
れたる手段方法であり、其性質は所詮一の妥協案に過ぎないものである。随つ
て其の効力の程度と時間とは、締約各国の利害の摩擦問題を超越しては、到底、
考へらるべきものでない。即ち、其効力の程度と時間とは、締約国相互の利害
関係が摩擦を生せざる期間に於てのみ、有効であり、効力も大である。即ち、
締約国の利害関係が、厘毫(りんもう)の摩擦面をも有せざる時に於てのみ、最大の効力を
有し、一度び摩擦を生すれば、其効力の程度と時間とは、其摩擦面の大小に反
比例するものである。
世界何れの国と難も、其国家的最後の目的は永久不変的であつでも、其最後
の目的に到達せんが為めの手段方法は、時により事情により、千変万化するを
免かれない。即ち、国内的事情、国外的事情の如何によりては、急激に、又緩
徐に、方向転換を行はざるを得ないことあるを免かれない。其場合、締約国の
一国又は数国と、利害関係に摩擦を生ずれば何うである。条約と云ふ妥協案は
其処に破綻の端を生じ、軈て壊裂となり、反目となり、睨み合ひとなり、圧迫
となり、反抗となり、紛議葛藤となる。而も其紛議葛藤が、到底、平和的折衝
によりては、解決不可能となれば、次に執るべき解決の手段方法は何である
か。即ち鉄拳であり、即ち武力であり、即ち戦争でなくて何である。
吾等は、其実証を、遠き過去の歴史的事実に遡りて、求むるを要しない。又
招来に於ける事実に、仮定的想像を置くを要しない。現に、世界的大戦の頭初、
伊太利の行動は何うである。彼れは独襖との三国同盟条約を破棄し、其期待に
背いたのみでなく、鉾を逆にして、敵たるの本来なる英仏露に加担し、味方た
るの本来なる同盟国に向つて砲弾を送るの逆施倒行的挙に出でたのは何うであ
る。独墺対伊太利、伊太利対聯合国の、外交的術策の巧拙が何うであつたに
せよ、同盟と云ひ協商と云ふが如き国際上の約束が、如何なる場合に於ても不
動不変であることを期待し得ないものであることを明示せる事賃でなくて何で
ある。利害関係に摩擦面を生せざる間のみ有効であつて一度び摩擦面を生ず
れば乖離に傾き、摩擦面愈(いよい)よ大なれは、全然無効力に帰するのみでなく、却つて
相撃搏するの結果を来すものであることを立証せるものでなくて何である。
随つて、吾等は、国際上の約束は、其約束の種類が何であるにせよ、其形式
が何うであるにせよ、永久的のものでなくて或必要期間のみの必要であること
を忘れてはならぬ。即ち、一時的約束であり、一時的有効のものであるに過ぎ
ないことを忘れてはならぬ。国際上の一切の約束を、永久的のものであり、不
変不動的のものであると信頼して、自国の力を弛媛せしめ或は虚にし、而も、
突如、其約束が一時的たるの本性を現はして背負投げを食はされ、自国の一切
を喪失して始めて覚醒するが如きは、知人の財産を当にして不時に備ふべき蓄
財を怠り、事後に至りて始めて自己の愚を悟るの呆房者(あほうもの)に類するものである。
個人的にも世の中は有為転変であるが如く、国際的にも世の中は有為転変で
ある。昨日まで他事(ひとごと)と思つた災難が、今日は吾身の上に降りかゝることは、個
人に於て痛切に感ぜせらるゝが如く、国家的にも亦痛切に感ぜらるゝ場合あるこ
とを閑却してはならぬ。咋(さく)の味方が今の敵、今日の敵が明日は味方となる転変
は、個人的に然るが如く、国際的にも亦た然りである。
転変逆賭すべからざる世の中にあつて、吾等を安全に生存せしむるものは、
結局吾等自分の力であるが如く、変化転代猫眼の如き世界国際に処して、自国
の独立生存と隆昌発展とを保障するものは、結局、自国の力である。即ち富国
強兵である。吾等は、未だ曾て、世界何の国に於ても、富国強兵以外の手段方
法によりて、甚国家国民の確乎たる独立生存と、隆昌発展とが、完全に保障さ
れた事実を聞いたことがなく、何の世界史を繙くも、何の頁にも、左様なる事
実の記録を発見することを得ない。而耳(のみ)ならず、過去の事実過去の記録は、吾
等をして、一国の鞏国なる独立生存と其隆昌発展とを、如何なる場合に於ても、
完全に保障するものは、国際上の諸種の条約ではなくて、其国の富力と強兵と
に在ることを、痛切に感ぜしむる事実のみであり、切実に思はしむる記録のみ
である。
現に、欧州に於ける、富力無く兵弱き国が、何程の憂目を見つゝあるかを看
よ。富国強兵の敵に全国土を蹂躙せられ、残留の国民をして、故国亡びて山河
空しの感を抱かしめつゝある、又、而も国王あり、而も政府あり、而も国民あ
るも、其一人の国王を容るべき、其一改府を置くべき、其国民を安住せしむべき
国土は、方(ほう)一吋(インチ)だも有せざる悲愁の極、惨憺の致(きはみ)、之れ即ち、吾等に、富力と
兵力とが、如何に絶対必要であるかを示せる教訓的事実でなくて何である。
外観に於ても、実質に於ても、現下進行中の戦争が、未だ曾て見ざる聞か
ざる空前の大戦争であることは勿論であるが、然し絶後と云はば甚だしき早計
である。問ふ。何人か、今後、幾世紀、幾十世紀の後に於ても、猶(より)以上の大戦
争の演ぜらるゝこと無しと断言し得る。又何人か、其時の戦争に日本が交戦中
心国たらすと断言し得る。又、何人か、今後の日本に強大なる兵力の行使を必
要とする場合の絶無を断言し得る。恐らく、世界の何人と雖も、的確なる証明
的事実の上に、明確なる断定を為し得るものはあるまい。
既に人類の一切が、将来に於ける世界的戦争の有無を測断し得ない以上、我
等は、近き又遠き将来に於て、第二第三の世界的大戦の行はるべきを想定する
の必要があり、又何人も其時に日本が交戦中心国たることなきを断定し得ない
以上、我等は、我日本が其時の戦争の中心国となることが有るかも知れぬと云
ふことを、覚悟して居るの必要があり、又何人と雖も、今後の日本に強大なる
兵力の行使を必要とする場合の絶無を断言し得ない以上、我等は、日本は今後、
強大なる兵力の行使を必要とする場合及び実際に行使する場合が、屡々到来す
ることを覚悟するの必要がある。
万一、吾等の想定する所の如く、今後三十年、五十年、乃至百年、又は五百
年、千年にして、第二第三の世界的大戦が爆発したら、何うである。而して、
我日本が、其大戦の中心国となつたら何うである。而して又其時の日本が一の
同盟国をも有せず、一の協商国をも有せず、独力を以て、世界の列強を向ふに
廻し、雌雄を決せざるべからざる立場であつたら何うである。其の困難其努力
は、決して、現在の独乙所の話でない。恐らく、現在の独乙の数倍数十倍の困
難であり、数倍数十倍の努力を要することは、数字的に計算せすとも、既に分
明である。
現在の日本国民が、日本帝国の前途が、光明であると、将た暗黒であるとを
問はないと云ふ棄鉢的精神であり、且つ斯かる場合は、無条件を以て無雑作に
降伏し、光栄ある日本帝国の終焉となるも意とせずと云ふ、不忠不臣の民であ
つたら、吾等は、最早、何事をも言ふの必要を認めないのであるが、吾等は、
現在の我日本国民が、斯くの如き、言語道断の堕落国民にあらざるを信ずるも
のであり、又斯くの如き、不忠不臣の民にあらざるを信するものであり、且つ
我帝国の前途を益(ますま)す光栄あり、益す名誉あり、益す燦爛たる世界無比の大帝国
たらしめんと欲する国民であり、皇祖皇宗の建国の大精神を体し、世界古今
無比の我國體を、天壌と共に、無窮に擁護し光輝あらしめんとする忠良強武の
臣民であることを信ずるものである。
而も其の、将来に於ける、第二第三の世界的大戦に際し、孤立無援の立揚に
立ち、宣戦の目的を能く貫徹する力は、果して何である。帝国の前途を、益す
光栄あり、名誉あり、燦然たる世界唯一の大帝国たらしむる力は、果して何で
ある。過去現在に於て世界無比である國體を、将来永遠に亘りて其名実を保持
し、皇祖皇宗の建国の大精神を滅却せしめざる力は、果して何である。日英同
盟か、日露協約か、日支親善か、日米交驩か、日仏協商か、日独握手か、将た
又国際的仲裁条約か、其他一切の外国との約束取極めであるか。否、否、
我帝国の国家的国民的大自力でなくて何である。即ち、富国強兵でなくて何である。
知識階級の人間が要求する所の宗教、其の要求に適応する所の宗教が、必ず
自力的教義であることを要するが如く、世界古今無比の我國體を天壌と共に永
遠無窮に擁護し、且つ益す光輝あらしめ、我帝国を世界国際の最高線に、而も
確定不動的に置き、皇祖皇宗の絶大なる建国の精神を発揮する力は、他力で
なくて、必ず大なる自力であることを要する。即ち富国強兵にあらすんば、
到底、此の大目的を貫徹することは能(でき)ないのである。
試みに、列国の対外的平和戦、即ち貿易の質況に徴せよ。英国が世界貿易の
覇権を握り、英国人をして、英国商品の到る処太陽没せずの傲談(がいご)を発せしめ、
而も、何人も、之れを実際に於て、否認することを得ざる盛況に至らしめたの
は、抑も何の力である。金力が奮闘力か、或は不休の努力か、否、其の背後に
厳在する海上に於ける雄大無比の大自力である。即ち、英国民の自由なる世界
的発展を、実力的に庇護するに遺憾なき大海軍が、其背後に儼として控へて居
るが為めでなくて何の為めである。今は兎に角、将来は問題とせず、尠くとも、
戦前に於ける独逸商人が、英国商人を圧倒して、其手中より世界経済界の覇権
を横奪せんとして努力し、将さに其域に到達せんとして居たのは、果して何の
力でゐるか、独逸商人の獰猛なる活躍か、辛辣なる手段方陸か、将た大規模の
投売か、財力か、或は又三国同盟の力か、否、其等の力も与つて力あることは
勿論であるが、其最大の力は、独逸の国家的国民的大自力である。即ち、化学
工業の発達と大財力とに加ふるに、世界無比と称する大陸軍と大拡張計画
を実施されつゝあつた大海軍との力である。即ち富国強兵と云ふ力の後援力で
ある。又、米国が、貿易国として、世界の経済界に一大勢力を成して居るのは、
果して何の力である。之れ又、単に財力と努力の力のみでなく、未だ実際的試
験を経ないにしても、兎にも角にも、一等国たるの面目を維持するに足る大海
軍を擁して居り、其れを後楯として権利利益を主張し逐行するが為めでなくで
抑も何である。又、外交の如きも、強大なる国家的国民的自力を後援とするに
あらずんば、到底、絶対に、有効なる、優勝的地位に立ち、満足なる結果を収
むることは不可能である。
今や、我が日本国民は、帝国の地位を、実質的に、世界の第一線に置くべき
千載一遇の最絶好の機会に逢着して居り、東洋全般に於ける同人種を代表し、
傲慢不遜なる白人種をして、其真価実力を認めしめ、最高の尊敬と愛重との念
を払はしむべき、大任務を遂行すべき、最適当の時期に臨んで居り、我が国家
国民の世界に於ける各種の権利利益を確定するかせざるかの分水嶺に立つて居
る。随つて、我帝国は、政府たると一般国民たるとを問はず、放心安逸を貪り、
桃源の夢に耽り、何時も鰌は柳の下にのみ居るものと思つて安心して居るべき
時ではない。
而も此の重大なる時期に際会し、富力の増進は喜祝すべきであるが、其反面
に於て、軍紀の弛緩的傾向、軍人精神の亀裂的事質、即ち弱兵的徴候の漸や
く顕著ならんとするは、我帝国の将来に取り、決して慶賀すべき現象でないの
みならず、実に深憂すべき傾向であり、恐怖すべき徴候であり、一大反省を要
すべき事実であり、不祥の言を列ぬるの已むを得ざる大事件でゐる。
素より、軍紀の弛緩的傾向、軍人精神の亀裂的徴候とこ云ふが如き、一国の消
長に関する重大問題は、攻府当局者が発する、唯だ一片の訓誡的辞令のみによ
つて、矯正され、挽回され、還元され、復活され、解決され得べきものでない。
国民全体が、個々に、自発的に、帝国の過去を思ひ、現在を看、将来を慮つ
て、而も徹底的に自覚反省するにあらすんば、到底、満足なる解決を期待し得
て居り、根本的に解決を要する多くの問題を控へて居り、帝国の前途は、益す多
事であり、多忙であり、多端である。然し、吾等は、我が悉皆の日本国民が、
其等の、為すべき多くの事件に着手するに先ち、其等の、多くの問題を解決せ
んとするに先ち、其等一切の事件と同題とを、完全に遂行せしむる大自力の、
亀裂たり結核菌たる弱兵的徴候を、自覚的に、徹底的に、根本的に滅絶する
が、最緊急最焦眉の最大問題であることを切言するものである。而して、我等
が、茲に本問題を提出し、我国民の深慮と反省とを要求するについて、我国民
は、現在、間断なく、我国民間に暴威を揮ひ、年々歳々、遠慮会釈なく、数千
数万の老若男女を殪し、其生命を奪ひ、冥土へ頻送しつゝある恐るべき肺結核
菌は、我等の肉眼を以てしては、到底、絶対に、其正体を明かにも、朧げにも、
視ることの不可能なる細菌であることを、深思(しんし)すべきであり、又微々たる一蟻
穴は、時に十里の長堤を崩壊せしむるの端を発するものであると云ふふ深理を、
参考すべき必要がある。