智、勇、弁、力

 我等が、個人的に、又社会的に、生存を完全にし、存在の意義を充実し、明
確なる旗幟の下に、有効なる活躍を処し得るものは何であるか。
 黄金か。権勢か。
 否。智、勇、弁、力である。
 即ち、正義人道を根柢としたる合理的の智であり、勇であり、弁であり、力
である。
 我等は、世界的に観て、過去の時代に於ける智勇弁力の行使が、如何なる場
合に於ても、合理的でなく、時に正義人道に背馳したる不合理的観念の下に行使
せられたる幾多の歴史的事実あるを否認し得ざると同時に、現代に於ても、智勇
弁力の行使が、総ての場合に於て、正しき道徳的観念に根柢して居ないことの、
赤裸々に暴露されたる、又されつゝある、幾多の事実を目撃し、聞知して居る。
 而も我等は、翻つて、現代日本の青年が、智勇弁力の行使について、果して
正当なる解釈と正しき観念とを有せるや否やについて、詳細に考察するとき、
我等は、不幸にして、我日本の現代青年の大多教は、智勇弁力の行使について
は、正常なる合理的思考を有して居ないことを断言せざるを得ない。
 即ち、現代に於ける、我日本の青年の大多数は、此の過去人によりて、又現
代の一部人によりて、故意的に悪用せられたる、また悪用せられつゝある智勇
弁力の効果の、蜃気楼的幻影に誤られて、智勇弁力の行使は、徹頭徹尾、必ず
しも正しき道徳的良心に支配せらるゝを要しない、時により場合によりては、
多少の不道徳的観念に拠るも、少くとも生存競争の激烈なる今日の社会状態
にありては、已むを得ざる手段でゐり方略であト、且又さほどに咎むべき罪悪
でなく、而も一度び、優勝者の地位に立たんか、社会は、寧ろ反つて、凡百称
賛の辞を以て迎合するものであると信じて居る。
 然し、斯くの如き解釈は、正当厳密なる批判の下に置くときは、即ち、目的の為
には手段を選ばざるの筆法であり、尠くとも、正義人道を基礎として合理的組織(そしよく)
に成れる現代社会に於て、合理的に生存し、合理的に存在の意義を充実せしめん
とする合理的手段として、到底、絶対に、社会に認容せられ得べきものではない。
 更に又、我等が、現代青年について、内的考察を進め、智勇弁力について、
果して何程の修養を積めるか、又幾何の程度にまで其四個の力を均等に具備せ
るかを実際に於て看るとき、我等は、其修養が、余りに蕪雑であり、其活用に
於て余りに無能であり、又余りに均衡を失せるに呆れざるを得ない。
 素より、智勇弁力の一切を完全に具有するものは、世の中にザラに在るもの
でない。少数の天才的人物のみ偉大なる智勇弁力の完全なる所有者である。然
し、万物の創造者が、我等に賦与したる霊妙なる能カの発達性は、修養により
努力によりて、天才者の塁を摩するの域にまで到らしめ、時に或は天才者を凌
駕する高度にまで達せしむるものである。而して、我等は、古今東西に於て、
幾多の有力なる立証的事実を発見し得るのである。
 我等は、世の一切の青年が、黍く、智勇弁力の完全なる所有者となり得るこ
とを期待するものではない。又事実上、世の一切の青年を悉く完全なる智勇
弁力の所有者たらしむることは、到底、絶対に不可能の事である。然し、我等
は、原則として、世の一切の青年が、悉く、完全なる智勇弁力の人たるべく、
修養努力せんことを勧告するものである。随つて、世の一切の青年も亦、悉く、
完全なる智男弁力の所有者たるべく、各自、修養努カするの必要であること
は、無論自明の理である。
 曾て、予が或る一団の青年に対し、智勇弁力について講話を試みた際、一青
年は起つて、智勇弁力は政治家、外交家、軍人、宗教家等にのみ必要であるべ
くして、我等の如く、実業家たらんとするものには、左程に必要なからんと思
ふが如何に、と質問を発したことがある。
 問者の如く、智勇弁力は、或る特殊の人々には、絶対必要の条件であり、絶
対必須の要素であつても、一般人には左程に必要なものでないものゝ如く、或
は又、智勇弁力が、一般人に必要であるものにしても、之れを応用して有効な
る場合は、或る特殊の場合のみに限られたものであるかの如く、誤解誤信して
居るものは、世上決して尠なくないやうである。
 斯くの如き誤解謬想は、智勇弁力を、窮屈なる意味に於て考へ取扱はんとす
る場合、陥り易く生じ易き誤解謬想でゐるが、元来、智勇弁力は、其本来の性
質上、之れを考へ取扱ふ場合、窮屈なる範囲に於て考へ取扱ふべきものではな
い。随つて、其の必要は、一切の階級の一切の人々の一切の活動に必要であ
る。政冶家、外交家、軍人、宗教家等に必要であるが如く、実業家にも必要で
あり、教育家にも必要であり、学生にも必要であり、職工職人にも必要であ
り、藝術家にも必要であり、学者にも必要であり、官公吏、会社員にも必要で
あり、其他現代の社会組織の下に生存して、存在の意義を充実し、有効なる活
動活躍を為さんとするものには、性の男女を問はず、齢の老若を問はず、職業
の如何を論せず、何人にも悉く絶対に必要である。唯だ其の結果に於て、非
凡偉大なる人物によつて行使せらるれば、非凡絶大の結果とならて現はれ、凡
庸なる者の凡庸なる術使によつては凡庸なる結果となりて顕はるゝの差あるの
みである。
 見よ、日蓮宗が、他の何れの宗派よりも迥(はる)かに後れて現はれたにも拘はらず、
今日偉大なる勢力を有し、我宗教界に於ける一方の重鎮となつた抑もの原因は
他の何物でもなくて、開祖日蓮の智勇弁力である。古今東西に比類なき不世出
の大英雄の称を恣まにして居るナポレオン一世が、微々たる一士官より身を
起して、遂に仏蘭西の帝位に陞り、全欧洲を其馬蹄にかけて蹂躙するの実力を
作り得たのは、僥倖でなく、ペテンでなく、徹頭徹尾、彼り偉大絶倫なる智勇
弁力の結果である。又、豊太閤が卑賤なる土百姓の倅に生れて、本来より云へ
ば畑の蚯蚓切りで生涯を終始すべきであつたにも拘はらず、トン/\拍子に関
白殿下となつて、天下に号令し、獰猛なる群雄を頤の先でコキ廻す地位と実力
とを得たのも、全く彼れの智勇弁力によつて贏ち得たものである。或は又釈迦
の如き、基督の如き、モハメットの如き、其教義の広告と教徒の製造とに成功
したのは、他の何の力でもなくて、彼等自らの智勇弁力である。又、ルーテル
が宗致改革に成功したる、鉄血宰相ビスマルクが大政治家大外交家としで成功
したる、ワシントンが米国を独立せしめ得たる、ゲーテ、シルレル、ミルトン、
ハイネ等が大詩人として盛名を馳せたる、沙翁、杜翁、イプセン、ツルゲネーフ、
ゴーリキー、其他此方面の偉大なる人物が大文豪として成功したる、其他古今
に亘り、百凡(あらゆる)方面に於ける百凡成功者が、非凡なる人物として名を成し業を成
せる、皆之れ悉く其智勇弁力の結果であつて、他の何物の力でもないのである。
 我等は、現代青年の、対社会、対個人に於ける、其の智勇弁力の応用行使の
実際を見る時、天才は別として、普通修養と努力とによるものゝ中で、多少見
るべきものが無いではない。其応用の場合、行使の機会、及び応用行使せんと
する際の道徳的良心、並に、事件の性質について、正義的に今少しく考慮すれ
ば、其智勇弁力は、真に天才者の塁(るい)を摩(ま)し、其効果亦偉大なるべきを思はしむ
るものゝ決して、尠くはないのである。
 然し乍ら、惜むらくは、其修養努力によつて錬磨せられたる智勇弁力も、徹
頭徹尾、正義人道に根柢して居ない。終始道徳的良心によつて支配されて居な
い。徹底したる合理的、正理的方略によつて行使されて居ない。随つて、其の
応用行使振りは、巧智的であり、曲庇的であり、曲解的でゐり、横道的であり、
脱線的であり、理不尽的であり、コセ/\であり、無理想であり、軽佻浮薄的
であり、或は時に、不道徳的精神に支配せられ、不正不当なる場合事件に応用
行使せらるゝことが少くない。
 之れ、今日の我青年より、偉大なる、而も完全なる智勇弁力の顕現せざる所
以である。