錦嚢に包んだ馬糞
錦嚢に包まれた馬糞は、包まれた馬糞のみが、穢物であり、汚物であり、無価
値であり、如何なる事情の存在するにせよ、断じて跪座礼拝すべからざる代物
であるのみでなく、包んだ錦嚢までも、汚穢物たらしめ、無価値ならしめ、如何な
る事由の纏綿するにせよ、断じて手を触るべからざるものたらしむるのである。
我等は、此の奇警なる形容語を一方に置き、他方、此の形容語を冠せしむべ
き、適切なる事例を社会に求むる時、我等は、其処に適切なる事実の存在の、
余りに多数なるに、驚かんよりは、寧ろ憫み、慨し、憂ひ、熱罵冷嘲せざるを
得ない。而して我等は、其の最も顕著なるものゝ一(ひとつ)として、現代の所謂成金と
称する特殊金満家を挙出せざるを得ないのである。
元来、成金の語、将棊(しやうぎ)に於て、微々たる「歩」が、時に一転して「金」の格
となり、金と同効力を以て働くと云ふ其成り金より来たものであることは、已(すで)
に天下万人の熟知せる処であり、更説(かうせつ)は蛇足たるの誹謗を受けるが寧ろ当然で
あるかも知れぬ。乍去、仮令更説するが蛇足であるにしても、更説せざるが蛇
足でないにしても、微々たる一の「歩」が、一転一躍して格段違ひの「金」となり、
「金」と同効力を以て働くと云ふことは、已に破格である。足軽が一足飛びに家
老となることが、破格であり、非常識的であり、脱線的であることを免かれざ
るが如く、歩が金格に転化することは、所詮、枝格であり、非常識的であり、
脱線的であることを免かれ得るものでない。随つて、現代の成金と称する特殊
金満家も、亦、到底、其範囲の埒外に立つことの許され得べきものでないは分
明である。
然り、足軽が一足飛びに家老となることが、破格であり、非常識的であり、
脱線的であるが如く、又、雑兵格の微々たる「歩」が、大将格の「金」に転化する
ことが破格であり、非常識的であり、脱線的であるが如く、其金満家となりた
る経路に於て同断なる、成金と云ふ特殊金満家が、異常的であり、破格であり、
非常識的であり、脱線的であることは、到底、絶対に、何人も否定することを
得ない事実である。
併し、我等は、其如何なる場合たるを問はず、徹頭徹尾、一切の破格的作用、
一切の非常識的行為、一切の脱線的行動、一切の奇蹟的、一切の非科学的、一
切の不可思議的現象を排斥し、否定し去らんとするものではない。吾等は、或
場合に於ては、国家的にも、社会的にも、又個人的にも、其等の作用・行為、
行動、現象を必要とするのみならず、時に或は、大いに奨励し、強要するの、
極めて必要なることを是認するものである。
此の意味に於て、及び、金儲けが、国家的にも、社会的にも、個人的にも、
罪悪でない限り、吾等は、現代の所謂成金と称すする特殊金満家の続出を排斥す
るものでないが、其存在状態、即ち彼等の精神と行為とに至りては、大痛撃を
喰はし、大排斥を絶叫し、彼等の社会的存在を根本的に滅絶する必要の緊急な
るを痛感せぜるを得ない。
元来、彼等が成金たるに至つた経路は、果して、社会に対し、自己の良心に
対し、一点疚しき所なく、愧づる処なき経路であるか。其手段其方法は、天下
何人をして評せしむるも、果して、悪辣辛辣の非難を受くることのない、正々
堂々たるものであるか何うか。
然り、吾等は、彼等が、濡手で粟的調子で、巨万の富を贏ち得たる経路が、
悪辣でなく、辛辣でなく、社会に対し、自己の良心に問ひ、一点の疾しき所な
く、愧づる所なき、徹頭徹尾、正理的であり、順序的であり、当然的であるも
のゝ尠なからざるを是認する。併し、其れと何時に、悪辣辛辣余す所なく、社
会民衆の膏血を絞り、独り成金紳士と成り済ませるものゝ少なからざる事実を
見過すことは能ない。
而も其の、自己の経営する所の事業を、時局との関係よりして、自発的に欲
せず、且つ求むる処なくして、遇然巨富を致せるの徒は、其経路に於て、我等
は、何等非難すべき理由と必要とを認めないのであるが、其成金紳士としての
精神と、社会的個人的一切の行為とは、真に殆んど唾棄すべきものゝみであ
る。況んや、其経路に於て、社会道徳を無視したる悪辣手段に拠りて吸収した
る不正成金の誹誘を免がれざる輩に至りては、最早や言語道断であり、沙汰の
限りであり、到底、社会的存在を黙許すべき代物でない。
其経路が、正理的であると、非正理的であるとを問はず、成金と云ふ総括的
名称の下に置かるべき特殊富豪の大多数が、今日、敢てしつゝある行為は何う
である。彼等は、一切の社会道徳を無視し、其富の使用方法の如何が、何程の
影響感化を社会民心に与ふるかを考慮せず、傍若無人の振舞を為し、王侯も及
ばざる栄耀栄華を尽し、豪奢を衒ふに日も亦足らざる有様ではないか。彼等の
乗れる自動車が、人畜を殺傷するも、何程かの黄金を撒けば、苦もなく訳もな
く解決するもの、其他、一切の事、黄金の前には何等の抵抗力無く、人間万事
黄金(かね)の世の中なりと高を括り、己れ在るを知つて、其眼中、国家無く、社会無
く、法律無く、道徳無き横暴を極めつゝあるではないか。我等が、彼等を見る
に、錦嚢に包まれたる馬糞の語を以てするは即ち其れが為めである。
而も彼等の、横暴、豪奢が、如何なる波動を社会民心に及ぼしつゝあるか。
又何程の感化を与へつゝあるか。吾等は、其惧るべき波動忌むべき悪感化が、
驚くべき速度に於て蔓延しつゝある事実を目睹(もくと)する時、重大なる社会問題とし
て、之れが根本的撲滅を期するの極めて緊急なるを思はざるを得ない。
最近、我国民の一般的思想が、物質本位に傾き、黄金万能主義に傾向せるは
何の為めである。対国家、対社会の犠牲心稀薄となり、極端なる自己本位、利
己主義、享楽主義、贅沢主義、総括して言へば所謂成金気質に向つて傾到しつ
ゝあるは、果して、何の理由であるか。黄金の前には国家無く、社会無く、法
律無く、道徳無く、仮令認むるにしても、黄金の力は、能く、其等一切のもの
を圧伏屈従せしむるに足ると高を括り、黄金は人間生活に於ける、最高至上の権
威であると思はしめつゝあるは、抑も何の感化であるか。勿論吾等は、其原因の
悉皆が、国内的のもののみであるとは為すものでない。其原因の原因が、大部分、
欧米の傾向風潮に発して居る事は、無論、分明の事である。併し又、同時に原因
の一切が、国外的、外来的原因のみでない事も、無論、分明の事実である。即ち、
我国民の一部分の者によりて、自発的に為さるゝ処のものが、直接、悪傾向に導
きつゝあり、其等の一部人によらてせらるゝ行為行動が民心に悪風潮を生ぜし
むる直接の衝動となつて居る事は、事実其物が雄弁に証明して居る所である。
而して、吾等は、我一般民衆の心裡に、黄金崇拝、黄金万能、利己主義、其
他、人生一切の問題は黄金力に依りて解決し得との嫌忌すべき不健全なる思想
観念を植え付け、所謂成金気質に奔然傾向せしめ、猶一層増長せしめつゝある
ものゝ随一は、現代の特殊金満家たる所謂成金なりと断言するに躊措しない。
然り、我民心をして黄金万能主義に変化せしめつゝあるは、彼等成金である。
我国民をして、某国人の如く、極端なる黄金崇拝国民に傾向せしめつゝあるも
のは実に彼等成金である。金力は国家的、社会的、個人的一切の力を凌ぎ、又
た少くとも、金力あれば、欲して得られざるものなく、為して成らざるものな
し、人間万事金の世の中也、と云ふ惧るべき考へを有たしめつゝあるものは、
実に彼等成金である。
今や、我帝国は永久的絶対安全の地位に立つか、永久的衰弱の状態に陥る
かの、最大の危険と最上の安全との分水嶺に立ち、国民の精神的大緊張と大覚
醒とを要するの秋、一般民心が、滔々風をなして、拝金宗の門に走り、成金気質に
奔然傾向し、悪銭悪用主義に赴きつゝあるは、由々しき大問題である。我等は、
他の主要なる社会的問題を解決するに努カすると同時に、本問題を根本的に解
決することが、喫緊の問題である。我等は、其解決方法として、近時問題として
討究せられつゝある、戦時利得税即成金課税問題の如き、表面的、姑息的、物質
的問題よりも、寧ろ彼等に対(むか)つて、其道徳的良心の覚醒を為さしむるが、先決問
題であると信ずる。万一、彼等にして、俺の金を俺が用に使用するも俺の勝手だ
文句を言ふなよ云ふが如き態度を持し、依然として其傍若無人の振舞を敢てし、
民心を堕落せしむる事を意とせず、其道徳的良心の覚醒に何等の考慮だも輿ヘ
ざるに於ては、我等は、最早や、彼等に良心の覚醒復活を期待すべきでない。又
日を酸くして、彼等に社会道徳を説くの必要を認めない。其時こそは、或る断乎
たる方法によりて、彼等の社会的存在を絶滅せしむるの手段を執るべきでゐる。
吾等は、彼等成金と称する特殊富豪に対して、適切なる評語を下す場合、錦
嚢に包まれたる馬糞の語を以てせざるを得ないのは、即ち夫れが為めである。
其経路の善意に拘はらず、一攫的に巨万の富を集中したる成金振りは、兎にも
角にも錦嚢たるに値するにしても、其心状と行為とに至りては、到底、馬糞以
上の価値を認め得べきものでない。
国家を害(そこな)ひ、民心を堕落せしむるものに対して、政治的に、国賊又は非国民
の称を冠せしめて差閊なきものとすれば、我等は、社会道徳を無視し、金力に
まかせて傍若無人の振舞ひを為し、国家を禍し、民心を蠧毒し、滔々として
堕落せしめつゝある、現代の所謂成金と称する特殊金満家は、正に国賊であり
非国民であると云ふに躊躇しない。吾等は、国家的に見るも、社会的に見るも
個人的に見るも決して、彼等が錦嚢に包まれたる馬糞的醜分子たるに過ぎざる
の理由によりて、彼等を野に放つて、其恣まなる心状と行為とを看過すべき
でない。吾等は、国家の前途を安全ならしむる必要上、社会の秩斥を維持し、
社会道徳の権威を擁護するの必要上、又民心の顧慮腐爛を防止するの必要上、
彼等に覚醒的注射を施し、彼等の一切行為行動を、峻厳なる社会の監視感得の
下に置くの急を要することを痛感せざるを得ないのである。