田中智学 「宣言 ― 日本国体の研究を発表するに就いて」
      国柱会日刊紙『天業民報』 大正九年十一月三日 


 明治神宮奉鎮の吉日、我近く吾が四十年
来の冷暖を経たる「日本國體の研究」を世
に発表すべきことを宣言す。あゝ時は来れ
り!世界を挙げて日本國體を研究せよ。

惟ふに日本國體とは道也、道とは真理の
実行にして其の帰趨を定ねゆるの謂也、理
にて在ては真といひ、道に在ては正といふ、
「養正の心」是也、道は諸の善を摂す、故
に「積慶」といふ、又諸の智を亟む、故に
「重暉」といふ、即天地の公道にして、人
類の斉しく籍るべき候、但日本特り世界に
率先して之を伝へ、世界を代表して之を持
す、因て称して日本國體と曰ふと雖、道は
則、是世界の道也。
 由来人は道の器にして食の器に非ず、而
も食を以て人を解するは、是人を以て禽獣
と為すなり、凡古今世界の嘗め来れる、所
有酸苦紛争殺伐の歴史は、咸この食を道に
易へ、人を獣化したる悪解釈の反映に非ざ
るは莫し、慄るべきは思想の錯誤なり、人
類は長き間の惨血と悶とによりて、既に争
に厭きたり、今後の問題は、如何にして正
しく生き安く住せん乎に存す
、其の決は唯
食を去て道に就くに在り、道下に食あり食
下に道なし、道を離るゝ時、食は道と倶に
亡し、食を舎つる時、道は食と倶に栄ゆ、
物心内に融して争なく、秩序外に整ひて平
和あり、斯の道久しく人を待つ。
 天祖は之を授けて「天壌無窮」と訣し、
国祖は之を伝へて「八紘一宇」と宣す、偉
なる哉神謨、斯の文一たび地上に印してよ
り、悠々二千六百載、迺(スナハチ)若臣の形を以て、
道の流行を彰施す、篤く情理を経緯し、具
に道義を体現して、的々として人文の高標
となれるものは、日本君民の儀表是也、万
神乃聖の天業、万世一系億兆一心の顕蹟、
其の功宏遠、其の徳深厚、流れて文華の沢
となり、懲りて忠孝の性となる、身体に従
へば君民一体にして平等、用に従へば秩序
截然として厳整、這の秩序を妙を以て、這
の平等の真に契投す、其の文化は静にして
輝あり、是の故に日本には階級あれども闘
争なし、人或は階級を以て闘争の因と為す、
然れども闘争は食に在て階級に関らず、日
本が夙く世界に誨へたる階級は、平等の真
価を保障し、人類を粛清せんが為に、武装
せる真理の表式なり、吁、真の平等は正し
き階級に存す、人生資治の妙、蓋斯に究る。
 現代文明の欠陥は、物と心との生起を暁
らず、道と食との本末を誤れるに在り、夫
物心相剋は破壊と堕落とを産み、物心相生
は建立と向上を資す、独り物心円融の妙を
将(そ)ちて、これに無限の性命を孚与するもの
は、日本國體の君臣道なり、想ふに是漸く
紛雑荒乱の夢より覚めんとする現代が学ぶ
べき、唯一の新課目なり、あゝ時は来れ
り! 世界を挙げて日本国体を研究せよ。

  大正九年十一月三日
         智学 田中巴之助敬白

 

 

『日本國體の研究』 「天業民報」大正十年元旦号〜

第一章 日本國體とは何ぞや
第二章 道の国、日本!
第三章 道と食
       食物本位の見解
       食は争を伴ふ
       権利思想は争の思想なり
       浅薄なる権利思想
       権利亡国論
       食下に道なし
       道下に食あり
第四章