第二〇九号(昭一五・一〇・九)

日独伊三国条約と帝国海軍
                      海軍省海軍軍事普及部

 一、国民の認識と覚悟


 光輝ある紀元二千六百年の九月二十七日、日独伊三国間
に条約が締結せられ、正に世界史上に新たなる時代を劃
した。
  条約の締結に当り、畏くも大詔を渙發せられ、帝国の
嚮ふ所を明らかにし、国民の進むべき大道を示させ給うた
のである。
 謹みて大詔を拝誦すれば、本条約の精神が、わが肇國
の精神に基づき、東亜の安定を確立し、世界の平和を保持
するにあることは、炳乎として明らかである。なほ内閣告
諭、近衛首相の放送竝びに松岡外相謹話によつても、条約の
精神と根本理念は明快に且つ極めで懇切丁寧に説き尽さ
れてゐる所であり、こゝに改めて述べる必要はないと思
ふ。
 しかしながら前述の如く、本条約が一に世界平和の確立を
念とする以上、われわれは本条約を締結せしむるに至らし
めた世界の情勢に即し、具体的に如何にすれば本条約の
效果を全からしめ、以て所期の目的を達成し得べきか、如
何にすれば現下の世界的禍乱を戡定して平和を克復し、以
て至尊の叡慮に応へまつることを得べきか、こゝに深く思
ひを效さなければならないのである。万一この自覚を欠
き、徒らに条約そのものの成立に歓喜して、施策その宜し
きを得ず、或ひは無為無策に堕するが如きことがあつた
ならば、条約はその真価を発揮し得ざることは勿論、事(こと)
志と違(たが)ひ、やがて苦境に際会することなきを保し難いと
いはなければならない。
 そもそも条約は言ふまでもなく、厳格に実行されなけれ
ばならない。しかして必らず所期の效果が挙げられなけれ
ばならない。これを実行し、実效を期することが締約各国
の権利であり、義務である。従つて条約が締結されたなら
ば、各締約国竝びにその国民には、それだけの権利と義務
を生ずるのは当然のことであつて、われわれ国民は今回の
条約成立を喜ぶと同時に、日本国民として義務を痛感しな
ければならない筈である。
 各締約国が今回の条約の義務を果すためには、日独伊
の各国が、あらゆる意味に於て強くなるといふことが先行
条件である。それと同時に、わが日本は大東亜の新秩序建
設のために、速かに支那事変を戡定し、独伊両国も亦欧洲竝
びにアフリカ大陸に於て、新らしい秩序を建設することが
先決条件でなければならない。従つて日・独・伊各国が東亜
及び欧阿に於ける禍乱を世界戦争にまで発展せしめないや
うに措置を講ずべきは当然のことであつて、今回の条約が
特定の第三国を新たなる敵国と想定して締結されたもので
ないことは、蓋し自明の理であるといへょう。
 しかしながら、現に世界には旧体制を頑迷に墨守して、
わが大東亜新秩序の建設、竝びに独・伊両国の協心努力しつ
つある欧阿の新秩序建設に終始反対し、且つ妨害しつゝあ
る国家の存在することは周知の事実であつて、しかも鋭意
その爪牙(さうが)を磨いて虎視眈々、わが方に対して挑戦の機を窺
ひつゝあるのである。
 そこで、場合によつては日独伊軍事同盟の威力を最高度
に発揮して、断乎たる措置を採らなければならないことも
起り得るのである。
 この場合、わが国は盟邦たる独・伊両国から、可能なるあ
らゆる方面に於て、協力を期待し得べきは当然である
が、太平洋作戦に関する限り、わが日本が独力を以て必
勝を期するの信念を堅持してゐなければならないのであ
る。
 従つて、この必勝の信念を彌が上にも堅確ならしむべき
具体的方策が遺憾なく講ぜられ、必勝不敗の戦備が速かに
完成されなければならないのである。こゝに於て、帝国
海軍の責務はいよいよ重大且つ大を加へたといはなければな
らない。これを要するに、条約の威力を最高度に発揮せし
めんとするためには、条約国の各々がますます強くならなけ
ればならない。即ち、速かに高度国防国家を完成するこ
とが喫緊の要務である。

   二、帝国海軍の役割

 今回条約の成立によつて、帝国海軍の責務がいよいよ重
且つ大を加ふるに至つたことは前にも述べた通りであつて、
本条約の実效を期する上に於て、わが日本の海軍力が極
めて重要なる要素となつでゐることを見越してはならな
い。
 換言すれば、帝国海軍の実力に対する信頼なくしては
本条約は成り立たないのである。このことは、わが日本が
独伊両国と遠く隔てた太平洋国家であり、世界の大海軍国
であるといふ事実に想到すれば、極めて明白なことである
といへよう。
 由来わが国は海国でありながら、一般に我が国民の海に
対する、従つて海軍力に対する認識は、十分であるとはい
へない。だが今こそ、われわれは帝国の世界的地位を再確認
し、この世界的地位を獲得し、且つ維持する上に於て、帝
国海軍が過去に於て重大なる役割を果して来たと同じやう
に、今日以後帝国が来らんとする国難を克服して世界平和
を確立し、皇國永遠の隆運を決定せんとするに当り、帝
国海軍がいかに重大なる使命を課せられてゐるか、明確に
これを認識しなければならないのである。しかもこのことが
単に認識されなければならないばかりでなく、今やわが海軍
軍備の急速な増強拡充に対して、真に挙国一致、有形無
形の協力支援が強く要請されるのである。
 現に帝国海軍は、その一部をして直接広汎なる対支作
戦に従事せしめ、支那海の制海権を確保すると共に、陸軍と
協力して、陸に、海に、空に、赫々たる戦果を収めつゝあるこ
とは周知の通りであるが、一方わが聯合艦隊の儼たる存在
が、事変以来敵性第三国に対して、常に帝国外交の強力な
る後楯として重大なる役割を負担し、同時に武力戦と不可
分の関係にある戦時経済をも有利に促進してきた事実は、
閑却され勝ちであつた。即ち事変以来二年有半に亙り、広
大なる地域を掩ふ大陸作戦の遂行に対して、戦争資材及び
生産力拡充竝びに国民生活必需品の、自給し得ない一部
生産財を海外より獲得するに当り、終始敵性第三国群の
陰険執拗なる妨害工作が反復されたにもかゝはらず、遂に彼
等をして、より以上積極的なる妨害干渉を敢へてなさし
めず、能く我が物動計画の実施を可能ならしめたのは、
実に帝国海軍の儼たる存在、いはゆる沈黙の威力に負ふ
所少しとしないことを知らなければならない。換言すれ
ば、帝国海軍は当面の我が大陸国策の遂行に対して、終始
台所の役目をも果して来たのである。このことは、海が世
界の交通路である必然の結果であつて、この間の消息は、
わが国民よりも却つて、敵性第三国国民の熟知する所で
あるといへよう。
 今日以後帝国海軍の責務が、更に其の重大性を倍加する
に至つたことは既述の通りであつて、今こそ軍、官、民、
挙つてこのことを自覚し、以て速かに海上国防の一大強化
に乗出さなければならないのである。現に米国が対日作戦
を目指して尨大な海軍軍備の建設を急ぎつゝあることは周
知の通りであつて、これに対して帝国海軍が国防上拱手
傍観を許さるべきでないことは云ふまでもないことであ
る。
 わが国策たる大東亜共栄圏の確保に当り、太平洋問題の
一環たるわが南方生命圏の問題が、場合によつては重大な
る国際紛争を伴ふであらうことをも覚悟しなければならな
いが、この問題の解決には何といつても海軍力が物をいふ
ことになるのである。今や太平洋の平和を双肩に荷ふ帝国
海軍がますます強大となつて、その重大使命を完遂しな
ければならないことを国民は銘記せねばならない。

第二〇九号(昭一五・一〇・九)