第四三二・四三三合併号(昭二〇・二・一四)

  本年の食糧事情 −手放しの楽観禁物−   農商省食糧管理局  
  七千万石の米をめざして      農商省農政局
  燃料に食糧に甘藷の大増産     農商省農政局
  決戦生活 茶           農 商 省
  戦略爆撃
  太平洋の戦訓          大本営海軍報道部
  野草も決戦食糧に
  郵便の戦時特例          運輸通信省
  情報局制定「必勝歌」歌曲入選発表

太平洋の戦訓 大本営海軍報道部

  敵三方面より遂にマニラに侵入す

 去る一月九日リンガエン湾に上陸した敵
は、その後、尨大なる物量を常続補給して
その兵力を約八箇師団に増強、他方三十日
にはバタアン半島のスビック湾に兵力役一
箇師団を揚陸、さらにまた三十一日にはバ
タンガスの尖端ナスグブにも約一箇師団を
揚陸し、かくて三方面より相呼応してマニ
ラ奪還を焦慮しつゝあつたところ、戦勢に
乗じた敵は二月三日に至り遂にマニラ市の
一角に到達、皇軍はこれと激闘を交へ、敵
に損害を与へつゝも、われ/\は熱涙を呑
んで敵のマニラ蹂躙を許さねばならなかつ
たのである。
 マニラ失陥の事態は比島戦局を憂慮する
同胞の脳裡に、或ひは一抹の暗翳を投ずる
かもしれぬ。しかしルソンの戦ひが、敵が
予期した大海戦戦法の裏をかいた皇軍の
「出血作戦」の強要によつて、こゝに劃期的
変貌を齎した現在においては、「過去の首
都」マニラ一市を喪ふが如きは、軍事的価
値よりすれば決してわが作戦の致命傷とは
ならぬ。
 即ちルソンの皇軍は北はリンガエン湾東
岸の山岳地帯、中部平原においてはクラー
クフィールド周辺地帯、南はマニラ東方高
地帯の三大拠点に主力を配備して、敵に長
期持久の出血作戦を挑みつゝあるのであつ
て、われ/\はこゝに比島決戦の新らしき
様相を凝視せねばならぬ。
 然りといへどもわれ/\は、マニラが比
島独立完成以来の政治的心臓として、或ひ
は東洋文化の坩堝として、さらにまたわが
南方生命線の紐帯として、政治、経済、文
化のあらゆる面において果しつゝあつた役
割と、その重要性を決して軽視せんとする
ものではない。従つてマニラ失陥は何とい
つても我々にとつて不幸なる局面の発生で
あり、マニラ失陥の事態を極度に過小軽視
するが如きいはゆる希望的観測はこの際禁
物である。われ/\はマニラの喪失によつ
て比島の政治的、経済的、文化的中心がとに
かく一応喪はれることの重要性を、虚心坦
懐に正視し、そこに比島戦局の新らしき重大
性の加重を認識すると共に、今後さらにまた
如何なる難局がわれ/\の前途に立ち塞が
らうとも、断乎これが打開に挺身するの不
退転の決意をこの際新たにせねばならぬ。

「ソロモンの攻勢」から
「ルソンの防戦」へ

 小磯首相はさきにレイテ島戦線は日米決
戦の天王山の戦ひであると叫び、さらにそ
の決戦場は比島全域に移行したことを閘明
したが、第八十六議会の再会に際しては
「戦局の進展はいよ/\急調を示し、今や皇
國は大東亜戦争勃発以来、最も重大なる局
面に際会し、真に興廃の関頭に立つに至つ
た」と比島決戦の重大性を端的に一億国民
に愬へたのである。
 静かに開戦以来の太平洋戦争の戦歴を
繙くとき、緒戦の一撃によつて敵将マックア
ーサーをコレヒドール要塞から追放したわ
が皇軍が、疾風迅雷の戦勢をもつてニューギ
ニアを席巻、遠くソロモン群島にまでその攻
勢末端を推進したが、ガダルカナル島の後
退を転機として、我は必死の防戦にも拘は
らず遺憾ながらじりじりと押返され、つひ
に二箇年有半にして、再び敵が比島マニラ
を侵略するに至つた痛恨の足跡をわれわれ
は発見するのである。
 しからば一体われわれは、何故に緒戦の
あの輝かしい「ソロモンの攻勢」かr、「ルソ
ンの防戦」への戦勢の逆転を甘受せねばな
らなかつたのか。われわれは今その戦勢逆
転の要因を究明すると同時に、その過程に
内在する冷厳なる戦訓が、われわれに何を
訴へてゐるか、活眼を開き心耳を傾けて正
視静聴し、戦訓の垂示する「勝つ途」に向つ
て死力を傾注せねばならなぬ。そこでまづ日
米戦争開始以来、今日に至るまでの戦局段
階の推移を概観すれば、だいたい次ぎの三
期に大別し得るであらう。

わが先制攻撃と蓄積
戦力に敵敗退す

 第一期はいはゆる緒戦の段階であり、これを時間的にみれば昭和十六年十二月八日開戦劈頭のハワイ攻撃から、翌十七年八月的のガダルカナル島上陸に至るまでの期間であり、これを空間的にみればわが電撃作戦によつてマライ半島、蘭印諸島、比島、ニューギニア、ソロモン群島、アッツ島、キスカ島等その他の太平洋上の戦略要点を悉皆占領するに成功した段階である。
 そしてこの緒戦の段階において、皇軍がかくの如く圧倒的勝利を収めるに成功した要因は、一つにはわが電撃作戦が先制攻撃の果敢なる断行によつて、敵の虚隙を衝くに成功したことであり、二つには開戦前のわが蓄積戦力が、敵のそれを各戦線において圧倒して驚くべき威力を発揮したことである。
 かくて皇軍は緒戦の段階において、太平洋上の戦略要点を悉く先制占領し得たのであるが、幸ひにもそれらの戦略要点はいはゆる南方共栄圏として近代戦に不可欠なる戦争資源を無尽蔵に包蔵する地帯であり従つて緒戦のわが戦果は戦略要点の奪取と戦争資源地対の入手によつて、こゝに絶対不敗たるべき戦略態勢を確保し得たのである。

敵は戦備を再建し
対日総反攻に転ず

 第二期の段階は、第一期の段階において皇軍の電撃的先制攻撃と、蓄積戦力の惜しみなき注入とによつて各戦線において徹底圧倒されたる敵が、漸く戦争体制を整備し戦力を再建して、我に総反攻を挑戦し来つたところに劃期的意義を発見するのである。そしてこの段階を時間的に眺めれば、昭和十七年八月敵のガダルカナル上陸より、昭和十九年十月二十日、敵のレイテ島上陸に至るまでの約二箇年有半の期間であり、さらにこれを空間的に眺めれば、ガダルカナルよりソロモン群島を北上し、一はニミッツ機動部隊がギルバート、マーシャル、マリアナ、西カロリンの諸島を経てレイテ島に、さらに一はマックサーサー陸上部隊がニューブリテン、アドミラルティ諸島を経てニューギニアを西進してレイテ島にと、両部隊の分進合撃によつて、ガダルカナルからレイテへと戦線を逆行すること実に五千キロ以上に及ぶのである。
 しからばわが方は第一期段階の戦果によつて、太平洋上の戦略要点と、南方資源地対を制圧して絶対不敗たるべき戦略態勢を確保し、前線将兵の奮戦があつたにも拘はらず、第二期段階において何故にかくの如き戦局の逆転を甘受せねばならなかつたのか。われわれは果たして何が敵の総反攻を成功せしめたかを正確に究明せねばならぬと同時に、われわれはわが戦争努力の的に及ばざりしを潔く反省することを絶対に躊躇してはならぬ。
 そこで敵の総反攻の前に、皇軍が戦線の後退を行はざるを得なかつた原因は多々あるが、その最も直接的にして且つ顕著なるものは、だいたい次ぎの如きを挙げねばならぬであらう。即ちそれは
一、 敵の軍需生産態勢、就中、航空機並びに
   船舶生産態勢整備の結果、その生産量、
   就中、航空機のそれが各戦線において我 
   が方のそれを完全に圧倒したこと
一、 わが蓄積戦力が緒戦の段階において極
   度に消耗し、さらに広大なる戦線に亘る尨
   大なる消耗を補給する生産力、就中、航空
   機生産量が加速度的に不足してきたこと
等に基因するとみるべきであらう。ところ
がこゝにわれわれの静かに反省すべき事実が
存在してゐるのではなからうか。

我は生産戦線にお
いて敵に立ち遅る

 敵は緒戦のわが第一撃によつて、ハワイ
真珠湾において、マライ沖海戦において、
彼等が不沈艦と誇つた艦隊を潰滅され、航
空機の軍艦に対する圧倒的威力を痛感した
のであるが、敵はかくして敗者の立場にお
いて満喫した貴重なる戦訓を直ちにその後
の戦争努力の上に活用したのである。そし
て敵は海洋作戦において演ずる航空機の絶
対的優越性を、近代戦争の鉄則として遵
奉し、逸早く国家総動員による航空機生産
第一主義への全面的生産態勢の切替へを断
行し、開戦僅か一箇月後に早くも航空機年
産六万機、船舶一千八百万トンといふ尨大
なるいはゆる「天文学的」生産計画を樹立し
たのである。
 しかるにわが方は緒戦の戦果の余りにも
華々しきに些か陶酔し、敵の戦力をやゝも
すれば過小評価するの傾向もあり、敵のガ
ダルカナル上陸以来、戦勢次第に押され気
味となりながらも、依然緒戦の陶酔に彷
徨して天佑神助の出現を待望するの他力本
願的傾向なしとしなかつた。
 かくkて戦局楽観の傾向は国内戦時態勢へ
の切替へ、就中、航空機生産第一主義への
切替へにおいて些か敵に出し抜かれたるの
憾みなしとせず、その結果、敵の物量、就中
航空兵力は、わが方のそれが広大なる戦線
の消耗量を充足し得ざる間隙を衝いて我を
圧倒し、巧みに航空基地の推進に成功し来
つたのである。つまり緒戦の劃期的戦果を
収め得た最大原因の一つは、明らかに皇軍
の「先制攻撃」であつたにも拘はらず、そ
の直後の彼我国内生産戦線においては、わ
が生産態勢の確立は敵のそれに遺憾ながら
立遅れたことを認めざるを得ないであら
う。

海洋作戦における
空軍の威力を発揮

 そして皇軍鉄壁の布陣にも拘はらず、敵
がガダルカナル島よりレイテ島へと長遠五
千キロの戦線を二箇年有半にして逆行する
に成功したのは、海洋作戦における制空権
の威力が完全に物を言つたからである。即
ち陸上戦闘においては、諸種の地理的条件
の制約を受けて、戦線を一挙に長駆数十キ
ロ、数百キロ、数千キロと飛躍せしめるこ
とは極めて困難であるが、海洋戦闘におい
ては制空権さへ獲得すれば戦線を数十キ
ロ、数百キロ、或ひは時に数千キロと前進
せしめることも容易に可能となるのであ
る。ソロモンの制空権を奪つた敵は、皇軍
幾万の精強ラバウルの堅陣に拠るにも拘は
らず、ニューブリテン島を一跨ぎにニュー
ギニアに次ぎの航空基地を設定し、さら
にビアク島、モロタイ島にその基地を前
進すれば、戦場は一躍して比島に移行した。
またマーシャルの基地はマリアナに飛び、
一つは西カロリンを中継して比島へ、一つ
は一路日本本土へと、戦線を一挙二千キロ
以上をも飛躍せしめ得るのである。これを
要するに第二期の戦局を決定したものは正
に制空権の争奪であり、わが方はこの段階
においては遺憾ながら航空機生産量の圧倒
的劣勢のために、ソロモンからレイテへの
制空権を敵手に委ねざるを得なかつたので
ある。

過去の戦訓を活か
し決戦段階に臨め

 第三期の段階は昭和十九年十月二十日、
敵のレイテ島上陸から、同年十二月十五日ミ
ンドロ島上陸を経て、今年一月九日ルソン
島リンガエン湾上陸、同二月三日マニラ侵
入により現在に至る比島戦の段階であり、こ
の段階こそ、戦局の最重大性を内包するも
のである。そこでわれわれはいまこの段階
に突入して、再度過去の戦訓を一瞥すれば
一、 第一期段階においては、わが蓄積戦力
   と先制攻撃が完全に敵を圧倒し得たこと
一、 第二期段階においては、敵戦争態勢の
   確立による生産力、なかんづく航空機生
   産力の物量総反攻が遙かに我が方のそれ
   を圧倒したこと
等を眼のあたり発見するのである。そして
第三期段階の戦勢を支配する鍵も、結局、
制空権の争奪に存することは一転疑問の余
地なきところであるが、その前提の下にお
いて勝敗を決定する要因としては左の如き
ものが挙げられるのである。
一、 米本土を去る比島への距離一万浬に及
   ぶ補給戦の長大化に伴ふ尨大なる損耗に
   も拘はらず、敵の物量は太平洋の制空、
   制海権を確保して、なほかつ我を比島戦
   線において制圧し得るか否か。
一、 我は生産力、なかんづく航空機の生産
   絶対量において到底敵に及ばずといへど
   も、我は日本本土より比島への僅か二千
   浬の短小なる補給戦を確保して、敵と対
   抗し得るに足る航空機量を生産補給し得
   るか否か。
一、 わが生産「量」の不足を「質」をもつて補
   填する一方、特別攻撃隊は既に遺憾なく
   その威力を発揮したが、さらに今後登場
   を期待される新らしき科学兵器が果して
   敵の物量挑戦を破砕し得るか否か。
一、 敵の日本本土の生産地帯に対する爆撃
   はますます熾烈となるであらうが、これ
   に対して我は防空完璧の措置をもつて生
   産力を維持し得るか否か。
一、 ルソン島の出血作戦、ラバウルの自活
   作戦にみる如く、戦争の段階は長期持久
   的決戦の様相を帯び来つたが、これと呼
   応する国内態勢が果して長期持久を可能
   ならしめるか否か。

敵の補給戦はわが
攻撃の前に曝さる

 そこでまづ敵補給戦の長大化に関して
は、「敵の長遠なる補給路は前線に亘りわ
が攻撃の前に暴露されてをり、こゝにわが
方の勝利を把握すべき好機の存することを
確信する」と小磯首相が確信をもつて我に
必勝の神機存するを指摘してをり、さらに
「一億同胞の今日この際における剰すとこ
ろなき総努力の結果は、やがて比島周辺の
敵を撃攘し去るのみならず、ラバウル、ブー
ゲンビル等の皇軍将兵と相呼応して、戦局
転換の基礎を固むべき決戦戦力に結晶する
ものと信ずる」と、「比島の決戦」を「ソロモ
ンの攻勢」に再逆転し得るの戦力のなほ我
に十分存することを力強く閘明したのであ
る。
 しかも、わが補給戦は本土を去る僅かに
二千キロにして、敵補給戦の数分の一に過
ぎず、台湾よりせば比島は近々二百キロを
出でぬ指呼の間にあり、従つてわが国力が
比島海面の制空、制海権を獲得するに足る
位の航空機量は補給し得るだけの生産力を
持つことは疑ふ余地なきところである。
だ問題はその一億の持つ国力を果して完全
に戦力化し得るか否かに存してをり、そこ
に政治の運営と国民の戦争努力が要請され
るのである。
 なほ我には敵の追随を断じて許さざる
陸、海軍特別攻撃隊の勇士あり、一機もつ
て一艦を屠るのであるから、仮りに敵が二
百隻の艦船をもつて来寇すれば我は僅かに
二百機をもつてし、敵がたとひ三百隻を動
員するとしても、我は僅かに三百機をもつ
てせば、敵を一兵残らず撃滅し得るとも極
言できるのである。もとよりその他にも相
当数の飛行機を必要とすることはいふまで
もない。いづれにしても「一人一機」をもつ
て敵巨艦一隻を撃沈しても、数千名の兵員
と数万トンの物量を海底に叩き込み得るの
であつて、かくては敵の「物量」いかに尨大
を誇るとも、わが世界無比なる「質」をもつ
てせば、これが撃滅と、従つて終局の勝利
は蓋し期して待つべきである。

待望のわが新兵器
出現の黎明を迎ふ

 かく考へればその二百機、三百機の特攻
機を思ふ存分活躍せしめ得る位の補給が不
可能なはずは絶対にない。従つてまたわ
れわれは断じてこれを生産し補給せねば、
銃後の戦争努力を完遂したとはいひ得ぬ
のである。われわれは特攻隊の威力とそ
の力強き行為を誇示する前に、果して銃後
の戦争努力を完遂しつゝあるかどうかを反
省せねばならぬ。天佑を信ずる者は天譴を
惧れ、神助を渇仰する者は神の前に自己の
姿の正しきを誓はねばならぬ。
戦訓は戦局
変転の原因に対する真摯不断の究明におい
て正しく把握され、必勝の鍵は軍官民の文
字通りなる一億の総反省の中に必ず発見さ
れるであらう。
 そして、このことをわが技術界において
みれば、八木技術院総裁が「決戦兵器は〃必
死〃でなく〃必中〃のものを生み出したい
念願で一杯である」と述べ、さらに「その
〃必中〃兵器の出現を見ぬうちに、特別攻
撃隊の出現をみなければならなかつたこと
は技術当局として洵に申訳ない」と、特攻
隊勇士に対する科学者としてのひたぶるな
る自己反省の鞭をみづから我が身に乱打し
たところに、「決戦兵器実現の進捗にはみる
べきものがあり、これは恐らく将来敵撃滅
の最大の兵器となるであらう。この点に関
しては国民は絶対の信頼を寄せて戴きた
い」との旨を披瀝し得るほどに待望の新兵
器出現の黎明が齎されんとしてゐるのであ
る。われわれは世界に冠絶するわが科学力
の総動員によつて、必ずや決戦新兵器の出
現するを待望すると共に、その威力がわが
特攻魂と相俟つて発揮されるとき、最後の
勝利がわが掌中に帰すべきことを確信する
ものである。

太平洋の戦訓は我に
必勝の途を教ふ

 次ぎに敵機のわが本土爆撃はこれを完封
し得ざることは、盟邦ドイツが完璧の防空
布陣をもつてしても、なほ且つドイツ本土
上空を敵機の跳梁に委ねざるを得なかつた
事実に徹しても明らかである。しかしドイ
ツは工場の地下潜入によつて空爆の被害
から生産力を守り得た如く、われわれも速
かなる防空措置の断行によつて生産力の低
下を防止せねばならぬ。そして工場も国民
もすべてが地下に安全地帯を設定したと
き、敵機の空爆はたとひ如何ほどに激化す
るとも、我が戦力の
微動だもせぬこと
は、既にラバウルの
場合がわれわれに生
きた戦訓を示してゐ
るところである。
 そこで戦局の現段階はルソンにおいて、
ラバウルにおいて、或ひはニューギニアに
おいてみる如く、敵の出血を狙ふ長期持久
作戦に移行しつゝあるのであつて、従つて
最後の輸贏を決するものは、アメリカ一億
三千万と日本一億、彼我両国民の粘りと頑
張りの戦ひである。
 戦局は開戦以来最大の危局に逢着し、しか
も皇國の興亡と、一億の生死を賭けた比島の
戦局は、皇軍将兵の肉弾挺身にも拘はらず、
断じて我に有利ではない。しかしこの日米
決戦に驕敵を妥当し得る方途は既に発見さ
れたのである。われわれは今こそ「一億の総
反省」によつて祖国を死守せねばならぬ。

開戦以来三箇年に亘る、「太平洋の戦訓」
は、われわれに「勝つ途」を示してゐるで
はないか。