第四三一号(昭二〇・一・三一)
必勝への大道
ルソンの戦ひ 大本営陸軍報道部
一、四つの船団 二、地勢並びに
我が陣地線の概要 三、肉薄斬込
み 四、攻防酣なる陣地戦 五、
敵輸送船の損耗
特別科学教育の実施 文 部 省
ルソンの戦ひ 大本営陸軍報道部
一、四つの船団
二、地勢並びに我が陣地戦の概要
三、肉薄斬込み
四、攻防酣なる陣地戦
五、敵輸送船の損耗
一、四つの船団
戦ひに暮れ戦ひに迎へた比島の新春。
初春ながら灼熱のスール海を一路北に向つて進む四つの船団。
第一梯団は戦艦一、巡洋艦、駆逐艦約二十
隻に護衛せられた大型陸用舟艇およそ
百隻内外
第二梯団は特空母二、戦艦数隻、巡洋艦、
駆逐艦計三、四十隻を伴ふ輸送船百六、
七十隻、上陸用舟艇約二百隻
第三梯団は特空母一、巡洋艦、駆逐艦およ
そ三、四十隻に護られた輸送船約百五十
隻、上陸用舟艇およそ百隻
第四梯団は特空母二、巡洋艦、駆逐艦二十
隻内外、輸送船三十数隻
しかしてこの四つの船団を戦術的に護衛するは、
特空母十六、七隻、戦艦十隻余、巡洋艦
八、九隻、駆逐艦およそ百隻より成る強
力艦隊であり、さらにこれ以外に台湾南
方海面の遊弋して戦略的行動に出でつゝ
ある第三十八機動部隊
正に敵米軍全力を全挙しての大規模なる来寇である。
一月六日十六時
一、我が特別攻撃隊進襲飛行隊の三機は
一月四日夕、ミンドロ島サンホセ附近
において揚陸準備中の敵輸送船団に突
入し、輸送船一隻を撃沈、輸送船及び大
型油槽船各一隻を大破炎上せしめたり
二、別に敵輸送船団は機動部隊掩護の下
に一月五日夕、ルソン島西方海面に現
出せり。我が特別攻撃隊一誠飛行隊の
四機は直ちにこれに突入し、航空母艦
二隻、戦艦一隻を轟沈せり。
と大本営より発表せられ、戦火いよ/\ルソンに及ぶの感を新たにした。
敵がルソン島を狙ふ所以のものは、ルソン島奪回が比島脱走以来の敵の念願であり、これが実現によつて内外の政略的效果を大にすると共に、併せて日本本土と南方資源地帯との連絡遮断及び対日侵寇の基盤たらしめんとするにあるは明らかである。
この不逞な野望を載せた敵艦船は、一月六日リンガエン湾に進入し来り、こゝにその企図の全貌を露呈するに至つた。
大本営発表 (昭和二十年一月七日十七時十分)
一、機動部隊掩護の下にルソン島西方海
面に現出せる敵艦船は一月六日朝リン
ガエン湾に進入し、同湾沿岸に対し艦
砲射撃を実施中なり
二、別に同日午後ミンドロ島南方及びミ
ンダナオ海を有力なる敵輸送船団西進
中なり
三、我が航空部隊は一月三日以降、右の
艦船を連続攻撃中にして、同六日夕ま
でに判明せる戦果次ぎの如し (既発表
のものを含む)
轟沈 航空母艦三隻、戦艦一隻、戦艦
もしくは巡洋艦二隻、巡洋艦一隻
撃沈 輸送船十六隻
撃破 航空母艦三隻、戦艦もしくは巡
洋艦二隻、艦種不詳大型艦一隻、駆
逐艦一隻、輸送船二隻
即ち六日朝リンガエン湾に進入し来つた敵は、同十一時頃より沿岸に対しその重点をサンフェルナンド、バウアン、ダモルテスに指向して艦砲射撃を開始。これと共に艦載機は沿岸の我が防衛陣地に執拗なる空襲を反覆し、戦雲漠々、リンガエン湾頭今や腥風こゝに吹き荒ぶに至つた。
二、地勢並びに我が陣地線の概要
リンガエン湾岸サンファビアンよりタルラックを経てマニラに至るの道は、豊かなるルソン中央平原を貫いて坦々およそ二百キロ。このルソン中央平原の西方にはボリナオ半島(リンガエン西方)からイバ山を経てバタアン半島に連なる一連の山地帯があり、アグノ河、バンバンガ河の上流を遡れば、バンガシナン平地の東北部はバギオを軸心としてアランカイ、ロザリオ、サン・ニコラス等を西南麓とする峨々たる山獄地帯を形成してゐる。
即ちルソン島中央バンガシナン平原はその東北方及び西方の二辺を峻険なる山獄地帯で区切られてをり、我が軍はこの天与の地形を利用してリンガエン西方のラブラドル(リンガエン西方約十キロ)及びスアル(ラブラドル西北方約九キロ)一帯の山地とダモルテス(サンファビアン北方十五キロ)、ラボン、アラカン、サンファビアン東方高地線並びにカバラン山(サンファビアン東南方約二十八キロ)を連ぬる線以東に堅固なる陣地を占領し、リンガエン湾よりマニラをめざす敵軍に対し典型的な側面陣地を形作つてゐる。
三、肉薄斬込み
大本営発表(一月十日十五時三十分)
一、 一月六日朝来リンガエン湾内に進
入、同湾沿岸に対し艦砲射撃を実施中
なりし敵は、一月九日九時四十分頃サ
ンファビアン及びリンガエン附近に上
陸を開始せり
二、 所在の我々が地上部隊はこれを邀撃激
戦中にして、我が航空部隊また敵艦船
に必死必中の猛攻を加へつゝあり
約四日間リンガエン湾内にあつて艦砲射撃をつゞけてゐた敵は、九日朝遂にルソン島の一角に上陸し来つた。守備部隊将兵の怒髪天を衝き、特にわが航空部隊は全機特攻隊となり、偵察機にいたるまで爆薬を積んで出撃し、必死必沈の猛攻を加へてリンガエン湾の海水を米兵の血で染めていつた。
しかしながら、敵は比島周辺において殆んど圧倒的に制空権並びに制海権を掌握してゐる。ルソン島守備隊いかに切歯扼腕するといへども、リンガエン湾頭わが艦影を殆んど見ず、比島上空銀翼乏しき現在、この制空制海の両権を握つた敵が、その好むところに艦船を進め、その欲する地点に上陸を強行し来るのを見るとき、痛憤真に禁じ得ざるものがある。この驕敵断じて撃たざるべからず。
要は上陸米軍に対し、いかにして甚大なる出血を強要し、以て致死量を流出せしめるかにある。
とまれ十日夕に至るや多数の戦車を先頭にした敵部隊は、砲兵支援の射撃の下、サンファビアンより東方に向つて攻撃を開始し来り、その一部は遂にわが陣地の一角に突入し来つた。これに対し我が方また猛然反撃を加へ、こゝに彼我入り乱れての激闘が展開されるに至つた。
大本営発表(一月十二日十五時三十分)
一、リンガエン湾沿岸に上陸せる敵は歩
兵二箇師団、戦車一箇師団内外にして、
サンファビアン正面において若干進出
せるほか、海岸附近において態勢を整
へつゝ、さらに兵力の増強を企図しあ
り。我が地上部隊はこれを邀撃敢闘中
なり
二、我が航空部隊また引続きリンガエン
湾附近の敵艦船を猛攻中にして、一月
九、十両日収めたる戦果中、確認し得
たるもの次ぎの如し
轟沈 輸送船一隻 巡洋艦二隻
撃沈 輸送船二隻 航空母艦一隻
巡洋艦一隻 巡洋艦もしくは駆逐艦二隻
大破 輸送船七隻 航空母艦一隻
炎上 航空母艦もしくは戦艦二隻
戦艦一隻 巡洋艦二隻
しかしてこゝに見逃すことのできないのは、ルソン島作戦にあらはれた二、三の特異点である。
即ちその第一はじゅうらいのいはゆる島嶼戦より反対陸戦的様相に変移したことである。
いま概念を把握するために、極めて杜撰な計測ながらこれを誌してみれば
南北 | 東西 | 備考 | |
サイパン島 | 二〇` | 六` | `数はいづれも概略 |
大宮島 | 四五 | 一二 | 同右 |
レイテ島 | 一〇〇 | 二〇 | 同右 |
ルソン | 五〇〇 | 二〇〇 | 但し東南に突入せる半島 部を含まざる胴体部分の みとす |
右の如く、ルソンはサイパン島の約一千倍、大宮島の約二百倍、レイテ島のおよそ五十倍の面積を有してゐる。
従来のサイパン、ベリリュー等の各島嶼戦の場合においては、敵はその誇る機動部隊を以て、上陸に先だち猛烈なる艦砲射撃を実施し、全島を鉄片で蔽ひ、硝煙で塗り込めるのを常套戦法とした。しかして我が精猛なる将兵達も、飽和状態以上の濃密度を有する敵の弾量の前に恨みを呑んで粉砕され、敵上陸軍と相見ゆるそのときには、既に我が方は深刻なる痛手を負つてゐるのを常としたのである。
かくの如く狭小なる島嶼は、敵にとつて鉄量威力の集中発揮には最も適してゐたのであるが、それにも拘はらず、渺たる孤島サイパン島ですら、敵は数万トンに達する尨大なる鉄量の消費を余儀なくせしめられた。
再言す。ルソンはサイパン島の一千有余倍の広さを有する。この半大陸的戦場を従来同様の鉄量を以て蔽ひ尽すことのいかに困難であるかは今さら申すまでもないところであらう。戦ひは今や島嶼戦より半大陸戦的様相に変貌したのである。
宜なる哉。嘗ては敵軍の上陸に先だち、その爆撃と艦砲射撃とのみにより、兵力の過半を喪失せしめられ来つた我が軍は、今回のリンガエン湾邀撃戦に方つては、敵艦砲射撃及び爆撃、並びに上陸後二週間の激戦において、僅々敵の数分の一足らずの損害をだしたにとゞまり、ルソン守備部隊の主力は殆んど無疵のまゝ儼たる威容を整へて戦捷捕捉に備へてゐるのである。
特異点第二は逆手の新戦法であらう。
上陸軍に対してはその橋頭堡を確立せざるに先だち、これを水際に急襲撃滅するのが最も有效なる戦法とされ来つた。サイパンにおいても大宮島においても、我が軍はこの戦法を果敢に断行して大なる戦果を挙げたのであつたが、しかし敵もまた日本軍のこの戦法に対し、特に上陸の前後、敵もまた物量にものをいはせて尨大なる砲爆撃を敢行し、これがため我が軍は敵に痛烈なる損害を与へながらも、我が方また甚大なる打撃を蒙り、爾後の組織的戦闘遂行に深刻なる影響を受くるのやむなき情況であつた。
しかるに今回のルソン島の戦ひにおいては、従来、主力壊滅後行はれた肉薄斬込みを、当初より極めて計画的に敢行し、これがために敵に与へ得た損害は極めて大であるにも拘はらず、我が方の損害は頗る軽微であつて、逆手の新戦法は見事に功を奏したわけである。
肉薄斬込隊の偉大なる攻撃精神。
この攻撃精神は忠君愛国の姿勢より発する軍人精神の精華であり、これが敵の誇る物量を凌駕して、こゝに赫々たる戦果を挙げてゐるのは次ぎの数例をみても明らかである。
即ち十時五兆以下三名の斬込隊は、十日午後、砲煙たちこめる敵味方の陣地間を潜行して、サンファビアン東北方の敵迫撃砲陣地に忍び込み、敵の幕舎二を爆破炎上して帰還。
また白鳥兵長以下三名の斬込班は、十日朝サンファビアン東方敵野砲陣地に潜入して、野砲二門を始め重機若干を爆砕。
このほか各部隊より選出せられたる数十組の斬込隊は、身を一塊の爆薬、三尺の秋水に托して放胆極まる穿貫斬込みにより、連日連夜、敵を殺傷し続けてゐる。
大本営発表(一月十五日十六時三十分)
リンガエン湾方面その後の戦況次ぎの
如し
一、敵は海岸附近より逐次パンガシナン
平地両側山地帯の我が陣地前に近接中
なり
二、別に一部の敵は一月十一日サンファ
ビアン北方ダモルテス附近に上陸せ
り。我が地上部隊はこれを邀撃中にし
て、十一、十二の両日中に同地附近に
おいて敵に与へたる損害次ぎの如し
上陸用舟艇 撃沈破十四隻以上
人員殺傷 約一千名
三、我が航空部隊は引続き敵艦船を攻撃
中にして、特に一月十二日の攻撃戦果
中、確認し得たるもの次ぎの如し
輸送船 撃沈七隻 大破炎上四隻
駆逐艦 撃破一隻
我が方の損害 特別攻撃飛行隊十七機
他に未帰還二機
四、我が潜水艦また一月十二日ルソン島
西方海面において戦艦一隻を撃沈せり
かくて空よりする神鷲必中の猛攻に加ふるに、地上より行ふ精鋭必殺の斬込みに畏怖せる敵は、多数の軍用犬を配置し、マイクロフォンを設け、或ひは菱形の有刺鉄片を一面に撒布し、或ひはまた十重二十重に有刺鉄線を張り繞らし、終夜照明弾をうち上げつゝ厳戒に努め、虫の音にも脅え切つてゐるが、愛刀を翳し、破甲爆雷を提げたる我が勇士の活躍は、日と共にその精華を放ち、時と共にます/\敵の多量出血を強要してゐる。
大本営発表(一月十九日十五時)
リンガエン湾方面その後の状況次ぎの
如し
一、リンガエン及びダクバン方面の敵は
概ねアグノ河の線に、サンファビアン方
面の敵は海岸より概ね四キロの線に進
出、その一部は我が第一線陣地内に侵
入し来り、戦闘逐次激化しつゝあり
二、我が有力なる挺身部隊は一月十六日
夜サンファビアン附近の敵中に突入、
大なる戦果を収めたり
右挺身部隊の斬込みにより同方面に活
動中なりし敵砲兵は十八日朝に至るも
射撃を開始せず
右大本営発表においても明らかなる如く、我が挺身部隊の奮戦ぶりは、いよ/\出でていよ/\凄烈を加へ、完全に敵の心胆を奪つてゐる。即ち十六日夜、佐藤中尉の指揮する部隊は、アラカン(サンファビアン東北方約五キロ)に突入し、戦車八両、自走砲四十六門、側車八両を爆砕すると共に、附近に集積しありし弾薬糧秣を一キロの間に亘つて炎上せしめ、さらに同中尉は十七日朝、単身ビンディ(サンファビアン東方六キロ)に潜入し、敵の幹部幕舎三に手榴弾を投入して悠々帰還。
浦上少尉の指揮する斬込隊はラブネイ(サンファビアン東南方七キロ)に殺到して、多数の敵を縦横に殺傷し、重機関銃四挺、軽機関銃三挺、自動小銃一並びに各種弾薬数千発を鹵獲して帰還。さらに一部の兵力は海上より逆上陸を敢行して敵の背後を衝き、海岸道路、民家等に集積せる弾薬、糧秣、戦車、トラック等を爆砕炎上せしめて敵陣営を大混乱に陥らしめ、また田中秋二少尉はたゞ一人、敵陣深く挺進し、通信幕舎二、指揮官幕舎三を冲天高く爆破して一挙数十名の敵を屠り、さらにまた二等兵玉城忠清、玉城重三郎、玉城牛二、玉城嘉一、玉城信孝の五勇士はダモステス附近より海に入り、弾薬を充填したる四斗樽を曳き、激浪と闘ふこと四時間、めざすアラカン附近に逆上陸するや、真裸のまゝ悠々敵陣中に潜入し、水陸両用戦車二輌を爆砕、幕舎四を爆破して敵兵およそ百名を微塵に粉砕したる後、再び怒濤を乗り切つて帰還。
十八日夜に至るや柴田挺身隊員十名はサンファビアン北方の敵陣地を猛襲し、中型戦車一を破壊、弾薬、糧秣多数及び重機一を鹵獲、米兵二十名を殺傷して引揚ぐれば、泉谷斬込隊またこれに呼応して突入、敵兵三十二名を殺傷、弾薬三十梱包を鹵獲。
またラボン(サンファビアン北方十キロ)東方一キロの敵部隊本部には、杉浦兵長以下三名が増井上等兵以下三名と協力して突入し、われに数十倍する敵兵百二十名を殺傷したる上、幕舎全部を爆破炎上せしめて凱歌を挙ぐれば、瀧村軍曹以下五名の勇士はこれまた敵中深く斬込んで五十五名を屠り、且つ幕舎二を爆破す。
次いで一月十九日。
サンファビアン附近においては中村茂夫軍曹指揮の下、黒山安正兵長以下八名が火炎放射器を抱いて敵砲兵陣地たるアラカン方面に突入。十サンチ榴弾砲二門、弾薬集積所一箇所、幕舎二、自動貨車、牽引車各二輌、軽迫撃砲三門を爆破炎上。九十余名殺傷の輝かしき健闘ぶりを発揮すれば、同日、奈良岡小隊はラボン河を渡河南進せんとする敵の集結基地に奇襲をかけて、幕舎二爆砕、四十余名殺傷、中型戦車一破壊の戦果を挙げ、さらにその北方ダモルテス地区においては田中少尉以下三名が幕舎一破壊、十五名を斃し、またラボン方面に潜伏待機中の成瀬伍長以下三名は同日中に米兵十六名を刺殺、その所在を発見さるゝや一瞬破甲爆薬を敵陣に投じて、さらに十五名を殺傷する勇戦ぶりを示し、他方、舟艇に分乗せる八幡特別攻撃隊は海上にて敵駆逐艦と交戦しつゝサントトーマス(ダモルテス北方七キロ)附近に逆上陸を決行、必殺の斬込みにより甚大なる戦果を挙げ、その他
畑中挺身部隊(十七日早朝サンファビアン突入、同地大爆発)
根本軍曹以下三名(ラボン。幕舎三爆破、迫撃砲二門鹵獲)
秋本兵長以下三名(自走砲三爆砕、敵兵二十名殺傷)
小野寺軍曹以下八名(敵兵八十名殺傷、電話線二十本切断)
村上斬込隊(村上少尉以下十一名、シソンにて戦車六炎上)
等々枚挙に遑なき活動ぶりは、真に端倪を許さざるものがあり、敵に与へたる人的損害は蓋し莫大なるものがあつた。
これに比し、我が方の損害は奇蹟的に僅少にして、山下戦術の妙こゝに燦然たりといはざるを得ない。
四、攻防酣なる陣地線
目下のところ、敵の兵力は第一軍(第六、第二十五、第四十三師団及び第百五十八聯隊)並びに第十四軍(第三十七、第四十師団)計五箇師団余と推定せられてゐる。
リンガエン湾から上陸した敵は迷つた。
敵は判断に苦しんだのである。
東洋の女王と呼ぶマニラ市は南方二百キロの地点にあり。これに通ずる道は概して兵探知を走つてをり、しかも日本軍はヒソと静まり返つてこのリンガエン湾南側のパンガシナン平原には大なる陣営を見出し得ない。
何故に日本軍はアグノ河の要線に一聯の陣地を布いて邀撃戦法に出でぬのであらう。しかし敵としてはウカとは進出し得ない。両側面には兵力不明の、しかも当然強力なるべき日本軍が峻嶮と密林との間に不気味にも()を負ふてゐる。そこで彼等はまづこの不気味なる東方山地帯の日本軍陣地に対し主力を以て攻撃を開始した。戦車を先に立て優勢なる砲兵の支援火力の下に、尨大なる鉄量を消耗しつゝ猛撃し来つた敵に対し我が軍また予ての計画に基づき痛烈極まる反撃を加へ、こゝにリンガエン湾東岸に日米鎬を削る修羅場が現出したのである。
しかしてサンファビアン以北の敵は、我が痛撃を喫してその後の活動活溌を欠き、海岸より概ね四キロ、特にダモルテス附近の敵は海岸近くに膠着して陣地構築を開始した。
しかしサンファビアン以南の敵はカバラン山とその北方高地との間隙より、ビンデイ附近の我が第一線陣地の後方に進出してシソン(サンファビアン東北方十四キロ)、バボナン(シソン東南方五キロ)、ボゾルビオ(バボナン東南方四キロ)、ビナロナン(ボゾルビオ東南方十キロ)、ウルダネタ(ビナロナン西南方約九キロ)アシンガン(ビナロナン東南方八キロ)等の我が第二線陣地前に現出し、連日連夜、激烈なる戦闘を交へつゝある。なほ敵は十五日頃よりリンガエン飛行場に小型機の使用を開始し始め、且つ一部の部隊は一路南下してタルラック、カバス、ラバスの線に到達した模様である。
大本営発表(一月二十二日十五時)
一、リンガエン湾沿岸に上陸せる敵の主
力はその後ダモルテス附近よりカバラ
ン山附近に亘る我が第一線陣地に対
し、攻撃を続行すると共に、その一部
は我が第一、第二線陣地の中間、ボゾ
ルビオ附近に迂回侵入し来れるも、所
在の我が部隊は勇戦克く敵の攻撃を破
摧しつゝあり
二、敵情陸以来、同方面陸上において我
が方の収めたる戦果中、一月十九日ま
でに判明せる主なるもの次ぎの如し
人員殺傷六千名以上、鹵獲又は破壊火
砲五十九門、戦車六十七輌、自動車類
二十六輌、幕舎四十二、その他、兵器、
弾薬、糧秣等多数
現在の陣地線は過去のそれの如き単一線状なるものではなく、第一線、第二線、第三線と縦深横広であり、従つて戦闘は著るしく靱軟性を帯びるに至つてゐる。
過去の戦ひは第一線の突破によつて決定されたのであるが、現在の陣地線は、陣地帯内が決戦場である。
今やバンガシナン平原東北側の山地に設けられた陣地帯において、日夜、凄烈なる戦闘がつゞけられてゐる。
砲煙渦巻き鉄火飛ぶ修羅場に、われ等の戦友は今ぞすべてを擲(なげう)つて、たゞ醜虜撃滅の一念に燃えて御奉公してゐるのである。
これよりさき台湾東南方洋上に遊弋しありし第三十八機動部隊は、一月十二日不逞にも台湾、比島間のバシー海峡を突破して南支那海に現はれ、その艦載機を以て仏印サイゴン、サンジャック地区を空襲、爾後引きつゞき或ひは台湾、或ひは広東、香港、汕頭等を空襲するの挙に出で、以て比島の孤立化及び南方交通遮断を企図するに至つた。戦ひはいよ/\その深刻の度を加へてゆく。
五 敵輸送船の損耗
戦ひにおいて敵を有利に見、我を不利に感ずるのは洋の東西を問はず、古来からの通弊である。
日本海海戦に先だつこと四旬、即ち明治三十八年四月十八日、東郷司令長官が全聯合艦隊将士に与へられた訓示の一節に曰く
「戦場の経験少きものは、大抵敵を強
く見、我を弱く感ずるを常とす。これ敵艦
内の惨害等は我これを見る能はざる
も、我が艦内の被害は常に耳目に触るゝ
を以てなり。また、血路を開きて遁走せ
んとする敵艦を見て、我に肉薄し来るも
のと誤り、或ひは敵が困憊の極、徒らに
砲弾を乱射するを見て、我を猛撃するも
のと認むる等の例、蓋し尠からず。特に
戦ひ酣にして勝敗将に決せんとする際
には、実際は勝戦なるに拘はらず、自ら
苦戦と感ずること多し。故に我苦戦する
時は敵はその数倍も苦しきものなること
を観念すべきにして、古の兵家これを七
分三分の叶合(かねあひ)と戒めたり。即ち敵七分、
我三分と思ふ時、実際は五分々々なりと
の謂なり」と。
流石に名称の言である。
さて、今次のルソン作戦であるが、敵が海を圧する百数十隻の艨艟。数百隻の輸送船を以て、大挙来寇した壮観は、敵ながら相当なものである。しかしながら物量を誇る敵といへども、史上嘗てなき長遠なる補給路の負担ある限り、断じて綽々たる余裕はあり得ないのである。のみならず今次の上陸作戦において、敵は想像だになし得ざりし甚大なる人的損耗を満喫せしめられたのであり、敵の深刻なる憂悶は蓋し察するに余りありと申すべきであらう。
即ち、サイパン島の場合における敵輸送船の轟沈は二、撃破は七であり、大宮島の際は撃沈一、炎上二であつた(空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦等の損害はこの際一応考慮外に置き、こゝでは専ら輸送船のみにちて論ずる)。
しかしてルソン島上陸作戦のために、敵は既に百数十隻、否、二百隻に近い輸送船、上陸用舟艇を轟撃沈されてゐることは、諸情報綜合の結果、疑ふ余地なきところであり、これがため敵の蒙つた人的並びに物的損耗は莫大にして、予想以上の数量に達するものと判断せられるのである。
これは従来の上陸作戦においては敵として嘗て経験しなかつたところであり、この真相が日と共にその本国に漏れた場合における囂々たる輿論沸騰は将に見ものであらう。
さりながら、敵の輿論の如何はわれらの関知するところではない。たゞあくまで、大敵たりとも何ら恐るゝことなく、この不倶戴天の敵に対し、正義の大旆をかざし、堂々として敵致死量出血の陣を進めてゆかなければならない。
× ×
戦ひは将にこれからである
× ×
われに特別攻撃隊精神あり
われに肉薄斬込隊精神あり