戦線東西南北  大本営陸軍報道部

目次

一、神州の春
二、北方及び満洲方面
三、南太平洋戦線
四、比島戦線
五、ビルマ戦線
六、支那戦線
七、完爾邁進


一、神州の春

 日米の決戦正に酣なる秋、こゝに
昭和二十年の新春を迎へ、まづ謹みて
 聖寿の万歳と 皇室の彌栄とを寿
ぎ奉る。
 神魔両軍の決戦すでに三星霜。
今年こそは、真に国運の隆替を決す
べき重大なる年であり、帝国が悠久三千
年の光栄を保全して破邪顕正の征戦目
的完遂の大勢を決すべき大機である。
 我が陸軍は精鋭なる海軍と、真に骨
肉の情を以て、緊密なる連繋を保ちつ
つ、一見不利と観ぜらるゝ戦局裡、着々
として、醜虜撃滅の神機補足に備へて
ゐるのであつて、戦線がいかに錯綜する
とも、また戦闘がいかに難局に陥るとも
「大御稜威の下、最後の勝利は断じ
て我に在り」との固き信念を有するも
のであることを、まづ年頭の辞となし、
以下、東西南北の各戦線について総括
的にその現況を述べてみたい。

二、東北方及び満洲方面

 本土北辺においては、酷寒、荒涼
たる環境のもと、我が軍は儼たる護
りを固めてゐる。一昨年アッツ及びキ
スカにまで、その魔手を伸ばして来た
敵は、爾後これらの島々の基地化に狂
奔すると共に、しばしば少数の機動部
隊及び爆撃機と以て、我が北辺を窺つ
てゐるのであるが、横崎機の体当り攻
撃を始め、空陸精鋭の猛烈なる反撃に
より、その都度、相当の損害を蒙つて
ゐる。しかし、太平洋方面、比島方面
と呼応蠢動せんとするこの方面の敵の
企図は相当に旺盛なるものがあり、我
が方としてはあらゆる情勢に即応すべ
く、軍民一体いよいよその防衛を強化
してゐる。
 満洲においては、日満一徳−心、そ
の防衛態勢は年一年と鞏化せられ、正
に大磐石の観がある。
 支那及び南方各地において、我が軍が
後顧の憂ひなく、放胆果敢なる作戦を
展開し得てゐる所以のものは、実に我
が關東軍の巨厳の如き存在の賜(たまもの)とも
いふべきであり、その堂々たる布陣、そ
の精強の威容は真に心強い極みである。
 なほ奉天、山地区等に対し、時に
在支米空軍の空襲が行はれるが、日満
軍は密接なる協同により、これを撃退
してをり、微動だもせずその生産力を
護りつゞけてゐる。特に過般の空中戦
において盟邦満洲国軍に、蘭花特別攻
撃隊が結成せられてゐることが明らか
となつたことは、われわれの大いに意
を強うし、且つ敬意を表するところで
ある。

三、南太平洋戦線

 サイパン、大宮、テニヤンを奪回し
た敵は、勢ひに乗じてベリリュー島及
びモロタイ島に対し九月十五日に上陸
を強行し、こゝに太平洋の中央突破を
企図するミニッツ艦隊とニューギニア
を西進するマックア−サー等とが合流
して、その比島攻略態勢を明らかにし
たのである。
 しかるに所在の我が陸海軍部隊は寡
兵よく大軍を邀撃し、神出鬼没の敢闘
をつゞけ、以て敵の上陸意義を著るしく
減殺しつゝあり、その健闘ぶりには全
く感歎のほかはない。
 即ち、モロタイ島には元来少数の遊
撃部隊がゐたのみであるが、一ケ師団
以上の敵に対し複雑なる地形と密林と
を利用して、果敢な肉薄斬込みを決行
し、敵上陸以来、約二ケ月半の間に敵
将兵約三千名と殺傷し、兵舎、幕舎等
の爆砕は百に近く、敵の苦心して建設
せる飛行場の過半を破壊して、敵航空
部隊の活動に甚大なる支障を与へつゝ
ある。
 特に十一月十六日、守田部隊長の指
揮する有力なる部隊が同島に逆上陸を
敢行して以来、その遊撃戦ぶりは一段
の活況を呈し、我が航空部隊の強襲と
相俟つて比島作戦に寄与するところは
蓋し偉大なるものがある。
 次ぎにベリリュー島においては、敵は
当初約一ケ師団の兵力を使用し、一週
間ぐらゐにて同島の完全占領を企図し
たやうであるが、我が方は村井少将指
導、中川大佐指揮の下、壮烈無双の反
撃を加へ、敵に与へた人的損害は、確認
せるもののみでも二万数千に達するの
であつて、敵はこの意外な損耗に驚
き、遂には約三ケ師団の大軍を上陸せ
しめ、海空陸の三方面から莫大な鉄量
を以て攻撃をつゞけてゐる。
 かくの如く敵に大なる蹉跌を生ぜし
めたのであるが、我が方の残兵また極
めて少数となり、十一月下旬以来は専
ら洞窟等を活用する遊撃戦を展開して
ゐるのである。
 ベリリュー島守備部隊に対する感状
が上聞に達せられたることが同島に報
ぜらるゝや、将兵の感激はその極に達
し、中川守備隊長からも左の要旨の電
報が寄せられてゐる。

 「ベリリユー島ニ敵ノ上陸シテヨリ茲ニ
数十日、コノ間畏クモ度々有難キ御言葉
ヲ拝シ、今又感状上聞ニ達セラルゝノ光
栄ニ浴シテ将兵一同感奮興起、何レモ感
泣セザルナシ
部隊ハ愈々闘魂ヲ振ヒ、死ニ勝ル苦難ニ
堪へ、飽ク迄モ健在、光輝アル軍旗ノ下、
最後ノ一兵ニ至ル迄徹底セル遊撃戦ヲ展
開シ、神出鬼没、敵軍ノ幹部ヲ襲ヒ、兵
負ヲ鏖殺シ、如実ニ我ガ神兵タルノ威武
ヲ振ツテ米奴ノ心胆ヲ奪ハントス」

 烈々たる闘魂、壮絶の気魄は神軍の
真骨頂を発揮して遺すところなく、ま
ことに鬼神をも哭かしむるものがあ
る。
 かくてベリリュー島は将に重大関頭
に到達しつゝも凄烈なる遊撃戦によつ
て、皇國全般の戦局に大なる寄与貢献
をなしつゝあるのであつて、万古に薫
るその忠烈に対し、満腔の敬仰を捧げ
る次第である。なほこゝに附言したき
は、ラバウル、ニューギニア、ブーゲ
ンビルその他、南海の各地に儼存する
部隊のことについてゞある。
 これ等の所在部隊は、あらゆる不便困
難と不屈の闘魂を以て啓開しつゝ、日
夜猛訓練を重ね、特に食糧自給態勢の
整備は予想外の好成績を示して、意気
軒昂「驕敵来れ」と手ぐすねをひいてゐ
る。これ等の勇士達は「我等は昭和の赤
坂、千早城」なりと称し、時到らば本
土に呼応して驚天動地の活動を展開す
ベく虎視眈々たる現況であり、ラバウ
ルの標語「明朗敢闘」はその意気を端
的に表現して余すところがない。

四、比島戦線

 フィリピンの王座ルソン島を狙ふ、敵
は、ルソン島を陸上機の勢力圏内に収
めるため、適当なる島嶼にまづ短期間
に急速度に陸上基地を建設する必要が
あつた。
 この短期基地化の第一侯補地として
選ばれたのがレイテ島であり、敵は十
月十九日以降、こゝに七ケ師団以上の
大軍を投入し、数百万トンに及ぶ軍需
資材を揚陸し、短兵急に猛攻を続けた
のであるが、我が軍の精猛なる反撃に
遭ひ、戦線は十一月下旬までは膠着
状態に陥つた。しかして敵はこの間必
死になつてタクロバン、ドラッグ、サン
パブロ、ブラウェン等に飛行場の完成
を急ぎ、十一月二十日過ぎには三百機
に近い飛行機を進駐せしめるに至つた
のであるが、十一月二十六月、我が特
別攻撃隊薫空挺隊の強行着陸による世
界戦史未曾有の斬込みにつゞき、十二
月六日には高千穂降下部隊の斬込みが
敢行せられて、サンパブロ、ブラウェン
各飛行場は我が挺身隊の蹂躙するとこ
ろとなり、ドラッグ飛行場また現在に
おいても我が邀撃隊の脅威に曝されて
ゐる。
 これに対し敵もまた局面打開のため
兵力を約十箇師団に増強し、その一部
を以てレイテ島西岸に迂回機動、バイ
バイ及びアムヴェラ附近に上陸を強行
し、十二月十二日には遂にオルモック
に突入し来り、こゝにレイテ戦線は文字
通り犬牙錯綜の乱戦となるに至つた。
 なほ十二月十五日には不逞にもスー
ル海奥深く輸送船団を突入せしめて、
ミンドロ島に上陸を開始し、今や比島
戦線はレイテ島より全ビサヤ地区に拡
大して激烈なる戦ひが夜を日についで
行はれつゝあるのである。
 ジャングルも忽ちにして焦土と化
し、山形も須臾にして一変するほどの
砲弾。海を圧する数百の艦艇、般舶。
空を蔽ふおぴたゞしい航空機。
 彼等はその誇る量的戦力を以て強引
に爪牙を比島に鉤し来つたのである
が、これに対し我が方また百戦練磨の
軍を以て寡よく衆を制しつゝあり、特
に敵の量を背景とする野望の前に巨巌
の如き障壁となつて、これを阻むもの、
それは物量を超越した皇軍の華、陸海
特別攻撃隊の出現であつた。
 二十歳前後の若き神鷲達は必死必殺
の体当りを以て一機よく一艦を屠り、
その壮絶なる神業は一億を奮起せしめ
敵胆を寒からしめつゝある。
 一頃は物量の無限を誇示した敵米が
今や懸命になつてその生産陣に対して
増産を要請し、大童となつて補給に狂
奔しつゝあるをみるとき「量にも自ら
限度あり」との感を深くするものであ
り、敵の補給線の伸び切つたるその好
機を補足して、これに痛打を加ふるた
め、我が方の生産拡充の要今日より急
なるはなしと痛感する次第である。
 とまれ、比島戦線はこゝに第二段階
に突入し、戦ひはますます高潮の一途
を辿つてゆく。
 戦勢は率直に評して相当に重大であ
る。しかし重大ではあるが、決して徒
らに騒ぐの要はない。週報第四百二十
五号の「真の決戦場」の項において述べ
られてある如く、
 「戦争は要するに意志と意志との戦ひ
である。敵の戦意を破砕するの地は決し
て限定せらるべきではない。即ち真の決
戦場は経緯度を以て劃すベきでもなく、
山河陸洋を以て限定せらるべきでもな
い。
 強ひてこれを求むるとすれば、それは
たゞ戦ふ国民の胸底三寸に在りとでも断
ずベきであつて、山下将軍も「島の一つ
や二つは問題ではない。要するに比島の
最後の戦ひにおいて十五万、ニ十万の米
鬼を一挙に屠り去ればよいではないか」
と盤石不動の決意を述べてをられる
が、まことにその通りである。

五、ビルマ戦線

 雨季明けと共に敵のビルマ奪回の意
欲はいよいよ強烈となつて来た。
 即ち怒江方面、北部方面及びチンド
ウィン河方面並びにアキャプ方面相呼
応し、猛烈なる攻勢を開始し来つたの
である。これに対し我が軍は兵力の少
きを闘魂もて補ひ、装備の不足を卓絶
せる戦法もて補強し、一人十殺の意気
を以て不逞なる敵の企図を破砕しつゞ
けてゐる。
 しかして日一日、ビルマ戦線の戦ひ
が激化すべきは想像に難からざるとこ
ろであり、われわれはビルマ派遣軍の
苦労に対し衷心より感謝の念を捧ぐ
るものである。

六、支那戦線

 支那大陸を飛行場基地化せんとする
敵の企図は旺盛なるものがあり、昆明、
成都、桂林、衡陽(かうやう)、遂川、州(かんしう)、玉山、
建甌(けんおう)その他に着々として基地を建設し
つゞけ来つたが、これに対する我が支
那派遣軍の展開した作戦は真に雄渾壮
大の一語に尽きる。即ち昨春以来、河
南、湖南、桂林、南寧と息つく間もな
き大作戦は完全に敵陣営の意表に出
で、その心胆を奪ひ去つた。しかして
十二月十日、南支軍と仏印軍とは南寧
西南方約七〇キロ、綏(すゐろく)においてしつ
かりと手を握り、こゝに歴史的な大
陸縦断作戦はその完成をみるに至つ
た。
 「日本を撃滅するためには是非とも
まづ支那大陸を掌中に収めねばならな
い」と呼号する敵に対し、これは洵に
痛烈を極めた贈物であつた。
 支那大陸に皇師百万儼として存し、
驕敵米軍に最後の止めを刺す日を待ち
つゝあるその威容は、真に自信満々た
るものが看取せられるのである。

七、完爾邁進

 戦局は日と共に苛烈の度を加へてゆ
くであらう。
 国内生活も、もつと逼迫することで
あらう。
 敵機の来襲はますます激化されるで
あらう。当り前である。
 興亡を賭した決戦である以上、これ
等の苦難に遭遇するのは当然である。
 しかして、これ等の苦難は、いづれ
も勝利の嶺への峻坂であり輝く凱歌の
前奏曲である。
 一億が一忠に帰し、勅を奉じて総体
当りの決意も固く、あらゆるカをたゞ
皇運扶翼の一点に結集するならば、驕
敵醜虜の撃滅期して俟つべきのみ。み
たみ我等、今こそ「完爾邁進明朗敢闘」
の合言葉を以て、あくまでも頑張りつ
づけ戦ひ抜き、そして最後の勝利に向
つて突進すべきである。

週報427号