第四二四・四二五合併号(昭一九・一二・八)
開戦三年 大東亜の相貌
大東亜戦争三周年特集
粛として顧る
大本営陸軍報道部
一億の神風隊 大本営海軍報道部
大東亜の相貌
満州国 中華民国 仏印 タイ
フィリピン ビルマ ニューギニア
マライ スマトラ ジャワ
セレベス 南ボルネオ 北ポルネオ
ラバウル
大東亜戦争年誌
肅として顧る 大本営陸軍報道部
一、大みことのり
ニ、開戦の前夜
三、三歳の戦跡
四、レイテ島血戦賦
五、真の決戦場
一、大みことのり
忍ぶべからざるを忍び、譲るべから
ざるを譲つて、ひたすら誠意を披瀝す
る帝国の謙譲に乗じ、世界制覇の野望
に燃ゆる敵米英は、毫も交譲の精神な
く、一歩退けば二歩進み、五歩避くれ
ば十歩を強ひ、以て我が国を屈従せし
めんとしてABCDの鉄環を年一年、
日一日と緊迫し来つた。
皇統二千六百有余年。
帝国の存立将に危殆に瀕す。
昭和十六年十二月八日早晨。
畏くも宣戦の大詔渙発あらせ給ふ。
一億の民感泣感奮。
隠忍久しきに彌(わた)りたる我が国も、今
や自存自衛のため、万やむを得ず戈を
とり、世界の二大強国米英を撃滅すべ
く蹶然として起ち上つたのである。
爾来、星霜を閲すること茲に三春秋。
内、忠良の国民あり、外、神武の皇
軍存するあつて善戦健闘、よく敵の非
望を撃摧し来つた。しかしながら、こ
の間において戦勢は起伏高低、幾変転
し、今やレイテ島の血戦は正に最高潮
に達せんとしつゝある。この秋、四度
十二月八日を迎へて感激一入(ひとしほ)深きもの
を覚ゆるのであるが、この際、粛とし
て開戦前夜の相貌並びに緒戦以来の戦
局を顧み、以て微妙に変貌する「戦機」
判断に資するところあらしめたい。
二、開戦の前夜
敵は二十年前に開戦す
第一次世界大戦直後から、敵、特に米
国は次ぎの打倒目標を日本と決定し、
爾後その外交攻勢の主力を日本に指向
して執拗巧妙なる音なき戦ひを開始し
たのであつた。
にも拘はらず、我が国民はこの奸悪
な隣人を迎ふるに余りにも好人物過ぎ
た。徳富蘇峰翁が「誤解とは善い者を
悪く解するのが通常であるのに、日本
人は悪魔のやうな。米国人を善良な紳士
と逆に誤解する過失を犯した」と率直
に評したのは蓋し至言である。しから
ば過去久しきに亘つて我が国に加へら
れた音なき戦ひとはそも何か。
コレヒドールに残る
音なき軍事攻勢
近代戦の三大要素と称せられる武
力、思想、経済の各分野において、敵
が二十数年前から日本に対してとり来
つた悪辣陰険なる一方的攻勢をいま冷
静に回顧し、改めて敵の対日作戦がいか
に手廻しよく前から着々として進めら
れ来つたかを再認識したい。
即ち「武力的」には大正十一年のワシ
ントン条約、昭和五年のロンドン条約
を主核として、来るべき日に備へて
彼等は日本の足を揉ぎ手を毟り、
そして外濠を埋め、甲冑を剥ぐに
些かの仮借もなかつた。しかも間断
なく放つ「世界平和」、「日米親善」、「軍
備縮小」の呪言によつて麻酔せしめら
れた我が国民の大多教が、むしろ欣然
として自己の弱体化に賛同したのは、
時代風潮とはいひながらも遺憾千万な
ことであつた。
ロンドン条約成るの日、海軍参謀草刈
少佐が国家の前途を憂へて屠腹以て世
を警めたが、しかし、それはたゞ「狂
死」と嘲け葬られたに過ぎなかつた。
痛憤血涙の加藤・末次両提督に対し、
聖将東郷元帥が「しかし訓練には制限
がなからう」と悲痛な訓諭をせられた
のも、またこの頃の出来事であつた。
しかも敵アメリカはこの聞、建艦をを急
ぎ、軍需工場の拡張に狂奔し、果てはワ
シントン会議、海軍軍備制限に関する
条約第十九条、いはゆる太平洋防備制
限の規定を明らかに無視して、傍若無
人にもマニラ湾頭コレヒドールに世界
一と誇称する大地下要塞の築造を敢へ
てしたのである。(現在でもコレヒドー
ル地下要塞の入口には彼等が竣功の日に刻
んだ1931の数字がそのまゝ残されてあ
り、彼等の対日作戦準備がいかに早くから
着々として進められてあつたかを雄弁に証
明してゐる。)
甘美を装ふ毒汁
巧妙な思想攻勢
次ぎに彼等の「思想的」攻勢である
が、これはまた余りにも巧妙であつた
のには今更ながら一驚を禁じ得ない。
対日作戦に備へて予じめ日本国民の中
に、一人でも多く米国化されたる者多
かれと企図した彼等の狙ひは、我にと
つて甚だ遺憾ながら、彼等にとつては
絶大なる成功をみたのは否定すべくも
ないところであつた。
即ち大正の中期から滔々として流入
して来た軽佻浮薄なアメリカ映画、淫
蕩惰弱なジャズ音楽、果ては個人主義、
刹那主義、享楽主義、民主主義、功利
主義、自由主義、実利主義、物質主義、
崇金主義、議会中心主義、世界主義等々、
ユダヤの奸智に源泉する邪悪思想
が怒濤の如く侵入し来り、しかも我が
国においては指導者たるべき知識層、
有産層、学者等がまづ脆くもその術中
に陥つたがために、これらの甘美を装
ふ毒汁が青年子女をいかに深刻に蝕ん
だかは、いま想起するだに慄然たらざ
るを得ないものがある。(大東亜戦争開
始来、かゝる外来思想と絶縁し、純乎と
して純なる日本精神によつて育くまれた幾
多の青少年達が工場に戦場に、いかに老壮
年者を瞠目せしめる活動をなしつゝあるか
を想ふとき、外来思想に毒されたる過去の
青壮年達は、今こそ敵アメリカの思想謀略
のいかに奸悪巧妙なりしか思ひ半ばに過ぐ
るものがあるであらう。)
自滅強ふ経済攻勢に
一閃破邪の剣
次ぎは「経済的」攻勢であるが、軍備
的及び思想的攻勢に多大の成功をみた
敵は、頃合よしと見計らつて遂に奥の
手たる経済圧迫により、武力戦を交ふ
ることなく日本を屈服せしめんとして
重大な脅威を加圧し来つた。
即ち昭和十四年一月には日米通商航
海条約の廃棄を通告し来り、翌十五年
一月には屑鉄の禁輸、十六年一月には
真鍮その他六品目の禁輸、同年七月に
は在米資金の凍結を敢へてし、さらに
八月一日には石油の禁輸を断行し、こ
れを以て対日経済圧迫の打つべき手を
打ち了つたのである。しかる後、十一
月二十六日に至るや
1 日独伊三国同盟よりの離脱
2 汪政権の否認
3 支那、仏印よりの撤兵
てふ真に忍ぶべからざる最後通牒を我
れに突きつけ、短兵急に我が自滅を強
要し来つたのである。
事すでにこゝに至る。隠忍自重
にもまた限度があつた。この天人
倶に許さざる暴虐非道の驕敵に対し、
我れは遂にやむにやまれず「勝利か然
らずんば死」否、「勝利、断じて勝利ある
のみ」の烈々たる決意を以て、あらゆ
る一切の障礙を破砕すべく蹶然として
奮起した。
今や響きなき戦ひは終焉を告
げ、仮面を脱いだ悪魔の軍を邀へ
て、日本男児の国はこゝに颯爽、正
義の剣を提(ひつさ)げて起ち上ったのであ
る。千辛万苦何するものぞ、たゞ
戦はんのみ。たゞ勝たんのみ。
三、三歳の戦跡
先制攻撃
猛烈な進撃戦
1. 堰た切つたる奔流か、弦を放れ
し強箭か、憤激こゝに爆発したる皇
軍の大進撃は将に疾風枯葉を捲くの概
があつた。
世界を驚倒せしめつゝ我が雄渾なる
大作戦は大東亜全域狭しと展開されて
いつた。
この偉大なる緒戦の戦果をさらに拡
充すべく、懸軍万里、遠く米濠連絡線に
向ひ猛烈なる追撃が敢行せられた。
即ち戦ひの第一段階においては大東
亜における敵の牙城を屠り、南方資源
地域を獲得して長期戦続行の基礎を確
立したのである。
歩々の抵抗
決戦戦力を充実
2. 一時的狼狽から立ち直た米軍
は、かねて蓄積してゐたその物的戦力
を提げて、我が攻勢終末点たるニュー
ギニア、ガダルカナルの線において攻勢
に転じて来た。緒戦以来半年の戦果は、
いはゞ我が窮余の反撥が敵の機先を制
し得たのによるものであつて、敵が二
十年来準備し来つた尨大な戦力を正面
から繰り出して来ると、彼我の戦力は
その懸隔があまりにも大となり、ため
に我は歩々の抵抗により時間の余裕を
得つゝ、この間決戦戦力を拡充し、そ
の成る日において攻勢転移を企図する
のやむなきに至つた。
ガダルカナルの苦戦。アッツ、ギル
バートの玉砕。ラバウル、プーゲンビ
ル、ニューギニアの敢闘、或ひはサイ
パン、大宮の死闘等は、いづれも尊い
「時間」の余裕を獲得するために戦はれ
たものであつた。
この間、国内おいてはすべての力
が航空戦力の増強に集中せちれた。
二十数年間騙され続けたその欠陥
を敵と戦ひ、戦ひを支へつゝ短時
日の間に償ふべくこゝに必死の努
力が試みられた。無理もあつた。隘
路もあつた。拙速もあつた。摩擦もあ
つた。不満あつた。
しかしながら勝つためには一億国民
いづれもよく忍んだ。かくて着々とし
て国内生産力は力強い上昇弧線を描き
出していつたのである。
即ち戦ひの第二段階は、歩々の抵抗
により時間の余裕を得つゝ、増援隊の
来着(戦力生産の増強)を待つ、いはゆ
る持久戦の段階であつた。
今こそ攻勢転移の時
3. 我が攻勢転移の場所と時期とは
全く敵の進攻速度と我が戦力拡充との
双曲線によつて決定せらるべきもので
あつた。
「まづ比島を攻略し、次いで琉球、
台湾を経て支那大陸に接岸、以て大陸
の日本陸軍を駆逐したる後、日本本土
と最後の輸贏(ゆえい)を決せん」とは彼等のか
ねて呼号し来つたところである。
敵のこの企図に対し、我が国は大陸
においては機先を制して攻勢をとり、
春、洛陽、夏、湖南、秋、柳桂、南寧の作
戦に着々功を収め、敵航空基地を逐次
奥地に圧迫して「大陸必勝」の基盤を確
立しつゝあるのは、すでに周知の通り
である。
この形勢に焦慮した敵は一日も早く
支那大陸接岸作戦を敢行すべく、こゝ
に猛然としてまづ比島へ殺到し来つ
た。敵ニミッツも揚言せし如く「比島
は大陸への跳躍台」である。比島攻防
戦は「大陸跳躍台」の争奪戦である。
焦りに焦る敵は強引に台、比逆八陣地
の内懐深く突入し来つて、十月中旬
の痛打を蒙つた。しかしそれにも拘は
らず、敵は遂にレイテ島に大軍を上陸
せしめ来り、こゝにこれを邀へて我が
軍は敢然として攻勢転移の火蓋を切つ
たのである。
即ち第三段階は来着する増援部隊
(生産力)を逐次戦線に投入しつゝ行
ふ攻勢転移の段階とも称すべきであら
う。
四、レイテ島血戦賦
敵第五十八機動部隊が台湾沖で相当
甚大な損害を蒙つたにも拘はらず、敵
はなほ有力なる後続機動部隊を進出せ
しめ、且つホーランディア以西所在の約
千五百機に及ぶ陸上基地航空兵力を恃
んで、十月十九日レイテ島に上陸し来
り、兵力も当初の三箇師団にさらに二
箇師団を加ふるに至つた。この大軍を
邀へて我がレイテ島守備部隊は、兵団
長の指揮する強力なる数箇大隊を以て
これに対し、寡兵よく衆を支へ、激戦
に激職を重ね、敵に甚大なる損害を与
へたのであつたが、我が方また相当大
なる損傷を蒙り、戦線は逐次ダガミ西
方山地帯に移動するのやむなきに至つ
た。十月二十五日夜に至るや、パロ西
方高地にあつて奮戦を続けてゐた鈴木
部隊長は、敵時中核の潰滅を企図し、折
柄の月明を利用し選り抜いた決死の手
兵を提げ、自ら自刃を翳してタクロバ
ソ正面の敵に対し背後から斬込みを敢
行、敵陣地を大混乱に陥らしめ、さら
にこの頃より我が陸海の特別攻撃隊は
相次いで爆装機を駆り必死必殺、一機
一艦の攻撃を断行し、敵の心胆を慄へ
上らしめた。十一月に入るや敵第二十
四師団の一部は、カリガラ西方マナガ
スナス附近に進出し来り、これに対し
我が新鋭増援部隊は密林と泥濘に悩み
ながらも猛攻を加へ、この地区の敵を
包囲圏内に圧迫すべく激闘を交へ、敵
も戦勢の急迫に驚き、しきりに救援を
求むるに至つた。
かくして十一月十日過ぎにはさらに
二箇師団の敵上陸し来り、これにて敵
総兵力は七箇師団を算するに至り、こ
れに対し我が方もまた必死の増援を行
ひ、こゝにレイテの地上戦闘は全く乗
るか反るかの鍔ぜり合ひとなるに至つ
たのである。
しかして、敵はすでにタクロバン飛
行場をはじめとしてプラウェン南、北、
サンパブロ、ドラッグ等に飛行場を整
備し、これに約二百五十機内外の飛行
機を進駐せしめるに至つた。
我が航空部隊は或ひは空中戦に、或
ひは敵艦隊攻撃に、或ひは飛行場強襲
に必死の猛攻をつゞけてはゐるが、し
かし遺憾ながら未だ制空権を掌握する
に至つてはをらない。理由は敵の航空
補給量が現在なほ我に比して優位を保
つてゐるからにほかならない。十月中
旬以降、我が軍の撃沈破した敵艦船の数
は蓋し甚大な量に達するのであるが、
しかも今日なほレイテ湾には護衛艦隊
を伴ふ数十隻に及ぶ敵の輸送船団が浮
かぴ、比島東方海面には有力なる機動
部隊が游弋出没してゐるのであつて、
我々は冷厳なる現実はこれを率直に直
視しなければならない。敵はいかなる
犠牲を払つてもあくまでレイテに後続
部隊を増強し来るであらう。
我が方はまた、あらゆる戦力とレイ
テに投入して、断乎これを撃摧するあ
るのみであつて、その成否が主として航
空機の増援続行の能不能に繋つてゐる
ことは申すまでもないところである。
我等は剛勇果断な山下将軍、温情剛
毅の冨永将軍に絶大なる信頼を捧げ、
比島方面軍の健闘を衷心より期待する
ものである。しかしてまたレイテの
勝敗は、一億の体当りに懸つてゐ
ることを、如実に知らなければな
らない。一億の体当り、凝つてはこゝ
に神風となり、一億の体当り、発して
はこゝに万朶となる。
五、真の決戦場
戦ひはまこと一局の碁に似たり。
戦局は変転し、戦勢は浮動す。
大楠公すら幾度か破れ、幾度か退き
ながらも敢へて屈せず、いはゆる七転
八起、遂に建武中興に大きな役割を演
じ得たのであるが、勝敗進退は兵家の
習ひである。
「どこどこを取られたらもう駄目だ」
「どこどこまで来られたらもう敗けだ」
といふが如きは、断じて兵を知るもの
の言ではない。首都モスクワを奪はれ
ながらも、「ロシアは遂に大ナポレオン
を敗退せしめた。石橋山に自決を覚悟
した頼朝は、最後には驕るや平家と撃滅
し去つた。信玄の猛攻に敗走し、あは
やその居城と共に崩滅せんとした家康
は、強靱な頑張りによつて遂に自らの
運命を大きく開拓した。
戦争は要するに意志と意志との戦ひ
である。
敵の戦意を破摧するの地は決して限
定せらるべきものではなく、その遠近
は敢へて問題ではないのである。
東郷提督の率ゐる聯合艦隊は、必ず
しも海路はるばるバルチック海まで出
かけて、敵のバルチック艦隊を叩くの
要はなかつたのである。
戦場が本土に近づけば近づくほど補
給線は短縮せられ、内線作戦の妙を発
揮し易く、従つて神機を掴むの算はい
よいよ大となるべきは、いまさら縷述
の要はないであらう。ガダルカナルへ
の補給に比し、レイテへの補給は著る
しく容易であり、従つてその戦闘遂行
力も大いに強化されてゐるのは現実の
示す通りである。
嘗てラバウルの戦ひ酣なりしとき、
一部の論者は「ラバウルこそ日米の決
戦場」であるとなし、仮りにラバウル
を失ふが如きことあらんか、忽ち日本
は敗北に陥るかの如き極論をあげつら
ふ者もないではなかつた。サイパンの
ときまた然り。
もとよりラバウル、サイパンの戦略
的重要点たるは疑ひなきところであ
り、ラバウルの孤立化、サイパンの喪
失は我にとつて大なる打撃たるは否定
すべくもない。
しかしながらこれ等の現象は、痛手
は痛手ながら、それは決して我が致命
傷ではあり得なかつた。サイパンを喪
つた今日、現に我が国は一層の憤激に
燃えつゝ、勇気凛々として戦つてゐる
ではないか。
もちろん感情的にこれを観ずれば、
百キロでも十キロでも能ふ限り遠隔の
地、極端にいふならば、敵の本士、敵の
首都において敵を撃滅し得れば、その
快やいふべからざるものがあるであら
う。
しかし、戦ひには冷静なる戦力
判断を必要とする。こゝにおいてか
即ち知る、戦ひは自力最適の戦法によ
つて敵を制すベきであって、詩人の夢
の如き感情のみを以て現実を論ずる
は、危険この上なしと申すべきであ
る。
戦況いかに変転し、戦勢いかに移る
とも、我れに神武必勝の確信と努力あ
れば、断じて征戦目的完遂の光栄ある
日は疑ひもなく近づき来るのである。
即ち再言す。真の決戦場は経緯
度を以て劃さるべきでもなく、山
河陸洋を以て限定せらるべきもの
でもない。
強ひてこれを求むるとすれば、
それはたゞ戦ふ国民の胸底三寸に
ありとでも断ずべきであらう。我
が国は申すまでもなく神の国である。
皇祖皇宗の神霊上に在します。
大御稜威の下 天壌無窮の国運を固
く信じて、一億の臣が各々の持場、職
場において、それぞれ明朗敢闘、尽忠
の誠を竭したならば「神武必勝」最後
の勝利は断じて我にありと確信して疑
ふ余地はないのである。
週報第424・425合併号(昭一九・一二・八)