第四二二号(昭一九・一一・二二)
  柳州潰え、桂林陥つ       大本営陸軍報道部
  来年度の中学校入学者選抜     文 部 省
  決戦生活 電球         軍 需 省
  新嘗祭に際して
  決戦勤労動員         厚生省・軍需省
   一、勤労動員の現状
   ニ、勤労管理の諸問題     文 部 省
   三、勤労援護の強化

柳州潰え、桂林陥つ       大本営陸軍報道部


一、面と点、面と面
二、雄渾極まりなきわが大陸作戦
三、柳桂要塞攻略の意義
四、桂林の空はレイテに連なる

一、面と点、面と面

 敵アメリカの東亜侵攻の巨大な魔手
は、世界制覇の不逞な慾望に燃えなが
ら迫つて来る。その一本の触手は大
西洋を渡り、アフリカを経て、英国の
野心と共にインドに到達し、こゝを拠
点としてビルマを奪回し、支那に進ま
んとし、他の一本の触手はアメリカ西
海岸よりハワイを経由し、アドミラル
ティ、マリアナ、ニューギニア等の根
拠地から比島を窺ひ、さらに台湾及
び南西諸島を突破して東支那海沿岸へ
接岸せんものと企図してゐるが、米国
は何故これほど執拗な意慾を以て支那
を狙つてゐるのであらうか。
 もちろんそれは、飽くことを知らぬ
貪婪な野望に狂ひ、豊沃な肥肉「支那」
を自己の掌中に独占しようとする遠謀
はいふまでもないところであると共
に、短期決戦強行のため、当面の戦局打
開に一進展を劃さんとして焦つてゐ
るからにほかならない。ニミッツもし
ばしば言明してゐる如く、「日本に対
して最後的打撃を与へるためには、ど
うしても支那大陸をまづ手に入れな
ければならない」ことは誰よりも敵自
らが一番痛感してゐるところである。
洋上に遊弋機動する大艦隊。その威力
たるや、今さら呶々を要しないであら
う。すなはち、サイパンもテニヤンもそ
してまた大宮島も、敵の誇る第五十八
機動部隊猛攻の前に、次ぎ次ぎと万斛
の恨みを呑んで潰え去つたのをみても
明らかである。
 しかしながら戦艦といひ空母といひ、
その数いかに大なりといへども、結局
それは洋上に浮かぶ点の集団に過ぎな
い。さはれ、この点の集団威力も洋上の
眇たる一点サイパンやテニヤンの如き
孤島に対しては、これを強引に圧倒す
ることは敢へて不能ではなかつた。
 しかして点の集団威力の效果を過大
評価した敵は、比島上陸の前提として
遂に十月中旬、沖縄、台湾の幾何学的
な面に対して決戦を挑み、そしてあの
通りの痛撃を蒙つた。端的にいへば、点
の集団が面に対して一応砕け去つたの
である。剛勇山下将軍が赫々たる自信
を湛へて呟いた「比島は広いぞ」の一
言もまた面を擁する確信の迸りであ
らう。
 しかるに北は樺太、千島、北海道
から、南は四国、九州、琉球列島と大
きく東海に弧形を描く日本本土は、至
るところ整備された多数の飛行機群と
擁し、鉄桶の防衛陣と布いた厚みも幅
もある強力な面である。この強力な面
に対して、洋上から点の集団威力のみを
以て最終の決を求めようとするほどの
愚昧な勇気は、流石の敵も持合せて
ゐないとみえて、さてこそニミッツは
まづ支那大陸をその掌中に収めたる
後、日本本土に対する最後的決戦を目
論んでゐるのであつて、レイテ島上陸
作戦開始に先立つて「比島は支那大陸
への跳躍台である」と言明したのをみ
ても、敵の意向の那辺に存するかが窺
ひ得られるであらう。
 もちろん、作戦の過程中、或ひはマリ
アナから日本本土を空襲したり、或ひ
は有力な機動部隊を以て、本土に対し
何等かの直接的行動に出づるであらう
ことも、当然予想し得られるところで
はあるが、要するに敵は万難と排し
て、まづ支那大陸てふ巨大な面を獲得
し、これを以て日本本土てふ面と最後
の輸贏を決せんものと企図してゐるは
疑ふ余地もないところである。


二、雄渾極まりなき
   わが大陸作戦


 十一月十一日、畏くも 大元帥陛下
には、支那派遣軍総司令官及び支那方
面艦隊司令長官に対し

中南支方面ニ作戦セル軍ノ将兵ハ約
半歳ニ亙リ至難ナル機動作戦ヲ敢行
シ瘴癘ヲ冒シ艱苦ニ堪へ随所ニ在支
米空軍ノ根拠ヲ撃摧シテ克ク作戦目
的ヲ達成シ以テ全局ノ作戦ニ寄与セ

朕深ク之ヲ嘉尚ス

との優港なる勅語を賜はつたのである。
 想へば大陸に春萌えて、麦も豊かに
撓(たゆ)む頃、わが雄渾なる大作戦は、まづ
河南の沃野に繰り展げられ、聖旗進む
ところ古都洛陽忽ちにして皇風に蘇
り、歴史的な京漢線の打通はこゝに軍
事、政治、経済的の各分野に大きな意義
を打ち樹てた。
 河南の戡定成るや、折しも日毎に加は
る炎熱の下、わが精鋭は湖南の地に鋭
鋒を転じ、一挙長沙を抜き衡陽を収め、
米空軍とこれに駆使された重慶軍との
必死の抵抗を破摧しつゝ、やがて吹き
はじめた秋風に馬の鬣(たてがみ)をなぴかせな
がら、長駆広西の省境に迫つていつた。
 しかしながら、作戦は坦々たる大道
を、いはゆる破竹の勢ひを以て易々た
る進撃をつゞけたのでは決してなかつ
た。戦果の陰に秘められたこの半歳の間
における作戦軍将兵の労苦たるや、真
に涙なき能はざる底(てい)のものがあつた。
 数十年来と称された百三十度の炎熱
に、肉落ちた頬を焦がし、再発したマ
ラリアの悪寒に堪へて、よろめき歩く
兵の姿はたゞ闘魂の二字によつて支へら
れた肉体の奇蹟であつた。或る時は沛
然(はいぜん)たる豪雨に打たれながら、戎衣(じゆうい)もし
とゞに濡れ果てて、膝を没する泥濘に
砲を押し、馬と助け合つての忍苦の難
行軍が続けられていつた。敵機は小面(こづら)
憎くも頭上スレ/\に悪魔の如く跳
梁し、ためにわが補給戦は殆んど遮
断され、栄養失調の将兵達は辛うじて
鉄兜で籾をつき、野菜の代りに朝顔の
葉を噛みながら飢餓を凌ぎ、時にはま
た、数日間一粒の固形物も口にするこ
となく戦つたことも稀ではなかつた。
雨に濡れ、疲れ果てた体を横たへて一
睡のまどろみを求めるにも、しかしな
がら、兵達は一歩も民家の内庭には立ち
入らなかつた。僅かに軒下によりかた
まつて憩ひ、見るに見かねた家人が「家
に入れ」とすゝめるのに対しても、僅
かに微笑んで「謝々」とその好意を謝
するのみであつた。
 広西省境に近い或る部落では、雨の
そぼ降る深夜、物の気配に目覚めた村
長が、フト戸外に出て闇をすかして様
子をうかゞふ中に、部落中央の大樹の
木陰に、人目で大人(タイジン)と知れる日本軍
の兵団長が、雨にそぼ濡れながら幕僚
達と佇んでゐるのを発見した。この村
長の率ゐる幾百の村民が、翌日から進
んで日本軍の労役を志願し、その後、長
らく献身的な協力ぶりをみせたことは
いふまでもあるまい。「苟くも米英との
協力を排するものは重慶側軍隊といへ
どもこれを敵とせざる」皇軍の、これ
は尊くも輝く大神業(おほかみわざ)の片鱗であつた。
 かくて陸空の作戦軍は、常に寡を以
て衆を破りつゝ、あらゆる困苦欠乏に
打克つて一路柳桂めざして進撃を続け
た。
 しかしてこれと並行して、他の有力
部隊は敵米の支那接岸作戦の先々の先
に乗じ、九月九日には東支那海沿岸の
重要戦略要点たる温州を、十月四日に
は要衝福州を攻略して鮮かな先制作
戦の妙を示した。
 ニミッツが「東南支戦線における日
本軍の進出は、極めて重大な事態を生
起せずにはおくまい。もしも日本軍の
進出を阻止できなければ、同方面にお
ける米軍将来の作戦は大きな困難に逢
着するであらう」と悲鳴をあげ、また
アメリカの著名な軍事評論家ジョセ
フ・ハーシュが「仮りに比島を奪回し得
たとしても、それは桂林を喪失したそ
の幾分かを補ひ得るに過ぎないであら
う」と案外に正直なところを告白した
のも皆この頃であつて、重慶に至つて
は「武漢、広東喪失以来の重大危局で
あり、今や戦局は最後的段階に到達し
た」と戦慄し、敵陣営は斉しく混乱、
動揺の色深くなりまさるのが明らかに
看取された。
 焦りに焦り、足掻きに足掻いた敵陣
営が、そこに幾多の内紛を生じ、確執
を激化したのも、蓋し理の当然であつ
た。在重慶のアメリカ大使ガウスが蒋
介石に「数十箇師の大軍を以て即時米
空軍の大基地衡陽の奪回」を要求し、
蒋介石に蹴られて男を下げたり、或ひ
はスティルウェルが重慶側の軍政に
容喙し、果ては重慶軍を自己の指揮下
に入れようと策動した揚句、遂に蒋介
石と正面衝突をして本国に召還された
りしたのも、結局わが怒濤の大進撃の
あふりを喰つた飛沫の悲喜劇であつ
た。

三、柳桂要塞圏
   攻略の意義

 米空軍の重慶に対する柳桂確保の強
硬な要求、蒋介石の柳桂死守の峻厳な
命令、或ひは重慶軍副参謀長白崇禧の
「桂林をして第二のスターリングラー
ドたらしめん」との壮語、さらにまた
第四戦区指令官長発奎の「桂林におい
ては、少くも一ヶ年間は日軍を支へ
ん」との豪語などは、一応、敵陣営に即
效性興奮剤の效果を齎し、一縷の希望
を抱かしめらのであつたが、わが作戦
軍の「焼かず、犯さず、殺さず」の鉄則
を厳守する仁義の大旆の前に、作戦地
域の住民は翕然(きふぜん)として慕ひ寄り、奇蹟
的とすら感ぜらるゝほどの協力ぶりを
示したがために、さしも苦難に満ちた
作戦も予想外の好調さを以て進展して
いつた。
 在支米空軍が大小の住民地に対して
仮借なく加へたところの無差別爆撃は、
純朴な住民をして「これが昨日まで援
蒋面をしたアメリカの正体か」と怨嗟せ
しめ、それと共に従来鬼畜の如くいひ
聞かされてゐた日本軍の、秋毫も犯さ
ぬ恩愛の真姿をみては、こゝに飜然と
して、糧食の供出、労力の提供に涙ぐ
ましい協力ぶりを示すに至り、これが
また作戦の進捗に絶大な影響を及ぼ
したのである。
 かくてわが軍が一たび総攻撃を開始
するや、さしもの桂林城も、また柳州城
も忽ちにしてわが軍門に降り、十一月
十日、城頭高く秋陽に燦として大日章
旗が飜つたのである。
 柳桂攻略戦の輝く戦果は、さきに大
本営発表によつて明らかにされたので
あるが、この柳桂要塞圏の攻略が敵に
与へた影響は、則ち
1 従来北支、中支、南支と呼称された支 
 那大陸は、今や京漢線及びそれ以南の分
 断作戦により、東支、西支と東西に分断
 され、残存重慶政権は逐次大陸奥地へ
 逼塞窮命の運命を辿るに至るであらう。
2 在支米空軍は、その基地を更に奥地た
 る成都、昆明へ後退せしむるのやむなき
 に至り、これと共に必然的に日本本土空
 襲、或ひは海上交通妨害等は従来に比し
 著るしい制約を受け、彼等の目的達成は
 日と共に困難を加へることにならう。
3 福建、江西方面にとり残された重慶軍
 は、完全にその補給路を遮断されて、微
 弱化必至の運命にあるのみならず、日本
 軍の温州、福州の先制攻略により、ニ
 ミッツのいはゆる「支那接岸作戦」は大き
 な蹉跌をみるに至つた。
4 両広喪失に基づく重慶軍の戦力衰頽
 は、軍事的にまた政治的に、大東亜戦域
 における敵陣営に、急激に大きな弱点を
 構成し、短期決戦を焦る敵軍にとつては
 致命的な痛手となるであらう。
等々、頗る深刻を極めてゐるのである
が、総括的にこれを論ずれば、敵は支
那戦線においては既に全く絶望以外の
何物をも有せざるに立ち至つたのであ
る。敢へて再言するが、点の集団たる
海上機動部隊のみを以てしては、重厚
な面たる日本本土に対して到底勝目な
しと観ずる敵にとつては、支那大陸こ
そは最後的な頼みの綱であつた。しか
るに今や、その支那戦線において、彼
等は正に最悪の局面に逢着するのやむ
なきに至つたのである。
 アメリカの深刻な懊悩苦悶こそ、蓋
し察するに余りありと申すべきであら
う。

四、桂林の空はレ
   イテに連なる

 十月十九日、レイテ島に上陸し来つ
た敵は、その後逐次兵力を増大して、
今やその上陸兵力は七箇師団以上を算
するに至つたもののやうである。
 わが特別攻撃隊その他の部隊の累次
の攻撃によつて、甚大な損害を蒙りな
がらも、依然としてレイテ湾及び比島
東方海面に近く有力なる機動部隊を擁
し、多数の輸送船団を以て、後から後か
らと強引に押寄せて来る敵の戦意並び
に戦力は、断じて過小に評価すべきで
はない。特にタクロバン、サンパウロ、
ブラウェン等の各飛行場には、既に約三
百機に近い空軍が進出し、これがモロ
タイ等によりする陸上基地航空部隊及び
艦載機と呼応して、レイテ上空及び比
島全戦域の制空権を獲得すべく狂奔
し、これに対しわが空軍もまた全精魂
を傾けて必死の激闘を続けてゐるので
あつて、この激しい鍔ぜり合ひはこゝ
数旬が最も際どい勝敗の分岐点である
とみるべきであらう。
 敵は米本土から、ハワイから、アド
ミラルティから、ニューギニアから、次
ぎから次ぎへと航空機を送り込んで来
つゝある。わが方もまた、全国力を挙げて
戦力の増強、航空機増産に力強い上昇
弧線を描き、こゝに造り出された入魂
機は続々と前線に送り出されてゐる。
 今や彼我の武力戦、生産線は最高潮
に達し、レイテをめぐつて白熱の閃光
を南溟の空に映じ出してゐるのである。
 この機、この秋、右剣は大陸におい
て、敵の肩から斜めに一刀深く斬り込
むことに成功した。敵の大陸において
喪失した基地群は、瞬転してわが好個
の基地群と変じ、こゝに東南支那、台湾、
比島を有機的に連繋する堂々の航空勢
力圏は、その威容を整ふるに至つた。
 大陸の空は海洋に通ず。桂林の空は
そのまゝレイテに連なつてゐる。見よ
レイテにおいては、大陸作戦の大成功
に勇気百倍、左剣は一閃にして正に敵の
死命を制せんとしてゐるではないか。
陸海の生ける神鷲は、驚くべき強烈な
爆装機を駆つて連日醜夷を屠り、敵の
心胆を寒からしめ、地上部隊また部隊
長自ら陣頭に立つて肉攻斬込みを決行
する等、鬼神をも哭かしむる勇戦ぶり
を示してゐる。レイテ周辺において敵
の蒙りつゝある損害は蓋し莫大な量に
上るであらう。
 さりながら、戦ひはいよ/\これか
らが本格的様相を呈するのであり、わ
が方もあらゆる面において艱難の度は
ます/\苛烈深刻の度を加重するもの
と想察される。台湾、南西諸島にも再
び、三度、敵の猪突的な攻撃が反復さ
れることも予想され、内地の大都市
が現在のベルリン或ひはロンドン、近
くは那覇の如き焦土と化することのあ
るべきもまた当然予期せらるべできあ
らう。
 さもあらばあれ、われらは不撓不屈、
神武必勝の信念を堅持し、敵に出血を
強要しつゝ決戦を繰返し、強靱なる神
経を以てあくまでも戦ひ抜き、勝利獲
得の希望を喪つて絶望感にのた打つ敵
を、撃つて摧いて、また撃ち砕き、最
後の勝利をしかとこの手に掴まねばな
らない。
 柳州潰え、桂林陥ち、敵軍震駭、懊悩
するの秋、勝機われに近づき、神機将
に熟さんとす。一億の憤激凝つて迸
るところ、貪婪不逞な敵は「撃滅」の贈
物を受くるに応接遑なきに至るであ
らう。