組閣までの経緯

 東條内閣は、七月十八日つひに総辞職を決行した。その理由とす
るところは、二十日情報局発表によつて明らかにされた通りであ
る。即ち、
 「大戦勃発以来、政府は大本営と緊密一体の下、戦争遂行上
あらゆる努力を重ね来りしが、現下非常の決戦期に際し、い
よいよ人心を新たにし、強力に戦争完遂に邁進するの要急な
るを痛感し、広く人材を求めて内閣を強化せんことを期し、
百方手段を尽しこれが実現に努めたるも、遂にその目的を達
成するに至らず、茲において政府は愈々人心を一新し、挙国
戦争完遂に邁進するためには、内閣の総辞職を行ふを適当な
りと認め、東條内閣総理大臣は、閣員の辞表を取纏め、十八日
十一時四十分、拝謁を仰せつけられたる上、これを闕下に捧
呈せり。
 決戦下、事茲に至れるは、上宸襟を悩まし奉り恐懼に堪へ
ず、また前線銃後において必勝に邁進を続けつゝある一億国
民諸君に対し、政府の微力を謝すると共に、戦争完遂のため
機を失せず更に強力なる内閣の出現を期待してやまず。」
 かくて二十日小磯陸軍大将、米内海軍大将はそれぞれ宮中よりの
お召しにより参内、両者協力して内閣を組織すべしとの大命を拝し
た。よつて両大将は直ちに組閣に着手し、二十二日午前閣員の銓衡
を了し、午後一時半宮中に参内、 天皇陛下に拝謁仰せつけられ、
謹んで閣員名簿を捧呈した。同日午後二時半小磯内閣総理大臣の親
任式を執り行はれ、引続き三時半から各閣僚、次いで情報局総裁の親
任を挙行せられ、こゝに新内閣は力強く誕生したのである。
 同夜直ちに小磯新内閣総理大臣は左の如き談話を発表、同時に巻
頭の如き放送を行ひ、新内閣の信念を披瀝、一億国民に対し国難突
破の決意を促した。

 「不宵今回揣らずも米内海軍大将と共に組閣の大命と拝し
ましたが、まことに恐懼に堪へません。今や戦局は極めて重大
であります。この未曾有の国難を突破するの途は、唯々国民大
和一致、敵米英の反攻を撃砕するのみであります。
 政府は内ますます政戦両略の緊密化を図り、いよいよ国政
運営の諸方策を強化し、戦争完遂のための施策はあますとこ
ろなくこれを実行し、断じて必勝を期し、外、あくまで従来
の外交方針を堅持し、大東亜共同宣言を徹底具現し、聖戦を完
遂し、以て聖慮を安んじ奉らんことを期すものであります。
 国民各位は政府の決意に信頼し、克く戦局の重大性を認識
し、焦躁に陥らず、沈着励精事に処し、各々その持場におい
て一瞬の撓みなく、あらゆる困苦を克服し、その全力と国家
奉仕に発揮せられたいのであります。」

 

新内閣閣員

内閣総理大臣 従三位勲一等功四級陸軍大将 小磯国昭

外務大臣兼大東亜大臣 正三位勲一等 重光葵

内務大臣 正四位勲二等 大達茂雄

大蔵大臣 留任 正三位勲二等 石渡荘太郎

陸軍大臣 従二位勲一等功一級元帥陸軍大将 杉山元

海軍大将 従二位勲一等功一級海軍大将 米内光政

司法大臣 正四位勲二等 松阪廣政

文部大臣 従三位勲一等功四級陸軍中将 二宮治重

厚生大臣 正三位勲二等 廣瀬久忠

農商大臣 従三位勲二等 島田俊雄

軍需大臣 従三位勲二等 藤原銀次郎

運輸通信大臣 正三位勲一等 前田米蔵

国務大臣 正三位勲一等 町田忠治

国務大臣 従二位勲一等 伯爵 児玉秀雄

国務大臣兼情報局総裁 緒方竹虎

 

週報405号 1944.7.26