我等いかは防衛すベきか
一、既に敵機は来た
「空襲は果してあるのだらうか」と国民の一部には多少疑つ
てゐた者もあつたやうである。ところが先日、敵は北九州にま
でやつて来た。もちろん今後も来るものと覚悟せねばならな
い。国民が空襲必至を覚悟し、完全な防空体制を整へてをれ
ば、如何に大きな空襲でも徹底的效果を収め得ないことは、ド
イツの例をみても明らかである。これに反し、国民が空襲なん
て大したことはあるまいとみくぴり、用意を欠く場合には、
空襲の效果は十二分に発揮されるのである。
今や四囲の情勢はいよいよ空襲必至を思はせるものがあ
る。即ち
第一に、敵が大規模空襲を重要な戦闘手段と考へてゐるこ
とは、欧洲の実例をみれば明らかであつて、同時に欧洲以上
に上陸作戦の困難な我が国に対しては、一層空襲に重きを置
くことが考へられる。アメリカが我が国土に対し空襲すべき
ことは、初めから豪語してゐるところで、我が国土に空襲の惨
禍を与へずしてとの戦ひを断念することは絶対にあり得ない
のである。
第二に、「対日空襲専用」と敵が宣伝してやまぬB29の如き
超長距離重爆が使用せられ、その生産が既に相当進んでゐる
ことは、本土に対する空襲包囲圏が縮められ、支那基地から
本土を爆撃することが容易になつてきたこと。
第三に、支那基地の拡充、空軍の増強に狂奔してゐると
と。これに対し我が陸軍部隊は支那における大作戦に成功
し、わが在支空軍の活動と相俟つて常に機先を制して叩い
てゐるが、空軍の性質上全滅といふととは至難であり、さら
に補給能力が逐次に増大しつゝあることを思へば、決して油
断は出来ない。
第四に、最近における敵のサイパン島上陸、小笠原諸島父
島、硫黄島等の連続爆撃等にみる如く、太平洋における敵の
大機動部隊の蠢動が活溌となり、一方、四万五千トン級の大
型空母の完成が近づいてゐること。
以上の諸点を冷静に考へると、誰しも空襲必至を覚悟せず
ばなるまい。もちろん先にも述べたやうに、敵の作戦として空
襲時期をもつと先に延ばすことも考へられるが、来ないから
といつて安心したり、 「大したことはあるまい」 と楽観するこ
とは、それこそ敵の思ふ壺で、敵の手に乗ぜられつゝあるの
だと反省してほしい。
要するに国土防衛の本旨は「何時来るか」といふ態度ではな
くて、「何時でも来い」といふ体制を固めて置くにあるのであ
る。
二、真 の 防 衛 精 神
国土防衛こそは今次戦争における重要な戦闘力であり、こ
の制空防衛力が薄弱では、敵に戦争断念の気持を起させるこ
とはむづかしい。一億国民悉く国土防衛の戦士といふのは、
単に言葉の上だけではなく、文字通り重要な戦闘任務を帯び、
防衛精神に徹して、白熱的意志の闘争をなすべき戦士にほか
ならないのである。
防衛精神といつても、根本は忠君愛国の精神であり、身を
もつて皇土を護る精神にほかならないわけであるが、空襲に
対して特に強調すべき点を挙げれば、
第一に、敢闘精神である。防衛といへば消極的のやうに感
ずる者があるかも知れないが、とんでもない間違ひである。
爆弾は炸裂する、高射砲は唸る、死傷者も続出する、火焔は
拡がる。かういふ状態にあつて敢然と防空活動に従事するこ
とは、平素から敢闘精神に燃えてゐて始めて出来ることであ
る。殊に最近では焼夷弾は必ず小型爆弾と併用れる傾向が
あるので、生易しい気持で実践防空は出来るものではない。
平素の防空訓練においても常にかういふ状態を考慮し、精神
的の鍛錬を重視しなけれはならね。「何糞! これしきのこと
にひるんでは日本人の恥だ」といふ勇猛心を常に持つてをら
ねば、大空襲に際して消火活動が鈍り、或ひは狼狽してかへ
つて損害を大きくすることになる。
ハンプルグで火災による死傷者が多かつたのは、これまで
小さな空襲に慣れてゐたのが、突然、連続大空襲を喰つて市
民が怖(おぢ)けついたのも、その一原因といはれてゐる。これに対し
べルリンでは、それ以上の大空襲に対してもよく消火につと
め、損害を最小限度に喰ひとめてゐる。これは市民があくまで
敢闘精神をもつて闘つてゐるからである。この点はよくよく
銘記すべきで、平素から訓練を通じ、或ひは日常の修養によ
り旺盛なる敢闘精神をよく養つて置かねばならぬ。
第二は、国家の一員としての自分といふ観念に徹すること
が必要である。防空といふことを、単に自分の家を守り、白
分の命を守るだけのものと考へる者にとつては、「家が焼けて
も仕方がない」とか、或ひは「爆弾に当れば百年目で、待避な
んかしなくてもよい」といふやうな考へが生じ易い。防空とは
まづ第一に皇土を護ることである。自分の家を守り通すこと
によつて火災を防ぎ、自分の身を守ることによつてどこまで
も君国に奉公することこそ、防衛精神の本質である。
「死ねばそれまでだ」といふやぅな捨鉢的な考へは絶対に禁
物で、恰も前線の勇士が僅かな地形或ひは材料を利用して、
その戦闘力の発揮に努めてゐるやうに、あらゆる方法を講じ
て戦争遂行の力を確保し、あくまで戦争完遂に努めねばなら
ぬ。家を守るのも同様で、自分の家が焼ければ隣近所にも迷
惑をかけ、ひいては国家にも厄介をかけることになる。自分
の家だから焼いても構はないといふやうな考へは以ての外で
ある。
仮りに工場主が「保険が掛けてあるから焼かれても元々
だ」といふやうな考へで防空を怠つたら、一体どうなるであ
らうか。家を守り工場を守ることが国土を護り、終局において
この戦争を勝ち抜くことになるわけである。「敵の焼夷弾なん
かで焼いてたまるものか」といふ意気込も、このやうな真の
国家的気持から湧いて来なければならぬ。
第三には、災禍にひるまず、再建に突進する心構へが必要
である。如何に訓練を積み勇敢に闘つても、空襲においては多
少の被害を生ずることはやむを得ない。不幸にして家を破壊
され、或ひは家族を失つたやうな場合、これに参つてしまつ
ては、敵の戦意をいよいよ増長させることになる。そのとき
こそ日本人の真面目を発揮するときである。何糞といふ旺盛
な敵愾心の下に再建活動に従事し、特に生産を一歩も後退さ
せてはならぬ。
国家としては、被害者にはそれぞれ援助の途を講ずるので
あるが、国民としてはこれのみに頼らず、どこまでも自力更
生の意気込でその日から起ち上らねばならぬのである。こ
れによつて始めて敵の空襲目的を達成せしめず、「日本はいく
らやつても歯が立たぬ」といふことを敵に悟らしめ得るので
ある。実に防衛こそは、敵の空襲に対して敢然として戦ひ、
かつ反撥して立ち上り、進んでは敵の戦悪を失はしめんとす
る積極的な意義をも持つてゐることを忘れてはならぬ。
三、戦闘配置につけ
企業整備或ひは国民動員によつて、今日では国民の大部分
は戦力増強に必要な部面で働いてゐる。この意味では戦闘配
置についてゐるといへるのであるが、直接防衛といふ意味で
はまだまだ徹底してゐない。
空襲とは国土が戦場となることだ。戦場では戦闘に有利な
態勢をとらねばならぬ。現在の都市の状態は決して戦闘に適
した形とはいへないであらう。疎開を完了することは国土と
戦闘体形に固めることである。このためには疎開した後の都
市の防空態勢が機めて肝蛮である。
戦闘配置につくといふことは形の上ではなく、同時に国民
の一人々々が優秀な戦闘員にならなければならぬ。しかもこ
の戦闘員は、防空的に組織され、団結して、敏活に一糸乱れず
活動が出来なければならぬ。即ち先に述べた防衛精神を発
揮し、防空活動その他にも熟練してこそ十全の闘ひが出来る
わけで、物心両面の戦闘組織配置を完了して、始めて「さあ何
時でも来い」の態勢がとれるのである。
四、生活を簡素化せよ
家康の遺訓に「不自由を常と思へば不足なし」といふ一ケ条
があるが、戦国時代に生れ、波瀾万丈の苦闘を経て政権を握
つた家康のこの言葉は、文字通り肚の底から湧き出たもので
あらう。今や前線と銃後の区別なく一億悉くが常在戦場の心
構へを必要とするとき、「不自由を常と思へば不足なし」の一
言は、直ちに以て我々日常の教訓とすべきである。民需物資
は年々欠乏して来る。将来さらに一段の不足も覚悟せねばな
らぬ。これは我が国に限つたことではなく、現在の戦争とし
ては、いづれの国もみな然りである。
古歌にも、「憂きことの尚この上に積れかし限りある身の
力ためさん」とあるが、不自由を忍ぶにもかういふ積極的な
精神でゆけば常に朗らかで、常に意気旺盛である。常在戦場
といふのは単に心構へだけの問題ではなく、現実に日常生活
を簡素化しなければならぬ。
独ソ戦を通じてソ聯の粘り強さが云々されるが、ソ聯国民
の大部分は原始的生活に慣れてゐるからである。我々もそこ
まで徹底しなければならぬ。観念をすつかり切り換へて原始
的生活に還元するところまでゆけば、平素における物資不足
はおろか、如何なる大空襲に遭遇しても、何等動ずることが
ない。
生存に必要な物資は、政府において如何なる空襲下にも大丈
夫なだけ確保せられてゐるので、この点において何事心配は
ない。たゞ生活の切り換へが出来てをらぬと、最低生活に安ん
ずる気持が生れず、「幾ら戦時でもこれだけは何とかしてほし
い」といふ慾望から不足を生ずるのである。
既に戦闘配置につく以上は、その生活を戦場にふさはしいや
うに極度に簡素化して置くのは当り前の話である。今日もし
何か不足を感ずる国民があれば、まづ自らの心を反省して貰ひ
たい。敵は何を狙つてゐるか、これに対し国民は何をなすべ
きかを静かに反省するならば、自ら戦場生活に徹する勇気が
湧いて来るであらう。空襲時には国民生活が何としても破壊
される。平素から生活を簡素にしてこれに慣れてをればその
影響は少いのである。
空襲下の心構へ
一、冷静沈着なれ
爆弾が手近かに炸裂する。高射砲はひつきりなしに唸る。焼
夷弾がばらまかれ、少し手遅れになればそこかしこに火の手が
あがる。かういふ状態の中にあつては誰しも平素の落着きを失
ひ易い。「冷静沈着であれ」といつても、実際問題として困難で
ある。慣れて来ればともかく、初めての場合はよほどの者でな
い限り、胸騒ぎが起るであらう。
昔の武士でも初めての戦場に臨む場合は、どうしても武者震
ひがとまらなかつたといはれてゐる。しかし平素から常に空襲
時に何をなすべきかを心掛け、訓練を積み、精神を修養してを
れば、たとへ爆弾の音に胸がドキドキして来ても、それがため
に狼狽することはない。そのときに「あゝこゝだ。平素の訓練
に物をいはすのは」と思ひ直す余裕が出来れば、もう占めた
ものである。空襲下、咄嗟にこの落着きを取り戻すためには平
素からの心掛と訓練が大切である。
東郷元帥は「訓練は実戦の如く、実戦は訓練の如く」とい
はれたが、この境地に達してしまへば、如何なる空襲下にも
狼狽することなく、冷静に必要な措置がとれる。
空襲時には、いろくなデマに乗ぜられて、ますます狼狽
することが多い。空襲直後には未だ報道もなく、状況も不明
で、誰とはなしにいろいろな流言が飛び易い状態におかれ
る。関東大震災のときでもさうであるが、常識では考へられな
い馬鹿げた話が伝はり易いものである。そのときに冷静でさへ
あれば、迷はされることはなく、当局の指示を信頼して秩序
を保ち得る。またすぐ当局の指示が得られないやうな場合で
も沈着でさへあれば自分で状況を判断して、この際どうすれ
ば一番よいか分る。常識で考へれば「そんな馬鹿なことが」と
すぐ分るやうなデマでも、冷静を失つて来ると、ついフラフラ
信じ易くなるものである。
これも平素の心掛一つで出来ることで、この心掛さへあれば
爆弾などに対しても、慣れるに従つて落着いて対応の処置が
とれるやうになり、空襲下にも平常通りの気持で活躍が出来
るやうになる。しかも一人がしつかりしてをれば、周囲の者
はこの人を中心に安定し、落着いてゆけるもので、家族はも
ちろん隣組全員も自分一人で落着かせてやる位の自信を持た
ねばならぬ。
二、指導に服従せよ
その次ぎに大切なことは、当局者その他の指導に従ふことで
ある。非常事態下に往々混乱を招き易いのは、皆が勝手気儘
に行動するからである。
当局者は全般の情勢を考へて、最も妥当楷とする方策を以て一
般国民に指示を与へ、或ひは直接指導するのである。もちろ
ん当局者といへども、時としては下手な指導をすることもあり
得る。かういふ場合でも皆が何だかだと文句をつけて勝手な
行動をとると、そのためにかへつて混乱を大にする。
当局としてはかゝる場合に犠牲を最小限に喰ひとめ、一般国
民として直ちに平常通りの業務に従事できるやうに、平素か
ちあらゆる場合に備へて研究もし、準備もやつてゐるのであ
るから、当局の指示に絶対信頼するのが義務であるばかりで
なく、最も安全な道なのである。平時においても社会生活とい
ふものは、一定の秩序によつて保たれてゐるので、いはんや非
常事態下において当局の指導をとやかくいひ、秩序を紊すこ
とは、国民道徳の上からいつても許し難い罪悪である。
三、互に助け合へ
古くから「武士は相見たがひ」といひ、或ひは「世の中はも
ちつもたれつ」といふ。不幸にして災害を受けた者に対し皆
の助け合ふのは、国家に対する義務であるばかりではなく、日
本人として当然の人情であり道徳でなければならぬ。かうい
ふ際にこそ日本人本来の美徳を発揮すべきである。たとへた
くさんの握り飯でも、奪ひ合つて食べれば皆不愉快な気持に
陥るが、これに反したつた一つの握り飯でも分け合つて食べ
れば、腹はふとらなくても自然になごやかな気持になり、勇
気も湧いてくるのである。一つの物も分け合ふこの気持が空
襲下に特に大切である。平素は何だかだといつてゐても、イザ
となれば一致団結し、互に手を取り合つて進むのが日本人本
来の人情である以上、いかに物資不足の折柄とはいへ、空襲下
同胞の不幸を知らぬ顔するやうな非人情な者は一人もあるま
いと確信する。
空襲下、互に感情がとがり気持が荒んで来て、内部的に弱
点を作るか、それともますます団結を固め戦意を旺盛にする
かの大切な岐れ路は、実にこの相見たがひの精神の有無によ
るのである。
四、職場を守れ
最後に強調したいのは、空襲下断じて職場を守れといふこ
とである。空襲の目的は要するに二つである。一は国民の志
気を沮喪せしめる。もう一つは生産を低下させることである。
防衛精神に徹し、空襲下日本人としての美徳を発揮すれば、
敵愾心は燃え上り、戦意ますます旺盛となることは必至であ
る。そこで敵のもう一つの目的たる生産カの低下を防げば、
結局、空襲全般を無效に終らしめるととになる。工場防空の
完璧が叫ばれ、重要工場周辺の疎開が促進されるのもこのた
めであるが、工場設備が残つても生産の根源たる人が頑張ら
ねば生産低下は免れない。空襲下断じて職場を守れと強調す
る所以である。
ドイツでは空襲のために失つた作業時間を取り戻すために、
勤労者全部が残業してこれを取り戻してゐる。我々日本人は
ドイツ人に負けるやうたことがあつてはならぬ。勤労者にこ
の意気込さへあれば、たとへ設備がやられても二交替作業
或ひは三交替作業によつて生産低下を防ぎ得るし、工場全部
がやられた場合でも、他の同種工場で二交替なり三交替作業
をやれば、やはり生産低下を防止し得る。
勤労者をして空襲下職場を守らせるためには、家族の者、
特に家庭婦人がしつかりしてをらねばならぬ。母なり妻なりが
この点を心掛け、「後は引受けた。安心して働いてくれ」といふ
態度に出れば、勤労者は何の心配もなく職域に挺身できる。
また職場を守るのは単に工場勤務員だけではない。銀行も
新聞社も、或ひは警防団員も配給業者も、すベてが一致して
その職場を守り本分を尽してこそ、工場も平常通り動くわ
けで、「自分は直接生産に関係がないから」といふやうな観念
で職務を怠れば、忽ち生産に影響してくるのである。
かやうに職場を守ることは、国民全部が各々自分の本分を
尽すことによつて始めて出来ることなので、工場勤労員のみ
ならず、家庭婦人もその他の職域にある者も「空襲下生産を
落すな」といふことを一番に考へて行動しなければならぬ。
焼夷弾、爆弾との闘ひが終るや否や、すぐ「職場につけ」とい
ふことを一番に考へて行動して貰ひたい。工場にあつては空
襲時喪失した作業時間は、ドイツ人のやうに残業で取り戻す
覚悟でやらねばならぬ。そこまで徹して始めて「我職場を死守
せり」といひ得る。
必勝の信念
一 神州不滅の信念
必勝の信念といふことは今日誰しも口にするところであ
る。しかし人前で必勝の信念を口にしながら、さて敵がト
ラックへ来たサイパンへ来たといふので、何となく前途に不
安を感じるやうなことでは、到底必勝の信念を堅持してゐる
とはいへない。戦局の一進一退によつて浮動するやうなのは
信念ではない。必勝の信念は、何よりもまづ國體の自覚に基
づく神州不滅の信念に発しなければならぬ。
御稜威の下、一億同胞打つて一丸となり、各々その本分を尽
すとき何物がこの団結を破り得るか。何者がこの皇土を侵し
得るか。いはんや今次の戦争は、日本民族の抹殺を叫び、東
亜をドル資本の隷属化に置かんとする敵の侵略に抗して、皇
土を護り、東亜十億の民族を解放して共存共栄の天地を確立せ
んとする正義の戦ひである。正義は必ず勝ち、不義は必ず敗
るゝは歴史の鉄則である。三千年の歴史を顧みれば、我々が
外敵を討つときは必ず敵の侵略を破砕する戦ひであり、当時
の世界的強国を相手にして常にこれを屈服せしめて来たので
ある。我々の祖先が蒙古の侵寇を撃ち破つたとき、当時の蒙
古帝国は亜欧に跨る世界最大最強の国であり、また彼の日露
戦争では世界最大の陸軍を有し、長年、満洲における基地の
要塞化を図つて来た大国を破つたのである。
何故にこれらの強敵を破り得たか、神州不滅の炳たる事実
に我々は絶対の信念を持ち得るのであるが、また不義を憤る
正義の一念が、日本人本来の忠君愛国の精神と結びつくとき、
何者をも破砕せずんばやまざる闘魂となつて現はれて来るか
らである。この歴史的自覚と、それより発する闘魂こそ必勝の
信念の基礎である。
二、勝利は最後の五分間
戦争に勝つためには各種の要素が必要である。作戦はもとよ
り、防空に、経済に、国内体制の整備その他いろいろな方面で
必勝の体制が固められねばならぬ。しかしこれらの体制が如
何に整備されても、肝腎の闘志に欠けては、体制は魂なき形骸
と化し、勝利は到底望み得ない。反対にこれらの体制に多少
の不備があり経済力に劣るとも、火の如き闘魂さへあれば、
よくこれらの不備を補つて戦後の勝利を把み得るのである。
このことは古来の戦史が示すところであり、近くは第一次
欧州大戦の訓へるところである。当時のドイツ国民は連戦連
勝に酔ひ戦争を甘く考へてゐたために、戦争が長引き戦局が
停滞してくると、疑心暗鬼にとらはれ、和平待望の空気が濃
厚となり、議会において公然と和平演説が現はれるといふ有
様となつたのである。戦局の逆転は忽ち国内の崩壊を誘起し
てしまつたのである。
当時の英仏両国はドイツ以上に苦境にあつた。頼みとする
ロシアは崩壊し、ルーマニアは屈服し、ドイツ潜水艦の活躍で
国内経済状態は日に日に行詰る状態にあつた。このときはイ
ギリス国内の一部にも和平論が発生しかけたのであるが、ち
やうどそのときドイツの議会に和平演説が行はれたので、イ
ギリス政府及び国民は「我々以上にドイツは弱つてゐる。あゝ
いふ和平論が議会に現はれるやうではもう一息だ」といふの
で、勿ち和平気分は消え、最後まで闘ふ意志が盛り上つて来
たのである。
一方、国内の主要地域を占領されてゐるフランスの情勢は、
イギリスよりなほ悪かつた。労働争議は頻発し、一般国民か
ら政界に至るまで悲観論が擡頭して来た。このとき特に猛虎と
呼ばれたクレマンソーが登場して来たのである。彼が議場に
臨むや議員連は戦局不安に関し、政府は一体どうする積りか
と詰め寄つた。やをら答弁に立上つたクレマンソーは、大声
一番、大要左の如き演説を試みたのである。
「東方の友邦(当時日本は聯合国側であつたから日本のことをか
う呼んだのである)には、勝利は最後の五分間に決するといふ諺が
ある。我々の戦争に対する信念もこゝにある。只今ロシアが崩壊
したに対し、政府は如何なる対策を持つかといふ御質問があつた
が、これに対する我々の対策はあくまで戦争を継続するにある。
またルーマニアがドイツに屈服したに対してどうするかとお訊ね
であるが、これに対する我々の対策はあくまで戦争を継続する。
パリが占領されればボルドーで、ボルドー陥ればピレネー山脈で
あくまで戦争を継続する」
烈々火の如きクレマンソー首相の熱弁に、議場は満場拍手喝
采、つい先程までの暗い空気は一掃され、人々の胸には必勝
の信念が強く植ゑつけられた。この演説は忽ち全国津々浦々
に伝へられ、フランス国民は再び旺盛なる闘志をとり返し、
遂には頑張り抜いて最後の勝利を得たのである。実に猛虎ク
レマンソーの闘魂よく全フランスを奪ひ起たせ、この闘魂の
前にはドイツ軍の優秀なる武器も歯が立たず、ロシアの崩
壊、ルーマニアの屈服といふ極めて有利な情勢も、遂にフラン
スに対しては何の役にも立たなかつたのである。逆にロシア
の崩壊を有頂天に喜んだドイツ国民の方が最後の勝利を失つ
たのである。その同じフランスが今次大戦においては、パリが
戦場と化するを惧れて軍門に降り、イタリア国民はローマの
焼かれるのを惧れて分裂するに至つたのである。
戦争を甘く考へてゐると、少し情勢がよくなると忽ち有頂天
となり、これが悪化しかけるとすぐ腰が挫けるのである。今
後空襲の激化に伴ひ、死傷も生じ、皇土の或る部分が焦土と化
すことも当然予想されねばならない。クレマンソーは日本の
諺をひいて「勝利は最後の五分間に決す」といひ、あくまで戦
争を継続する意志を国民に示したが、本家本元の我々日本人
は今こそ勝利は最後の五分間に決すとの信念の下に、頑張ら
ねばならぬ。この闘魂あつて始めて宿敵を撃滅し、皇土を安泰
に導き得るの
である。
国土防衛の
真髄も実にこ
の闘魂にあ
り、戦争のこ
と以外一切考
へず、あらゆ
る犠牲を物と
もせず、如何
なる苦境にも
屈せず、最後
の五分間まで
闘ひ抜く者に
こそ勝利の栄
冠は輝くので
ある。